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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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落ち着かない新1年生…5月にクラス編成の学校

先生達はご苦労なことですが、彼等はそれが仕事なんだから仕方がないと言えないこともない。そう考えれば一番可哀想なのは、当事者たる子供達ということになります。被害者が子供達だとするなら、加害者は誰か。そんなのは保護者であることは明らかです。

学校側でどうこうだの、幼稚園との合同でどうこうだの、対処療法でしかないのは、加害者が誰かを考えれば明らかです。親を教育しない限り根本的な対策など出来ないでしょう。資格制にするのが一番です。全国民の9割程度は親になれないって位厳しい資格にするのが正しいんじゃないでしょうか。

あ、いや、子供は産んでも構わないですよ。少子化は問題ですしね。親権が無いってだけなんで、バンバン産んで下さい。推奨金を出してもいいくらい。いや義務化してもいいかもと思います。ただし、育てるのは誰でも出来る訳じゃないってことです。教師にだって資格があるくらいなんだから、良く考えてみれば当たり前のことですよね。
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コンビニで自分にガソリン 中学生を放火未遂容疑で逮捕

こんなのは当然死ぬ気なんかさらさら無いのは確実な訳で迷惑千万な餓鬼である。死ぬなら迷惑にならないところで、こっそり燃えろってことですね。その方がより確実ですし。

一体コンビニで自己主張して何がしたかったのか理解不能ですが、14歳である以上、保護者にきっちりと責任を取っていただきたいものです。
未成年アイドルが喫煙でクビ

ごもっともな意見ですが、結局それを喜んでみている視聴者が居るという事実こそが一番の根本原因ってことですね。なにか妙な報道や番組があった時に、それをマスコミの責任だ、制作会社の責任だと一方的に転嫁したのでは、はっきり言って片手落ちだと思う。

未成年のアイドルが煙草を吸った。それによってクビになったという報道もどきを喜んで見ている連中が巨大な利益を生む位大勢居る。しかも、それが何故いけないのか、どの程度いけないのか、そういうことを考えもせずに無批判で見ている。

大衆が好むモノを提供する。それが資本主義の原則。だから、この手のスキャンダル報道は無くならない。止めたければ、資本主義を止めるか、報道に政府なりの規制を許すか、大衆がもう少し賢くなるか、大衆から一定の自由を奪うか、位しか無いでしょうね。

3番目が理想ですが、不可能だと思っているので、個人的には、4番目の案を推します。
ufotableにケンカを挑まれている、という感覚

個人的にはまなびには好意的な印象を持っているのですが、それをもって

「葛藤やら政治的メッセージやら誠実な掘り下げなんて深夜アニメにとっては飾りなんですよ!」

とは当然なるはずもない。それをガチというのは、飛躍がありすぎる。まなび的手法が成功したのは、あくまでも作品のテーマとカラー、設定、条件などとのマッチングによるものであり、それが変われば当然変わる。例えば、この話が2クールになっただけで、恐らくこの手法は維持できないでしょう。正直、このノリを2クールやられたら勘弁してくれになります。

与えられた時間に対して、適切な物語とテーマを選択する。1クールという条件で、下手に物語をこねくりだすと他が薄くなりすぎて失敗する。そういう例は幾つもあります。それをあえて避けたという意味で、確かに方法論として成功ではあるんですが、だからといってそれで全部OKには当然なりません。

ちなみに、この作品には十分教育に対するメッセージを含んでいたと思うのだけど、それは政治的メッセージとは違うのだろうか? シムーンやRED GARDENなんかより、社会への関わりもテーマに入っている分余程「政治的」だと思うのだけどね。


最近はあまり人の感想を読んでいないので、知らなかったんですが、「軽薄」と取ってる人が居るのか。それは確かに感想だから嗜好で言っても構わないといえばそうなんですけど。あの作品が描こうとしている内容を考えれば、キャラの行動や選択はあれが適切でしょう。というか、あれ以外に無い。その内容に賛同するか否かは別として、そういう考え方を提示し、それは見事に表現されていた。それは事実でしょう。作品としての質と、そこに描かれている内容に対する賛否は全く別物だと考えなければならないと思いますね。
差別の定義とその根源

