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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
結構ぶっ飛んでいた回だったんですが、なによりも愛らしかったのは、明乃ちゃんの欲望が抱きしめられたいってことでしょう。いや、相変わらずストレート一本槍だなぁ。それぞれの役柄がなかなか良かったんだけど、巡だけ時代がずれているってのが、狙ったのかもしれないけど、僕的にははずしているような気がする。

散々盛り上げた割にはオチが普通だったなぁという気はしますが、見ていて楽しめたというのは事実です。人魚と読むきんとか、今日の政さんとか定番ネタも抑えつつキャラをきっちり動かして、新しい設定も入れてと、実は結構やることはやっているという感じがします。

まぁ流石にそうじゃないと保たないよなぁ。伏線も微妙に回収しに来ているし、それなりに設定は揉まれているんじゃないかという気がしてきました。ギャグだからって設定や構成が適当で良いって事にはならいって事でしょうかね。
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ひょっとしたら、もうこなたのネタとか尽きかけているんじゃないだろうか。小ネタ集みたいになっていてかなり苦しいかんじがする。その分、腐女子1年生がメインになって、彼女の方が前に出てきています。こなたは、ヲタであることになんの劣等感も無いようですが、腐女子の1年生は、かなりコンプレックスがあるように感じる。この辺男目線で描かれているのかもしれない(逆に女目線という話もあるか?)。

先生のネタが増えたのも、同じような意味なのかもしれない。でも、気がつくと月曜の朝って話だけは、微妙に笑えなかったかも(笑) これぞありそでなさそでって感じか。

1年生のトリオは、3年カルテットよりもヲタ免疫が低いので、より一層ギャップが激しいです。でも、かがみの微妙なヲタ感が良かったって話なんじゃなかったっけか? すでにかがみが居るからそれが抑えになっていて、別パターンもアリってことなんだろか。らき☆すたも絶妙な感覚で成立しているから、ちゃんと、理解していないと付いていけない部分があるのかもなぁ。
走行中の電車のドア開け飛び降り

これが自殺ならですが、いや、目撃情報からするに、どう考えても自殺なんですが。ついに迷惑自殺もここまで来たかという感じ。そもそも自殺という行為自体が迷惑といえば迷惑で、まぁそれは僕としては本人の意志を尊重したいと思うんで、死にたい奴はご自由にどうぞではあるんですが、電車への飛び込みは最低最悪でこの時点で一切同情の余地無しに転落。今度はそれに飽きたらず、走っている電車の緊急レバーを引いて、飛び降りとは、一体どこまで世の中に迷惑をかければ気が済むんでしょうか。実名公開の上で徹底的に糾弾し、家族、親戚縁者もろともスケープゴートにして、数代に渡って借金地獄に苦しむような損害請求をしてやればこういう馬鹿野郎も少しは減るのかも知れません。影響を被った人達に分辺り100円とか支払うとかってのはどうだろう。

死ぬなとは言わない。だから、死に方は考えてください。やっぱり綺麗に、楽に死ねる自殺ガイドとかを作って案内するとかした方がいいんじゃないだろうか。公共自殺場とか作るとか、公立病院で安楽死させてくれるとか。とにかくこの手の巻き添えを食うのは勘弁して欲しいです。

ちなみに自殺じゃ無かったとしたら、例えば乗り間違えや乗り越しなどが原因だとしたら、死んでくれて大正解ってことになる。世の中が少しだけ綺麗になった気がする。でもやっぱり迷惑なことには変わらないけどね。
仮設住宅の入居不許可に苦情相次ぐ 中越沖地震の柏崎市

で、産経は一体何が言いたいんです? 単にそういう事実がありましたって話?だとしたらニュースバリューが低すぎて、あえてこのニュースを選択するのはセンスがなさ過ぎる。それとも、自治体って酷いですねぇって話? だとしたら、扇動的過ぎるやり方でしょう。まぁ産経には良くあることなのかも知れないけど。

