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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
文化祭ネタならもう少しやりようがあったように思えるんだけどなぁ。宮子の馬にしてもゆのっちが描かれた絵にしても、あれじゃちょっと判りづらい気がする。ゆのっちが前日寝ちゃうまでのプロセスももう少し描いてあげた方が良かったんじゃないかなという気もする。少なくとも銭湯で止め絵を出すよりは良かったような。

って思ってしまうのは原作を読んでしまったからなのかもしれない。

でも、流石にもう少し動きが欲しいなという感じがあって、吉野家ネタとかで動かして欲しかったような気がする。やることは出来たはずなのにあえてやってないって感じがありました。その辺りが微妙な感じですね。それとも、回想シーン的にどこかの回で出すつもりなのか? それならそれもアリかもしれないな。

なんせ、原作のネタが完全に不足しているのは明白で、構成は相当苦労しているんでしょう。そこを工夫で乗り切っているって感じが涙ぐましいんですけど、そこが面白さにも繋がっています。そんな状態なんで最後まで見切らないと全部理解出来ないって構成になっているのかもしれませんね。
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いやぁ盛り上げましたねぇ。この最終回はなかなかな出来だったと思います。この半分くらいでも普段からテンションがあれば、もう少し面白くなったと思うんですけどね。

恐らく原作に倣ったからだと思うんですけど、やっぱり12神将をもう少し出してやれば良かったかなって気がします。この話をラストにするって最初から決めてしまったんだろうな。孝士がきちんと活躍するところもちょっと見てみたかったですね。

最後の最後に来て孝士の力のネタも出て、これからって感じのところで終わってしまったのはちょっと残念です。その内続編でもやるのかもしれないな。それはそれでちょっと楽しみかもしれません。
ミクシィで読み逃げするマイミク!

一言「これがmixiクオリティ」
以上。
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小1女子、教諭のいじめで心療内科に 学校謝罪

「判ったか笹塚、これがブリティッシュスタイルだ」
「とりあえず立ってろ」

を思い出してしまった。
不謹慎ですか、そうですか、いや、それはそうかも知れません。
最終回を見て、どうにも納得がいかなかったので、シムーンの時にお世話になった某友人に再び意見を聞いてみました。すると彼曰くあの最終回で過不足は無いと言います。詳しく話を聞いてみると、確かに、なるほどなと頷けるものでした。

まず、作品全体のテーマをどう解釈するか。これが一番大きな問題です。RED GARDENという作品は、演出が非常に細かく、かつ微妙なものなので、ここを読み違えたり曖昧にしていたりすると意図が捕まえきれなくなります。で、彼の解釈としては、

「生きるとは何か? 生と死の違いは何か?」

じゃないか。ということです。なるほど、生きるとは何か? という発想はあったものの、生と死の違いは何か? というところまで頭が回らなかったというのが、僕の致命的な敗因になったようです。

例えば、最終回、リーズケイト達が再会するシーン。彼女達は一見再会を喜びます。けれど、それ以上何をするでもなく、呪いの書をお頭に渡して、たわいない会話をしつつ眠ってしまいます。これを表面だけで解釈すると、

あれだけ引っ張っておいてリーズの使い方ってあれでいいの?

ってなる。実際僕もそう思いました。けれど、そうじゃないと彼は言います。リーズの役割というのは、物語に対する切り札というものではない。ちなみに、そんなキャラはこの作品には存在していない。そんなキャラが居たら物語が成立しない。逆に言えば、そういうキャラが居ないということが、この作品の偉大なところでもある。と。

じゃあリーズとは何者か? というと、彼女はあくまでもケイト達4人との対比対象としての存在でしかない。ケイト達は、自分達が既に死んで、新しい命と身体を与えられた時に、選択を強いられた。そのまま死んでしまうか、それでも生き続けるか。そういう選択。ケイト達は紆余曲折の末、「それでも生きる」という選択をした。けれど、リーズは選択することが出来なかった。その違いを表現する為に彼女は存在した。だから、物語にストレートな形で影響を与えることは無かったかもしれないけれど、それ以上に重要なテーマに対して十分な存在意義を発揮したと言えるでしょう。

それを象徴的に表しているのは、やはり最終回、リーズが学校に行ってからケイト達に会うまでの数シーン。及びケイト達に会った時のシーン。リーズが口にした言葉は、彼女が死んでしまうまでの記憶に依っている。つまり、リーズは17歳までの記憶で止まってしまっている。それは、ドロルと戦い、生きると決めたケイト達が失うものそのもの。17歳までの記憶を失うケイト達と、17歳以降の記憶を失ってしまったリーズ。そういう対比がそこにされています。

であれば、その差は絶対的なものであり、それこそが「生と死」を完全に別けている。そう考えれば、リーズにはそれ以上のものを求める必要は無く、十分であるとすることが出来るでしょう。リーズとケイトが抱き合うシーン。その1シーンに込められたもの。ケイトの思いを想像するなら、まさに胸が熱くなる思いになるんじゃないでしょうか。さらにラストで、リーズは滅びる訳ですが、それはつまり、17歳までの記憶の消滅の比喩になっています。これは秀逸かつ上品な演出だと言えるでしょう。

