前半には3点目を挙げて2点差とし、後半早々に追加点で4点差。相手は攻撃的に出てくるとはいえ、ボールがポゼッション出来なくなり、精度の悪いロングボールとミドルシュートへの依存度が上がる。当然苦しくなるという展開。
ポンテがまだフィットしていないというのもあったし、達也の切れもまだ戻っていません。永井の出場も仕事が出来たというまでには至っていないように感じました。さらには坪井の怪我も心配です。あの状態から下がってしまうということは、相当酷い状態なのか、そうでなければ良いのですが、ディフェンダーに関してはそれ程層が厚いとは言えないだけに不安です。
後半一人気を吐いたのは相馬で相馬の動きは明らかに三都主を上回っていました。伸二も悪くなかったです。ともかく今日の京都だったからこの結果だったと言う気がします。千葉はこうはいかないでしょう。これに奢らず気を引き締めて次節にのぞんで欲しいです。
ファンブルのリカバーとギャンブルの失敗でモメンタムが完全にジャイアンツに行きます。いや、モメンタムって本当に恐ろしいです。これでジャイアンツが残り10秒で同点に追いつきオーバータイムに突入。
コイントスでもジャイアンツが勝って、これはと思ったらイーグルスのディフェンスが止めます。その勢いでイーグルスかと思いきや、ジャイアンツのディフェンスも奮起。この辺になると両チーム怪我人も続々出始めて、総力戦になってきます。
最終的には劇的なタッチダウンが決まって、ジャイアンツの勝利。いやぁなかなか面白い試合で堪能させていただきました。
調子に乗って番組数を増やしたは良いけど、
ハードが追いつけなくて、聞けやしないと言う状況になってます。
バックナンバーを残しておいてくれればまだいいんだけど、
それもしてくれていないしなぁ…
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追記
21:45現在でまだ繋がりません。
かれこれ5時間もこの調子。これが純粋に混雑のせいだと言うのは本当なら、なんとか対策を売っていただきたいものです。つか、聞きたいときに聞けないなんて、インターネットラジオとしての意味が半減です。
10/1 4:00現在
未だに繋がりません。本当に単なる混雑なのか? 嘘くさいな。
やべぇすげぇやりたくなっちゃった。つか、多分やる。
ソニエリのサイトでちゃんと型紙配布してるし(笑)
問題は柄をどうするか… うーん、どうしよう。
何パターンか用意してくれれば良いのになぁ。
「少数者」とは、主に「弱者権力を振りかざすマイノリティ」を想定しています。農業従事者や成田空港拡張時に立ち退かなかった人々などが好例です。
なるほど、僕は民主制における少数者というと、虐げられる者というイメージが先行しますが、仰るようなパターンは「「少数者の尊重」を求めて、自らの既得権益」を守る好例ですね。
要は、それが多数だろうが、少数だろうが、善し悪しとはなんの関係も無いということを意味していると考えられます。つまり「優先順位付けをしっかり行うこと」は、賛同者の数によってでは解決不可能ということです。
それは、民主制の真っ向からの否定です。いや、正確を期すなら、近代民主制の真っ向からの否定ですか。多数決や選挙が民主制の絶対条件だと勘違いされている方もかなり居るようですが、単なる手法であって、本質とは無関係ですからね。
ここで「優先順位」と表現されているものは、恐らく「本質に基づいた価値基準から算出される順位」を指すものと思われます。となると、関与する人間の大半が「本質に基づけない」状態では、決して実現できないということになるでしょう。
韓国や日本の例にも現れている通り、大統領制でも、議院内閣制でも、度合い以外の部分では変化があるわけではありません。むしろ一見悪いかのような大統領制の方が、数年の後には完全に入れ替えが可能なだけマシなのかもしれません。まぁどちらの方がまだマシかを語ってもあまり意味を感じませんが。結局は方法論を根本的に考え直さないと駄目ってことでしょうね。
どこまで正確に言葉を伝えているのか少々疑問ではありますが、もし、この通りだとしたら、彼らはやはり自分達のとった行動が罪だとは、本気では思ってないように感じられます。
「職務を忠実に果たしたつもりだった」
「問題発覚後は職場に姿を見せず、県議会の参考人招致にも応じなかった」
「自分が現職だったら……。後輩職員たちが職場を追われるのはとてもつらい」
いやしかし、この期に及んでまだこういう態度を取りますか…
