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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
伯符親娘のどつき漫才は今回も健在です。なによりなにより。伯符が話に絡んでくると、全体的に緩みがちになるので、作品のイメージが相当変わります。しかし、いきなり和式トイレにしゃがんでいるところを襲われるってのはどうよ。吹っ飛んだ後にパンツ上げてるし(笑)

様々な意図が交錯しているというのは判るんですけど、流石にちょっと話が飛びすぎって感じがしないでもない。全体像を掴みづらくなってしまっています。特に南陽はほとんどメンバーも意志もばらばらなんで、どうにも話が宙に浮いている感じがします。

もう少し、きちんと筋を付けた状態で、周りの状況を描いていければ判りやすくなると思うんですけど、背骨が無いように感じられてしまいます。ま、それも含めて一騎当千らしいと言えばそうなのかもしれませんけどね。
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もう、話自体は前回でクローズしてしまったという感じがあります。普通の物語として見れば、2話を残してというのはちょっとなぁという気がしないでもないですが、文化祭というモチーフを考えると、この構成は悪くないんじゃないかなぁという気がします。結局文化祭ってのは、準備している間が一番楽しくて、当日はもう何となくというか、がむしゃらにというか、そういう感じがしますものね。だから、生徒会のメンバーも当日は何もすること無し。ってことなんでしょうね。

見る限りにおいて、そこらにある学園祭と何が違うのか? 一体みんななんでそんなに満足しているんだろうか。そんな風に思っていたのですが、二人の学園長の台詞が綺麗に纏めてくれています。

この作品。何よりもシナリオの構成が上手いなぁというのがこの辺りにも出ています。学園祭の雰囲気を、シナリオの構成で表現するって、狙ったのかどうか判りませんが、とても良い感じに仕上がっていたと思います。

確かに、何にも邪魔されない学園祭、自分たちで勝ち取る学園祭、これが大事だという結論を出すには、何か他と違う学園祭にしてはいけない。そういうことなんだろうと思います。大人のゆがんだ目で見ると、ここまで引っ張っておいて普通じゃねーかって見えたりもしてしまうんですが、そうじゃないってことなんでしょう。ラストのライブだけで、十分それは伝わるものだって気も確かにしないでもないです。

ちなみに、前回は、生徒会室で始まったものを生徒会室で締めて関心していたんですが、今回もちゃんと、校歌で始まったものを校歌で締めました。で、次回はやってきたものが去っていくという締め方なんでしょう。こういう基本をちゃんと抑えた構成って、本当に好感が持てますね。
ホリエモン発言「被害者いない」に抗議

一応現状では、有罪判決を受けている以上、堀江のやったことは犯罪な訳で、であるならば、確かに株主は被害者と言えなくもない。そういう意味では正論ではあるんだけれども。

結局、堀江流の黒に近い灰色の行為も含めて、株価を上げてきたライブドアを信奉して株を買ったのと違うの? 結局違法行為に怒っている訳では無い訳で、違法だろうがなんだろうが、株価が上がりさえすれば万歳って考え方な訳でしょ。マネーゲームでの損失を経営者の責任に転嫁するってのは、それが理屈としては正しくても、なんと無く引っ掛かるものがあります。つか、あんたらの安易な投資が堀江を犯罪に走らせたと考えられないこともない。

ぶっちゃけ、ライブドアの問題で大損出した連中に対する個人的な感情は「ザマミロ」、百歩譲っても「自業自得」でしかないですからね。経済屋の中には、この問題をやけに深刻に考えている人も居るようですが、あまり感心が持てないし、どちらがどうなろうと大した問題じゃないと思えてなりません。そういう意味では、堀江が無罪になってくれた方が、彼等にとっては良い薬って気もしますね。
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食堂で50代とおぼしき親父の軍団が話していた。「最近の20代、30代は甘やかされて育ったから」云々。なるほど、それが事実だとするなら、その世代を育てたのはまさしくお前らの世代ってことじゃないのか。そして、さらにそいつらを育てたのは、今現在高齢者と称して、社会をこんな風にした責任も取らずに権利だけ主張している。そういう世代じゃないのか。

