Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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新年恒例の格付け見ました。味系とかは見ていてもサッパリ判らないんですが、試せるのはとりあえず音感。これだけは毎年毎年テレビだけでも完璧に判る内容です。生で聞いていたら益々判るんじゃないのかという気がしますが、はずす人も毎年居るんですねぇ。

そして、悲しいかな難しいのが演出。これ判らんわぁ。っていうか、プロの監督でも間違えるんだから仕方ないのかもしれません。それにしても食い物とか判らないもんなんだなぁ。素材云々と言っても、味付けの問題もあるしなぁ。

テレビ的には4組消えて、仲間爆弾爆発の方が楽しいと思うんですが、そうならなかったのはちょっと残念。なんか予選の方が重くなってしまっているようで、そこが気持ち悪いです。いい加減飽きも来ているのかもしれないので、何か新要素が欲しい所かもしれません。
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たばこが値上がりするそうなので、買いだめしようかと思っています。今回はとりあえず1000円とか異常な値段にはならず100円ちょいアップなので、個人的には致命傷ではないのですが、その値上げ分が、店に行く訳でもメーカーに行く訳でもなく役所に行くと思うと1円でも少なくするのが世の中の為だと思うので、まとめ買いするつもりです。選挙なんかに行くよりもよほど世の中の役に立つ行動でしょう。

で、禁煙ファシズムは今現在も順調に進行中です。ちょっと検索すれば判るんですが、たばこが健康に被害を与えることは事実。という書き方をしている人の多いこと多いこと。はて、学術的に有意性のある証明というのは未だかつて見たことが無いんだが、どこかで発表されたんだろうか? あるならぜひ紹介して欲しいものです。興味深いですから。役所が言ってるとか、公共機関が言ってるとか、メーカーが言ってるとか、医者が言ってるとか全部証明になんかならないし、訳のわからない統計が幾つあろうが何の根拠にもならないなんてのは当然です。

にも関わらず、あたかも事実であるように語られる。あくまでも可能性が考えられるという域を出て居ないはずなんですがね。するとね、たばこが健康に影響が無いことを証明しろとか言い出す大間抜けまで出てくる。じゃあ、お前が悪魔じゃないことを証明して見せろってことだわな。

健康を云々言うなら酒なんて、それが理由で一体何人の人間が事件や事故に巻き込まれていると思ってるんでしょうね。かなりの人間がそれこそ命を落としているはずです。酔っ払いが原因の車や列車の事故だけで年間何件起きてるか認識あるんでしょうか。人の命が大事だと主張するなら、まず酒を禁止するべきだろ。

それから車やバイクね。商用車はともかく、レジャーなんてものの為にガソリン燃やして排気ガス垂れ流して、高速が安くなったって渋滞かましているわけだ。それの健康被害はどうしてくれるんだろうね。しかも、それだけじゃなくて、一体何人の人達がそれで命を落としていると思っているんでしょうか。もう可能性とかじゃなくて純然たる事実ですよ。遊びに行くために車に乗るなんて全面的に禁止するのがいいだろうね。

でもそういうことを言う奴はほとんど居ない。それは何故か。結局自分の頭で考えて居ないからですよ。周りの雰囲気に感化されて悪者を見つけて集団リンチしているだけ。もうテロリスト以下の行為ですよ。さらに気分が悪いのは、自分達は良いことを主張しているという感覚で奴らが居る事。正義の押し売り程迷惑なものはありません。まさしくファシズム、ナチズムと同じ発想で成立しています。

って、そういうとヒステリックな反応を示すんだろうなぁ(笑) なんせ自分達は正義で、ファシズムは、喫煙は悪であるというシンプルな考えで生きている幸せな愚か者達なんでしょうから。もう、生かしておく意味も見つけられませんね。いやホント。
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『エコ!』って、ウソっぽくねー?!