もう性根まで腐っているッてことの証に思えますね。
PCのパフォーマンスを語る上で、ディスクが最も遅く、重要なファクターであるなんてことは何も最近のことではありません。かなり前から確実にその傾向はありました。それだけにRAIDにしてみたり、要もないのに高容量で高速と言われるディスクに交換してみたりと、最も頻繁に買い換えを行うパーツがディスクです。
少し前のもの、例えば80Gとかの頃と比べれば、確かに速くなってはいるのでしょうが、ここで書かれている通り要求の方の増加について行けてないというのが現状でしょう。これを解決する画期的な技術や方法があればいいのでしょうが、実際にはなかなか無いというのが実際なんでしょうね。記憶装置としては、安全性も確保しなければならないし。
メモリ関係が大分安くなってきたのだから、大容量のキャッシュでも乗せれば少しは違うのかも知れませんが、所詮キャッシュはキャッシュで、限界がすぐに見えるでしょう。でも、それぐらいしかなさそうだな。RAID-10とかにしたところで、今の数倍が限界だろうし。
容量を犠牲にしてでもとにかく速度を追求しましたって感じのHDDとかも出てきて良いと思うんですけどね。HDDベンダーはどこも厳しそうだし、横並びの同じような製品ばかりで、もうブランドイメージぐらいでしかメーカーを選べなくなってきている状態ですから、どこかが飛び出して、とんがったモノでも出して欲しいですね。
まぁ英語教育については微妙な問題ですが、以下の点に関しては同意できます。
教育現場で何よりも急がれるのは、国際化ではなく、教師の質の向上だろう。
教師だけの問題ではありません。未だに日の丸、君が代を崇拝している教育労働者、教委、政治家、マスコミは論外で問題外にしても、それらが凡庸なら子供達の才能が開花する可能性はぐっと低くなるでしょう。
仁ブラックです。良いですねぇ、やっぱブラックの要素は不可欠でしょう。これが無いといけません。オープニングを見た段階で、仁はブラックだろうとは思っていましたが、ものの見事にやってくれました。しかも、当然これで終わるわけではないでしょう。戦闘シーンと物語の配分も適切です。力の切り捨て方も悪くない。これは、今後にも期待したくなっちゃいますね。ゴラの件だけは、ちょっと都合良すぎなんじゃないって気がしましたが、それを差し引いてもあまりあります。
沙那の秘密も明らかにされました。彼女が彼らの目的そのものであり、ファントムにとってのアキレス腱となります。この設定がまた良い感じです。キャラクターそれぞれも、徐々に描けていってるし、それぞれをどう使っていくのか興味深いです。
ま、一応積み残しは無いし、シムーンやウィッチブレイドみたいに謎も残らなかったので(笑)、話は収束しています。けどまぁやっぱ緩いというか、楽観的過ぎるというか、今の時世に合わないというか、そんな感じがします。
情緒的な意味合いが突出している感が強くて、それ以上でもそれ以下でも無いってとこでしょうか。別に恋愛モノとか、プライベートは範囲に収まっている話なら、情緒話でも全然悪くないんですが、それで、世界の命運を語られちゃうとちょっとなぁってのが最終的な感想でしょうか。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
ついに来ました。これは便利そうだ。
こうなるとLiveを主軸にする方向だな。
GMailは無条件転送のゴミ溜めにしておいて、
要りそうなのだけLive転送とかそんな感じか。
メッセンジャーまで受け取れるってのは結構スゲーな。
これでこそ、パケット方式のメリットが活かせるってもんです。
って思ったら秋モデルはまだ対応機種に入ってないし orz
駄目元と思って落とそうとしたら、アプリが無いって言われたし orz
頑張ってくれよMicrosoft。
「W43S」に不具合、ソフト更新を実施
おっとぉ、ま、致命的とは言えないレベルですけどね。
この手の対応もオンラインアップデート機能が付いてるからかなり楽になりました。
ちなみに、今ケイタイアップデート実行中(笑)
仰る通りです。そして、さじ加減が難しいというのもその通り。
現代の欧米や日本などの先進諸国は、民主主義を選択する方がベターでしょう。もちろん、それでも多くの問題や副作用はあるわけですが。
と書かれていますが、最後では韓国の民主主義を否定しています。韓国のことはよく知らないのですが、それほどに教育レベルが低いのでしょうか?
