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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
なぜ人権と民主主義は正しいのか。ホームレス問題に寄せて。

それは強弱の定義を変えたに過ぎなくて、解答になっていないような気がする。つまり純然たる暴力の力を持つものが強者だという理屈にすげ替えただけだ。仮に1万人の人民とやらが存在したとしても、そんなものは、核ミサイルの照準一つで黙らせることが出来る。つまり、それがここで言われている強さな訳で、近代民主制を肯定することにも、人権を肯定することにもならない。結局、竹槍が何万人居たとしても、戦闘機1機には絶対に勝てないし、零戦じゃジェット戦闘機には勝てない訳で、だから経済を握っている連中が強者の仲間入りを出来ているんだという事実を忘れているんじゃないだろうか。西部劇よろしく一人一丁の拳銃を持ち的な綺麗事を前提しているみたいだけど、それはナンセンス。であるから、ここで言われているように人権も近代民主制的な意味での平等も幻想に過ぎない。

選挙権が革命権の穏和な実現形式であるというのは面白い見方だと思いますが、穏和にさせすぎた為か実質的に機能しない仕組みになっていしまっています。そうなると、相互均衡を取る為という人権の機能も同様に機能しなくなり、一方的に与えられる形式にどんどんと近づいていきます。現在はまさにそれが進行している状態。これは、人間の上位に国家やそれに変わるなにがしかを定位させる限り必然的に起こる現象で、避けようがない。

墓掘り人夫というなら、恐らく現在の形式による人権擁護をしても同様に自分の墓を掘ることになるというのは変わらないのではないだろうかという気がします。結局人間は自らが自立しない限り、そういう状態から脱出することは出来ないでしょう。
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当たり屋は少年4人組 福井、詐欺容疑

当たり屋という商売が成立するのも、悪名高き道交法が痴漢裁判と同様に思考停止の考え方で構成されているからだ。つまり、それがどんな状況であったとしても、車と人がぶつかった場合は車に責任がある。という原則が諸悪の根元な訳です。勿論、片や免許を所持して凶器を転がしている訳だし、片やヨチヨチ歩きの赤ん坊からヨボヨボの老人まで含まれる訳だから、一定のバイアスがかかるのは仕方がないとは言える。

けれど、この場合のバイアスは過失割合が一定以上分散されているということが確定した後に適用されるべきだろう。過失割合が非車両側に過度に大きい場合は、この保護条件を外すのが望ましい。昨今では一部そういう司法判断もされているようだけれど、まだまだその認識は浸透していない。だから自らにはほとんど過失が無いということが判っているにも関わらず、こんな小僧の当たり屋に騙されてしまう。

痴漢の方は以前大学生のでっち上げ事件が発覚したけれど、痴漢冤罪も当たり屋も元手が必要なく、かつリスクが小さい(と認識されている)ので、こういう未成年やそれに近い連中が容易に手を出しやすい。どちらも上手くやればかなりの収入を見込める訳で、そもそも少年法などというクダラナイ法律で保護されているご身分であれば、やらない方が馬鹿だと考えたとしてもなんら不思議は無い。

弱者であるか否かに関わらず、明らかに自らの言動に大きな過失がある場合は、その責任を追求するべきです。責任能力が無いと判断される場合は、行動に制限を受けるべきです。例えば保護者無しの外出は禁止とかね。当然それで事件が起こった場合は保護者の監督責任が問われなければならないでしょう。責任能力のない猿に一端の権利を認めたりすることは大きな問題です。

どちらも過度な弱者救済の例です。限度を超えた弱者救済は社会を腐らせる元凶にしかなりません。昨今は既に大幅に限度を踏み越えているというものが散見されます。弱者が弱者であることに胡座をかけるような社会は一刻も早く手を打たなければならないでしょう。
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屋山太郎 最高裁の判事たる資格を問う