なかなか痛快です。まさしくその通り。こういう異常な行動はエコに限らずしばしば見受けられます。このコラムでも書かれている通り、それぞれの行動そのものが悪い訳じゃないという場合も結構あります。けれど、落着いて客観視すると明らかに歪んでいるわけです。

それは何かというと、正義という感覚なんですね。エコは正義、健康は正義、最近だと子供を守るのは正義とか弱者救済は正義とかもありますか。そういう特定方向からの視点を正義という言葉で正当化すると、まず異常な事態が発生します。正義という言葉を使う人間に限って何も考えていないということがバレバレですね。

臆面も無く正義などと宣える最大の理由は、思考を放棄しているからです。政治家が言うから、役人が言うから、テレビで言ってたから、みんなが言ってるからなどという無意味な理由で信仰できるからこそ、正義などという曖昧な概念の言葉に信念を込めて使える訳です。私は馬鹿ですと宣伝しているようなものですね。

自ら価値観を定位する人は、その成立プロセスを知ることで、他人の価値観に対しての重みも理解出来るわけです。そこを飛ばしているから、自分の信仰だけが正義だと言切ってしまえる。宗教をはじめあらゆる信仰は馬鹿しか引っかからないし、馬鹿を再生産します。人間にとって最も危険な猛毒です。信仰が殺してきた人数は、過去どんな兵器や毒物よりも多いんじゃないかという気がしますね。
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自殺者:偏見根強い宗教界 安心して悼む場を

アコギだなぁとは思うけれど、酷いとは思わない。宗教という権威に頼むなら、その価値観に従うというのは必然のことだ。嫌なら他の宗教に行くなり宗教なんぞとは縁を切るなりすれば良いだけの話。宗教なんてものは、所詮敵を作って生業を立ててきた商売なんだから、そうなること自体はなんら不思議なことではない。自分達が何かに慰めて欲しいと欲している奴に対して、それを提供しなかったからと言って文句を言われる筋合はない。

ビジネスとして考えればニーズに応えるべきだは成立するかもしれないけど、宗教というのは本来そういうものではない。更に言うなら、ボレるところからはボルもビジネスとしては正しい判断とも言える。だったら、幾らでも払えばいいんじゃないのかね。戒名料の相場が仮に50万だとするなら、200万も出せば望みの戒名を付けてくれる坊主は幾らでも居ると思いますがね。

自殺というのは、それが是が非かは別にして、責任は当人ないしは保護者が全面的に追うべきもの。そうである以上、何を言われても仕方がない。こういう発想が出ること自体、自分達は被害者であるという考え方が残っているということでしょう。だから、私は可哀相、助けて貰って当然だ的な発想が垣間見えることになる。同情の余地はまるで感じられない。これを酷いとか判断して、自殺者を美化することこそが自殺を増やす原因なんじゃないかと本気で思います。

当人はともかく、遺族に罪はないと言うかもしれないけれど、パートナーならそういう相手を選んだんだから仕方ないって事になるし、子供なら、そういう風に育てたんだから仕方ないになる。親や親戚といった場合は確かに遺族は被害者で、当人の価値観のせいで遺族が嫌な思いをするというのは不当です。それは宗教に問題があるんじゃなくて、家族制度に問題があるわけで、それを防止したいなら、家族制度を解体すると言う方向に持っていくのが正解でしょう。
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小中学生の携帯禁止、親の努力義務 石川県、条例可決へ

なんて馬鹿馬鹿しい話だろう。呆れてものが言えないという感じだ。

石川県議会の自民党会派が、小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者に努力義務を課す条例改正案を、15日開会の6月議会に提案する。同会派は議席の過半数を占めており可決される見通しだが、県は「憲法違反のおそれもある」と慎重だ。県によると、携帯電話の所持規制に踏み込んだ条例は全国に例がないという。


そりゃぁ憲法違反だろう。自由を法律によって拘束する許し難い条例だと言えます。けれど、ここで問題視するべきは石川県議会では無く、そういう対応を望んできた大衆の方にあります。自分の子供のコントロール程度、しかも携帯電話を持たせる持たせない程度のことは保護者が自らの責任で行えばいいものを、公的な制約を求めるというの馬鹿が大量に存在する。なんでもお上にやって貰おうという畜群だ。

そういう連中が望むから、政治屋がこんな暴走を始める。市民が望んでいるという名分が成立し、対処しなければ最悪無能呼ばわりなのだから、人間の自由など知った事じゃないと言う判断をするのは当然だし、そもそも大衆は自由など求めていないし、必要としてもいない。

「宇宙をかける少女」じゃないが、安全と生活が保障されたハコがあれば喜んで入り、出てくることは無いというのが大衆の本質だろう。こういう条例案が提出されるということが、近代似非民主制の民とやらに人間として重要なものが欠落しているという事実を物語っている。

