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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
「死刑になるなら払う」

2ちゃんねる管理人ひろゆき氏の話。彼の書いた元記事を読んだ時は、確かに不誠実ではあるけれども、やるなぁと思った。彼は彼の信念に基づいて行動しているのであり、恐らく理屈は後付でしょう。とりあえず、納得いかねぇから従わねぇ。なんでだって五月蠅いから適当に理由付けました。ってところかな。

それを見て詭弁だと言ってのけるところが、法律屋の限界を露呈しているって感じがします。挙げ句に規範意識に悪影響を及ぼすから国策捜査しろってorz どこまで法の奴隷なんだよって感じですね。この時点で既にひろゆき氏に負けてるよ。

ひろゆき氏の言動が正しいか否かというよりも、法の傲慢さと不完全さに対してNoを堂々と言った著名人として凄い奴だと僕は思います。そうですねぇ、悪法も法だと言って毒杯を煽ったソクラテスの逆パターンって感じでしょうか。

何れにしても何かを神聖視して思考停止している奴等に比べれば、遙かに評価できる行為でしょう。神様が絶対視されていた時代に「神など居ない」と言えば、当然敵視されて、粛正の対象とされる可能性も高いのに、あえてそれをやった訳ですからね。

とか言って、単に面倒くさいだけだからとか、そういうオチはあるかもしれませんね(笑)
正義について。

昔からよく聞くネタです。けれど、それだけよく聞くにも関わらず廃れていないというのは、そこに何かしらがあるからなんでしょう。

法律というのは、この世で最も強烈な差別であるというのは間違いないでしょう。しかも、間違った判断をしている場合も無い訳じゃありません。それをもって法律は無意味だという訳ではなく、多くの場合は、行動に指針を与え、手続きを簡略化してくれるという便利な道具です。道具というレベルにおいて、非常に有用で複雑な構造をもった現在社会のような場合には、不可欠な要素も持ち合わせている部分もあります。

だからなんでしょうが、法律を正義だと勘違いする人達が大勢居るようです。法律はあくまでも道具であり、しかも不完全なものであるということ、しかも、法律の運用は基本的に差別行為であるという前提を忘れ、法律こそが神であると疑わない。それは酷い話だろうと思います。正義とは何かと問うた時に、法学的正義を説明し出す馬鹿すら結構居ます。

司法はそのことを常に頭に入れて行動するべきなのですが、彼等もしばしばこの勘違いを起こすようですし、その態度が周辺に感染する場合も見受けられます。どんなに良く効く薬であっても、副作用がある場合は、それに注意しなければならないし、その点について説明責任がある。そして用法用量に注意して慎重に服用する。場合によっては使用しないという選択肢もあり得る。今となってはこんなこと当たり前になっているんですが、何故か法律だけは別枠の特権が与えられているようです。異常な事です。

この人と動物の話も、その部分が一向に変わらない内は、廃れることは無いのかも知れません。
ムービーがテレビを捨てる日

うわっ、「良い意味でも悪い意味でも、それはネット上に別のテレビ局ができるだけ」とはエグイ事書くなぁ。でも、その予測は僕も賛成できます。結局どんな仕組みを作ったところで、利益という価値基準で分別が入ってしまう以上、大きく変わるものにはならない。ましてや、テレビと同じような広告モデルで行くならなおさらでしょう。

偶発的な面白さを切り取った作品というのは、一定の面白さがあるのは認めますが、やはり緻密な計算に基づいて作られた、面白さを意図して作られた作品には敵わないだろうと思っています。ハプニング作品などと言うものは、箸休め程度の意味しか持たないだろうなと思います。

面白さを第一に考えた作品というのがどの程度作られているのかそれが何とも言えないのですが、原則として儲からない作品や作家は淘汰されていきますから、減ることはあっても増えることは無いんじゃないかという気がします。芸術作品と資本主義は相容れない。これはもう、数少ない真理だろうなぁと考えて良いだろうと思います。
塊魂やエースコンバット 6がXbox 360で発売か?

ほほぉ、塊魂来ますか。もしこれが事実なら、益々PS2の必要性が無くなってめでたい事です。と、同時にPS3の必要性も未だに出てこないというのが続きそうです。

あのシュールな感じを次世代機にどうやって移すのか、その点はちょっと興味があります。ビューティフルと称しているってことは、何か画像的な変更をするような気もするんですけど、どうなんだろ。HDをどうやって生かしていくのか、その点が各メーカーの知恵の絞りどころですね。単純にリアル志向ってだけじゃちょっと芸が無いような気もするので、上手い利用方法を考えて欲しいです。

どうしても、初代程のインパクトが出せない状態だったからなぁ、何かテコ入れをしてくるんじゃないかという期待もあるし、ほとんど変えずそのままという可能性も捨てきれないしって感じでしょうか。
アトルは良いキャラに育ちましたねぇ。純朴なだけにその問いかけは凄く根底に届くものになっています。と同時に、解決策が無いというのも確かで、もう逃げ出すしか方法が無いって辺りは結構良く出来ています。