年金記録漏れ問題は、日本の官僚制度始まって以来の無責任、悪質な事犯ではないか。


少なくとも「発覚した中では」という前置きが居るでしょうね。役人共はこれと同様、あるいはこれ以上の無責任で悪質な行為を日常的に行っていると考えるのは今や当然のことでしょう。そうでなければ、こんな悪辣な社保庁の連中が今に至るまで許されているなんてことはあり得ません。彼等にしてみれば、社保庁の連中なんて「運悪く発覚してしまった不幸な人達」程度にしか見えていないってことでしょう。まともな役人を探すなど、砂漠に落とした針を探すのと同じ程度に難しいことです。

こうした空前絶後の“犯罪”について責任を問えないのは現行公務員法の処罰規定がおかしいと断ずるほかない。


というか、現状の公務員制度そのもの、あるいは国家制度そのものがおかしいので、処罰規定がおかしいのはなるべくしてなっているということでしょう。天下りなんてものがそもそも許容されているという時点で異常としか思えない。元役人を雇用する場合、一切の公共事業に関われないなど企業にとって大きなペナルティになるという位徹底して天下り防止策を取るべきだろう。

ましてや元役人が最高裁判事をしているなんて、国家制度として完全に機能不全に陥っているとしか言いようがない。現状の法律に何の権威も認める必要が無いというのが、この一件だけでも良く理解出来ます。
3種類のクズがホームレスになりやすい。

権利を義務と紐付ける人は多いけれど、そこが釦の掛け違いの原点。そのまま突っ走ると、こういう結果ナショナリズムに落ち着いてしまいます。それにしても「そして国家磐石の人柱となる崇高な義務を負うのだ」とは、もう勘弁してくださいって感じです。

国家など人間の入れ物としての便宜上のものでしかない。あくまでも主体は人であり、国家のための人柱などはあり得ない。そうしなければ国家が滅びるというなら滅ぼしてしまった方がナンボかマシ。

というか、国家の人柱になれという人達には、まず自分が死ねよって言いたくなりますね。生きているということは国家に対して自分の生がどの位貢献しているのかまずきっちり明示して欲しいものです。少なくとも30歳未満の小僧が語れる内容じゃない事は確かだろうね。

ホームレスを含めた弱者と呼ばれる連中が、その立場に甘えているのじゃないかという意見には賛成できる。それを許すべきではないという点も賛同できる。けれど、そこから殺してしまえまで行くとそれは飛躍。救済を打ち切られてもそのままならいずれ淘汰されるでしょう。それは仕方ないかもしれないけど、それを選択するのも、それ以外を選択するのもそれぞれの自由であり、国家を含む何者にも強要されるべきではない。

国家なり何かなりが、人間に何かをしなければならない。という考えがあるんだろう。けどその発想は嫌悪の対象になっている福祉国家と原則的に何も変わっていない。結局巨大な国家組織が必要になるという点でも良策とは到底言えない。現代社会に問題点があるという点に同意が出来たとしても、その対応策に対して絶対的な解が確定しているなんていうのは、酷い幻想だ。ホームレスのオヤジが愚痴の根拠としている妄想と変わらない。

権利に紐付くのは義務ではなくて責任。変わらないように見えて実はこれはかなり違う。人間の上に何かしらの存在を位置付けなければならないと考えている内は所詮同じ穴の狢でしかない。つか、そのレベルはマルクスで終了している。つまり100年以上も昔の発想でしかないだろう。
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車内に3児ら4人の遺体 心中か、埼玉・白岡町

当然のことだけれど3人の子供の命を奪う権限があると思う親権者の勘違いは今も昔も無くならない。家族制度という腐った制度がある限り、馬鹿親の犠牲者は決して無くなることはないでしょう。それどころか、今後はどんどんと増える傾向になるのではないかと思います。もう、その一点においてこの女に一切の同情の余地は無いことは確実なんですが、その死にっぷりが更に酷い。

大体コンビニの駐車場ってのはなんなんだ。この非常識っぷり。こんな馬鹿女が、子供を3人も連れているという事実が恐ろしい。単に妊娠出産可能だというだけで、こんな糞馬鹿女が3人の人間の生命を監督できる立場を獲得できるという不条理さを誰も不思議に思わないというのが不思議でなりません。如何に社会的風習に対して思考を停止しているか、普通とか常識とかマナーとか法律とか、そういう言葉が語られる時こそ最も危険な内容が語られていると感じる癖を付けるべきです。