「(B) 個々人(少数者)の幸福を尊重 」というのは福祉国家の考え方を指しているんでしょうか? ここで言われる少数者がどのような定義で用いられているのか興味が湧きます。少数者の範囲が異様に偏っている事しか無く、本質的に少数意見者の幸せを尊重してくれる民主国家を僕は見たことも、聞いたこともありません。
例えば、身障者や低所得者に対しての福祉政策は選択されています。それは、全ての人間が明日は我が身の可能性を秘めるからで、つまりは保険です。また、弱者に対する救済は精神的な優越感、満足感を得るのにも役に立ちます。多数の人間がそう考えるからその政策は取られる訳で、それはすなわち最大多数の幸福を目指しているに過ぎません。
功利主義の優先度が定常的に下げられることは、まず無いでしょう。あくまでも功利主義的な優位度を揺るがさない範囲で少数者の意見も多少は受け入れるといった程度でしょうか。
ただ、僕に言わせれば日本やアメリカでも正直どうよ? って気がしています(他の国はそれ程詳しくないので割愛)。日本の場合、教育レベルという点は、大卒の率などを見る限りでは高いです。しかし、そういう問題では無いということです。教育レベルというよりも、民度の問題と言った方がいいでしょう。
どんなに(日本的な)高等教育を受けていたとしても、国民の民度、文化レベルが低ければ、民主制など上手く機能するはずはありません。そして、日米の国民はそれほどの民度を獲得しているとは僕には残念ながら思えません。
ちなみに、
「自分で選んだんだから諦めろ。さもなくば次まともな人間を選べ」
が民主制のメリットだ、というコメントが付いています。
その通りですが、正確を期すなら、これは前にも書きましたが、
結局誰も責任を取ることがなく、
まともな意見も少数であるというだけの理由で虐げられ、
でも全員が選択の帰結とやらを強要させられる。
これが(低レベルな)民主制です。
「愚民は自ら苦境に立たないと自分が愚かであることを認識せず」
なので、分散責任になる民主制では、
末期的な状態になるまで主権者が悪い状態を認識すらできない。
ということになります。てか某極東国では順調にそれが進行中です。
第一報を見た時は、怪我がそれ程酷いのか? ひょっとしたら復帰不可能とか? と思ったが、なんてことはなかったらしい。まぁそれもまたTOらしいと言えなくもないかも知れない。
が、しかし、次回はツンデレ&ツインテールの最強コンボ+メイドらしいです。期待して良いのか微妙すぎて悩んでしまいますね(笑)
ま、褒められたもんじゃないとは思うけど、注意を受ける程のことか? って気はします。エントリーの中にも幾つも上がっていますが、実際それ以上に酷い連中は大量に居るわけですしね。有名人は辛いねってことなんだろうけど…
マナーって名目で騒ぐ奴って偏っている場合が多いから、別のベクトルが入っている気がしてもう素直になれないね。
なんか、こういう些末なところばかり突いて、本質的なところはお粗末ってのが多くなっているように感じて鬱な気分になりますね。
マランツ、そうマランツですか。AVアンプメーカーとしては忘れかけていました(笑)
そんなくらいですから、マランツのAVアンプの音や機能についてはあまり詳しくないんです。正直YAMAHA、DENON、ONKYO、PIONEER辺りで十分だろって気がしてましたし。
けど、今回のは思い切りました。
「HDMI入力を4系統備えた「SR7001」が141,750円」
