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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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政治家は自分の価値感(この場合の価値とはもちろん金銭的というより、善悪に近いもの)を政治判断に乗せるべきでは無いと書きました。それは何故か、ならどうすればいいのか。その辺りに関してきちんと言及していなかったので補足しておきます。

端的なのは、政治家は自らの価値判断を完全に消去するという手があります。しかし、政治家だって人間だろうし、時には価値基準でしか判断できないような案件だって出てくるかもしれない。そういう問題に対してだって対処しないわけにはいかない。だから、政治家といえども自らの価値判断を完全に捨て去るということは難しいでしょう。

じゃあどうするのか? 一つはそれをあからさまにはしないようにすること。例え事実としては自らの価値基準で判断したとても、そうしましたというのはよろしくない。そこは適度にぼかすべきです。さらにやってはいけないのは、というかこれは絶対にしてはいけないことだと考えているんですが、それを一般化しようとすること。つまり、あくまでも自分の価値基準で判断したにも関わらず、あたかもそれが社会一般として正しいことであるかのように主張すること。これを政治家は絶対にやってはいけないと考えています。実は、あからさまにしないというのも、これを防止する手段と見ることもできます。

つまり、常識とか普通とか一般とかそういう架空の権威で自らの価値を補強するやり方はタブーだと考えています。仮にそれが統計学的に証明されていてもです。政治家の判断はあくまでも提案であり、それに乗るかどうかは個々人の自由選択に任せるべきなのです。もし、本当にそれが普通であるなら、結果としてそれが現れるのですから、わざわざ誇示する必要はありません。ですから、政治家は、自らの主張をきちんと説明して、納得してもらった上で選択をしてもらうよう努力すべきで、変な権威付けをすべきではないのです。

こういう自らの価値感を神格化するやり方は、宗教にはほぼ必須項目として存在するし、アメリカの政治判断などでも良く見受けられます。が、なにもそれにわざわざ便乗する必要はありません。その手法は民主制にとって、劇物以外の何者でもありません。この毒に犯されるとどんなに健全な民主制でも、すぐに衆愚化します。そして、すでに衆愚化している状態でこれを許せば、当然さらに衆愚状態が悪化します。何故なら、神格化された価値感を批判するのは非常に困難だからです。なにせ議論の余地が無くなる訳ですから。

もちろん、全ての案件をこのやり方で解決することは出来ません。国家として一定の価値感を定位する必要がある場合もあります。ただ、今回のように人の生き方に直接影響を及ぼすような事柄に関して、政治家の価値感を持ち込むのは、やはりやってはいけないことだと考えます。また、それ以外の場合でも、それが健全だからとか、美しいからとかという論法を取るのは、出来る限り避けるべきだと思います。その辺りは民主国家の政治家として、細心の注意を払うべきだろうと考えます。

よって、民主国家においては、堂々と自らの感覚を健全とか、美しいとか、正しいというような、価値感を伴う言葉で修飾するような政治家は排除されるべきだと考えています。これは、国民を機械と見なしているどころの騒ぎじゃありません。もっと深刻な問題です。今回の健全発言自体は、事象としては、取るに足らないことかもしれません。そこまで目くじらをたてて追求するほどじゃないかもしれません。けれど、問題としているのは、発言そのものでは無く、その根本にあるものなのです。表面上あまり大きな影響はないんだからいいじゃないかで済ませてしまうのは、危険だと感じます。そして、これを問題無いと判断する人間が意外に多いというのは、日本の民主制が衆愚化している証だと思っています。ま、そうじゃなければアベの支持率が未だに40%もあるわけ無いし、そもそも奴が首相になれるわけもないですけどね。
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差別ですか…、差別という言葉の定義によりますね。単に区別するというだけの意味ならその通りだし、不当なというような要素が入るとしたらそれは成立しないでしょう。

ですが、問題視しているのは、正当か不当かの問題ではないです。仮に差別をしていなくても、政治家が価値を乗せてはいけないものがある。と言っているのです。価値を乗せた時点でアウトだと言っています。特に今の政権に対しては、その点に対してセンシティブであるべきだと言っています。

「AがB(健全)ですよね」と、「AというB(健全)なことをサポートしよう」という前後の接続詞によってAとBの関係がまったく異なると思いますが?