生物学的な親が親権を獲得するという家族制度は、絶対的に、完全に狂っています。肯定するべき要素は全くありません。社会問題のかなりの割合がこの腐った制度を根底の原因にしています。まず真っ先に解体するべき制度です。人間の親に馴れるだけの能力を持つ成人は、現在親と呼ばれている人間の数の半分以下であることは確実でしょう。恐らく数割程度なのではないかと思います。

村制度、家制度が実質上機能しなくなり、家族が単位となっている現在。これは正常進化で、更に単位は個人へと進んでいくでしょう。既に現段階において、家族という制度に無理が生じています。親権者が子供に対してあたかも所有権を持っているかのような感覚を引き起こし、しかもその権利が出産により無条件に与えられ、結果には実質的な責任が無いという異常な制度が現在の家族制度です。

この異常な制度の一番の犠牲になっているのは、子供達であるということをきっと幸せ家族を満喫しているつもりでいる馬鹿親は気付いても居ないんでしょうね。
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【正論】和田秀樹 どこまで落ちる大学生の学力

書かれていることの内事実に関することはそうなんだろうと思うけれど、対処の方法は難しくない。卒業させなければいいのだ。現在の日本の学校システムの一番の問題点は、入学時の学力は問題にするが、卒業時の学力は問題にしないという点にあります。それでも高校までは進学率が重要で、大学入試は高校入試と同じ基準で選別されるために、一定の学力というものを維持しようという意図があった。けれど、大学になるとそれが無くなる。だからここに書かれるような著しい問題生徒も出てくるし、大学入学の段階から既に入試に関係無いものは学問にあらずという考え方が成立する訳だ。大学というのが完全に職業予備校に成り下がり、しかも実質よりも形式が重視されてきた。こういう生徒が出てくるのはある意味必然であるといえるでしょう。

この問題を対処するに入試のハードルを上げろというのは愚策だ。大学だって経営していかなければならない訳で、独自採算である以上ある程度の生徒数は確保したいというのは切実なところだろう。よって、入試のハードルなんてもっと下げるべきであって上げるべきじゃない。入りたい奴は誰でも入れる位にしてもいい。その分卒業はその大学の名にかけて、水準以上の学力を持ったもの以外はさせないという仕組みにすればいい。そうすれば、学歴だけが立派な馬鹿なんてものが量産されることもなくなるだろう。

大学卒業生の数は現状の1/1000?1/10000で良いだろう。一流の名を持つ大学であるならば、今時の多くの大学生がやっている程度の学習内容なら、卒業までには20年程度は必要なカリキュラムを課すべきだ。それが出来ない以上、どんなに入試のハードルを上げても結局4年間で全て忘れ去るなんてことになりかねない。というか、大学卒業が普通なんて社会は異常だと気付いて欲しい。現状の大学の相当な部分が既に大学として機能していないということが数字からも良く判ります。

大学に入ること、あるいは良い就職先にありつくこと。それがゴールである以上は、学力なんてものは道具でしかない。必要なくなった段階で学問なんてものは放棄するのは合理的な選択です。彼等の選択は間違いではない。間違っているのは、そういう人間が大学という場所に存在していることと、あまつさえ卒業できていることでしょう。少なくとも卒業の間口を絞らない限り、この状態を変えることは出来ないと思いますね。
ホームレスに人権があるだなんてただの屁理屈だよ

国家がホームレスを承認するということは、単に経済学的にフリーライドの問題を生むだけにとどまらず、ホームレスの排除によって成り立っている社会秩序を崩壊せしめ、その社会の構成員の生を奪う側面を持つ。しかし、権力を維持する前提として、基本的人権の存在を唱えざるを得ないのだ。


この見識は鋭いと思う。全くその通りだと僕も考えます。つまり逆に考えれば「社会秩序」と「権力」の維持を考えなければ人権など必要なくなるということになります。人権など必要ないというと、生きることを否定みたいなイメージがあるかもしれませんが、実際にはそうではありません。つまり、人間が生きるという事に対してご大層に権利など与えられる必要は元来無いということです。