仮設住宅というのは、どうしても絶対数が不足するもので、気持ちは分かるけれど、優先順位というものを付けざるを得ない。かつ、時間的にも悠長にはしていられないという条件もあるので、一件一件慎重に対応し過ぎていると、これまた目的は達成できない。そういう厳しい条件の中でバランスを取りながらやるしかない訳だが、けれど、自治体側だってまた同時に被災者な訳で、彼らだっていっぱいいっぱいな部分もある訳だ。

よって、結論に不満が出るという場合も当然あるだろう。そもそも今回のケースが正当な不満に相当する内容なのかも相当怪しい。もし、記事にするなら、判断が不当に不平等であるとか、調査をあからさまに手抜きしているとか、処理が非常識に滞っているとか、そういうものとセットにしないと、この記事の実質的な意味は何もない。

それに対して、被災者で無い側からすれば、被災者はあまねく「可哀想な人達」であり、「救済すべき人達」だし、このご時世役人をいくら叩いても、良心の呵責を覚える必要はないというのは、全国共通の感覚となっている。これが精神の麻痺を招いているのだろう。何しろ可哀想な人達を救うのは当たり前だ的なことを、安易に、何の臆面もなく言ってのける連中が大量に湧いているのが現在のこの国の状況なのだから。

現地の状況を正確に把握出来ない限り、この記事で挙げられている例が正当か不当かは判断できないはずなのに、考え無しで答えを求めるような記事の書き方をするマスコミ。それにノコノコつられて賛同意見を書き込む大衆達。いやもぉ本当に酷い話だなぁという気がします。
そりゃ、どう思った?って聞いたら「リアルだ」「感動した」って言うよな。子どもだもん。

前半部分の解説に関しては、なるほどそうかもしれないなぁと思わせるものがありました。結論を簡単に言えば、餓鬼ってのはアホなんだよってことで、まぁそうなのかもしれない。

で、その足りない経験や感性の薄っぺらさを克服する手段の一つとして、子供達が求めないタイプの本を読みなさいという手段は正しいのかもしれない。けど、その内容を理解出来ていないのかもしれないし、出来ても現実とのリンクが出来ないのかもしれない。だから、幻想だの妄想だのという結論に達するのでしょう。

この間を埋める何かが必要なんでしょうね。例えば国語なんかでは、いきなり古典とかから入らないで、それこそもっと子供側によった素材。マンガでもアニメでもラノベでもいいんでしょうが、そういうものから初めて馴れさせていくというのも一つの手なのかも知れない。問題は、お受験的テクニックを磨くこと、ロジックとしての読解法でもないところにあるわけで、もし、このエントリーの内容が事実で、それがそのまま放置されてしまうとしたら、なんと未来はさもしくなってしまうことでしょうか。下手したら文化的に危機的な状態を招くかも知れません。

作品について、大人と話し合う。あるいは作品について大人同士の話を聞かせるというのも有効だと思うんですが、今の親の世代は既にこれが出来ないような連中に占められてきているんだろうなぁ。やっぱり家族制度は諸悪の根源ってことなんだろうね。
■[映画] 「火垂るの墓」に関する低い評価(米Amazon)

作品の作り方というのは本当に難しいということなんでしょう。予備知識が少しでもあってという書き方になってしまいますが、これをこの手の作品に求めてしまうというのは、正直微妙なような気がします。よって、もし元ネタになっているレビュワーのような見方をした場合には、不可解あるいは作為的という判断をされても仕方ないことでしょう。制作側はそれを覚悟の上で、あえてこの手法を選択したのかも知れませんが。

それ以上に悲しいのは、当然作品の本質を理解していないのに、安易に認めてしまうという現実の方にあるようにも思う。当然のことながら、そういう人達には現在との対比などという判断は出来るはずもない。

感動の話とかいい話とかいうものに対して、思考が停止するという傾向がどうしてもあるような気がします。感情的な部分を大きく揺らされるので、それで満足してしまうのかもしれませんが、その中にある矛盾点や不合理点にこそ作品の本質が隠れていることがあるんだということを表している良い例ということなんじゃないでしょうか。

勿論究極的な状況においては、層でない状況と同じように判断することは難しいという意味でのリアリティというのもあるのかもしれませんが。
【J1:第19節 浦和 vs 柏 レポート】浦和、柏の倍のシュート20本も勝ち切れず連勝ストップ