鳥居は正しい。確かにそうかもしれない。やり方はもう少しなんとかあるかもしれないけれど、緊急度が高いというのもまた事実かもしれない。それこそ大事を見れば、小事には目をつむるしかないというのは、為政者としては真理ではある。

結局視点が違うので、最終的に交わることはありません。アトルや作業にあたる人間の立場と、為政者や現在の我々の目線では到底見えるものが異なります。そして、その違いにつけ込む人間達が出てくるというのも、状況からすれば当然のことなのかもしれません。

いやいや、何気にテーマが面白くなってきたし、そこにアトルのアクセントが加わることで、ちょっとピリっと辛味が効いてなかなか良い感じに仕上がっています。問題は、これを最終的にどこに落とし込むかってことでしょう。話は広げたけど、収束できないというのじゃ片手落ちです。もう少し後になるかもしれませんが、解決の糸口を出し始めた辺りがこの作品の重要な転機になるかもしれません。
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伯符親娘のどつき漫才は今回も健在です。なによりなにより。伯符が話に絡んでくると、全体的に緩みがちになるので、作品のイメージが相当変わります。しかし、いきなり和式トイレにしゃがんでいるところを襲われるってのはどうよ。吹っ飛んだ後にパンツ上げてるし(笑)

様々な意図が交錯しているというのは判るんですけど、流石にちょっと話が飛びすぎって感じがしないでもない。全体像を掴みづらくなってしまっています。特に南陽はほとんどメンバーも意志もばらばらなんで、どうにも話が宙に浮いている感じがします。

もう少し、きちんと筋を付けた状態で、周りの状況を描いていければ判りやすくなると思うんですけど、背骨が無いように感じられてしまいます。ま、それも含めて一騎当千らしいと言えばそうなのかもしれませんけどね。
もう、話自体は前回でクローズしてしまったという感じがあります。普通の物語として見れば、2話を残してというのはちょっとなぁという気がしないでもないですが、文化祭というモチーフを考えると、この構成は悪くないんじゃないかなぁという気がします。結局文化祭ってのは、準備している間が一番楽しくて、当日はもう何となくというか、がむしゃらにというか、そういう感じがしますものね。だから、生徒会のメンバーも当日は何もすること無し。ってことなんでしょうね。

見る限りにおいて、そこらにある学園祭と何が違うのか? 一体みんななんでそんなに満足しているんだろうか。そんな風に思っていたのですが、二人の学園長の台詞が綺麗に纏めてくれています。

この作品。何よりもシナリオの構成が上手いなぁというのがこの辺りにも出ています。学園祭の雰囲気を、シナリオの構成で表現するって、狙ったのかどうか判りませんが、とても良い感じに仕上がっていたと思います。

確かに、何にも邪魔されない学園祭、自分たちで勝ち取る学園祭、これが大事だという結論を出すには、何か他と違う学園祭にしてはいけない。そういうことなんだろうと思います。大人のゆがんだ目で見ると、ここまで引っ張っておいて普通じゃねーかって見えたりもしてしまうんですが、そうじゃないってことなんでしょう。ラストのライブだけで、十分それは伝わるものだって気も確かにしないでもないです。

ちなみに、前回は、生徒会室で始まったものを生徒会室で締めて関心していたんですが、今回もちゃんと、校歌で始まったものを校歌で締めました。で、次回はやってきたものが去っていくという締め方なんでしょう。こういう基本をちゃんと抑えた構成って、本当に好感が持てますね。
ホリエモン発言「被害者いない」に抗議

一応現状では、有罪判決を受けている以上、堀江のやったことは犯罪な訳で、であるならば、確かに株主は被害者と言えなくもない。そういう意味では正論ではあるんだけれども。

結局、堀江流の黒に近い灰色の行為も含めて、株価を上げてきたライブドアを信奉して株を買ったのと違うの? 結局違法行為に怒っている訳では無い訳で、違法だろうがなんだろうが、株価が上がりさえすれば万歳って考え方な訳でしょ。マネーゲームでの損失を経営者の責任に転嫁するってのは、それが理屈としては正しくても、なんと無く引っ掛かるものがあります。つか、あんたらの安易な投資が堀江を犯罪に走らせたと考えられないこともない。

ぶっちゃけ、ライブドアの問題で大損出した連中に対する個人的な感情は「ザマミロ」、百歩譲っても「自業自得」でしかないですからね。経済屋の中には、この問題をやけに深刻に考えている人も居るようですが、あまり感心が持てないし、どちらがどうなろうと大した問題じゃないと思えてなりません。そういう意味では、堀江が無罪になってくれた方が、彼等にとっては良い薬って気もしますね。
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食堂で50代とおぼしき親父の軍団が話していた。「最近の20代、30代は甘やかされて育ったから」云々。なるほど、それが事実だとするなら、その世代を育てたのはまさしくお前らの世代ってことじゃないのか。そして、さらにそいつらを育てたのは、今現在高齢者と称して、社会をこんな風にした責任も取らずに権利だけ主張している。そういう世代じゃないのか。