社会と権力の秩序を維持する為に、人権という虚構の器が用意され、それがあたかも誰かに生きることを認めて頂いているという感覚を与えます。だから社会や権力に反発することは「悪」であり、秩序を乱すことは「悪」である。よって排除されるべきだという論理が成立したりもするわけです。

今まさにそこに存在しているホームレスをどうするかというのが現実的な問題になってしまうので、それ以上になかなか思考を向けることが難しいですが、そういう現実的な対応は他の方にお任せするとして、僕としては何故ホームレスという存在が存在し、それが排除されるのかという部分に興味を惹かれます。つまりそれは、社会と権力の秩序を維持するために必要だから。という結論に他ならない。

そう考えると、社会と権力が人間の自由をそこまで束縛している存在である。ということが認識できるでしょう。確かに社会秩序というものは、一見すると非常に重要で、それがなければどうにも困ってしまうもののように思えます。しかし、実際には過去も現在も実在してきた社会秩序などというものは大したモノではありません。実際、現在日本の状況を見てみたところで、その法律や司法の有様を見れば絶望したくなります。とりあえず、生存するということに限っては比較的良好だった訳ですが、それですら昨今は徐々に怪しくなってきています。これは悪くなることはあっても良くなることは無いんじゃないかと思います。

ホームレスであることはなんらいけないことではない。それは理由の如何に関わらず当人の自由。である以上、そういう選択をしていると言うことに対しては、自らの責任に依って行われなければならない。ホームレスという立場に胡座をかくことは許されない。弱者であることを免罪符として認めてはならない。彼等を本当に人として認めるというならば、彼等に対して責任も要求しなければならない。単に生存するという事実だけをお情けで許容して貰うのであれば、それは単なる家畜で人間ではない。

逆にホームレスのような人達の方がそのことを肌で理解しているんじゃないだろうか。という気さえする。一番判っていないのは、社会と権力の庇護を最大限に欲しがる中流弱者に位置する大衆であるように僕には見えます。彼等は形式的な権利と自由を与えられることで、自らの自由を売り渡した社会と権力の奴隷です。これに関するコメントやエントリーを読むと良く判るのだけど、ここで問題にされているのは暗黙に存在する前提であるのに、そのことを疑えない、疑うことに意味を見いだせないのだなと感じられる人が大勢居ます。彼等は心底からそう思っているのでしょう。完全に心身共に畜群に成り下がってしまった可哀想なモノ達です。
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住基ネット二審も合憲判断 仙台高裁

まだこんな愚かしい裁判をやっていたのか。これこそ申請を棄却していいクダラナイ内容だと思うね。住基ネットの問題点は、管理面及び運用面に限定されているのであって、その存在そのものには何の問題もないどころか存在は必然ですらあります。むしろ現状ではまだ甘い位で、国内でのあらゆる手続きは、民間のそれも含めて全てIDカード1枚で済ますことが出来、税金などの事務処理も全て自動的に行われるというのが本来あるべき姿です。現状の住基ネット程度でプライバシー権云々言い出すなんて論外も甚だしい。せめて、どこかの島にでも移り住んで、公共サービスを一切受けないとかそういう状態にでもしてから言って欲しいものです。

懲りずに上告しようって魂胆らしいですから、全く道理を理解していないと言うことでしょう。馬鹿野郎達に無駄な権利を認めてきた結果がこれです。逆にこういう馬鹿な裁判が起こされるものだから、肝心な部分で情報や権利が絞られてしまうことになる。全く酷い有様です。いっそのこと、こいつらのデータを削除するかわりに、住基ネットの費用を負担して貰うというのはどうだろう? 当然負担出来るはずはないだろうから、結果的に排除出来る形になって万々歳です。もしくは、住基ネットへの登録の削除を希望する人物に関しては、各種税金を1000倍位にするというのも手です。それでも最終的にはこんな馬鹿共は絶滅するでしょう。過度な権利を要求すると、その分のコストを負担しなければならなくなるということを、教えてやる必要があるでしょう。
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システムを台無しにする「ルール違反」