これは凄いです。大抵のメーカーは10万円台だとHDMIは2系統が良いところで、20万越えで3系統ってパターンなんですが、14万で4系統ってのは素晴しい。
ぶっちゃけ、オーディオ野郎からするとAVアンプなんてセレクター+サラウンドプロセッサーでしかありません。特にセレクター部分の系統が上位機種以外は貧相なのが多くて、仕方なく高級機に手を出していたという流れがあります。
ま、そうは言っても使用頻度は高いので、あまりにも酷い音だと困るのですが、14万の機種ならそこまでは酷くないだろうって気がします。後は、サラウンド部分がどの程度かってのも重要で、その辺の仕様が詳しく出ていないので、調べる必要がありそうです。
他のメーカーの新型がいつ出てくるのか、どういう仕様で出てくるのか判りませんが、場合によると第一候補に名乗りを上げるって可能性も十分にありそうです。
「起訴した事件を含め、98年ごろから男女を問わず40?50人の児童にわいせつ行為を繰り返していた」
とりあえず、何よりも真っ先に、すげぇ、なんつーかもう筋金入ってるねって驚きがありました。とりあえず、その一点だけである種の感慨を受けましたよ。
しかし、この手の事件が多いと感じます。この手のというのは、客観的に見たときに馬鹿じゃないかと思えるような些末な事柄で、身内を殺そうとし、挙げ句の果てに泣きじゃくっているなんてことを指します。
後から後悔しているということは、物事の判断が根本的につかない訳では無いんでしょう。にも関わらず短絡的な行動に出ることを抑制できないというのが問題です。物事を俯瞰で見るとか、客観で見るとかそういうことができないんでしょうね。いや、未成年で親を殺してしまったらどうなるかなんてのは、本来そんなことしなくても判って欲しいですが。
まぁ原因は色々あるんでしょうけど、この程度のことも出来ないのかって、なんかある意味でオオカミ少女を見た時のようなそんなもの悲しさに襲われます。
もし、日本がアメリカの州として併合されたなら、言語・文化・習慣の違いから、旧日本国民は多大な不利益を被る事になると考えます。
コメントを入れましたが、少し補足します。
もし、日本がアメリカの州になった場合、言語、文化、習慣はアメリカ式を強要されると考えているわけです。
何故そう思うのでしょうか? ちょっと考えてみてください。
それは、アメリカがアメリカの国家主義的価値観をもって、併合した日本に対処するだろうと思っているからです。
でも、もしアメリカが日本を併合しても、言語も文化も習慣も基本的に何も強要してこなかったとしたらどうでしょう? 主変われどってだけのことになります。これが非国家主義です。
例えば、僕は旧浦和市に住んでいますが、さいたま市に変りました。その後さいたま市は岩槻市を併合しました。それでも、僕の生活は何も変りません。厳密には納税額や公共サービスの細かい面などは変っていますが、大勢に影響はないわけです。
それは同じ国の自治体だから、そうその通りかもしれません。じゃあ何故国家間だとそうならないのか? 中国や韓国が、他国の宗教観にまで口を出すのは何故か? 考えてみてください。
それらは全て国家主義的な発想が元で行われていることです。
その状況を貴方は肯定するんですか?
それを推し進めるような行為を肯定するんですか?
もしもの時、言語や文化や習慣を強要されるのは苦痛です。なら、そうならないような考え方をこそ求めるべきなんじゃないでしょうか?
アメリカがやると苦痛なことを、日本の政府や教委が国民にやるのは許されるのでしょうか?