ついでに言うと、少なくとも我々の業界では、今の50代は、肝心な時期にバブルを迎えてしまったせいか、仕事人としても欠けたところが多々見られる。だからか管理職になってもイマイチなのが多い。技術的にには、もう追いついていけない。と正直お荷物状態である。

しかし、彼等の今の世代はという認識だけは正しいと僕は思う。僕等の世代の子供達が大人になる頃。後、10年か20年先くらいは、今より酷い世の中になっているだろうというのは、かなり高い確率だろうと思っています。これは、3世代にわたる親子関係と教育の悪循環の賜物です。そう簡単に直ることは無いだろうし、そこへ輪をかけるように、某首相達の教育改悪が始まりますから、そりゃあもう希望を持てと言われても無理って感じですね。
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【正論】西部邁 保守の未熟が「差別」を招来する

なにやら、言っていることがさっぱり判りません。支離滅裂に見えます。僕の読み方が悪いんでしょうか? しょっぱなから格差を差別だと言い切ります。で、それは是正されるべきだという前提で話を進めています。なんか酷い話ですよね。格差と差別は全く別物だと思うし、億歩譲って格差は差別だったとしても、それが是正されるべきか否かは不明です。そういう話をするなら、まずはなんで格差が差別なのか、何故それは是正されるべきなのかをきっちりと説明していただきたいものです。

で、挙げ句の果てに結果平等を保てと来ています。酷い話です。結果平等を実現したら、当然一番無能なものが最も得をして、一番有能なものが一番損をする。この不平等をどう解決するのかまずはその点を是非伺いたいものです。で、さらに謎なのが、結果平等を是としているのに、何故か既得権益権益が文化を支えてるという"?"の話になっています。

もし、結果平等を求めたら、既得権益など真っ先に壊れるはずのものです。そんなものがあったら結果として平等になどなるはずがありません。なんとも頓珍漢に思えます。この矛盾をどうやって解決してくれるというのでしょうか。この文章を読む限りではさっぱり判りません。

格差が良くない理由はなんのことはない「機会の平等」がきちんと担保されていないことに集約されるでしょう。それは日本は元よりアメリカでさえ同様で、十分に「機会の平等」が実現されているとは言えません。その元凶が既得権益であり、その中でも最悪なのが家族制度であると僕には思えるのですが、既得権益を前提にして、不平等じゃない世界を実現できるというのなら、是非そのビジョンをもう少し具体的に提示していただきたいです。
東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった

結論は「ゆとり教育はだめだ」ってことなんでしょうか? 僕はそうは感じなくて、ゆとり教育という形だけを追い求めたけれども、本質はお受験体質のまま変わっていないので、逆効果になったというのが原因だと思っています。ですから、ゆとり教育を否定するよりも、お受験体質を否定するのが正しいだろうと考えています。

日本の試験は相変わらず知識先行型のものになっています。しかも、悪いことに知識を前提としてロジックを求める問題も出てきていますから、益々知識を詰め込むことが過熱してきているように感じます。そもそも資料持ち込み不可の試験が大半なんて内は、単純知識を要求するということを前提にしていることの証明ということでしょう。

記憶力の重要さも理解はしています。けれど、それは一定以上のレベルにだけ求めれば良いこと何じゃないかと言う気がします。特定の大学の大学院レベルなら十分な記憶力を求めるのも仕方ないことかもしれませんが、そうでもなければ、記憶しているか否かを問うのは、試験として最低レベルの問題だろうと僕には思えます。

で、東大なんてところに来ている人達というのは、この試験を何度も何度も受けてきた人達で、かつ優秀な成績を収めてきた人達ということです。そんな人達に「基本的な頭の働かせ方」を求めたところでそれは可哀想というものです。一部の特異な能力をもった人達だけが、その両方をクリアできる。そういう結論になるのは至極当然なんじゃないかという気がします。

そもそも、ゆとり教育自体は「基本的な頭の働かせ方」などの為の時間として使うことも出来る訳で、そうならないのは社会の多くの人の考え方が、未だにお受験体質にあるからに他ならないだろうと思っています。ゆとり教育を撤廃して、その分算数やその他の基礎教科の時間を増やしたところで、「基本的な頭の働かせ方」が上手い子供が育つとは僕には到底思えません。
なにやら最近差別というキーワードが盛り上がっているらしい。ある行為というか考え方が差別か差別じゃないかで揉めているみたいなんだけど、ざっと読む限り、多くの人が書いているようなやり方を見ていると、凄く局所的な内容に終始しているように感じるし、結局結論は出ないんじゃないかなという気がします。

人間というのは、聖人ででも無い限り、好き嫌いという感情から逃れることはまず出来ないでしょう。だから、ある条件下においてその事象が好きか嫌いかは人それぞれで、どうしても存在するというのは否定できません。けれど、これを差別だと言い出したら、(差別を悪と仮定するなら)人間は普通に生きていけなくなります。感情を捨てるか、世界に無関心になるか、自分の意志を一切表明しないか意外に差別をしない方法が無いですから。