結局AとA以外をどう認識しているかに関しては、差を全く感じませんが? なにが違うんですか? 後の例は先の例を前提にしているだけのような気がしますけどね。

健全と言う言葉が極めて健全なポジティブなイメージを持つものだから、誤魔化されている人が大勢居るようですが、その言葉を発した当人が、どういう思考パターンでその言葉を選択しているのか、その人がどういう立場の人間なのかが重要で、言葉のイメージや単独での意味等は全く関係ありません。

お考えになった例文は、そもそも日本語として成り立つかどうか


そう、成立しませんよ。健全発言はその位異常なものだってことを誇張して例文を作ってます。あの例文が日本語としておかしいと思われるなら、今の大臣の立場であの発言を行うのが如何に異常かも、考えれば理解して頂けるかもしれませんね。

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何かおかしい所があるでしょうか?


おかしいですよ。おかしいと散々言ってるじゃないですか。健全で検索して以前のエントリーを一通り読み直してみたら如何です?

「子供を2人以上持ちたい」のは健全以外の何ものでもないですよね?


別に僕はそれを健全だとは思いませんね。単にそういう人が多かっただけってことで、それが健全か否かは誰かの価値感を加味しない限り成立しません。僕にとっては子供の数と健全か否かは全く無関係です。

この発言の元となったアンケートは「生みたい」という「理想」を持っている男女が大半を占めていたため、その状態のことを「健全」と発言しただけのことなんですよ。


いや、だからそれを健全と表現するのが問題だって話でしょ。「だけのこと」で片付けられたら困りますよ。力を貸してくれるのは結構なことですが、それは健全かどうかとは全く別物です。その程度も理解できませんか…

少子化対策をする上で、子供を欲しいと思わないのは「不健全」ですよね?


少子化対策の上で不健全ねぇ。なるほどそうかもしれない。じゃあ国防対策の上で徴兵化は健全だし、財政対策の上で増税は健全だし、治安維持対策の上で個人の監視は健全だし、御国の勝利の為には天皇陛下万歳で死ぬのが健全ですわな。で、それに反対する連中はまとめて不健全だって言いたいわけだ。だとしたら、貴方と話すことは何もありません。

政治家にその理屈を許したらなんでもアリなんですよ。貴方や私が健全という言葉を使うのと、政治家ましてや大臣が使うのとでは全く意味合いが異なるわけです。その程度の理屈は判ってくださいよ。

マスコミのネガティブキャンペーンに流されてなんかいませんよ。だって、普通に考えれば当然の帰結です。貴方こそ政治家の情報操作に不感症になっているんじゃないですか? アベのいいお客さんになるでしょうね。

ちなみに、以前のエントリーに明確に書いていますが、僕は機械発言をほとんど問題視していません。なので、機械と言ったからといって彼を責める気はないですが、あちこちから攻撃されている最中で、自分も散々謝っているような状態で、また失言ってのは、政治家としての資質を問われても致し方ないとは思いますね。しかも、健全は失言と認めない的な事も言ってるみたいですから、もう政治家に向いていないと断定してもいいんじゃないかとさえ思います。
「人間を道具扱いしてきた」亀井静香氏が与党批判

良いか悪いかは別にして…、これを亀井が言うかね。正直、同じ穴の狢もいいところだと思うのだけど。まぁ俺は違うでも、俺は変わったでもいいです。心情の変化は人間だから当然あるし、政治の世界では思っていても言えない、実行できないということも沢山あったでしょうから。

じゃあ、道具扱いしないやり方ってのを是非披露していただきたいものです。それが与党よりも効果的で、現実的だと判断されるものであるなら、次の選挙では自分達が与党の座に就けるんじゃないでしょうかね?
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なぜ子供が減ったか

なるほどと思わせる話でした。同化圧力という表現はなかなか上手いなと思います。同化してしまっているので、自分と子供が切り離せなくなっているってことですね。例えば家はマンションですが、同じマンションに住む子供が悪さをしていたとしても、自分に直接被害がなければ注意することはまず無いでしょう。そんなことをすると、子供以上に親が癇癪を起こす可能性が高く、下手をすると変質者扱いされかねません。

