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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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パトカー追跡巻き添え死亡の損賠訴訟、2審も遺族敗訴

どう考えても、まず酔っぱらいの糞餓鬼に対して慰謝料を請求するのが筋なんだけど、取れないと見て矛先を変えたのかな? 警察もいい迷惑ってことなんだろうな。しかし、読売も見出しの付け方が酷いねぇ。「パトカー追跡の巻き添え」って、そりゃあんまりだろ「犯罪者逃走の巻き添え」ってのが正しい表現なんじゃねーの?

交通違反が明白で物的証拠まで揃っている場合、逃走する奴なんてのは、まずロクな奴が居ないから、どんな手を使っても停止させる。結果犯人が死亡してもやむなしってことにすれば、こういう被害は無いと思うんだけど。つまり、そんな奴撃ち殺しても構わないってすればいい。犯罪者の癖に一端に権利を求める奴が居たりするから、巻き添えが起きるんだろうねぇ。権利を云々言う前に、死にたくなければ逃げるなってことですよ。

それと、民事の支払い責任が大甘ってのもあるだろうねぇ。支払い能力が無ければ踏み倒し可だし、あったとしても強制執行するには、貰う側が被害者であるにも関わらず面倒な手続きをしなければならない。そんなのはおかしすぎる。支払い義務を完了していない人間に対しては、全ての収入、資産などを公的機関が管理して、最低限のものを残して身ぐるみ剥ぐ。足りなければ一生強制労働。まだ足りなければ身体や命で精算。ってすれば、こういう無駄な裁判は無くなると思うし、馬鹿な犯罪も減るし、被害者も納得しやすい。一挙3得です。失うものは犯罪者が得てきた不当な権利だけなんだから、なんの躊躇も必要ないと思いますがね。勿論、民事の賠償責任を正しい額におさめるのが前提。算定方法に関しては見直しすべき点はあるように思えますけどね。

誤解を恐れずにあえて例を書くと、

交通事故の自賠責基準の賠償金額 第7級 保険金額 1,051万円

・1眼を失明し、他眼の視力が0.6以下になったもの
・2両耳の聴力が、40センチメートル以上の距離では普通の話声を解することが
できない程度になったもの
・1耳の聴力を全く失い、他耳の聴力が1メートル以上の距離では普通の話声を
解することができない程度になったもの
・神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することが
できないもの
・胸腹部臓器の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することが
できないもの
・1手のおや指及びひとさし指を失ったもの、又はおや指著しくはひとさし指を
含み3以上の手指を失ったもの
・1手の5の手指又はおや指及びひとさし指を含み4の手指の用を廃したもの
・1足をリスフラン関節以上で失ったもの
・1上肢に仮関節を残し、著しい運動障害を残すもの
・1下肢に仮関節を残し、著しい運動障害を残すもの
・両足の足指の全部の用を廃したもの
・女子の外貌に著しい醜状を残すもの
・両側の睾丸を失ったもの


に対し

ノック知事セクハラ訴訟判決 要旨  【認容金額】1,100万円

さて、どちらどうなのかは追求しませんが、釣り合ってるとは僕には到底思えません。
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「限界集落」:消滅はあなたの「共有地」に影響する

たとえば限界集落の内部的な問題にしても、そこに住み続ける人たちの自己責任という考え方は通りません。そもそも限界を生んだのは、住み続ける人ではなく、そこから出た人たちだという事情もある。


はて、そもそも集落を維持することが正義という前提で話が進んでいるのはなぜ?

高齢者の生活をどう支えるかという課題のほか、台風等で荒れた山林の保全、あるいは目の行き届かない荒地への外部の人による不法投棄も問題になっているそうです。もう一つは、集落の消滅が国土にもたらす影響という外部的な問題です。限界集落の多くが水源に近く、山林や田畑の管理ができなくなると、下流域の水資源に影響が出るといった指摘があります。このほか、集落に伝わってきた文化の喪失という問題もある。