よって、個人的な趣向を差別だと言うのはちょっと行き過ぎだろうと僕は思っています。じゃあ差別ってなんぞや? と言うと、それを一般化する行為である。と考えています。自分があるモノを嫌い、あるいは好きと感じた。その感覚を標準的なものにしよう。そう発想して行動を起こした時点でそれは差別となるんじゃないか。そういう気がします。だから、別に自分が腹の中やあるいは身内、友人知人辺り程度に、?が嫌いだと語っている内は、それは差別じゃない。それを社会の共通理解にまで上げようと試みるとそれは差別ってことです。

一歩戻って「差別」って本当に良くないことなのか? と考えてみると、基本的には良くないと考えますが、完全に撲滅する程ではない。そんな感じだと思います。だって、差別を完全に撤廃するということは、まず法律なんてものを制定すること自体が差別的行為ということになってしまいますから。どんな理屈を付けたところで、国家が強制力をもって特定の価値感に対して善悪の基準を制定するのが法律ですから、これほどの差別行為はまずありません。

それ以上に重要なのは、自らの意志に一般性を問うという行為を差別的行為と判断されかねないということです。これは、国家や法律の問題なんかよりも遙かに重大で、これを差別だと言い出されたら、人間の存在意義の大きな一つを否定されるに等しいだろうと思います。

じゃあ、良くないことって何か? というと、良く大衆が使うレトリック。「普通は?」「常識的には?」「みんなが?」は全て差別行為だろうと僕には思えます。大衆的権威主義的な差別。つまり、自らの思考を停止して「普通は」とか「常識は」とか「みんなが」という発想で特定の価値感を否定する手法。これは差別行為として、徹底的に糾弾されるべきだろうと僕には思えます。で、圧倒的にこういう差別が、それ以外のものよりも数が多く、かつ悪質です。何よりも、思考の結果の差別ではなく、思考を停止した結果の差別ですから、もう擁護の余地がありません。なんで、「基本的には」良くないことという結論を出さざるを得ません。

あれ? なんか他の差別議論とは全然違う方向に話が行っちゃいましたね(笑) それはきっと差別という言葉の定義が他の人と違うからなんでしょう。言葉の定義をきちんとしないと話が噛み合わないよという典型的な例になりそうです。でも、ここで書いた内容は、全くその通りだと思っていることなんで、そのまま受け取っていただいても結構です。
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プリムラのネタっていうのは、真面目にちゃんと描き込めばかなり面白くなるネタだし、その話がネリネや亜沙の話にも繋がっていく構成になっているので、その辺はよく考えられている感じがするのですが、残念な事に結論の出し方がちょっと上滑りしてしまっているように思えます。ネタの出し方は良かったんだけど、回収の仕方はイマイチってところでしょうか。

ま、それにしても今回の2話の構成では、話はさっぱりだし、結論は判らないしで、少なくともプリムラ編は失敗だと思います。楓編くらい話が完結で判りやすければ、2話でもまぁなんとかギリギリ判る範囲に収まるんでしょうけど、ちょっと凝った内容だともう無理って感じですね。

今回のシリーズは、どれも短縮版になっているので、中身をどうこう言っても仕方ないとは判っているんですが、ついつい思ってしまいます。可愛い女の子達の名シーンを回想するというだけで見れば悪くないのかもしれませんけどね。
一緒にお風呂にします。あ、子供じゃない方でお願いします。
なんなら、他の娘達も一緒でも僕は全然構いません(謎)

クライマックスへのお膳立てが徐々に揃ってきました。結局、護の能力が目覚めるところをラストにするという構成にしてしまったが故に、どうしても作品全体が怠くなったということなんでしょう。実際二人がくっついてしまえば、護をなんとかしない限り物語が展開しようが無く、ヨハンだのなんだのを出したところで、絢子の気持ち一つという解決法以外に取りようがないというのは必然です。

もう少し、ギャグの方向にパワーをかけても良いかなという気はしましたが、何故かそういう方向には振らなかったので、結果としてにっちもさっちも状態になってしまったような気がします。

さて、この騒動をどうやって決着させるのか。ちょっと楽しみになってきました。出てきたモンスターがどういうものなのか良く判らないですから、護の力とやらがどんなものなのかもまだ不明です。是非絢子さんに相応しいナイトぶりを発揮していただきたいです。
ルルーシュのビジョンが、全く判らない状態なので、違うと言われてもなぁという感じはします。けれど、ユーフィの発想は、与えられた特区であることは間違いない。結局、ブリタニアの思惑一つでどうにでもなるねずみ取りにもなりうる。もし、悪どい罠で無かったとしても、黒の騎士団が特区に収まってしまえば、良いやっかい払いにはなる訳で、ブリタニア的には大した損も無く、効果は大きいと判断ができます。