自由を獲得するには、それによるリスクを自らの責任で引受ける必要がある。そんなのは当然だ。携帯電話の利用の自由を獲得するためには、それによって起る事に関して自ら責任を負えばいい。それが嫌なら持たなければ良いだけの話で、それが自由というものだ。世の馬鹿親共が、平然と糞餓鬼共に携帯を与えておいて、いざ何かあるとお上に責任をなすりつける。そういう奴隷的発想の考え方が実際には蔓延している。

はっきり言って迷惑この上ない。そこまでお上に守って欲しいなら、自ら奴隷宣言をして、刑務所にでも入って保護してもらえば良いんじゃないだろうか。そうすれば、完全に安全が保障されます。まさしく現代版のハコがお似合いです。
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親が死んでしまったニートだけど、、

結構笑える。本気なのか演技なのかは別として、こういう奴がムカつくのは事実だし、屑だと思うのも事実だし、税金の無駄遣いであるというのもその通りだと思う。けれど、これだけあからさまであるにも関わらず、なぜそれがいけないのかということを説得力のある内容で言えている人は一人も居ない。実はそちらの方が病巣としては深刻なんじゃないかという気がします。

結論から言えば、人間が生きるという権利を行使すること、つまり人権の行使は無条件であるという思い込みが最大の要因でしょう。だから困っている人を助けるのは公的に正義というのが成立つし、今回のような意図的に困った人になっている人間までもを助けなくてはならなくなってしまう。

権利の行使には、それが例え人権であったとしても責任が伴うという考え方をすれば、この問題は即解決してしまう。保護を受けることが出来る権利を行使するということに対する責任も同様。生きる事は当然だ、保護されるのは当然だ、安全なのは当然だとか考えている愚か者を多く見かけますが、そう考える人間は、ここで出てきているような確信犯的ニートに対しても生命と安全を保証しなければならなくなります。

人である以上人権は無条件に発生する。それは構わない。誰でも生きていても良いという権利は持っている。だから生きていてはいけない人は居ないという建前が成立する。けれど、それは全ての人を「生かし続けなければならない」ということにはならない。生きていく権利を行使する以上、相応の責任が発生するというのが正しい。だから、ここで出てくるような屑は、その責任を果していないと判断するならば、生きる権利を行使することは出来ない、つまり死ねって結論になる。それが矛盾無く容易に出せる訳です。

無条件な弱者救済はヒロイズムを容易に満足させてくれますが、システムとしては破綻することが目に見えています。意図してかどうかは判りませんが、そういう問題点を上手くあぶり出す事に成功している事例になっていると思いますね。無条件な福祉社会など地獄にしかならないというのが良く判ります。

この考え方に対して、脊髄反射的な反対をする人間ばかりでなく、肯定的な意見を出している連中が少なからず存在しているということが恐ろしいです。社会体制の末期ってのはこうなってしまうものなのかとしみじみ感じました。
携帯電話の二の舞は勘弁

携帯電話市場の急激な縮小の原因は景気低迷だけではない。むしろ販売奨励金の廃止による端末価格の上昇の影響のほうが大きい。何しろそれまで「ゼロ円」「1円」が当たり前だった端末に、4万?5万円の値札が付いたのだから、買い控えが起こったのも無理はない。今でも一部に「ゼロ円」端末は残るが、あくまでも例外的な扱いだ。


『何をいまさら』としか言いようがない。しかも、この主張を是としてきた馬鹿共の主張であった、そうすれば通信費用が安くなるというのも、当てが外れているということが完全に証明されました。結局は体の良い値上げってことになってます。業界が反対しているところを無理矢理導入したのだから、こうなることは最初から見えていました。やるならやるで、本当に適切な価格設定がされているのかまで監視、指導するのが筋ですが、そういうことはしないというのが糞役人どものやり方で、だからこそ奴等の判断は常に間違っていると考える方がローリスクです。

糞役人の考えなど取るに足りないというのは常識だけれど、それを歓迎していた馬鹿も大勢居たという事実を忘れてはいけない。恐らくそういう奴等は役人の奴隷として生きる事に喜びを感じている連中なんだろうが、奴等の意見無くしては糞役人共も強行な姿勢は取りづらい。馬鹿が糞役人に大義名分を与えているということだ。

