FC2ブログ
Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
社説:労働者派遣法 不安定雇用を一掃する改正に

こんな低レベルなことを本気で社説で言ってるのか? と悲しくなるような内容です。派遣の問題は唯一派遣でしか働けないと『思い込んでいる』労働者が多いというだけに過ぎないと僕には思えます。派遣労働者という存在に安穏として、社会に責任を押しつけている方が楽だからでしょう。だからアルバイトにも劣る賃金で雇われていても、毎日インターネットカフェで寝泊まりしていたとしても、本気でそこから脱却しようとしない。それだけに過ぎないと思います。

対応策は簡単ですよ。希望するワーキングプアとやらを役所のどこかで一ヶ月だけそれなりの給与で雇ってやればいい。なんなら3ヶ月程度の住み家も提供してやればいい。つまりある程度のまとまった金と住所を与えてやれば就職できない言い訳は成立しなくなると僕には思える。勿論仕事探しの条件は相当甘くして貰わなければならないだろう。けど、要は日雇い派遣以上の条件になれば良い訳だ。仕事が決まれば、ある程度まで貸し付けとして返却してもらったっていい。長期の無利子返済ということなら彼等だってなんとか出来るだろう。それでもダメなら見捨てて良いと僕は思う。就職してもすぐに辞めたりクビにされたりする奴も同様。それは社会の問題じゃなく当人の問題であると断言できるからだ。

仲介業が中抜きするのを悪だというなら、世の中のかなりの割合の業者が悪だと言うことになるだろう。悪徳業者が不当に多くの割合の中抜きをしているというのなら、そこと契約しなければ良いだけの話だ。そうできないという事が問題であり、それは何故かということを考えるべきだろう。派遣の禁止だのマージン情報の公開など、悪法以外の何者でもない。

「不安定雇用の一掃と、ワーキングプアの根絶」が必要なのではない。それが不当な場合は対応策が必要だというだけだ。なるべくして不安定になったりワーキングプアになっているような奴を過剰に保護するのは、社会として異常だ。というか、その費用はそれを支持する人達だけで負担して欲しい。少なくとも僕はそんな馬鹿野郎の保護に自分の税金を1銭でも使って欲しくないですね。
選民思想とか排他主義とか


ここで書かれている事例は胸糞が悪いモノばかりだけれど、それはその発想が選民思想だからでも排他主義だからでもない。ここで書かれている奴等の自信の源は、ほぼ全面的に自分の能力で勝ち取ったものでは無いにも関わらず、こういう物言いを許してしまっているからです。

つまり、奴等が寄っかかっているものは親の、あるいは家の金や権威であって、自分達はその庇護の元に居るに過ぎない。その仕組みを作っている最大要因が家族制度である。逆に貧乏人の子供はまた貧乏という連鎖を作っているのもこれまた家族制度である。

しかし、貧乏人の子供が貧乏なのはまだ救いようがある。問題なのは自らの能力がある訳でもないのに、巨額の資産と権限を得てしまうような連中だ。こいつらの影響度は社会全体に及ぶので、始末が悪い。そういう連中が垂れ流し状態で続々と世に出てきている訳だ。

家族制度は百害あって一利なし。一刻も早く解体しなければならない制度であるということをまた確認できたような気がします。
FC2テーマ:家族 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:1 | Page Top↑
一橋卒が弟に教えた、没落エリートにならないために知っておくべき事

仕方がないこととは言いながらも悲しいのは、大学という場所が就職の為のステップにしか見られていないという部分でしょう。最初の引用文を見て強くそう感じました。実際こういう見方をしている人は相当多いだろうし、プレジデントファミリー系の馬鹿親どもが必死に子供を受験に出すのも、まずそういう考えからだろう。既に学問というものの存在価値はほとんど消えかかっていると言っても良いかもしれません。

確かにどんなに学問を修めて見たところで、食えなければ野垂れ死ぬだけというのが資本主義の現実です。であるならばまずはそちらが優先というのは、生物として当然の選択でしょう。つまり、資本主義の最大の問題点というのは、この文化を金儲けの下に配置するという構図にあります。これは、資本主義的原理を強めれば強めるほど大きくなる傾向があり、しかも、格差が小さいほど大衆が力を持つことになって大きくなります。日本という国では、これまで比較的平和で、格差も小さく、外的からの脅威もそれ程ではなかった。それ故に資本主義が異常な形で成長し、かなりの文化を食いつぶすということになってしまっています。非常に悲しいことです。