例えそれでも、その僅かな制限付きな空間でも、存在自体が重要なんだという考え方も成立します。そのどちらを取るかは考え方次第でしょう。そういう意味でもルルーシュのビジョンが見えていない状態だと、どうも判断しづらいです。ルルーシュ自体は駄目だという結論を出しています。これは、ブリタニア皇帝に対しても同様なんですけど、何が駄目なのか、じゃあどうするべきなのかという部分がそろそろ欲しいですね。

しかし、やっぱりコードギアスは、変に真面目ぶらないで、学園ドタバタにした方が断然面白い。そう思うのは僕だけなんだろうか。
なんだ、結局宇宙人の侵略モノってスタンスは変わらないのね。まぁそうでもしないと、面倒なことになるもんなぁ。やっぱり戦闘シーンはかったるいんですが、物語自体もスローペースです。

いや、ある意味リアルと言えばそうで、いきなり地球の為に戦ってくれと言われて、ハイそうですかと納得できる人はそうそう居ないでしょう。それはその通りではあるんですけど、そうは言ってもその部分のリアリティを求めることに、意味がなければ、結果としてかったるいということになってしまいます。

結局、リアル系の巨大ロボットものを作る以上は、その必然性を如何に構築するかがポイントになってくるかと思うのですが、今のところまだその辺については、なにもふれられていないですね。まだ、初期設定が終わっていない状態なので、仕方ないのかもしれませんが、変に謎にしないでその部分は早めに出して欲しいです。
リアル、そうリアルなんだろうなぁ。良く判らないけど。何かの些細なミス一発で命の危険っていうのが、宇宙の現状なんでしょう。酸素や重量の問題を考えれば、時間との勝負というのもその通りなんでしょう。

いざって時の発想の転換が生死を分けることもある。ってそういう話で、それなりに良く出来ていると思うんだけど、今のところまだ話の本筋が見てきていないように感じます。ただ、淡々と宇宙とはこういうものだって話を描きたいのか? そうじゃなくて、それ以外の何かがあるのか。その辺が良く見えてないので、掴み所がないという印象を受けます。

吾郎が宇宙に上がるまではこういうペースで進むのかなぁ。今のところなんとも言えないなぁという状態になってます。
一気に急展開しましたねぇ。このネタを振るなら、もう少し大月ミーナのことを事前に描いておいて欲しかったなぁという気がします。月代との絡みもそれ程多くなかったし、今ひとつ思い入れが起きにくい状態になっているように感じます。

で、どういう方向に持っていくんだろうか。ちょっと想像付かないんですよね。大月の必要性が証明されるって方向が一番スタンダードなんでしょうけど、それぞれのミーナの特徴が今ひとつ出ていないのが厳しいところですね。

落し処が帰って難しくなってしまっているようにも思えるけど、まぁなるようになるんでしょう。どんな風にするのか楽しみにしていたいと思います。
相変わらず、世の中で最低な人間は、無責任の癖に正義面した大衆ども。生かしている価値もないので、まとめて地獄送りが一番良いんですが、そうもいかないようです。そういう屑どもが生きているから、それを利用しようとする悪人も出てくるってことでしょう。

馬鹿どもが殺し合っている分には特に問題もないんですが、他人を巻き込むのが奴らの特性なんで困ったモノです。

物語の方はいよいよネタばらしなのかという感じのところまで来ました。もう、まぁ地獄通信自体噂レベルとはいえ普通に知られているという状態は、あまり望ましいものじゃないような気もします。

さて、どういう決着を付けるのか、ちょっと楽しみになってきました。
勝利、そして完封。これは大きな自信になっただろうし、ワシントンが決め手の勝利というのも大きいとは思います。ゲームの内容は、まだ満足できるレベルというモノではないように思います。肝心な部分のパスの精度、ディフェンスの詰め、シュートの決定力、中盤の繋ぎ、どれもまだまだ上げられるだろうという気がします。

小野、山田の両サイド、折角補強した阿部、その辺りをもう少し有効に使う方法を探して欲しいという感じがしました。速攻は効いていましたが、じっくり作ってという部分では、それほど驚異的な強さを感じませんでした。それこそが求めているもののはず。もう1段階上げるだけの能力を持っているはずです。

ポンテは今年も決定的な仕事をしてくれています。まだ完全では無いように見受けられましたが、それでもパスのセンスと技術は流石というものがあります。ワシントンの調子が上向きつつあるといのも感じられました。

さぁ次はACL。しかもシドニーのアウェイです。この試合はACLの予選を占う上で大きなポイントになります。是非勝利して帰ってきて欲しいです。
今回は久し振りに面白かった。やっぱのだめと千秋の関係が例え間接的にでもあるというのは、良い感じかなという気がします。流れ的には、千秋が自ら課した手かせ、足かせを徐々に外していくというプロセスが描かれているように見えます。千秋に最も必要なモノをのだめが持っているという表現がなされている訳だから、二人が絡む回というのは重要な意味を持つように思えます。