そもそもSymantecの広告記事っぽいので、書いてあることも話半分にしておかなければとは思うけれど、この記事には良く勘違いする典型的なミスが入っている。つまり、ルールそのものの正当性やルールの目的の正当性は考えないようにしているということ。PCの話になってから以降に関しては技術的な内容になってきているので、後半に関しては一般論として間違いじゃない。けれど、その例としてタスポを持ってきたのは致命的なミスだ。

そもそもタスポは目的、内容、手段の全てが間違っているのだから、それを無理矢理法律にした時点で破綻をきたすのは当然のことだ。「ルールやシステムが妥当かどうかも継続的に検証される必要がある」と言いつつ、ほぼ全面的に間違っているタスポという仕組みを例に挙げているのだから、どうしようもない。

勿論、法律である以上その妥当性は問題にはならないといわれれば、そういう見方も成立する。けれど、僕に言わせればそれを認めてしまったら国家の奴隷でしかなくなる。僕自身は自分が人間であることを放棄するつもりはまだ無い。ましてや、日本の法律というのは酷く脆弱な仕組みの上で制度的正当性を得ているに過ぎない。個人的には制度的正当性というもの自体を僕は認めないし、近代民主制という制度の正当性も認められないし、政治家や政党個々の正当性も認められない、ましてや日本の主権者の正当性なんて全く認められないのだから、それに準拠して維持作成されている法律に正当性を認められるはずがない。

法律を守るのはあくまでも法律と自分の倫理が整合した場合だけで、それ以外では国家という暴力組織に対するリスクを回避するためでしかない。明らかにヤの付く自由業とお見受けする方に因縁をふっかけることはしないというのと同じで、合法暴力組織である国家の命令であれば不条理であっても従う振りをしなければ酷い目にあうというだけのこと。よって、目の届かない場所だという認識があれば、そんな法律を守る理由は全く無くなる。それは至極真っ当な判断だと僕には思えるし、一般的に浸透している概念だ。取り締まりが行われていない道路で、制限速度を守って走る車などほとんど居ないというのが一番判りやすい例だろう。勿論だからと言って暴走行為が許される訳ではない。そこの判断が制限速度などという単純なものだけでなく、様々な社会的局面でも出来る能力を持っているものこそ、主権者としての人間の最低条件だ。

悪法も法は客観的事実ではあるが、それに従うのは家畜の思考方法でしかない。人間、ましてや主権者を名乗るのであれば、それが法であるかないかは実際には大した問題ではないはずだ。
こんな私でよかったら

僕は子供が居ませんので、近頃の子供達のことについてはっきりとは判りません。ただし、市場原理を導入した場合、馬鹿が優勢になるというのは傾向として強く表れるだろうとは思います。更に、現在ではなんでもかんでも市場原理が正義という発想は十分通用するものであり、本来であれば市場原理的価値観とは別の物差しで図るべきものを市場原理で図って酷い結果になっているというのは良く見る現象です。そして、学問は確実に市場原理とは折り合いが悪いものであり、既に多くの大学が市場主義に負けて職業訓練校かそれ以下に落ちている状態です。更に基礎を教えるべき小中の域にまでこの現象が及んでいるとするなら、それは由々しき自体と言っても良いでしょう。

馬鹿というのは、何も出来なくても自らが持つ権限を振り回すことだけは知っています。それだけに無責任な馬鹿に権限を与えることは厳禁にしなくてはならないのですが、何故か昨今では弱者救済の美名の元に馬鹿が一番得をするという社会構成になっています。弱者の最たるものが子供であり、社会で最も無責任で居られる存在も子供です。それだけに彼等の権限は著しく制限されるのが当然なんですが、何故か昨今その権限は増すばかりのように感じられます。

生まれた時からそういう環境で育った子供は、自分達は特別な権限を持っていると勘違いしてしまうのも仕方ないかもしれません。これも無責任に権限を与え、無能な馬鹿を優遇し過ぎた社会体制が生んだ鬼子ということなんでしょう。そういう連中と向き合わなければならない教師という職業は真面目にやろうとすると、相当シンドイだろうなと容易に想像できます。僕としてはコンシューマ相手の商売は一切御免だと既に見切っています。