そういう社会の中にあって、大学という場所の意味をどう捉えればいいのか。当の大学生も困っている様子が伺えます。ここで書かれている認識や対処方法については、概ね同意できる内容で、現時点において最も前向きに近い形で大学生をするにはどうしたらいいのかということを良く抑えていると思っています。しかしながら、こう考え実践できる人間は少数でしょう。既に大学というものが機能不全に陥りかけているというのが現実だと思います。これを改善するにはどうしたらいいのか。まずは社会人への門戸を今以上に大きく開く事だと思います。

例えば、通信教育学部を解説している大学もあります。実はある大学の通信教育を受けてみましたが、最初は教養ということでこれまで興味の無かった分野の授業などに出たりしてなかなか面白いのですが、いざ専門分野に入って行く段階になると、レベルの低いところに合わせた授業や、ある種のタブー(例えば宗教)を腫れ物のように扱うのが非常に目についてちょっとがっかりします。勿論それは担当する先生によって相応に変化するのですが、全体としてそういう傾向があります。通信ですと、ベースとなる学力、知識、経験がバラバラなだけに、どうしてもレベルを下げざるを得ない状況になるのでしょう。

その辺りの仕組みを改善し、スクーリングについてももう少し社会人でも参加しやすいような配慮をするなどして、もっと社会人の学問参加を促すのが大学が本来求められる機能を効率よく果たすことができるんじゃないでしょうか。社会人なら、既に仕事を持っている訳ですから、就職のためというのとは異なった目的を設定している可能性が高い。そういう意味で、ほとんど仕事の為にのみ存在しているロースクールなどは大学とは切り離して、専門学校か職業訓練校かなにかにやらせればいい。所詮今の日本の法律などその程度のものでしかない。

それだと大学が食っていけないかもしれないけれど、その分は税金などで補填すればいい。馬鹿役人を大量に飼育したり、腐れ銀行にズブズブ突っ込んだり、各種ゼネコンになんの役にも立たないものをぼったくり金額で作らせたり、糞役人の天下り先を確保する為だけに無駄遣いしたりするくらいなら、大学に投資した方がはるかにマシだ。勿論そんなことを言ったところで実現するはずもないのだけれど、もし格差社会が信仰して若者達がギリギリの生活をするようになれば、意味の無い教育費に無駄金が費やされることが無くなって、意味も無く大学に来るなんて連中も減るんじゃないだろうか。なんて思いました。結局資本主義の大きな問題点は大衆が巨大な力を持つという部分に由来している訳で、大衆の経済力が落ち込めば、改善とは言わなくても何らかの変化が訪れるんじゃないだろうかという気がします。
刃物手に奇声あげ暴れる ビデオ店で19歳少年逮捕

こういう行為を行う時点で、こいつが人間として理解出来る思考が出来ているのかという部分に疑問符が付くんですが、それを言い出すと全てが終了してしまうので、それは可能でありかつ、この記事に記述されている内容が正しいとするならという前提の元で考えると、一つ大きな疑問が残る。

これは今回の事件に限ったことではないのだけれど、家族とかに対する不満などを他人に向けるという傾向が見られます。これは何故なんでしょうか。社会に不満があるから社会にそれをぶつけるというなら、整合性も取れますが、母親ともめてむしゃくしゃしたから外でナイフを振り回すというのは、全く整合性がありません。一つには、自分が事件を起こせば家族が嫌な思いをするという事実はあるかもしれません。けれど、ナイフを振り回したり、他人を刺したりするくらいなら、当人を刺した方が余程すっきりするだろう。にも関わらずそれをしないのは何故か。

結局、なんだかんだ言っても家族という存在に甘えているってことなんだろう。だから復讐はしたいけれど存在を消してしまうのは駄目な訳だ。こういう内向き傾向の思考を持つ人間がどんどん増殖しているような気がします。自分達の身内とそれ以外という選別を強く行わせる家族制度の大きな問題点です。究極的に見た時に身内さえ何とかなっていればそれ以外は知ったことじゃないという考えがそこにあるような気がしてなりません。