次回のラフマニノフはちょっと楽しみですね。シュトレーゼマンが去ると言っている以上、ここが千秋の転機なんでしょう。この協奏曲で千秋が何を得るのかは全体に大きく関わってきそうです。
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文化祭ネタならもう少しやりようがあったように思えるんだけどなぁ。宮子の馬にしてもゆのっちが描かれた絵にしても、あれじゃちょっと判りづらい気がする。ゆのっちが前日寝ちゃうまでのプロセスももう少し描いてあげた方が良かったんじゃないかなという気もする。少なくとも銭湯で止め絵を出すよりは良かったような。

って思ってしまうのは原作を読んでしまったからなのかもしれない。

でも、流石にもう少し動きが欲しいなという感じがあって、吉野家ネタとかで動かして欲しかったような気がする。やることは出来たはずなのにあえてやってないって感じがありました。その辺りが微妙な感じですね。それとも、回想シーン的にどこかの回で出すつもりなのか? それならそれもアリかもしれないな。

なんせ、原作のネタが完全に不足しているのは明白で、構成は相当苦労しているんでしょう。そこを工夫で乗り切っているって感じが涙ぐましいんですけど、そこが面白さにも繋がっています。そんな状態なんで最後まで見切らないと全部理解出来ないって構成になっているのかもしれませんね。
いやぁ盛り上げましたねぇ。この最終回はなかなかな出来だったと思います。この半分くらいでも普段からテンションがあれば、もう少し面白くなったと思うんですけどね。

恐らく原作に倣ったからだと思うんですけど、やっぱり12神将をもう少し出してやれば良かったかなって気がします。この話をラストにするって最初から決めてしまったんだろうな。孝士がきちんと活躍するところもちょっと見てみたかったですね。

最後の最後に来て孝士の力のネタも出て、これからって感じのところで終わってしまったのはちょっと残念です。その内続編でもやるのかもしれないな。それはそれでちょっと楽しみかもしれません。
ミクシィで読み逃げするマイミク!

一言「これがmixiクオリティ」
以上。
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小1女子、教諭のいじめで心療内科に 学校謝罪

「判ったか笹塚、これがブリティッシュスタイルだ」
「とりあえず立ってろ」

を思い出してしまった。
不謹慎ですか、そうですか、いや、それはそうかも知れません。
最終回を見て、どうにも納得がいかなかったので、シムーンの時にお世話になった某友人に再び意見を聞いてみました。すると彼曰くあの最終回で過不足は無いと言います。詳しく話を聞いてみると、確かに、なるほどなと頷けるものでした。

まず、作品全体のテーマをどう解釈するか。これが一番大きな問題です。RED GARDENという作品は、演出が非常に細かく、かつ微妙なものなので、ここを読み違えたり曖昧にしていたりすると意図が捕まえきれなくなります。で、彼の解釈としては、

「生きるとは何か? 生と死の違いは何か?」

じゃないか。ということです。なるほど、生きるとは何か? という発想はあったものの、生と死の違いは何か? というところまで頭が回らなかったというのが、僕の致命的な敗因になったようです。

例えば、最終回、リーズケイト達が再会するシーン。彼女達は一見再会を喜びます。けれど、それ以上何をするでもなく、呪いの書をお頭に渡して、たわいない会話をしつつ眠ってしまいます。これを表面だけで解釈すると、

あれだけ引っ張っておいてリーズの使い方ってあれでいいの?

ってなる。実際僕もそう思いました。けれど、そうじゃないと彼は言います。リーズの役割というのは、物語に対する切り札というものではない。ちなみに、そんなキャラはこの作品には存在していない。そんなキャラが居たら物語が成立しない。逆に言えば、そういうキャラが居ないということが、この作品の偉大なところでもある。と。

じゃあリーズとは何者か? というと、彼女はあくまでもケイト達4人との対比対象としての存在でしかない。ケイト達は、自分達が既に死んで、新しい命と身体を与えられた時に、選択を強いられた。そのまま死んでしまうか、それでも生き続けるか。そういう選択。ケイト達は紆余曲折の末、「それでも生きる」という選択をした。けれど、リーズは選択することが出来なかった。その違いを表現する為に彼女は存在した。だから、物語にストレートな形で影響を与えることは無かったかもしれないけれど、それ以上に重要なテーマに対して十分な存在意義を発揮したと言えるでしょう。

それを象徴的に表しているのは、やはり最終回、リーズが学校に行ってからケイト達に会うまでの数シーン。及びケイト達に会った時のシーン。リーズが口にした言葉は、彼女が死んでしまうまでの記憶に依っている。つまり、リーズは17歳までの記憶で止まってしまっている。それは、ドロルと戦い、生きると決めたケイト達が失うものそのもの。17歳までの記憶を失うケイト達と、17歳以降の記憶を失ってしまったリーズ。そういう対比がそこにされています。