建築基準法も金融商品取引法も貸金業方も薬事法も全部同じ構図。馬鹿に権利を与えることの恐ろしさがここにあります。そして、それが間違っていたとしても一切の責任が問われない。そんなあり得ないシステムにこそ最大の問題があるというのが実際でしょう。
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危険運転致死傷罪適用で懲役20年 福岡幼児3人死亡事故

酒飲みが殺人を犯しているにも関わらずこんな茶番な裁判をしなければならないという法律が間違っている。詳細は実は朝日の方が詳しいので、そちらから引用する。

控訴審で検察側は、事故原因を脇見運転とした一審判決は事実誤認だと主張。事故の再現映像を証拠提出し、通常通り運転すれば前方の車が視界に入るはずだと訴え、「被告は先行車の交通状況に応じた運転ができない状態だった」と危険運転致死傷罪の適用を求めていた。


クダラナイ話だ。視界に入ろうが入らなかろうが関係ない。飲酒行為自体が非社会的行為であり、理性の破棄であり、人権放棄を自ら希望する行為だ。そんな状態で公共の場所に出てくる時点で罪だし、ましてや車の運転をした時点で論外。事故を起こせば問答無用というのが適切だろう。

今林被告の公判をめぐっては、福岡地裁が結審後、検察側が起訴した危険運転致死傷罪のほか、業務上過失致死傷罪を起訴罪名に追加するよう命令。そのうえで、08年1月、業務上過失致死傷と道交法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の組み合わせでは最高刑に当たる懲役7年6カ月を言い渡していた。


にも関わらず、最高刑でたった7年6ヶ月というのは異常という他にはない。そんなのは飲酒行為のみだけに付けるられるべき程度の量刑だ。酒気帯びひき逃げなら最低でも終身刑。最高なら人権剥奪辺りが適切だろう。飲酒というのがそれだけリスクの高い行為であるということを徹底的に知らしめると共に、理性を自ら望んで飛ばすような行為を行う獣は、人外として狩らなければならない。


飲酒は犯罪です。麻薬と同じです。
ダメ。ゼッタイ。
アルコール摂取は人権の放棄です。
酒やめますか?それとも人間やめますか?
少女は天使で、老女は化け物?

「女性って現実的だよね」と言われることも多いものです(一方で「女は感情的」とも言われるわけですが)。


感情的だから、現実感を持っている時はヤケに現実的なんだけど、破綻するととことんまで破綻するってことでしょうね。更に言うと、女性は近視眼というのもあります。が、なによりも迷惑極まるのは、それらではなくて、身内とそれ以外の区別が著しいということでしょうか。これは昨今の男でも増加中だったりはします。つまり、身内と判断されると非常に気を遣うが、それ以外と判断されると、気を遣われないというか、空気扱いされます。それが社会性の欠如と写ることがしばしばあるし、実際結果として同じ事になる場合も多いです。

だから女性ドライバーは迷惑だと言われるし、街で家族連れを見たら近づきたくもないということになる。身内とその中での常識が世界の全てだと勘違いしていてそれ以外の存在を認識もしていないわけですね。自己中心的な人というのは、実はちゃんと考えればエゴを通す為に必要な関係性というのを理解することが可能なんですが、身内以外は認識できないとどうにもならない。だから救いようが無い。

家族という強固かつ狭小かつ閉鎖的なコミュニティの中に浸かっている女性が加速度的に社会性を失うのは当然と言えば当然のことです。相対化の対象が極端に限定されてるのだから持ち直しようも無い訳です。女性が少女の心を持てない理由もここにあります。つまり、家族という閉鎖空間では、自分は相対的に年寄りな訳です。それ以外の接続点を切り捨てるから、少女じゃ居られない訳です。その分まだ仕事に出ている男性の方が家族以外との関係性を維持しているだけ少年で居られるってことですね。何れにしても内と外を切り分けるという性質がそういう事態を招いているというのは確実でしょう。

女性に美しさを求めるというのは、全体的に見れば事実かもしれませんが、それは女性の特権でもあります。つまり、美しければそれでいいって状態で、それ以外のものを問われずに済む場合が未だに結構存在しているし、それを求めている女性もまだまだ多いように感じられます。そういう特権を持っている以上、その反発として美しくない女性の風当たりが強くなるのは至極当然です。この手の話でいつも感じるのは、自分が持っている既得権益を無視して、差別反対的なニュアンス押し出してくることが多いということ。本気で男女平等を考えているなら、一番の敵は男性では無くて古い価値観を是としている女性の方だってことですね。