本来であれば、内側には内側の、そして外側には外側の対応策というものがあって、むしろ公的な場所では慎重な言動をするという選択が正しいのですが、公私の区別が行き過ぎて、私とそれ以外に変貌してしまったために私的領域以外を軽視するという傾向が生まれているんじゃないかという気がします。これは、まさしく親の考え方を綺麗に反射しているだろうと感じます。家族連れを見かけて気分が悪くなるのが、自分の身内さえ良ければ他は知った事じゃないという態度が丸見えになっている点です。女親には昔からある傾向でしたが、最近は男親にも強く見られます。

結局、責任単位が集落→家→家族と落ちてきて、核家族に至ってついに崩壊したということになんでしょう。責任単位が徐々に小さくなって行くこと自体は正常な進化で、問題はこの期に及んで家などという単位を維持させているということに起因しているでしょう。現在の家の単位では、責任単位として機能できる最低限をクリアできなくなっていて、にも関わらず馴れ合いが発生するので、こんな訳の分からないバカ野郎が頻発する。とっとと、家などという旧時代的な制度は廃止して、責任単位を個人に還元してしまうのが望ましい対策でしょう。そうなれば当然一律に同じ権利と責任が与えられるなどというのが幻想であるということも明確になります。自ら引き受けられる責任に応じて権利が与えられる、その量と質を選択できる。そういう状態を作ることが必要になるんじゃないでしょうか。
FC2テーマ:家族 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー

なんか糞長くて面倒な文章なので、ざっと読んだだけだけれど、恐らく主旨は掴めていると思う。まず早々の書き出しからして、京大を出れば自分が希望する企業に就職できるのが当然であるという前提で話が始まっている。この時点であぁ、こいつ高学歴な馬鹿なんだなとほぼ確定出来る。そういう奴が希望の就職が出来ない社会というのは、案外真っ当なんじゃないかという気がしたくらいです。

で、コミュニケーション能力がうんたらかんたらと続いて「教育内容が、時代遅れであるという大きな1つの原因」と来ています。あらあらあらあら、自分の無能さを今度は教育のせいに転嫁しちゃいましたよ。典型的なエリート馬鹿のようです。コミュニケーション能力なんて、形式張った教育という形を取らなくなって十分身につけることが出来るし、なんなら今からだってそれは可能だ。

それを教育が悪いんだ、社会が悪いんだと責任転嫁する手法は、あの秋葉原の犯人と同じレベルの思考パターンだ。今となっては学歴なんてなんの保証をしてくれるものでもない。ということを証明してくれたということになるでしょう。どんな馬鹿でも場合によっては京大に入れて、しかも卒業できることもあるってことですからね。

はっきり言って、この程度の無能者は社会の底辺で最低賃金を貰いながら日雇いで10年位修行した方がいいでしょうね。これまでの二十数年を無為に過ごしてきたということが確定していますから、その程度は自業自得でしょう。まさしく自己責任です。こんな奴等がどんな悲惨な生活をしていたとしても、格差社会とか言って問題にして欲しくないですね。何がロスジェネだよ、へそが茶を沸かすよ。

学校という教育システムに過度な期待をし過ぎなんだと思うね。もう信仰のレベル。確かに理想的な教育を目指すというのは悪い事じゃない、どんどんと積極的に進めた方が良い。けれどそれと、今時の格差問題や、どっかの馬鹿京大生の我が儘が通じなかったのは全くレイヤーが異なる話だ。恨めるとしたら、社会や教育では無くて親や家族までだろうね。だから家族制度は最も罪深い制度だと僕は考える。