であれば、その差は絶対的なものであり、それこそが「生と死」を完全に別けている。そう考えれば、リーズにはそれ以上のものを求める必要は無く、十分であるとすることが出来るでしょう。リーズとケイトが抱き合うシーン。その1シーンに込められたもの。ケイトの思いを想像するなら、まさに胸が熱くなる思いになるんじゃないでしょうか。さらにラストで、リーズは滅びる訳ですが、それはつまり、17歳までの記憶の消滅の比喩になっています。これは秀逸かつ上品な演出だと言えるでしょう。

もう一つ例を出すと、自分達の境遇を知って、4人は各々悩みます。一番荒れたのはレイチェルだった訳ですが、彼女はある時急に達観し始めます。さて、その契機はなっだったのでしょうか? 勿論トリガーはルークなんですが、ルークは、レイチェルに何度も助け船を出そうとしています。けれどレイチェルは拒み続けます。それは何故か。最終的にルークと別れなければならなかった理由は何か。それが何故彼女の生きるという決意に繋がるのか。実は、そこも僕には今ひとつ判らない部分でした。それも「生と死」というテーマを見据えれば見えてきます。

逆算してみましょう。ケイト達が「生きる」という選択をしたのは何故か。それは「死」を意識したからという表現がされています。その典型がアニムスのボス。彼女達は完全に人形のようになってしまっています。永遠の時間を生きる、生きられる、生かされてきた。それ故に死からあまりにも遠くなってしまった。その状態は実は生きていない。そう捉えることができます。ケイト達4人の死ぬ前の状態を考えてみると、彼女達も当然のことながら死を意識することは無かった。それが、強制的にそれを意識しなければならない状態に追い込まれたことで、最終的に生きるという選択に至ったという過程を読み取ることが出来ます。ルーク達の存在は死ぬ前のレイチェルと同じ状態に居ます。死を意識してしまったレイチェルとそれがないルークの絶対的な差。埋められない差異。それも「生と死」であると考えることが可能です。記憶を失っても、体を失っても生きることができる。そう示すと同時に記憶も体もあっても、生きているとは限らない。それを綺麗に表現しています。

ついでに言うと、最後の夜の4人の過ごし方。それぞれ一体誰と過ごしたでしょうか。一番大切な人と過ごした表現がされています。家族と過ごしたローズ。ユアンと過ごし親父とも一応顔を合わせたクレア、友人達だけと過ごすレイチェル、ポーラと二人だけで過ごすケイト。この過ごし方もとても象徴的です。それぞれと家族との絆が良く表現されています。一見一番問題が無いように見えたケイトこそ、一番家族と離れていたという事実。そして、家族との接点が薄いケイトとレイチェルの二人が、最も「生と死」という問題に対して逃げずに向かい合う結果になっています。この辺りの物語の構成は、本当に類を見ないレベルのものがあります。

そういう風に解釈すると、RED GARDENのメインの内容は、実は21話、あるいは20話で終了しているということになります。なので、最終回は、補足あるいはまとめ。情報量が下がったように感じられた原因はそこにあります。テーマ的には収束してしまっていて、物語的な〆に入った状態。それまでの内容を理解していないで、物語にだけ惑わされていると、尻切れトンボになったように感じてしまう訳です。

いや、僕の理解力ってのも、まだまだ全然足りてない。シムーンに引き続きまたそう思い知らされる結果になってしまいました。素晴らしい作品を送り出してくれたスタッフ一同に、心から感謝したいと思います。
小5自殺「体罰が原因」 両親が北九州市に損倍求め提訴

父・昭浩さん(46)と母・和子さん(45)が15日、「自殺の原因は、担任教諭の継続的な体罰。市教委は体罰禁止の徹底を怠り、事実を隠蔽(いんぺい)した」として、市に慰謝料など約8100万円の損害賠償を求める訴えを福岡地裁小倉支部に起こした。


もう、何回も何回も何回も書いていて、いい加減飽きたという人も居るかも知れませんが、あえてまた書きましょう。

お・ま・え・ら・が・い・う・な

その他の被害はともかく、未成年が自殺した場合の責任は99.999%は親権者にある。トリガーが虐めだろうが、体罰だろうが、そんなことは関係無い。まず、その程度の事で自殺しないように教育出来なかったのは、

お前らの責任。

子供が死ぬ程悩んでいるのに相談もされなかった。それだけの信頼を勝ち得ることが出来なかったのは、

お前らの責任。

ある程度状況を承知していた場合に、それを改善出来なかったとすればそれは、

お前らの責任。

子供が自殺を実行しようとしているのに、そのことを関知できなかったのは、

お前らの責任。

何でもかんでも被害者面して責任を他人に押し付ける。こういう奴等だから自殺するような子供が育つってことにいい加減気付いてくれよ。当然の事ながら、成人の自殺の場合は自殺した奴が100%悪いなんてことは当たり前。

親ばかりに責任が大きすぎる? そうだよ、その通り。それが今の家族制度ってもんだからね。それが気に入らないなら制度自体を否定すればいい。大体、その制度に乗っかって子供を作った以上、当面は嫌でもやるしかない。それが嫌なら子供なんか作るな。