「世間との関わりは殆ど子供を通じて」いるから関わらなければ浮世離れできるというのも真だと思いますが、そもそも浮き世自体が子供レベルに薄っぺらくなっているので魅力的に思えないというのがあります。

子供が社会の所有物から親の所有物であるという色合いが濃くなればなるほど、この事態は進行しくだろうと思います。結局子供の言動に対しては、親がその全責任を負うということになります。この負担は重い。金額的なものなんて比較になりません。例え「自由な選択肢が提示」されたとしても、それを選ぶ人達がどの程度いるのか? 掲示だけでは駄目でその結果を最後まできちんと受け入れてくれるような社会体制が必要でしょう。例えば、学校的な、お受験的な学習方法を取ってこなかった子供達が、大学まで行けるのか? 就職に困らないのか? そういう部分まで含めて社会が変わったと認識されなければ、選択肢を選択することは難しいように思います。

なんで、金だけなんとかすれば良いんだろ的なやり方では、ある程度以上の効果は望めないだろうと僕も考えます。実際、貴方はどうなれば子供を作りますか? と問われた時でも経済的なものは、単なる1要因に過ぎません。

結局、最終的に良いとされる状態が非常に絞られているというのが根底にあるのだろうと思います。本来であれば成功の形態は多様であるはずなのに、何故かある一定の方向を目指すことが良いことだという風潮があるように感じます。それ自体に問題があるわけで、美しい国だとか、健全だとかという発想でゴールの位置だけをずらしたところで、本質が変わることは無いでしょう。
良い、すっごく良いです。前半はちょっとかったるくって、まぁこのタイミングは少し丁寧に描き込むのも仕方ないかなぁとか思っていたんですけど、ラストシーンに向けて綺麗に収束してます。1話としての構成が相変わらずとんでもなく美しいです。ローズクレアレイチェルも一言一言の台詞に凄く説得力を感じます。それぞれの現在の立ち位置の差、考え方の差、現実の捉え方の差、そういったものが台詞の違い、反応の違いにちゃんと出てきています。キャラが本当に生きてますね。素晴らしいです。

ケイトの許さないも怖かったですね。彼女はあまり感情を表に出さないってキャラにしていたせいもあって、追い詰められて追い詰められて、そこで爆発するというプロセスがとても良く描けています。

ケイトに秘密をあっさり打ち明ける。組織との絡みはこれだけでしたけど、それが不自然じゃなくて、とてもリアルに描けています。そこまで言うならもう少しちゃんとネタ出ししろよって客観者としては突っ込みたくなりましたが、ケイトの側としてはそうも言ってられないというのが正直なところでしょう。

エルヴェのサイドもなかなか差し迫ってきました。妹の容態もそうですけど、もう彼らも選択をしなければならない時期に来ているという感触が伝わってきます。エルヴェが何を考えているのか、それがどういう結末を招くのかその辺りが本当に興味深いです。

で更に、ここでジョーカーを動かしてきました。リーズの現時点の状態は、まだ記憶が戻りかけているという辺りなんでしょうが、何故そこまでして記憶を戻すのを拒んだのか、リーズが記憶を戻すとどうなるのか、そして完全に覚醒した時のリーズの選択はなんなのかなどなど、居なくなったというだけで、様々な謎が一気に吹き出します。これまでは、エルヴェ達との関係に焦点が絞られていましたが、当然のことながらケイト達とも関わりが出てくるんでしょう。もし、記憶が戻るなら、彼女達は友達であったという記憶があるわけで、それと何かを対比させるのだと思うのですけど、それがなんなのか。ちょうどケイト達が記憶で悩んでいるタイミングですから、これも絶妙です。

彼ら彼女らの存在とはなんなのか。そんな部分がテーマになっています。記憶? 家族? 友達? 恋人? 仲間? でも、どれもしっくり来ないような、でも捨てられないような。そんな曖昧な感覚を綺麗に表現しているんじゃないでしょうか。凄いです。他の追随を許さないクオリティで来ています。まさにシムーン級。これでまだ17話ってことは、まだまだ話は一波乱、二波乱はありそうです。どんな仕掛けが飛び出してくるのか、これは目が離せそうもありません。