ちなみに僕は「バカに優しい社会」を目指していないどころか、「バカが淘汰される社会」を目指すべきだと思っているので、馬鹿を救わなければという思いは当然無いし、そういう方向の思考には反発をします。個人が持てる限り最大限の責任を負って自由を獲得するのが、望ましい次の社会体制だと考えているので、それが出来ない奴は底辺で這いつくばってくれていて結構です。はっきり言ってそういう奴等は全ての自由を放棄して、奴隷として生きればいいのにって真剣に思います。そうすれば自然と「バカでもOKの社会」が出来上がるでしょう。勿論奴隷を飼育する場合は、飼い主様が責任を持って管理してくださるでしょう。
FC2テーマ:就活 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:1 | Page Top↑
数日前にナイフ購入、計画的犯行か 愛知・教諭刺傷事件

この記事の内容を読む限り、今回もまた一切の同情に値しない馬鹿の犯行なんだなと理解出来そうです。まぁこんな低レベルな殺人を犯すような奴に馬鹿じゃない奴はまず居ないでしょうが…

気になるのは、容疑者がどうこうではなくて、その報道姿勢。というか法律上の問題といった方がより本質的かもしれない。数日前にナイフを購入したから計画的な犯行。なるほどそうかもしれない。で、それが問題になる理由は何故かというと、計画的な犯行だと罪が重くなるからだ。

しかし良く考えてみて欲しい。人を殺そうと思った時に、計画的に殺そうと考える人間と、思い立って即殺すという人間、どちらが恐ろしいですか? 圧倒的に後者でしょう。計画的に殺そうと考える人間の方がまだそこに理性とか知性とかそういうものが感じられますが、無計画に殺しましたなんて獣ですよ。人間として認識することが出来ないんじゃないかとさえ思います。

勿論状況はあります。ある種の極限状態に置かれたような場合であれば、それは無計画な殺人もあり得るかもしれない。けど、それを汎用的に適用しようとするからこんな頓珍漢な法律が出来上がる。しかも、そのアホとしか思えない法律を後生大事に連綿とそして平然と運用していっている。この時点で法律関係者は全員無能なのかと突っ込みたくなります。

この手の犯行のキモは何と言っても動機の整合性と一般性でしょう。まずはそこ。厳しい指導をされたからなんてのは当然話にもならない動機で、この時点で計画性があろうが無かろうが関係無く厳罰を適用するべきだ。秋葉原や八王子の連中の理屈も全く通らない。人を殺すという行為を考えた時に、どういう場合が最も恐ろしいか、どういう場合が最も罪深いと言えるのか、それが計画性の有無にあるとは到底思えません。

そういう観点で犯罪を見ようとするから、精神状態がどうだったとかそういう方向に常に論点が行くことになる。それも馬鹿らしい話だ。責任能力の云々を事件後問うて、無いという判定がされるのであれば、全国民は定期的に精神鑑定を強制的に受けて責任能力があることを証明しなければならないとかするべきだろう。そんな奴に殺されたなんて、洒落にもならない。はっきり言って法律によって被害者の死と命の尊厳を踏みにじられているとしか僕には思えない。

殺人罪などという重要な法律ですら、この為体。この国の法律に対する信頼性は今やほとんど地べたを這いつくばっているという状態と言って良いでしょう。こんな法律を作成、維持、運用してきた連中は、連続殺人犯の何十倍も何百倍も罪深いと言って良いでしょう。
第40回:集落を捨てていく日本

地方集落を残す必要性を全く感じていないので、僕が見る限りでは単なるノスタルジーを発端にした妄想に過ぎないとしか見えない。土地に縛られて生きるという思考パターン自体が既に過去のものであり、それに縛られている者が過疎の土地に残っているに過ぎない。

それぞれの集落は固有の歴史を刻み、生きるためのさまざまなノウハウを蓄積してきた。それらを失うに任せてよいのだろうか。


と問われるが、全く問題無いだろうとしか言いようがない。人間は全ての歴史を残してきた訳では無いし、残していける訳でもない。その歴史に価値があるのであれば、それをアピールすれば良いのであって、それが認められないのであれば、それは忘れ去られたとしても仕方がない。ノウハウにしても同様だ。マッチやライターといった道具無しに火をおこせる現代人がいかほど居るだろうか。そのノウハウが本当に必要と言えるんだろうか。