そんな女性達を作ってきた最大の要因は家族制度ということです。女性の社会性を奪い、美しさや輝きを消し去り、少女の心を踏みにじってきた。それらは全て家族制度に起因しているわけです。それを認めている以上仕方ないんじゃないで済ますしかないでしょうね。
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2年連続論文戻され、東北大院生自殺「指導に重大過失」

どこの馬鹿親と小学生の話なのかと思ったら、なんと大学生、しかも院生で年齢は信じられないことに29歳らしい。世も末という感じだ。結論から言うと、成人の自殺の責任は全面的に当人のみに起因する。教授とやらの指導がどうであったかは全く関係ない。卒業できない理由ではあったかもしれないし、それは不当だったかもしれないが、自殺の原因とはならない。それを自殺の原因とするのは馬鹿の過保護でしかない。

大学にクダラナイ指摘をするような馬鹿親だからこんな間抜けで幼稚な餓鬼が飼育されることになるんだろうと言わざるを得ない。少なくともこんな馬鹿親ではまともな教育は出来ていないということは確実だろう。それに振り回される周りは良い迷惑だ。

仮にこの馬鹿が卒業できたとして、こんな程度で社会に出ても当然通用しないだろう。遅かれ早かれ自殺するというのがオチだ。役人ならこんな馬鹿でも勤まるところがあるかもしれないが、それは税金の無駄遣いでしかない。

この事件の概要を見るだけで、家族制度というのが馬鹿が馬鹿を再生産する劣悪な仕組みであるというのが良く判る。そして、大学というシステムも完全に機能不全に陥っているということも判る。むしろ、こんな馬鹿を卒業させなかったという事実をもってこの教授とやらを評価することさえ出来るんじゃないかという気すらする。

死ねば官軍という風潮がこの世の中にはどうもある。どんな悪人でもどんな馬鹿でも間抜けでも死にさえすれば美化されるという風潮だ。そんなことを許すから、簡単に死ぬことを考える奴が出てくることになるんだろう。死のうが何をしようが悪は悪、馬鹿は馬鹿と扱うべきだ。ましてや自殺なんてものには同情の余地は1μmも無い。

まぁ世の中に出てこなかっただけ害が少なかったとは言えるかもしれませんが。
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子どもとケータイめぐる議論は「間違いだらけ」 何が危険で何が必要か

僕に言わせれば、この教授とやらの方が余程ずれている。というか、エリートのボンボンが考えそうな次元の発想だわなという気がする。

学校内に携帯持ち込みを禁止するのは、何も子供を危険から守る為だけが目的ではない。学校では学業なり本来の目的に集中させるためという目的も存在するのだから、禁止するという判断自体は妥当だ。それを安全を守るためという言い訳をするからこういう突っ込みを受けるんだろうが、馬鹿親が多いので馬鹿避けの為にも安全という伝家の宝刀をちらつかせるのは手段として悪くないだろう。

携帯そのものを禁止すると表現や通信の自由の制約に繋がるというが、それが悪い理由が分からない。子供は守るものという認識があり、実際に守られている以上権利が制限されるのは当然のことだ。何をトチ狂っているのか判らないが、その程度の基本的な事すら理解できていないようだ。思考停止は問題かもしれないが、携帯だろうとネットだろうとコミュニケーションの取り方自体は基本的には変わらない。というか、大人になってから携帯に初めて触ったという人間が居たとすると、携帯中心のクダラナイコミュニティに興味を持つことがそもそも無いだろう。9割が持っているのだから、家の子にもと考える発想自体が愚かしい。能力の無い奴には責任能力が発生するまで利用を禁止するのが当然だ。

子供の教育の責任は親にある。というのは、現在の家族制度においては絶対に曲げられないポイントだ。崩壊していようが馬鹿親だろうが知った事じゃない。結果子供が犠牲になったとしてもそれは仕方ないだろう。それが家族制度というものだ。それは嫌なら家族制度自体をとっとと廃止するべきだろう。