何も肯定しない、何も否定しない。
アーエルやネヴィリルまでどうなったか判らない。
翠玉が成功したかどうかも判らない。
結局はご想像にお任せしますってことなんですね。
最後まで、びみょ?うに伏線を増やしてましたし(笑)
う?ん、これじゃ納得は出来ないけど、嫌いにもなれないじゃない。
こんな、ふざけた作品最低だわ、超駄作だわ、某ゲリオンの再来だわ
って言えないじゃない。
余韻の綺麗な良い作品でしたって評価しか出来ないじゃない。
ずるいって絶対。だってこういうの嫌いじゃないんだもの。
でも、この技は一回だけしか有効じゃないですからね。
他の作品では、真似っこは厳禁ですよ。
まぁ最終回までの出来が素晴らしいシムーンだからこそ出来る芸当でしょうけど。
というか、恐らく最初からこういうつもりだったんだろうなぁ。
監督の頭の中には整合性の取れた事実があるんだろうけど、
決して明かさないつもりなのかもしれませんね。
PS.アルクス・プリーマの絵、西田女史入ってたな。ノリノリで描いたっぽい
PS-2 パラ様化けてる…
そこで、描かれているのは、日本、アメリカ、中国、台湾、それぞれの国と、その国民の国家主義的エゴです。国家とはなんなのか? 国を愛するということ、国に所属するという意識が時にどれほど汚い考え方や行動に繋がるのか。とても考えさせられます。
勿論、自分が今、現状暮らしている国ですから、嫌いになれとは言いません。しかし、日本を溺愛することになれば、それは即相手を憎むという発想に繋がります。その一点だけを見ても、偏った教育は避けなければならないと理解できるのではないでしょうか。
それに、「植民地」が当たり前に存在した20世紀初頭と(一応)国連などが存在する現在では国際情勢が大きく異なります。
状況が違うことは確かかもしれませんが、だとしたら、現在の状況からどうなるかは誰も想定できないという結論が導き出されるだけです。また当時も国際連盟はありました。無論現在の国連とは様々違うかもしれません。でも、それを言い出したら、現在の国連なら完璧なんですか? って疑問が出るだけです。結局、当時と全く同じ形にはならないかもしれません。けれど、同じ程度に狂った状態になる可能性は常にあります。
唯一の超大国である米国に対する従属路線をとり続ける限り日本が再び過去の歴史を繰り返す事はありませんから、国旗掲揚/国家斉唱しても別段問題があるようには思われません。
それを猫山さんが保証してくれるんですか? そんなことは出来ないし、仮に保証すると言ったところで、実質的には無意味でしょう。それにそれは単に反アメリカにならないというだけの保証でしかないように感じますが。違うんですか? 過去の歴史は、反アメリカだったかもしれませんが、そうなりさえしなければ良いと考えている訳では勿論ありません。まさかアメリカがおかしくなることはあり得ないとか考えている訳じゃないですよね?
有意義であるならば勉強と同じで強制する必要があるように思われます。
じゃあ、猫山さんは裁判所が有意義と認めたこと全てを強制されても何とも思わないんですか? 僕はごめんですし、教育現場では、この手の問題に関して何者も強制するべきではないと思っています。
更に言えば、その裁判所の判断が正しいと決まったわけでもありません。何故なら、「何にとって」有意義なのか? が明示されていないからです。例えば、政府や教委が目指す教育にとっては有意義なのかもしれません。けれど、それ以外の教育目的においては、意義がないどころか害である可能性すらあります。僕としては前提条件が間違っていると主張しているので、この裁判所の有意義であるという判断に何の意味も見いだせません。更に、裁判所はその構成上政府や法律の判断そのものに対して、見直すということを違憲問題でない限り行いません。よって、そちらの方向から考えても意味がありません。
えっと、これを言い出すとかなりの割合の飲み屋や食堂などでも、同じ事が言えるような気がするんですが。しかも全体の一部しか取り締まれず、見せしめでしかないし。どうせ効果はすぐ切れるし。
むしろ、車で来た人に酒を出さないようにするんじゃなくて、
酒を飲んだ人は車で帰らせないというやり方の方が良い気がします。
酒類を出す店で駐車場を持つ店は、少なくとも出庫時に飲酒しているかどうかを判別するような仕組みにさせれば良いんじゃないですかね? その方が確実だと思いますよ。
昨日のエントリーも大元ネタです。
非常に興味深い、見識に富んだ見解を読むことができます。それ程長い文章ではありませんが、現在の問題の根幹を鋭く指摘していると思います。