人間の歴史は積み重ねであると同時に切り捨てでもある。何かを積み重ねる為には何かを切り捨てる必要が出てくる。もし、消えていく集落に切り捨てに値しない何かがあるなら、そこを主張するべきであって、それが出来ないなら消えたとしても仕方ないし、問題もない。そもそも全国津々浦々まで人間が住んでいなければならないという道理は無いし、むしろ人間が住んでいない場所が過半数程度の方が望ましいだろうと思える。

それでもそういう土地に住みたいと思うのは自由だが、そこにインフラが無いだの学校や病院が無いだの騒ぐのはお門違いというものだろう。なんでも誰かに与えられるものだという思考がそこには透けて見えます。自分の好きな場所に住むのであれば、それに伴って何かを諦めるというのは当然必要になるでしょう。なんでもかんでもアリアリで要求したところで無理というものです。

これから人口がどうなっていくのかは判りませんが、減ったなら減ったで問題無いでしょう。この狭い国土に数千万人も居れば十分だと思います。すでに国力を人区換算で算出する時代は終了しようとしています。必要なのは数では無くなるということでしょう。
【正論】榊原英資 なぜいま、「消費者庁」なのか

言ってることは十分理解できる内容です。消費者庁を作ると聞くと一見良いことのように思えますが、実際にはかなり怪しい。特に「現在カバーしている省庁と双方が共管」なんてことになるならば、元々不必要な役人の上に更に不必要な役人をうわっかぶせする以外のなにものでもない。もし、消費者庁を作るなら、現在の省庁からは権限を剥奪しなければならない。

それを出来ない人員や組織で消費者庁など作ったところで、また訳の分からない余計な形式が増えて、面倒だけれども実質的な意味はないというお粗末なものになるだろう。しかも、一度出来上がってしまうと、なかなか見直しはされないというのがこの国の役人の体質。結果が実際どうであったかは問われないという巫山戯たこの思考パターンは、一切認められるべきではない。

こんなことになった原因には「過剰な消費者保護、投資家保護の風潮」という風に書かれているけれど、要は、広い意味での過剰な弱者救済ということになる。馬鹿になること、無能でいることが一番楽な生き方であるという現実を肯定しようとするからこんな無理矢理な行政が必要になってくる。弱者救済は最低限に抑えるというのが健全な社会を作るには不可欠な要素だ。はっきり言うけれど、本来馬鹿や無能は弱者として扱うべき対象ではない。

そんな奴等は野垂れ死んで貰っても全く困ることはないです。少なくとも民主主義社会における市民として認めるべきじゃない。どうしても国家に守って貰いたいなら、非民主国家にでも行って為政者に忠誠を誓って慈悲を請えばいい。馬鹿、無能率の低さというのは、民主主義社会において極めて重要なファクターです。これが一定以上に上がった社会は、悪循環を起こして加速度的に破滅していくことになるでしょう。考えてみれば当たり前ですよね。だって民意によって成り立つのが民主主義なんですから。

※ 表示が違っているのは信じたからだ的な指摘もあるようですが、例えば家の親の例。近所のスーパーで国産のウナギが安売りしていたと喜んで買ってきた。値段を聞いた瞬間、それが国産でないと容易に想定出来る値段だ。これで騙されたと騒がれてもねぇ。結局安いというのは相応の理由があるということを想定しなければならない。これは資本主義社会に生きる人間としては当然身につけておくべきスキルなんじゃないですかね。それ以外の本当に気の毒な例もあるでしょうが、そっちの方が例外だと思えますね。
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
派遣禁止で「日雇い不況」も

格差を本気で是正したいというなら、その手法に正社員化することを是とするなら、まずは正社員の数を増やしても問題無いという体制を作るべきなのだ。つまり規制は強化するんじゃなくて緩和するのが正しい。それをせずに派遣だけ禁止にしたとしても、法の目をくぐって新たな手法を考え出すか、さもなければ仕事そのものが無くなるかのどちらかだろう。

実際僕らの仕事も、規制が厳しくなる度にやりづらくなってきました。相手は仕事を出したいのに、こちらは仕事を受けたいのに、条件面などもクリアになっているのに、規制のハードルが高くて仕事を出せないという状態になるなんてことがしばしばありました。