社会システム構成の基本部分を無視して、携帯だけに特化して語るからこういう訳の判らないことを言い出すんだろう。酷い有様としか言いようがない。全ての権利には責任が伴うということを徹底させ、家族制度を廃止すれば大抵の問題は片付く。この携帯の問題もその一つでしかありません。正直大した問題じゃないと思えるし、それと同時に、それ以外では効果的な解決策が無いという社会の病巣に直結した問題である以上、根深いとも言えるかもしれません。

まぁ子供の問題である以上、家族制度に起因するのは当然のことなんですけどね。家族制度の最大の犠牲者は子供達なんですから。
ばら撒くよりも、カネを動かせ

ばら撒くよりも動かした方が良いという発想自体には同意できるものの、動かせさえすれば何をしても良いと言うことにはならない。そもそも贈与や相続などは不労所得であり、当人の能力や努力に全く依存していない利益だ。それは様々な問題の根底になっています。不当な権利の存在自体に問題があるのに、それを増長したのでは、不当な利益を不当な手段で不当な人間に金が回るというだけでデメリットの方がはるかに大きい。そもそも贈与や相続があるから年寄り達が必要以上に金を貯め込んでいるというのが現実なのだから、増税することはあっても減税なんてあり得ない。

政治屋の近視眼もここに至れりという感じです。400兆だかなんだか知りませんが、適切な贈与税、相続税をかければそんなものは順次税収として入ってくることになります。高齢化と言ったところで人間は永遠に生きられるわけではないのですから。

金持ちに金を使って貰うのに、その利用権を贈与や相続によって認めるというのは歪んでいます。使うなら当人に使わせればいい。資産は当人のみが利用する権利を持って、それを放棄した場合は全額国に入って適切に使われるというのが望ましい。糞役人が税金を適切に使うことはあり得ないという別な問題はありますが、それとこれとは話が別だし、それ以前に日本の国庫は火の車だ。

3年間10%にするだけで400兆が動くのに贈与税が年間600億も無いという矛盾した税制をいつまでも続けているからこんな異常な状態になる。3年で400兆動くのであれば少なくとも年間100兆の税収が取れるような税制に変更するべきだろう。贈与税と相続税が低すぎるという証明をしてくれています。

年寄りが年間100兆を超える金を動かせるだけの力を持っているのであれば、益々それで安泰ということになります。資産を持ち出せないような仕掛けを作ってから、贈与も相続も出来ないという仕組みにすれば、税収になるか使い切るかと言う選択になるだけだ。不当な利益を不当な手段で不当な人間に与えようとしているのでなければ、贈与税、相続税を下げるなんて愚かな選択はあり得ないだろう。
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福岡中1自殺でみえた「学校での体罰」の疑問

ちゃんちゃら可笑しいとはまさにこのことを言うのだと思う。それほどまでに巫山戯た、自分勝手な理屈で、こういう考え方がはびこるから、最低限のこともできないような、糞猿が大量に発生するんだろう。

教師は赤の他人だと言うが、そんな赤の他人に過大な期待をしているのは誰だろうか? もし、僕が教師でこんなアホらしいことを言われたら、こう言うだろう。

「じゃあ口で言っても判らない時は、体罰を与えないで退学にさせます」

そうしなければ、真面目な生徒達が馬鹿を見るという不公正なことになります。
赤の他人である以上、その猿の面倒を見るかどうかの選択権が与えられるべきだろう。それをしもしないで、赤の他人は過剰に干渉するなと言われたのじゃたまらない。教師じゃなくても同様で、赤の他人と言ってしまった瞬間に、身内以外は猿共が何をしていても放置しろということになる。親に親としての能力が欠如している例にあふれているご時世で、これを助長するようなことを言うのは、単なる馬鹿でしかない。

何度も書いているけれど、自殺の責任は何者にも転嫁できない。出来たとしても当人の保護者に責任は限定され、それ以外のものには一切責任は無い。自殺するような奴は所詮その程度の人間であったということで、それを止めることが出来ないような保護者は所詮その程度の保護者であったというだけのことだ。それについて、なんらかの対策が必要だとは思わない。あえて言うなら、家族制度に問題があるのだから、家族制度を解体するべきだということだろう。