放送がスカパー有料のみだったので、試合は見ていません。ですが、このレポートを見ただけで、まぁなんとなく試合内容が判るような感じ。攻めきれないということだったんでしょう。そして、印象的なインタビューも記載されています。

「タツ(田中達)の1トップは良くない。タツはちょこちょこ動いて局面を打開するタイプだから。あそこ(1トップ)には基点になれる選手が必要。システムをころころ変えたりすると、何をやればいいか分からない」


闘莉王の話だけれど、言いたいことは判る。結局達也を使うことが出来なかったんだろうけど、それをシステムのせいに押しつけるのはどうかと思う。じゃあ達也は2トップじゃないと使えない選手だとでも言いたいのか? ワシントンが居た時は、達也はスペースが無くて苦労していたようにも見えたんだけどね。永井が入った試合できちんと彼を使えたシーンが一体どのくらいあったのか。ワシントンと達也のコンビと、達也と永井あるいは岡野とのコンビはこれまたやり方が全く変わるはず。システムが変わった程度で何をやればいいか判らない程度なら、サテライトからやり直した方が良い。少なくとも代表クラスの選手が言う言い訳じゃない。

相手の監督にはこういわれています。

「レッズの3-5-2に対しウチは4-4-2で、サイドでの数的優位で有効な崩しができた」


相手が4-4-2でサイドに数的優位が作れるということは、真ん中は完全に浦和が数的優位に出来るということなんじゃないのか? そして、サイドからの崩しが弱くなっているということは逆に言えばポンテや小野から、達也へのスルーパスが通せる可能性があったと言うこと何じゃないのか?

なんでそうならないのか。可能性があるとしたら運動量で完全に負けていた。後は、システムに固執して柔軟性にかけていた。ディフェンスラインがずるずると下がって中盤が間延びした。レッズが負ける時、大抵良くないのは、ディフェンスの3人+サイドの2人+ボランチの2人。彼らが前に出られなくなることに起因しているように思える。時折オーバーラップを見せるとかそういうレベルでは無くて、もっとダイナミックに流れとして押し上げがないとオジェック流のサッカーは構築できない。

実際に中断前の数試合は素晴らしい出来の時間帯があった。ツボにはまれば圧倒的という形ができつつある。ただし、それは相手がはまってくれればであって、相手をはめるというところまではまた行っていないと感じる。

ボランチとサイドのリスク感覚がもう少し変化することが重要のように思える。啓太と阿部と長谷部と小野でローテーションしつつ、客観的に試合をベンチから見させるのもアリなんじゃないだろうか。サイドに関しても山田の意識改革が重要。サイドとしては平川の方が良いかもしれない。となると、今の面子では山田はベンチということになってしまう。となると、やっぱり4バックなんじゃないだろうか。これは勿論ディフェンダーを4枚では無く、ディフェンダーは2枚という感覚。

中盤で誰を使うかが問題で、ポンテ、小野、阿部、啓太、長谷部、山田と居て、4枚しか使えない。けど、中盤はこれくらいでいいんじゃないかとも思う。常に2枚は途中出場、変わった2枚は休むことが出来る。その代わり走れ。でいいんじゃないだろうか。中盤を贅沢に使えるようにする為に選手を集めたはず。もったいないと思うくらいでちょうど良い。ポンテであっても、フル出場を保証する必要はないだろう。全員が平均的に出場しているという状態が望ましい。勿論代表や出場停止、怪我などもあるだろうけど、満遍なく組み合わせを行うということが重要。ポジションもあまり固定させずに中盤は自由に位十分にやれる能力を持った選手達のはず。

結局まだ選手はオジェックの信頼を勝ち得ていないということなんじゃないかと思う。だから、采配にしても戦術にしてもやや堅めという印象を受ける。メンバーを固定しなくても戦い方はチーム全体に浸透したという感覚をオジェックが持てば、変わってくるんじゃないかと思う。もう少しのような気がするんだけど、なかなかトンネルが抜け出せない。抜けてしまえば一気に景色は変わってくるように思えるのだけど。
大詰めに来たという感じのする回でした。けれど今ひとつ納得いかない部分が、人類、ミュウそれぞれにあります。