非常に論理的、かつ明確な説明で分かり易いです。つまるところ、社会構造を原因としていると思われる差別に対して問題視するべきだという考え方のように思えます。

何をもって社会構造を原因としているのか、という判定の問題はこのさいおいたとして、ここで言われている定義に依ったとしても、差別の無い社会というものを構築可能なのか? という部分に大いなる疑問を感じますどのような定義を用いたとしても、結果としての社会的平等は不条理であると思っています。もし、無理に実現しようとすれば、その歪みから良くない結果が待っているだけでしょう。平等にするべきなのは結果では無く、機会とプロセスです。それも、学習機会など本質的な部分に限定されるべきでしょう。

機会の平等を疎外する根源は家族制度にあります。家族という単位が存在し、それを維持しようとすることで、育児や学習の機会の均等が完全に無視されています。本来なら障害者であるということを理由に採用を見送られたとしても、それは差別ではないのです。障害者であっても雇いたいと思われるようにならなければなりません。それは健常者より何倍も大変かもしれません。しかし、それでもそうあるべきです。もし、全ての人間に対して、少なくとも同質の教育と環境、同量の手間と費用が割り当てられているとするなら、それによってもたらされた結果は差別では無いと考えています。

そして、保守的傾向が強く、普通はとか、常識はとか、みんなはという謎な価値感を振り回すことをなんとも思わないメンタリティーの根源が功利主義的価値感です。これが人間の思考を停止させ、中身を問わず形式だけで物事を判断する癖を容認する根拠になっています。

功利主義的価値感の根源は近代民主制です。多数決という方式に安易に頼る以上、少数派が絶対に差別的扱いを受けます。これぞまさに社会構造から来る差別です。民主制において多数決が原則などということはありません。そんなものは既得権益を握っているものが作り出した幻影です。本来の民主制は十分な能力を有する人間の理性的対話が原則です。場合によって非常手段として多数決を取る必要がある場合もあるでしょうが、その場合、多数者は結果に対して責任を負うことが必要です。某国の政治のように形式的な対話のみを行って、すぐに多数決での解決を求める。しかも責任は実質上不問。そのようなものは民主制を名乗る資格はありません。

少なくともこの差別の根源の二つを完全に撲滅し、機会とプロセスが平等となれば、その結果がどうであろうと、どんな不平等になろうと、それは差別とは呼べないと考えています。全ての人間は違うのですから、結果に差が生じるのは当然のことです。それは差別と呼ぶには値するものとは思えません。逆にこの二つのどちらかでも維持したままでは、どのような社会が成立したとしても「口先だけの反差別」にしかならないだろうと考えています。
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うん、非常に堅く手堅い構成でした。本当に綺麗だったと思います。凄く安心してみていられました。こういう奇をてらわない構成ってとても好感が持てます。1クールの作品ならこういう方が良いんじゃないでしょうか。

物語自体もモチーフは堅い線を維持しています。名前通りストレートで、捻りもなければ謎もない。そんなものは必要ないそういうストーリーでした。これもまた良し。その分キャラの描き込みに時間を使うことが出来たし、関係性の表現もしっかり出来ていました。キャラの作り方も、これまた素直で、その分深みを出すことに成功していると思います。

上段に構えなかった。それがこの作品の成功のポイントでしょう。最初から大当たりを狙わずに、手堅く中当たりを狙って、見事に成功した。そういう話に仕上がっています。卒業、そして留学というセンシティブなラストだったんですが、それを前向きに表現しているというのも作品のカラーを出していて、最後まで真っ直ぐゴーだったな。という感じの良い終わり方になっています。

入選。そういう感じの纏まった作品だったと思います。