基本的に、規制はかければかけるほど悪い方向に向かいます。規制がなければ本当に困るなどという人間は極々僅かで、それ以外はそんなもの無くても大丈夫な人間か、それに甘えているような切り飛ばし対象の人間かでしょう。格差是正とかそういう綺麗事を名目にして、無意味なだけでなく害を及ぼす規制を堂々と行うことができる政治屋の精神状態は、もう救いようがないという気がします。
結局は金持ち優遇の相続税増税でいいのか

相続税の税率を上げれば上げるほど平等な税制が出来上がるというのは当然のことで、実行上の問題を別にすれば、100%に近い値にすればするほど健全な社会が出来上がると僕は考えています。如何なる理由においても不労所得が、それも巨額のものが許容されるなどというのが許されているなどというのは、まともな社会じゃありません。ましてや、それに上限を付けたりするなど正気の沙汰ではないというのが個人的な感想です。

さて、一定額の控除の一定額をどの程度にするのが望ましいのかというのがここでの議論になっています。僕としては8000万でも4000万でも十分多すぎる金額で1000万以下で十分だろうと思っています。これは勿論高額な方を青天井にしてあるということが大前提で、高額相続を見逃しておいて、定額相続に手を付けるなどというのは絶対に許されるものではありません。

ここで問題になっているのは、個人経営の商店や町工場ということになっています。そういう対象に対して厳しすぎるだろうというのが趣旨なんですが、僕としては、それらの対象に対しても相続を許すという形での配慮は不要だろうと考えています。やるのであれば、納税期限の融通というところでしょうか。分割などを認めてもいいかもしれません。何れにしても何らかの形で相続税分はきっちりと取るのが正しいでしょう。そうでなければフェアとは言えません。

ということは、一次産業についても全く同様ということです。彼等を相続税の例外と処理する必要はないでしょう。商店や工場についてもそうですが、親の職業を親の規模で受け継ぎたいのであれば、その度量を証明するべきです。つまり、相続税相当の金額を支払える能力を示すべきでしょう。それが出来ないのであれば廃業して貰った方がいいでしょうね。

繰り返しますが、基本的に相続などと言う不労所得は認めるべきではありません。というか、まず親子という関係を形成している家族制度をぶっ壊してしまえば、相続税の問題ももっと楽になるんですけどね。そう考えると、家族制度って本当に現在社会の悪の根元だと理解できます。一刻も早く解体する手段を考えるべきでしょうね。
FC2テーマ:税金 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:2 | Page Top↑
官製不況、今度は「地方版」

官製不況と一括りにしていますが、前者と後者では意味合いが異なっていると思います。前者が弱者救済を目的としたものなのに対して、後者は環境保護が名目。少なくとも、後者に関しては名目は成立すると思います。ただし、どうしても根拠が曖昧になるのが環境問題の常。コストとメリットのバランスに関しても問題になります。しかし、もし本当に環境がそこまで切羽詰まっているとなれば、どんなコストを払ってでも実行せざるを得ない内容になります。少なくとも店舗売り上げや雇用や防犯拠点の反論では甘いといわざるを得ない。環境問題はそういう次元で語られてはいけないものだと僕には思える。あくまでも、温暖化の問題が政治屋の言う通りだとするならという前提ですが。まずは、そこをもっときっちりと証明するところが必要でしょう。温暖化はしていないという話もチラチラと見ます。そういう意見に対してちゃんと解答をして、納得の上で実行に移すことが必要だと思います。勿論、コンビニ業界だけにババを押しつけるというのはフェアじゃない。それ以外の業界に対しても、何らかの要望を出すべきでしょうね。まずは役所の空調を止めたら良いんじゃないかと思うんですけどね。

それに対して、前者は弱者救済を目的としたものです。これに関してはほとんどメリットがありませんので、即座に中止するべきでしょう。現在の社会の最も大きな問題は過度な弱者救済を行うことに代表されるような、無責任体質の容認による社会体制の弱体にあると思っています。格差社会などというのもそう。様々な例があるとは思いますが、派遣の仕事をしておいて社員と同じ扱いにならないとか、金もない住むところも無いという状態で仕事を辞めてみたりだとか、聞いているとそんな奴等を救済する必要性がなんであるのかという例が少なくないように感じます。