ミュウの側は何故そこまで地球に拘るのか。これは最初から最後まで一貫して続く問題です。マザーをハックして地球の座標を突き止め、そこに到着できたとしても、結局人類との戦いが終わりになる訳でもない。人類側でも地球を聖地と見ているのだから、徹底的な戦いが待っているはず。なぜそこまで地球に拘るのか。その理由が全く見えません。

キースは自分の秘密を知る訳ですが、何故廃棄されたステーションにトップシークレットになるような実験体がそのまま放置されていたのか。しかも、電源まで落とされていたような状態でなぜ実験体が生存していられるのか。キースは完全だったとしても、彼は不老不死では無い。なら、何故もう実験体は必要ないとされるのか。計画が巨大なだけに、これらの説明は何らかの形で可能かもしれませんが、その辺りの説明はなされないままになるような気もします。だとしたら、この辺に設定の甘さを感じます。

管理された人類の究極形がキースということになるのでしょう。少なくとも人類を導く立場の人間は、彼のような冷徹さと決断力、行動力、そしてそれを成し遂げる能力を有する必要がある。そして、それは人間の中から選択される必要は特にない。それ自体は判らないでも無いんですが、揺らぎというか遊びの部分がまるで無いというのが、微妙だなと感じます。理想的な人類というものが想定可能という思想の産物なのかもしれませんし、その分は人間の体という体裁を取ることでフォローしているのかもしれませんが、それでも全人類をかけたプロジェクトということを考えると、もう少し余裕が欲しいという気がします。

管理社会に対して、本当の幸せがあるのかとリオは問います。確かに彼等の目から見たら管理された社会の作られた幸せしか知らないと見えるかもしれない。けれど、本当の幸せとは何かという命題は非常に回答困難。しかも、本当の幸せを人類全てが望んでいるのかということも、かなり怪しい。究極的な意味では、本当の幸せは最も望ましい姿かもしれないけれど、それを単純に一般化することは出来ないはず。

物語のラストに向けて、ミュウ、人類、キース、トォニィがそれぞれどんな結末を迎えるのか。とても興味深いものになりそうです。
ロイヤルストレートフラッシュなんてそんなホイホイと出来るような役じゃないだろって突っ込みは置くとして、確かにカードの勝負は、話のメインの目的では無いんだけど、それにしても、当り無しのくじを延々と引かされたようなそんな気分になりました。まぁ勝った者が悪魔というのも芸がないかもしれない。

そういう意味では、かなり難しい構成の話だったのかもしれない。どうもそういう話が多いという気がします。自分で自分の首を絞めている感じで、わざわざ難しくしてしまっている。そんな気がします。
なんか普通のラブコメちっくになってきました。立花の萌えキャラ度合いは回を重ねるごとに深まっています。彼女がどうなるのかは、今後の話の展開次第。けど、物語自体は一向にその片鱗を見せてくれません。一体どんな話なのかよく見えない。こちらも世界観が掴めないって状態です。

キャラの方も立花はともかく、それ以外は薄い。主役の薬屋がよく判らないので益々全体像が掴みづらくなっています。ただ、虫についての秘密も出てきたようで、人為的な臭いが出てきました。もう少し情報が出てくれば面白くなってくるかもしれません。
それじゃなくても、キャラが多くて複雑な話なのに、時間まで飛びまくってそれぞれの時間のエピソードが展開して、かつそれぞれが関連しあっているので、非常に難解。つか、まだキャラも覚えきってない状態なのに飛ばしまくりです。

そんな状態なので、キャラ一人一人に割かれている時間が少なくて、まだ理解できていないんですが、設定自体はかなり出来ているようで、それなりに描かれているキャラは大分生きてきました。

各時間のエピソードが、最終的に列車の話に落ち着くんだと思うんですが、その線がもう少しはっきり見えてくれば面白味が増してくるんじゃないかという気がします。結構期待できそうな感じがします。

列車の中だけでもかなり混沌としているので、その部分だけでもかなり良い感じです。展開がどうなるのか全く判らない状態で、それぞれの組織の目的もはっきりしていないので、それらがどうなるのか楽しみです。