山林は人の手が入らないと危険だと言いたいのか? それは傲慢な気がする。そもそも、そういう山林にしたのは人間であるのじゃないのか。仮に影響を認めたとしても、山林の維持と集落の維持は話が一致するとは限らない気がする。集落に伝わってきた文化というが、具体的には何か? 結局はその文化を維持する意志があるか無いかの差であって、少なくとも現時点においては、その土地に絶対的に結びついている必要性があるものがどれほどあるのか。正直疑問です。

ということで、これを読んでも共有地の影響を理解出来ないんですが、僕の読解力に問題があるんでしょうか。
文科相『人権メタボ』『同質の国』発言考

大手マスコミにしては、鋭い突っ込みだなぁという感じがする記事です。

「柳沢厚労相発言も、今回も安倍首相の世界観を代弁している。今回の発言は、人権制限と裏腹に懲罰と管理強化で教育問題を乗り切ろうとする教育再生会議の考えと二重写し」


まさにそう。言葉尻だとか言って表面だけで、そこまでする必要は無いなどと安易に言う連中は無神経過ぎると僕は思える。結局金魚の糞は金魚の属性を引きずっているということなんでしょう。さすが、忠誠を誓った下僕達って気がします。非難されるべきは、彼等の不用意さではなく、世界観の方です。そして、それはかなりの割合アベと共有していると、想定することが十分可能です。

ちなみに、

「彼らは世界の非常識である暴言を繰り返すが、責任は取らない。その結果として無責任が横行する社会ができつつある」


これは民主主義の基本的性質だと僕は思うのですけどね。
頭がいいより気前がいい

全くもってごもっとも。

つか、まさに自分が気前の悪い人間なので、何度経験しても、この指摘は落ち込み度が激しいです。しかし、かと言って、それに気付いても、知っていてもなかなか変えることが出来ないというのが実際のところです。これって、もう自分という人格に完全にこびり付いてしまっているものなので、なかなかそぎ落とすことができません。思考パターンの基本は「やりたくないことを如何にやらずに済ませるか」であって、「やりたいことを如何に実行するか」という思考パターンを羨ましいと思いつつ自分を変化させることが出来ずに居ます。

なんで、僕は人の上に立つということは向いていないだろうと自覚しています。いや、人の上で無くても、単独の個人事業主でも同様ですが、最終的なものを自らの判断に全てを委ねるという立場に向かないだろうと思っています。これは致し方ない。もう半ば以上諦めています。

僕のような人間にも一応の存在価値を見いだせるとしたら、それは、気前がいい人の手伝いをするというポジションに収まることだろうと思っています。すなわち参謀という地位に自らを置くということです。決定者に対して、それなりの情報や見方などを提示するという役割。これが自分のようなしょうもない人間にとって一番良いポジションなんじゃないだろうかと思っています。

ただし、この決定者にしても、当然誰でも良いという訳ではありません。参謀というポジションを選択した以上、決定者の決定に対しての答えは基本的にYesであることが求められるからです。勿論過程に議論はあるでしょうが、簡単に結論が出ないような問題の場合も多いでしょう。その場合は、決定者の決定に従わないという選択をすれば、その時点でそのポジションを失うことになるでしょう。当然、そうなれば一蓮托生な訳で、リスクを計算すると、結局自分でそれを実行することと本質的に何も変わらないことになります。

つまり、僕のような人間にとって、一番の幸せは、この人の判断なら結果は無視できる。損をしても、失敗しても仕方ないと思える。それ程のカリスマと出会えるかと言うことに尽きるんじゃないでしょうか。酷く依存度が高いですが、そういう生き物なので致し方がありません。これを宗教と呼ぶこともできるかもしれません。唯一の言い訳は、如何に感情からその理由を切り離せるかという部分にかかっているでしょう。また、絶対的なカリスマよりも、自分よりやや上(このさじ加減がまた微妙ですが)位の能力を持った人間、つまり自分の意志もある程度組み入れて貰える程度の次元で存在している人が適切でしょう。