馬鹿や無能者が過度に救済される社会では、自ら進んで馬鹿や無能者になることを望む奴等が一定数出てきます。それがある程度の数になり、社会的に認知されるようになると急激にその数を増やしていきます。ニートやヒッキーやワーキングプアと呼ばれる連中の結構な割合はそんな連中だろうと認識しています。

それは社会に責任を転嫁しているだけであり、彼等を救うことは益々状況を悪くすることになります。今回の場合出も全く同じで、この手の保護規制は百害あって一利なしです。勿論それが詐欺を初めとした犯罪行為であるならば取り締まりを強化するのは必要ではありますが、そのために様々なものを一括りにして規制することを善しとする風潮は社会が弱体化してきている証と言えるでしょう。例え一時は厳しいことになったとしても、弱者救済の考え方はいい加減に最低限にして、過度な規制は撤廃するべきでしょう。
下関通り魔判決 見過ごせぬ「秋葉原」との符合

「合理化やコスト削減が優先される一方で、人としての尊厳や人格が損なわれるケースが増えてはいないか」


って言われても、資本主義におけるサラリーマン程度で、人としての尊厳や人格が尊重されているなんてのは極限られた一部の人でしかないと思いますがね。逆に言えば労働者を人として扱わないようにすることが、効率化に対する最も基本的なテクニックだと僕は認識しています。企業の規模が大きくなればなるほどその傾向は強くなります。大企業で長年勤めるには、この扱いに対して高い耐性を持っていなければならないでしょう。

じゃあ、これを改める必要があるのかというと、改めてもいいけれどもそれ程急務とは思えないという感じがします。それはそれで選択肢の一つとしてあったもいいんじゃないかと思う。それが嫌なら今でも十分に手はあります。中小零細に就職するか、独立するかです。そうすれば、まさしく自分は自分であるということで評価されるようになる確立がグッと上がるでしょう。けれど、多くの人はそれを求めていない。

それは何故かというと、相当にキツイことになるから。なんせ言い訳は通りませんからね。結局、犯罪に走るような連中というのは、自分の幻影を妄想で膨らませ、けれどそれを現実にする為の能力や決断力、行動力や責任は欠如しているという連中だろうということです。彼らは被害者でもなんでもありません。単なる愚か者です。無能者です。

むしろ教育の中で教えなければならないのは、人間は自由であるということではなく、全ての自由、全ての権利の行使には必ず責任がついて回るという真実。責任を果たせないものは如何なる自由も権利も得ることが出来ないという現実。これを叩き込むことでしょう。お勉強ばかり良くできたとしてもそこを理解していなければ脳内幼稚園児と同じです。馬鹿や無能者が報われない社会は正しい社会です。逆に彼らが救われてしまうような社会の方が歪んでいると僕には思えてなりません。
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
いじりといじめについて、あるいは悪いコミュニケーション

いじりが本当のところどうなのかは置いといて、それでもこの理屈で悪いとすることは出来ないだろうと感じます。怒らせる可能性が高いから駄目というけれど、じゃあどういうやり方なら怒らせる可能性が低いと言えるのだろうか。理路整然と批判されるとかえって怒りやすい人だって居るかもしれない。相手を怒らせる可能性云々と言い出したら、何も出来なくなってしまうんじゃないだろうか。

怒った相手に対して、何故怒ったか判らないと反応する時、本当に判らない場合だってあるでしょう。挨拶したら相手が怒り出したって時に「しまった言い過ぎた」と考える人間は希でしょう。そう考えなくても相手への敬意が足りないとも思わない。

僕は実際にはこの話の元となっている「いじり」がどのようなものだったのか知りません。だから、実際にはこのいじりが酷い挑発で、敬意の欠片も感じられない内容であったのかもしれない。けれど、それを理由に悪であると一般化するのはやっぱり危険だろうと感じます。

「この事実」はあくまでも、かなりの前提と制約の上で成立している。ということを認識することでしょう。ある場面で正しいことであったとしても、それが常に正しいわけじゃない。規制賛成派にも通じることですが、局所的、限定的な正しさで全てを括ろうとすると、とんでもないことになってしまいます。
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:5 | Page Top↑
公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ

自由の話。簡単に書くと、権威主義は自らの自由を犠牲にして成り立っているという自覚を持つ必要があるだろうという話か。「公共の利益」とか言い出す人間のかなりの割合が、公共の利益とは何かという部分について思考停止しているという感触は僕にもあります。本来であれば、自ら考えた上で公共の利益を守ることを重視するという考え方も成立するはずなんですが、そういう主張をする人間に公共の利益とはなんぞやと問うたところで答えられない人間の方が多いので、経験的にそういう表現をする奴は怪しいと感じてしまう。

官憲にしても同様で、彼らのような命令形態で動くことを是とする者の場合、そもそもそこに判断を入れることは良くないことであるという前提が暗黙の内に入っていることも多々あるので、その手の職業に従事しているという段階で半分は自由を放棄していると考えられる。

ただし、法律とか政治とかの類というのは、基本的には思考能力が無い連中を如何にコントロールするかということを主眼に作られています。判断能力が無いのだから、レールを引く必要があるし、その通りに進んでくれることが彼らにとって効率的で都合が良い。よって、そのような教育が積極的に為されていたりする訳なんだけれど、それは自らの足下を切り崩すことと同義の自傷行為であるということに気付かない場合も多い。

それもこれも、平等という思考に問題があると僕には思えます。生物学的な意味で人間であればすべからく平等であるべきだという考え方を無理矢理実行しようとするから、こんなねじ曲がった現実が出来上がる。自由には責任が伴うと言う割に、最も責任を放棄している人間が好き勝手なことをしていたりする。

本来権力の力を使って暴力的な行為を合法化している官憲が、公共の利益を守る自由を行使するために使えば、権威を利用している分だけその責任は重く問われなければならない。だから、冤罪は連続殺人よりも罪深い。にも関わらず、現在の法律はそのバランス感覚を失っている。だから安易な取り締まりを行う自由を平気で行使したりする訳だ。彼らに対して相応の責任が問われているならば、現在の法律を変えるべきだというもっと積極的な発言が彼ら内部から出て来ると思うのだけど、それがない。その理由は明らかに行使する自由の大きさに対して責任の大きさが伴っていないからだろう。

そして、多数派の影に隠れて思考停止している連中もそれと同罪だと僕には思えます。法律や道徳、あるいは宗教は便利な道具ですが、人間の根幹部分に関わるものであるだけに、最低限の思考能力さえも奪ってしまいます。進行すれば人間は容易に畜群に落ちていきます。現在の多数決というのは、その決の質を全く問題にしていないという部分に重大な欠陥があります。これによって正義や法律が決定されている以上、その内容が信頼に値するものであると信じるのは、鰯の頭を神とあがめるのと変わらない行為と言えるでしょう。
FC2テーマ:大衆 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
サマータイム導入を面倒くさがる日本

偉くお気楽なノリでサマータイム導入を呼びかけています。良く判りませんが、ここで挙げられているメリットの全てにサマータイムが必要だとは感じられません。北海道の市場を2時間早く開始したいなら、開始時間を2時間早めれば良いだけのこと。わざわざ時計の方をずらさなくても開始時刻の方をずらせばいい。

休日は平気で午後まで寝られる人なので、陽が昇っているのに寝ているのは勿体ないとはまるで思わない。遊ぶにしても、陽が出ていなければならない理由はまるで思いつかない。よってなんのメリットも感じず、面倒な手続きだけが年に2回訪れ、その度に生活リズムが壊されるという踏んだり蹴ったりの状況だ。

アメリカだのオーストラリアだのという広大な面積の国土を抱える国は、そんな単純な問題では無くなるのでしょうが、これまで何十年も時差無しで全く問題無い生活をしてきている日本で、あえてサマータイムを導入するべきだとするには、理由付けがあまりに陳腐過ぎます。

そんなに実験的にやってみたいというなら、自分と自分の周囲だけでやればいいんじゃないの? 5時にでも4時にでも好きな時間に起きればいい。それでメリットを独り占めにして喜んでいてください。ただし、僕らは巻き込まないでください。迷惑千万です。
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:社会
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