教育の存在理由を「同時代のドミナントなイデオロギーから守ること」と言い切るのは天晴れで、ここまで言える教師がもう少し居れば教育も変わるんだろうなぁという気がします。僕が知る限り、多くの場合長いものに巻かれることを教えることが教育だと思っているような教師が圧倒的に多かった気がしますからね。
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「暴行された」とうそ 25歳女を書類送検 京都府警

嘘をついた女もけしからんと思うのだけど、それ以上に酷いのがこの警察の対応です。さすが合法ヤクザだけあってやることが酷いです。しかもこれだけのことをやっておいて「慎重に捜査することが望ましかった」で済まそうとしているのですから、ヤクザは何をやっても許されるとでも思っているんでしょう。

そもそもこの程度で「暴行の現行犯で逮捕」が出来てしまう法律は異常としか言いようがない。僕が警察に行って「内閣総理大臣の男に階段で押された」といえば、フクダを現行犯逮捕してアリバイの裏を取ってくれるのだろうか? といえば絶対にしないでしょう。逆に訴えた僕の方を疑いだして犯人扱いすることになるでしょう。僕が殺されそうになったということが事実であったか否かは全く関係無くです。警察は自分達の基準で気に入らない奴に関しては証拠も無しに逮捕しますが、顔色を伺わなければならないような相手の場合は、逆に被害者を犯人に仕立て上げることを平然とやります。

こういう法の過剰運用を堂々と行い、結果間違っていることが確認されても悪びれもしないという状況は非常に危険だと言って良いでしょう。こんなレベルの誤認逮捕を行ったとなれば、関係者とその責任者まとめて数人は解雇くらいされるのが当然のことだ。国家権力を背景にした暴力組織な訳だから、その正当性を維持するためにはその位の厳しい基準が適応されなければならない。少なくともこの状況で「慎重に捜査することが望ましかった」などと行ってヘラヘラしているような奴に警察を名乗らせることを許すのは危険極まりないと言えるでしょう。

ある程度に人数を抱える組織である以上、厳重に管理していたとしても馬鹿というのは存在してしまう。その中にはこういう暴走行為を平然とやってのける人外が存在しても不思議じゃない。ましてや自分達が権力組織の一端に位置していると認識すればなおさら暴発はしやすい。だからこそ、問題が発生した場合は徹底的に厳しく対処するべきなのだ。警察関係者の犯罪行為は一律一般人の10倍位の量刑にしていい。冤罪関係に関しては1000倍?100000倍程度が相応しい。というか、積極的に冤罪行為に荷担した今回のような場合には、懲役刑なら300年?1000年位にして一生強制労働を強制してやるのが適当だろう。そうでもしない限り警察に権限を与えるなんてのは、広域暴力団にマシンガンを数量無制限で無料配布するのと同義だ。

悪質な職質の件もそうですが、現行の法律はどんな人間でも警察が捕まえようと思えばいつでも逮捕可能になっています。道交法でも軽犯罪法でも何でもござれです。で捕まえてしまえば税金と国家権力を背景にした様々な暴力行為で個人に追い込みをかける訳ですから、何でもアリです。この国の法律や警察が全く信頼に値しないというのは、もう当然のことだと考えた方が良いでしょう。法律だからという理由で無条件に守る奴なんてのは単なるアホであり、警察に進んで協力するような奴は馬鹿ってことです。
内閣改造で見えた福田首相の「恐ろしさ」

僕は政治には興味があるけれど、政治家には全く興味が無いし、ましてや自民党の政治屋などには嫌悪感しか持っていないので、個別に誰々は何々だと言えるだけの知識は持ち合わせていません。しかし、あえてこの記事の内容を是とするならという前提で話をするなら、やっぱりフクダは腐っていたという結論を何回目か何十回目かの追確認ができたということでしょう。

個人的には小泉氏というのもそれほど評価していません。けれど、確かにアベやフクダに比べれば幾分マシだったように思えます。というか、アベやフクダ以下は既に人間としてどうよ? ってレベルです。僕がこの記事に一定の信頼感を覚える理由は、昨日たまたま見たニュース番組に与謝野が出演していて、様々なインタビューを受けていたのを見たというのがあります。最初から見ていた訳ではないので、時間としてはそれほど長くは無かったのですが、その短い時間だけで十分にこのジジイは駄目だと十分確信できる内容でした。