もし、そういう人を見つけられたら、絶対に手を離さないようにした方が良いだろうと思います。ただし、優秀な決定者は単なる馬鹿を側に置いておくことはないでしょうから、優秀な決定者の側に居たいなら、自分が優秀な参謀になるしかありません。その人に対して、優秀な参謀でいられるように、勉強をしたり、情報を入れたり、考えたりと努力するべきでしょう。それが見逃し三振を、せめて送りバントに変化させることができる手段なんじゃないか。という気がしています。
本日のお言葉 「突っ込んで良いのかしら…」

いやぁ、芝居がかった演出で楽しかったですね。話としては単に談判の結果、皆が望むなら考えましょうという結論になったというだけなんですが、その過程を上手く、らしく描いています。芽衣ちゃんのはりせんチョップがチャンバラトリオ並に強烈だってのは良く判りました。学美のアジテーションもなかなか良かったですね。言ってる内容は微妙な部分もありましたが、あんなものは所詮ノリですからね(笑)

それにしても、久川は相変わらず良い仕事するなぁ。ビシっと引き締めてくれていると思えば、どっから声出しているんだってのまで、きっちり使い分ける辺りが流石です。

で、署名活動再会ってことになるんでしょうが、今度はどんな手を使ってくるのか楽しみですね。これまでは比較的正攻法で来ていますけど、それでこの難関を乗り切れるのかちょっと微妙です。思い切った作を打ち出してくる可能性もありますね。学美星人と言わしめたお手並みを期待して待ちたいと思います。
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僕はこのBlogで何度も資本主義的価値観だけでは解決しない問題がある。という意味で、資本主義を批判してきました。そうすると、どうしても、お前は共産主義者かとか、私有財産制を否定するのかとか頓珍漢なことを言ってくる人がいます。どうも、彼らの頭の中は白黒がきっちりと別れた綺麗な世界とお花畑が広がっているようですが、僕が言いたいことはそういうことではありません。(民主主義を批判しても同じような反応が返ってきますね)

資本主義には当然色々な要素がありますが、一番は売れた物が勝利するという基本概念にあるだろうと僕は思っています。つまりは数の原則です。ある程度のものは、この原則に則っても問題は特にありません。工業製品などはこのやり方が有効に働いた典型例と言えるでしょう。しかし、ある種のものに関しては、この価値観だけで考えられたのでは、結果として衰退してしまうものがあるだろうというのが、僕の考え方の基本です。何故衰退すると考えているのかは、前に書いたので書きません。検索で探してください。

じゃあ、資本主義的価値観の代わりに何をそれに当てるのかというのは、難しい問題で、僕なりの考えはありますが、それが必ずしも正義だと主張するつもりはありません。その点については検討の余地がたっぷり残されていると思っています。ただ、とりあえずは、資本主義的価値観に限定してしまう危険性をまず意識しなければならないだろうと考えている訳です。そのことが無意味であるとは思いません。実現可能性だのを言い出す前に、問題点とどのように改善するのが望ましいのかをきちんと整理することは重要な意味を持つと考えます。

例えば、NHKの概念というのは、資本主義的価値観に依存していないはずです。昨今はどうも大衆化が進んでしまって、すっかり存在意義が揺らいでいますが、公共放送の最大の意義はその制作ポリシーを資本主義的価値観から独立できるというところにあるだろうと考えています。というか、それが出来ないなら公共放送の意味なんて、広報以上のものは無いでしょう。そして、NHKの存在は資本主義的価値観とそれ以外が共存できる可能性を示しています。現在の日本においては、民法とNHKの勢力はかなりの開きがあるように感じますが、それを詰めることも不可能ではないはずです。

ちなみに、私有財産制に関しては、限定条件付きで認めるというのが僕の考えです。その条件とは、単純で、贈与相続を認めないと言うだけです。それが出来ないものを私有財産とは呼ばないというなら、確かに私有財産制を認めないということになるのかもしれません。ただ、僕の場合は私有財産云々以前に、血縁による家族制度が諸悪の根源であると考えているので、子孫に自分の財産を受け継がせるという考え方が、そもそもおぞましいとしか思えません。全ての功罪と権利と責任は当人にのみ帰属する。これが最も判りやすい考え方なんじゃないでしょうか。

あ、念の為に補足しておきますが、どんな物にも例外措置というのはある程度ありますからね(苦笑)
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