もし、学校や教師に問題があるなら、相応の手段を以て告発なりすれば良いだけのことであって、自殺などを契機に問題を見直そうなどと言う馬鹿野郎が居るから、次々と死ねば良いんだろという発想をする奴が増える訳だ。つまり、こういう一見良識的な発言をしている奴等こそが自殺者を増加させている要因になっているということを自覚するべきだ。

繰り返すが、犯罪行為には責任の分散があり得るけれど、自殺の責任の分散はあり得ない。自殺の責任は基本的には本人のみに限定される。未成年であるということを考慮するなら、その責任は保護者にある。このスタンスを崩して、やれ学校だの社会だのに責任の押しつけを認めることは決してあってはならない愚行です。
「非処女で結婚無効」ダメ=イスラム教徒に逆転判決?仏高裁

外国のことではあるんだけど、これって結局宗教を文化として認めるか否かという話担っているような気がします。個人的には宗教に対して好意的なものは一切持っていないのですけれど、社会的なバックボーンとして既に成立していることを鑑みれば、赤の他人がそれを判断するという時点で傲慢と言えるでしょう。ある文化がある文化に対して真偽をつける訳ですから、さもありなんで、司法というものが原則的に野蛮なものであるということが良く判ります。

勿論フランスの裁判所が積極的にこの判断をしているという話ではないので、裁判に持ち込まれた段階で、そうされることは前提になってしまいます。そう考えると、この問題を裁判に持ち込んだという時点で、こそれが宗教裁判で無い限り、宗教を侮蔑していると考えられるんじゃないだろうか。

だとすれば、既に宗教的な戒律という意味での処女性をどうこうというのは茶番でしかない訳で、後は精神的な部分での問題のみってことになるんでしょうね。既に復縁は不可能な状態でしょうから、結局は不当な離婚を行ったということで、損害賠償って方向になるんでしょう。つまりは金ですわな。この女性がどういうつもりだったかは知りませんが、この判決が認められるってことになると、熱心なイスラム教徒男性をターゲットにした処女詐欺って手段が成立してしまうんじゃないだろうか。ただ、20代という年齢なら、こんな男のことさっぱり忘れてって選択の方がスマートだと思うんですが、そうしていないという段階で、人間的に最低だと思うし、最初から金目当ての詐欺だったんじゃないかと言われても仕方がないでしょうね。

まぁ異文化の異性と親密な関係になるのなら、気分的な問題は不問にするしかないということが十分に起きうるという教訓にはなっていますわな。それ以上に無意味な戒律が存在するような宗教を信仰することは、既に愚か者の選択であるということをフランスの社会が認定したってことなのかもしれません。イスラム文化が強い社会に逃れて再度裁判にかければ別な判決が出るんじゃないかって気がしますけど(笑) まぁ何れにしても当人達から制度にいたるまで全てが茶番だって感じられます。
パソコンのインターネット、携帯電話、いつからどんな風に使わせる?

確かに、家庭内のことを役人が決めるのはいかがなものか? ではあるんですが、結局そうせざるを得ない状況があるからってのが実際でしょう。子育てには、恐らく絶対解は存在しない。ここで書かれている手法で上手くいく場合もあれば、いかない場合もあるでしょう。画一的手法が万能であるなら、誰も苦労なんてしない訳です。

現実には、自分の子供をコントロールすることが出来ない無能な親の数が一定以上を超えたというのが原因の一つ。よって、未成年という無責任者に対しては権利を制限するというのは当然のことになります。

更にもう一つ酷いのが、自分の無能、失敗を棚に上げて、社会やお上に責任を転嫁するという卑怯な親というのも増加しています。子供が自殺した責任を学校や社会に押しつけるなんてのがその一番の典型例。役人達だって自分達に責任が回ってくるという可能性が見えれば、一番確実な方法、つまり禁止するという手段に出るのは当然のリスク管理でしょう。自分達が追うべき責任を放棄すれば、自由が剥奪されるというのは、当たり前。というか、そうならなくてはならないことです。

結局、親の無能と無責任がこういう規制を作り出したということになるでしょう。親になるには、生物学的生殖機能以外には何の選別も必要とされていないのですから、こうなるのは自明です。村社会が崩壊した段階で家族という制度は命数を使い果たした訳で、これまで延命されてきましたが、いよいよ制度としての寿命になったということでしょう。家族制度を継続する限り、益々法律なりの縛りは増加させていくしか手の打ちようが無いでしょうね。