官僚に優しいなんてとんでもない話です。あんな病原体と仲良くしようと考えるようなヤツは人間としての思考能力が欠落していると即決しても構わないでしょう。脳が病原体に汚染されて破壊されているのかもしれません。この閣僚リストは悪質な非人リストだと受け取ってもいいんじゃないかとさえ思います。

行政は最低限の規模にまで縮小するべきです。全官僚の数が二桁になるくらいが望ましいでしょう。無駄を省くのは当然のことで、無駄じゃないとされているところまで省いてはじめて改革と言います。実際、端から見ると無駄じゃないように見える無駄は大量にあります。ほとんどの税金はまともに使われていないと考えてかかった方が良いでしょう。そのまともに使われていないの筆頭は官僚の人権費であることは言うまでもありません。

「次の選挙で国民自らがこうした福田首相のやり方に判断を下すことを期待しよう」とされていますが、もし次の選挙までの期間でバラマキ戦術を自民党が取ってきた場合、それを期待するのはかなり怪しい気がします。自民党政治屋が心を入れ替える確率とどちらが高いか正直微妙です。大衆は論理的な判断をしないから大衆で居られる訳です。無知の知を知ってしまったソクラテスのように、考えることを知ってしまったらもう大衆で居ることはできません。

そんな大衆が無責任に参政権を行使できるような体制下では、馬鹿な政治屋が大量に再生産されることになるでしょう。与謝野にしても谷垣にしてもマチムラにしても一体何回当選しているのかをみれば、それが実際に実証済みだということが判ります。いやまぁそれ以前にアベやフクダが総理大臣になっているという段階で近代民主制は駄目だってことが、過去既に証明されている訳なんですけどね。
農相の「消費者がやかましい」発言 政府・与党からも批判

当人がどういうつもりで言ったかは知りませんが、第三者からすれば、野党の指摘の方がどう見ても正鵠を得ているように感じます。である以上この間抜け大臣は政治家失格ってことになります。当人がどういう意図で発言したのかはこの際あまり問題ではありません。

こういう突っ込みを入れられるだろうことが想定される発言をするという段階で、言葉を商売道具とする政治家として、資質に問題有りってことになるでしょう。素直に自らの能力不足を認めればまだ可愛げがあるものを見苦しい申し開きをしています。ニュアンスの違いで済まされるレベルじゃないってことがもしも判らないとするなら、日本語能力に致命的な欠陥があると思います。しかも、このオヤジ初犯じゃありません。過去にも同じような問題を起こしていて、その時には選挙で落選までしています。

となると、反省するという能力が欠如していると言うことも判ります。こんな奴を政治家として認め、あまつさえ大臣にまでした自民党やフクダの人選力も当然問題があると言えるでしょう。更には一度は落選させたにも関わらず、舌の根も乾かぬ数年後にはまた当選させてしまったという福岡の有権者の民度の低さも明確に露呈したと思います。このオヤジに投票したような愚か者は、少なくとも今後10年位は一切の選挙行動を控えて頂きたいものです。

無能者に無責任な参政権を与えると、これほどの馬鹿野郎が大臣にまでなれる訳です。近代民主制がいかに罪深い制度なのか、この一件を見るだけでもはっきりと結論が出せるんじゃないかと思います。まぁ今回の件が無くても、歴代総理大臣の顔ぶれを見だだけで、特にアベだとかフクダだとかを見れば、近代民主制に未来は無く、放置すれば社会を滅ぼす猛毒であるというのが、子供にでも理解出来ると思うんですけどね。
処女の文化史

「処女の娘は父親が家族を取り仕切る能力の鏡と見なされただけでなく、父親の経済的・政治的な取引上の価値ある財産だった。また長男がすべてを相続するという長子相続権の結果、花嫁を捜す男性とその家族は、処女の花嫁を選ぶことで、生まれてくる長男が嫡出子であることを確実にしようとした。」