彼がポップカルチャーと呼称しているものは、大衆の典型的な生息パターンです。またカエルという表現も使っています。カエルというのは、人間全体を指す言葉ですが、盲目であることを認められるかどうかが重要であるという表現もされています。
教育についても述べています。「科学者のような考え方を学ぶこと」が基本理念。この表現は少なくとも日本では誤解を招くような気がします。つまりは常識に捕らわれず、何に関しても注意深く考えるということが重要だと彼は語っています。まさにこれこそが、学ぶことの基本であり、現在最も必要なことであり、最も蔑ろにされていることです。
他にも幾つもなるほどなぁと感心させられる記述があります。是非多くの方に一読いやいや、二読、三読位して理解して欲しいと思います。ただ、
500年前のヨーロッパでは識字率は1%だった。当時と今の違いは絶大だ。多くの人が、誰もが読めるようになるとは思わず、遺伝だとかを理由にあげた。読む能力が、人を違う種類の思想家にした。
彼はこの発想の元努力を続けているようですが、僕としては正直識字率と科学者のような考え方を同列に扱うほど楽観的な見方は出来そうもありません。
これに対し、弁護側は同月26日の最終弁論で、「殺害に計画性はなく、死刑を選択するまでの凶悪性はない。殺害後の行為も精神的な混乱などが原因」と反論。幼少期からの不遇な成育環境が人格形成に影響を与えたと推察した情状鑑定を根拠に、「被告の責任は減殺されるべきだ。それなりの反省は見え、矯正できる」と死刑の回避を求めていた。
またこれですか、本気で言っているのかどうか判りませんが、弁護士というのも因果な商売ですなぁ。計画性が無い方が、計画的なものより予測不可能なだけに余程恐ろしいです。あれだけのことをしておいて精神的な錯乱を主張できるなら、精神疾患患者等の監視体制を考えないといけませんなぁ。成育環境の問題が原因というなら、成育環境の根本的な見直し、つまり家族制度の見直しをしないとでしょうなぁ。それ無しに、犯罪者の酌量だけを主張されたんじゃ片手落ちでしょう。
個人的には死刑には反対(人道的見地からではなく、殺してもなんの役にも立たないからだが)なんですが、問題は、そうしないと出所してくる可能性が少なくないということ。終身刑とか、懲役数百年のような寿命よりも遙かに長い刑期の規定がない限り、無期懲役なんてのは形式的なものでしかないです。
つまるところ、現状の法規の中でという前提で言うなら、もうこういう奴は、他に使い道はないから、せめて害にならないようにしましょうという方向、すなわち死刑にするしかないでしょうね。
この手の事故は痛ましいです。しかし、これを撲滅するというのは非常に困難でしょう。
まず真っ先に出てくるのが、携帯電話の例に典型的に見られるような、規制しろという短絡的な発想。何をどこまで禁止するのか? 携帯は駄目、オーディオは駄目。その次はナビも駄目、エアコンも駄目、煙草も駄目、飲食も駄目、おしゃべりも駄目、って駄目駄目にするんですかね? 車を運転するときは、空港さながら検査機を通して不審物を持ち込んでいないかを確認の上、なんのスイッチも無いような車に一人で乗ってくださいって感じですか?
一つ言える大きな問題は、運転免許がほぼ誰にでも発行されるという仕組みにあることは確実です。教習所で多少の変動があるにせよ、時間と費用を十分にかければ、100%にかなり近い確率で免許は交付されます。けれど、車の運転はそんなに簡単なものではありません。特殊技能に類するものです。一度に複数の事を並列で処理する能力、突発的な事態に適切に対応する能力、周囲の情報を的確に把握する能力、それ以外にもまだあるかも知れませんが、そういった能力を相応なレベルで必要とします。その免許が、希望する人のほぼ全員に与えられるという制度は狂っているとしか思えません。ナイフを一本所持しているだけで逮捕されるようなご時世に、車という凶器を誰でも公然と扱ってるというのでは、はっきり言って基準をどこに持ってきているのかわからなくなります。
じゃあ免許制度を適切に改めれば良いのかというと、確かに事故自体は激減するでしょう。しかし、完全に無くすことは出来ないと思われます。人間は一定の割合でミスをおかすものだからです。じゃあどうすればいいのか? もう自動運転しか手はないでしょう。機械だって完全じゃないだろうし、時には故障もするかもしれません。けれど、運転を人間の手にまかせているよりは、この手の事故のが起こる確率は相当低いもの、基本的には無いというレベルにまですることは可能だと思います。