もう一つ例を出すと、自分達の境遇を知って、4人は各々悩みます。一番荒れたのはレイチェルだった訳ですが、彼女はある時急に達観し始めます。さて、その契機はなっだったのでしょうか? 勿論トリガーはルークなんですが、ルークは、レイチェルに何度も助け船を出そうとしています。けれどレイチェルは拒み続けます。それは何故か。最終的にルークと別れなければならなかった理由は何か。それが何故彼女の生きるという決意に繋がるのか。実は、そこも僕には今ひとつ判らない部分でした。それも「生と死」というテーマを見据えれば見えてきます。

逆算してみましょう。ケイト達が「生きる」という選択をしたのは何故か。それは「死」を意識したからという表現がされています。その典型がアニムスのボス。彼女達は完全に人形のようになってしまっています。永遠の時間を生きる、生きられる、生かされてきた。それ故に死からあまりにも遠くなってしまった。その状態は実は生きていない。そう捉えることができます。ケイト達4人の死ぬ前の状態を考えてみると、彼女達も当然のことながら死を意識することは無かった。それが、強制的にそれを意識しなければならない状態に追い込まれたことで、最終的に生きるという選択に至ったという過程を読み取ることが出来ます。ルーク達の存在は死ぬ前のレイチェルと同じ状態に居ます。死を意識してしまったレイチェルとそれがないルークの絶対的な差。埋められない差異。それも「生と死」であると考えることが可能です。記憶を失っても、体を失っても生きることができる。そう示すと同時に記憶も体もあっても、生きているとは限らない。それを綺麗に表現しています。

ついでに言うと、最後の夜の4人の過ごし方。それぞれ一体誰と過ごしたでしょうか。一番大切な人と過ごした表現がされています。家族と過ごしたローズ。ユアンと過ごし親父とも一応顔を合わせたクレア、友人達だけと過ごすレイチェル、ポーラと二人だけで過ごすケイト。この過ごし方もとても象徴的です。それぞれと家族との絆が良く表現されています。一見一番問題が無いように見えたケイトこそ、一番家族と離れていたという事実。そして、家族との接点が薄いケイトとレイチェルの二人が、最も「生と死」という問題に対して逃げずに向かい合う結果になっています。この辺りの物語の構成は、本当に類を見ないレベルのものがあります。

そういう風に解釈すると、RED GARDENのメインの内容は、実は21話、あるいは20話で終了しているということになります。なので、最終回は、補足あるいはまとめ。情報量が下がったように感じられた原因はそこにあります。テーマ的には収束してしまっていて、物語的な〆に入った状態。それまでの内容を理解していないで、物語にだけ惑わされていると、尻切れトンボになったように感じてしまう訳です。

いや、僕の理解力ってのも、まだまだ全然足りてない。シムーンに引き続きまたそう思い知らされる結果になってしまいました。素晴らしい作品を送り出してくれたスタッフ一同に、心から感謝したいと思います。
小5自殺「体罰が原因」 両親が北九州市に損倍求め提訴

父・昭浩さん(46)と母・和子さん(45)が15日、「自殺の原因は、担任教諭の継続的な体罰。市教委は体罰禁止の徹底を怠り、事実を隠蔽(いんぺい)した」として、市に慰謝料など約8100万円の損害賠償を求める訴えを福岡地裁小倉支部に起こした。


もう、何回も何回も何回も書いていて、いい加減飽きたという人も居るかも知れませんが、あえてまた書きましょう。

お・ま・え・ら・が・い・う・な

その他の被害はともかく、未成年が自殺した場合の責任は99.999%は親権者にある。トリガーが虐めだろうが、体罰だろうが、そんなことは関係無い。まず、その程度の事で自殺しないように教育出来なかったのは、

お前らの責任。

子供が死ぬ程悩んでいるのに相談もされなかった。それだけの信頼を勝ち得ることが出来なかったのは、

お前らの責任。

ある程度状況を承知していた場合に、それを改善出来なかったとすればそれは、

お前らの責任。

子供が自殺を実行しようとしているのに、そのことを関知できなかったのは、

お前らの責任。

何でもかんでも被害者面して責任を他人に押し付ける。こういう奴等だから自殺するような子供が育つってことにいい加減気付いてくれよ。当然の事ながら、成人の自殺の場合は自殺した奴が100%悪いなんてことは当たり前。

親ばかりに責任が大きすぎる? そうだよ、その通り。それが今の家族制度ってもんだからね。それが気に入らないなら制度自体を否定すればいい。大体、その制度に乗っかって子供を作った以上、当面は嫌でもやるしかない。それが嫌なら子供なんか作るな。