当然そういうことになります。特に日本のように宗教的文化基盤が緩めの社会においては、この傾向が強くなります。青少年保護などという綺麗事を名目として語られるものは、実際には青少年を保護する為では無くて、その親や家の権益を守る為のものでしかないってことが良く判ります。

こういう似非正義を法律だの条例だのとして認め、その価値観に従わないものを国家権力の暴力を持って排除するということを許してしまうという悲劇の温床もまた家族制度にあります。既に機能不全に陥り実質的な意味をほとんど持たなくなってしまっているにも関わらず、既得権益だけはしっかりと握って話さないという最低に下劣な状態になっています。しかも親の親としての能力が日に日に進行形で落ちていっていますから、まだ底を打っている訳ではありません。

個人の権利と自由を束縛する以外には何の効果も無いと言っても良いでしょう。一刻も早く家族制度を解体する為の手立てを打つべきです。相続税を限りなく100%に近い税率でかけてやることが一番効果的です。経済的な意味で家族の意味を喪失させれば結構な割合が消滅してくれるでしょう。その上で、子捨ての承認、馬鹿親からの親権剥奪などを同時に行えば壊滅的な打撃を与えることが出来るでしょう。完全に殲滅する必要はありません。大多数を非家族で構成してしまえば良いだけのことです。恐らく3割?4割もあればあとは自然と淘汰されていくでしょう。

家族制度という現代社会の問題点の根元を破壊すれば、かなり多くの社会問題に対して光明が見えてくるはずです。時代遅れの価値観に基づいた制度にいつまでもぶら下がっている必要はありません。不要なだけならともかく、害になった制度はとっとと切り捨てるのが適切な判断でしょう。速ければ速いほど効果が高いと思います。
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「日雇い派遣禁止」の裏に隠された巧妙なからくり

全く持って理屈が通らない。自分の労働の対価がどの位になるのが望ましいのか。それは自分で決定することであって、他人が幾ら貰っているかはあくまでも材料でしかない。他人が740万で自分が260万であっても、それで良いと思っているならなんら問題は無い。他人が幾ら貰っているのか知らないという場合も同義だ。

問題なのは、自分も740万貰いたいと思った時にいかような道が存在しているかという点であろう。自称ワーキングプアの連中は、どうにもならない的な表現をすぐ使うけれど、僕は今の社会において、本当にどうにもならないという例は極々一部にしか存在しないと考えている。特殊な例を除き、単なる我が儘か無能か無気力によって、楽な選択をしているというだけに過ぎないと思っている。だから、格差は社会問題たり得ないし、当然規制の対象にするべきでもない。

勿論260万の日雇い人夫がいきなり740万の収入を得られるポジションを獲得できるとは思わない。それには様々なルートが存在するでしょう。例えば、最初は260万を300万にする。あるいは、収入は250万に下がったけれど将来に繋がるようなスキルを獲得できる仕事に就く。などなど。秋葉原の加藤もそうだが、現実認識が大甘で、根性も曲がったような奴が、当然のごとく貧乏に喘いでいた。それが格差社会の多くの場合なんじゃないかという気がする。実際、その手の特集番組などを良くやっているが、なんべん見ても同情に値するような例が出てきた試しがない。

派遣先企業が幾ら出しているか、派遣元企業が幾ら抜いているか。そんなことを規制されなければならないいわれは全く無い。自分の労働に対して賃金が安いと思うなら、給料を上げろと請求すればいい。話がまとまらなければ他の職を探せばいい。自らそういう選択肢しか無い(と思い込む)状況に身を置いておいて、高額なピンハネをされていると騒いだところで何の意味もないし、保護の必要も無い。

短期的だろうが長期的だろうが、政府の規制は百害あって一利なしだ。馬鹿や無能が一番得をする社会は、それが一時的にどんなに安定して見えたとしても、結果として確実に社会を腐らせる。馬鹿や無能は切り捨てるのが最も適切な選択肢であり、そうであるからこそ切り捨てられたくないという欲求が生まれる。自らの責任を全うできない奴からは、どんどんと権利を剥奪するのが正しい処遇であるのは当然のことだ。