ついでに言うと、少なくとも我々の業界では、今の50代は、肝心な時期にバブルを迎えてしまったせいか、仕事人としても欠けたところが多々見られる。だからか管理職になってもイマイチなのが多い。技術的にには、もう追いついていけない。と正直お荷物状態である。

しかし、彼等の今の世代はという認識だけは正しいと僕は思う。僕等の世代の子供達が大人になる頃。後、10年か20年先くらいは、今より酷い世の中になっているだろうというのは、かなり高い確率だろうと思っています。これは、3世代にわたる親子関係と教育の悪循環の賜物です。そう簡単に直ることは無いだろうし、そこへ輪をかけるように、某首相達の教育改悪が始まりますから、そりゃあもう希望を持てと言われても無理って感じですね。
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【正論】西部邁 保守の未熟が「差別」を招来する

なにやら、言っていることがさっぱり判りません。支離滅裂に見えます。僕の読み方が悪いんでしょうか? しょっぱなから格差を差別だと言い切ります。で、それは是正されるべきだという前提で話を進めています。なんか酷い話ですよね。格差と差別は全く別物だと思うし、億歩譲って格差は差別だったとしても、それが是正されるべきか否かは不明です。そういう話をするなら、まずはなんで格差が差別なのか、何故それは是正されるべきなのかをきっちりと説明していただきたいものです。

で、挙げ句の果てに結果平等を保てと来ています。酷い話です。結果平等を実現したら、当然一番無能なものが最も得をして、一番有能なものが一番損をする。この不平等をどう解決するのかまずはその点を是非伺いたいものです。で、さらに謎なのが、結果平等を是としているのに、何故か既得権益権益が文化を支えてるという"?"の話になっています。

もし、結果平等を求めたら、既得権益など真っ先に壊れるはずのものです。そんなものがあったら結果として平等になどなるはずがありません。なんとも頓珍漢に思えます。この矛盾をどうやって解決してくれるというのでしょうか。この文章を読む限りではさっぱり判りません。

格差が良くない理由はなんのことはない「機会の平等」がきちんと担保されていないことに集約されるでしょう。それは日本は元よりアメリカでさえ同様で、十分に「機会の平等」が実現されているとは言えません。その元凶が既得権益であり、その中でも最悪なのが家族制度であると僕には思えるのですが、既得権益を前提にして、不平等じゃない世界を実現できるというのなら、是非そのビジョンをもう少し具体的に提示していただきたいです。
東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった

結論は「ゆとり教育はだめだ」ってことなんでしょうか? 僕はそうは感じなくて、ゆとり教育という形だけを追い求めたけれども、本質はお受験体質のまま変わっていないので、逆効果になったというのが原因だと思っています。ですから、ゆとり教育を否定するよりも、お受験体質を否定するのが正しいだろうと考えています。

日本の試験は相変わらず知識先行型のものになっています。しかも、悪いことに知識を前提としてロジックを求める問題も出てきていますから、益々知識を詰め込むことが過熱してきているように感じます。そもそも資料持ち込み不可の試験が大半なんて内は、単純知識を要求するということを前提にしていることの証明ということでしょう。

記憶力の重要さも理解はしています。けれど、それは一定以上のレベルにだけ求めれば良いこと何じゃないかと言う気がします。特定の大学の大学院レベルなら十分な記憶力を求めるのも仕方ないことかもしれませんが、そうでもなければ、記憶しているか否かを問うのは、試験として最低レベルの問題だろうと僕には思えます。

で、東大なんてところに来ている人達というのは、この試験を何度も何度も受けてきた人達で、かつ優秀な成績を収めてきた人達ということです。そんな人達に「基本的な頭の働かせ方」を求めたところでそれは可哀想というものです。一部の特異な能力をもった人達だけが、その両方をクリアできる。そういう結論になるのは至極当然なんじゃないかという気がします。