息子がなぜ命を絶ったのかを知りたい? 教えてやるよ、お前らが馬鹿でカスで無責任極まりない癖に親権なんて持ってしまったからだよ。

子供を無くしたのに、これ以上責めちゃ可哀想だなんて馬鹿な意見もたまに見ます。可哀想なのは、そんな親の元に運悪く生まれてしまった子供の方だっつの。子供にも個別の人格ってものがあるって理解できてますか? 子供は親の所有物じゃないんですよ?
【コラム・断】法を「言い訳」にするな

法律ってのは便利な道具なんだけど、それに権威が発生するためには、立法のプロセス、司法のプロセスに権威が十分に与えられ、かつ、適切な見直しが逐次行われていること。という条件が付く訳べきなのです。

では、現在の日本を見た時はどうでしょうか? 致命的なのは立法のプロセスで、本来この言葉が意味するものは、法の中身をどのように決定するかという質なんですが、どうも最近はそうではなく、議会によって決められたからなどという手続きの正規性に還元されている傾向が非常に強い。手続きによる権威というのは、便宜上認められるものであって、本来認められるべきではない。民主国家において、不支持率が支持率を上回っている政府の通した法案が正統であるなんてのは、ナンセンスギャグとしか言いようがない。

見直しに関しても十分に行われているとは思えない。というか、仕組み的に無理がある。この手の話の例に最適な破綻が最も進行している道路交通法を見てみると良く判る。悪法の典型、最高速度規定。この規定が決まったのは、1947年だそうだ。なんと60年も前しかも戦後間もなくという状況下だ。当時に比べて、車の性能、道路状況、運転者全般の能力、非運転者の車に対する意識、etcがどの位変わっただろうか。にも関わらず、最高速度規定は変化無しだ。しかも、車の種類、運転者の能力、状態、時間帯、道路状況に関わらず一律。こんな馬鹿な話があるはずがない。考えれば小学生でも理解できるレベル。で、これを言うと、「一定の超過は運用上認めている」なんてことを平気で言い出す法律関係者さえ居る。

じゃあ、60km/h制限とされている道路で、本当に危険なのはどの位の速度なのか? それはどのような根拠で算出されているのか? と聞いても答えられる人間はまず居ない。当たり前のことです。そんな根拠など無いのだから。彼等は慣習として、一定のマージンを取っているだけで、それを超えると危険だと思いこんでいるだけな訳です。こんないい加減な法律で、年間100万の単位で取り締まりが行われている訳です。

これだけ多くの人間に影響する法律でさえこの扱いですから、他の法律なんて推して知るべし状態だろうと疑われても仕方ないことでしょう。人間は、一度正しいと決まってしまうと、それを疑うこと、見直すことに異様な抵抗感を示します。けれど、その国の善悪の基準となるべきものがこの状態、しかもこれだけ長い期間そのまま放置されているとなれば、権威が失墜するのも当然のことでしょう。
【産経抄】3月16日

アメリカが「大衆のムードによって国の外交が大きく左右される…不思議な国」だと言っている。それに様々な苦労があったのだそうだ。この印象に関しては確かにその通りだと思うし、個人的にもこの点に関しては、好印象を持っていないのだけれど、

考えてみればこれはある意味理想的な民主制が実現されているということを指すのじゃないのか? 支持率が不支持率を上回っても堂々と首相が偉そうにできる国よりも余程民主制的精神に忠実だってことなんじゃないの?

つまり、理想的な民主制により近いのがアメリカ、もっと近づいた場合なども考えてみれば、近代民主制の致命的欠陥が見えてくるんじゃないでしょうか。

って言うと、すぐにお前は共産主義者だなと、言葉の定義もはっきりさせずに断定してくるシンプルな世界に住んでいる人達が居ます。人間はそもそも不平等なのが当たり前だと言う人間が共産主義なのかどうか考えて貰えば理解できると思いますがね(笑) で、彼等はマルクスが大嫌いで、ソ連が大嫌いだったりするんですが、昨今の自称愛国家の連中のやり方って、ソビエトのやり方に妙にダブる部分があったりするのは気のせいなんでしょうかね?
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ルチアネタをもう少し引っ張るかと思ったら、意外にあっさりと立ち直ってしまいました。問題自体は解決した訳ではないので、まだまだこれからなんですけど、それでもルチアの状態がこんなに簡単に戻るとは。いや実は戻ってないってオチなのかな? スミレに事情を話す。それ自体は僕は自然な流れだと思うんですけど、そのタイミングというか話し方というか、聞き方というか、ちょっとあっさりしすぎかなという気はしないでもないですね。

結局、ヴァイアラスの正体がちょっと明確になってきたというだけで、それ以上の進展は無かったってことになってしまうかもしれない。折角大ネタ仕掛けたのだから、もう少し有効に使った方がよかったんじゃないかなという気がしないでもない。

まぁ最終的にこれがどう生きるかは、もう少し見てみないとなんとも結論の出しようが無いですが、是非期待を裏切らないように頑張っていただきたいです。