息子がなぜ命を絶ったのかを知りたい? 教えてやるよ、お前らが馬鹿でカスで無責任極まりない癖に親権なんて持ってしまったからだよ。

子供を無くしたのに、これ以上責めちゃ可哀想だなんて馬鹿な意見もたまに見ます。可哀想なのは、そんな親の元に運悪く生まれてしまった子供の方だっつの。子供にも個別の人格ってものがあるって理解できてますか? 子供は親の所有物じゃないんですよ?
【コラム・断】法を「言い訳」にするな

法律ってのは便利な道具なんだけど、それに権威が発生するためには、立法のプロセス、司法のプロセスに権威が十分に与えられ、かつ、適切な見直しが逐次行われていること。という条件が付く訳べきなのです。

では、現在の日本を見た時はどうでしょうか? 致命的なのは立法のプロセスで、本来この言葉が意味するものは、法の中身をどのように決定するかという質なんですが、どうも最近はそうではなく、議会によって決められたからなどという手続きの正規性に還元されている傾向が非常に強い。手続きによる権威というのは、便宜上認められるものであって、本来認められるべきではない。民主国家において、不支持率が支持率を上回っている政府の通した法案が正統であるなんてのは、ナンセンスギャグとしか言いようがない。

見直しに関しても十分に行われているとは思えない。というか、仕組み的に無理がある。この手の話の例に最適な破綻が最も進行している道路交通法を見てみると良く判る。悪法の典型、最高速度規定。この規定が決まったのは、1947年だそうだ。なんと60年も前しかも戦後間もなくという状況下だ。当時に比べて、車の性能、道路状況、運転者全般の能力、非運転者の車に対する意識、etcがどの位変わっただろうか。にも関わらず、最高速度規定は変化無しだ。しかも、車の種類、運転者の能力、状態、時間帯、道路状況に関わらず一律。こんな馬鹿な話があるはずがない。考えれば小学生でも理解できるレベル。で、これを言うと、「一定の超過は運用上認めている」なんてことを平気で言い出す法律関係者さえ居る。

じゃあ、60km/h制限とされている道路で、本当に危険なのはどの位の速度なのか? それはどのような根拠で算出されているのか? と聞いても答えられる人間はまず居ない。当たり前のことです。そんな根拠など無いのだから。彼等は慣習として、一定のマージンを取っているだけで、それを超えると危険だと思いこんでいるだけな訳です。こんないい加減な法律で、年間100万の単位で取り締まりが行われている訳です。

これだけ多くの人間に影響する法律でさえこの扱いですから、他の法律なんて推して知るべし状態だろうと疑われても仕方ないことでしょう。人間は、一度正しいと決まってしまうと、それを疑うこと、見直すことに異様な抵抗感を示します。けれど、その国の善悪の基準となるべきものがこの状態、しかもこれだけ長い期間そのまま放置されているとなれば、権威が失墜するのも当然のことでしょう。
【産経抄】3月16日

アメリカが「大衆のムードによって国の外交が大きく左右される…不思議な国」だと言っている。それに様々な苦労があったのだそうだ。この印象に関しては確かにその通りだと思うし、個人的にもこの点に関しては、好印象を持っていないのだけれど、

考えてみればこれはある意味理想的な民主制が実現されているということを指すのじゃないのか? 支持率が不支持率を上回っても堂々と首相が偉そうにできる国よりも余程民主制的精神に忠実だってことなんじゃないの?

つまり、理想的な民主制により近いのがアメリカ、もっと近づいた場合なども考えてみれば、近代民主制の致命的欠陥が見えてくるんじゃないでしょうか。

って言うと、すぐにお前は共産主義者だなと、言葉の定義もはっきりさせずに断定してくるシンプルな世界に住んでいる人達が居ます。人間はそもそも不平等なのが当たり前だと言う人間が共産主義なのかどうか考えて貰えば理解できると思いますがね(笑) で、彼等はマルクスが大嫌いで、ソ連が大嫌いだったりするんですが、昨今の自称愛国家の連中のやり方って、ソビエトのやり方に妙にダブる部分があったりするのは気のせいなんでしょうかね?
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ルチアネタをもう少し引っ張るかと思ったら、意外にあっさりと立ち直ってしまいました。問題自体は解決した訳ではないので、まだまだこれからなんですけど、それでもルチアの状態がこんなに簡単に戻るとは。いや実は戻ってないってオチなのかな? スミレに事情を話す。それ自体は僕は自然な流れだと思うんですけど、そのタイミングというか話し方というか、聞き方というか、ちょっとあっさりしすぎかなという気はしないでもないですね。

結局、ヴァイアラスの正体がちょっと明確になってきたというだけで、それ以上の進展は無かったってことになってしまうかもしれない。折角大ネタ仕掛けたのだから、もう少し有効に使った方がよかったんじゃないかなという気がしないでもない。

まぁ最終的にこれがどう生きるかは、もう少し見てみないとなんとも結論の出しようが無いですが、是非期待を裏切らないように頑張っていただきたいです。