そもそも、ゆとり教育自体は「基本的な頭の働かせ方」などの為の時間として使うことも出来る訳で、そうならないのは社会の多くの人の考え方が、未だにお受験体質にあるからに他ならないだろうと思っています。ゆとり教育を撤廃して、その分算数やその他の基礎教科の時間を増やしたところで、「基本的な頭の働かせ方」が上手い子供が育つとは僕には到底思えません。
なにやら最近差別というキーワードが盛り上がっているらしい。ある行為というか考え方が差別か差別じゃないかで揉めているみたいなんだけど、ざっと読む限り、多くの人が書いているようなやり方を見ていると、凄く局所的な内容に終始しているように感じるし、結局結論は出ないんじゃないかなという気がします。

人間というのは、聖人ででも無い限り、好き嫌いという感情から逃れることはまず出来ないでしょう。だから、ある条件下においてその事象が好きか嫌いかは人それぞれで、どうしても存在するというのは否定できません。けれど、これを差別だと言い出したら、(差別を悪と仮定するなら)人間は普通に生きていけなくなります。感情を捨てるか、世界に無関心になるか、自分の意志を一切表明しないか意外に差別をしない方法が無いですから。

よって、個人的な趣向を差別だと言うのはちょっと行き過ぎだろうと僕は思っています。じゃあ差別ってなんぞや? と言うと、それを一般化する行為である。と考えています。自分があるモノを嫌い、あるいは好きと感じた。その感覚を標準的なものにしよう。そう発想して行動を起こした時点でそれは差別となるんじゃないか。そういう気がします。だから、別に自分が腹の中やあるいは身内、友人知人辺り程度に、?が嫌いだと語っている内は、それは差別じゃない。それを社会の共通理解にまで上げようと試みるとそれは差別ってことです。

一歩戻って「差別」って本当に良くないことなのか? と考えてみると、基本的には良くないと考えますが、完全に撲滅する程ではない。そんな感じだと思います。だって、差別を完全に撤廃するということは、まず法律なんてものを制定すること自体が差別的行為ということになってしまいますから。どんな理屈を付けたところで、国家が強制力をもって特定の価値感に対して善悪の基準を制定するのが法律ですから、これほどの差別行為はまずありません。

それ以上に重要なのは、自らの意志に一般性を問うという行為を差別的行為と判断されかねないということです。これは、国家や法律の問題なんかよりも遙かに重大で、これを差別だと言い出されたら、人間の存在意義の大きな一つを否定されるに等しいだろうと思います。

じゃあ、良くないことって何か? というと、良く大衆が使うレトリック。「普通は?」「常識的には?」「みんなが?」は全て差別行為だろうと僕には思えます。大衆的権威主義的な差別。つまり、自らの思考を停止して「普通は」とか「常識は」とか「みんなが」という発想で特定の価値感を否定する手法。これは差別行為として、徹底的に糾弾されるべきだろうと僕には思えます。で、圧倒的にこういう差別が、それ以外のものよりも数が多く、かつ悪質です。何よりも、思考の結果の差別ではなく、思考を停止した結果の差別ですから、もう擁護の余地がありません。なんで、「基本的には」良くないことという結論を出さざるを得ません。

あれ? なんか他の差別議論とは全然違う方向に話が行っちゃいましたね(笑) それはきっと差別という言葉の定義が他の人と違うからなんでしょう。言葉の定義をきちんとしないと話が噛み合わないよという典型的な例になりそうです。でも、ここで書いた内容は、全くその通りだと思っていることなんで、そのまま受け取っていただいても結構です。
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プリムラのネタっていうのは、真面目にちゃんと描き込めばかなり面白くなるネタだし、その話がネリネや亜沙の話にも繋がっていく構成になっているので、その辺はよく考えられている感じがするのですが、残念な事に結論の出し方がちょっと上滑りしてしまっているように思えます。ネタの出し方は良かったんだけど、回収の仕方はイマイチってところでしょうか。

ま、それにしても今回の2話の構成では、話はさっぱりだし、結論は判らないしで、少なくともプリムラ編は失敗だと思います。楓編くらい話が完結で判りやすければ、2話でもまぁなんとかギリギリ判る範囲に収まるんでしょうけど、ちょっと凝った内容だともう無理って感じですね。

今回のシリーズは、どれも短縮版になっているので、中身をどうこう言っても仕方ないとは判っているんですが、ついつい思ってしまいます。可愛い女の子達の名シーンを回想するというだけで見れば悪くないのかもしれませんけどね。