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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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今回もまた特に特筆するべきものは特にありませんでした。まぁ今更路線を変えるということはあり得ないでしょう。この作品とは一体何なのか? 某友人と検討してみました。そして出た結論は、

萌えがキャラに留まらず物語にまで至った。

これは、なかなかな結論です。全ての現象が素直に理解できます。萌えなのですから、意味の存在は認められないし、キャラ性も薄い程より合目的的であると言えるでしょう。
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【甘口辛口】9月3日

こういう人が6回も当選しているとは、政治家そのものの資質がいかに低下しているかだろう


はて、腐った政治家が複数回当選している現実を見て、「政治家そのものの資質」が低下しているというのは、おかしな話だ。そんな政治家は当選させないようにすればいいのではないのか?

問題は、政治家が腐っていることではなくて、そんな政治家を見抜けない連中が参政権を持っているという事実の方にあるんじゃないのか? そして、そういう状況を打破することが出来ないトンデモなシステムを理想の政治体制と疑わない連中が多数派を占めているという事実なんじゃないのか?

「国民をバカに」って実際バカな行動をしているんだから仕方ないんじゃないですかね?
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[memo]宗教とオタクに対する態度の類似

宗教信者とヲタに対するそれ以外の人の態度が類似するのは、ヲタの精神構造が宗教信者のそれと本質的に同じだからでしょう。この方もそうなんじゃ無いかと疑っておられるようですが。一見すると、違うように見えますが、よく考えてみれば同じです。

それはつまり、自らの価値観を放棄して、一定の権威に依存し信仰すると言う態度を自ら望んで行うということです。

宗教というのは、非常に判りやすいですから、特に説明は必要としないでしょう。では、ヲタというのは、これに当てはまるのでしょうか? 昨今の萌え現象を解析していって、萌えとはどのような現象なのかと考えた時に、

萌えとは、主にキャラクターの記号化、形骸化を通じて嗜好の一般化を図る行為であり、一般化された記号を象徴化し、権威化することで、市場社会での安定と存在の定位を計る大衆言動あるいは感覚である。

と僕は定義しました。それはつまり宗教な訳です。いや、別にヲタ達が特殊という訳ではないですよ。大衆というのは、ほぼ間違いなくこれに類する行為を行っています。ただ、その対象がアニメだのマンガだので無いというだけ。そうじゃなければ、あるあるで納豆が無くなるってことはあるはずないのですから。

ヲタクってのは典型的な大衆なので、その行動原理が他の大衆と異なるということはありません。宗教の信仰というのも非常に大衆的な行為なので、その二つが似ているのは当然のことだと言えるでしょう。
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ついに仕事用環境をVistaに移行:その2

Vistaへの移行の記事なのだが、その実メインの話はDRMの意義であるように思えます。何せこの記事の結論文が

DRMが付与されることで、コンテンツは時間の淘汰を受ける資格を失う。それは作品が消費される商品に成り下がってしまうことではないか。極端に言えば、筆者はそう思っている。


となっているのだから、そういうことなのでしょう。さて、この作品が商品に成り下がるという指摘ですが、これは正にその通り。としか言いようがない。これは、二つの要請から成立しています。制作側の要請と消費者側の要請。こう言うと不思議に思われるかも知れないけれど、実際のところはどちらか片方の要請だけでは、この手の現象は成立しません。

制作側の要請というのは、判りやすいでしょう。つまり作品では飯が食えない。ってこと。もう少し突っ込めば、作品では市場が潤わないということ。市場社会においては、ある程度以上網羅的な商品構成が必要になり、そのために無駄な生産をするということが前提になります。要因はそれだけではありませんが、要は、市場社会というのはコストを押し上げる潜在的な要因を抱えているということになります。勿論競争原理は働きますから、ある程度以上の価格設定は出来ないし、売れないものは商品として成立しなくなります。よって、音楽でも書籍でも大抵短命です。買い忘れた作品をいざ買おうとしたら販売中止に陥るなんてことは、現在では何も珍しいことではありません。そのような扱いは正に消費物であり、市場社会において商品にならないものは、ほとんど認知されることが無いという状況になっています。

では、消費者はこれをどう受け止めているのでしょうか? 結果として歓迎していると僕には見えます。例えば、こんな話があります。同じ商品なのに値段を上げると売れるという奴です。この現象は何かと言えば、つまり彼らは品物そのものを見ていないということです。品物に張られたレッテルを見て、価値を確定させている消費者というのが相当数存在しているということです。もう一つ例を出せば、各種ブランド商品。これらを好きこのんで買い漁っている人達のどの程度が、その本当の価値を理解しているのでしょうか? 大量の粗悪な偽物がこれだけ流通しているという現実が、真価を理解できない消費者の数を物語っているように思えます。

DRMの話から反れているように思われるかもしれませんが、実はそんなことはありません。何が言いたいかというと、ほとんどの消費者は、作品など求めておらず、商品を求めているということです。先週1週間夏休みを取って、友人と様々議論をしてきたのですが、その中の一つの結論がこれです。

大衆は自ら作品を判断することを基本的に放棄しようとしている。彼らは提供される商品の中から、良いとされるものを自らの経済状態に応じて獲得し、そのことで選択しているような錯覚に陥り、それを自由と勘違いしている。

作品を判断した結果は、自らを鏡に映すようなものですから、それを放棄するということは、すなわち自らの価値を無価値あるいは無意味にするということを望んでいるということに等しいです。ブームとか流行とかそういうものに敏感に反応しようとする人は、今も昔も大量に存在します。これは大衆的な行為である訳ですが、意図せずとも自然とそういう行動が出来る程に根付いてきたということなんでしょう。

着うたがなんであそこまで売れるのか、DRM付きのデータを何故好きこのんで購入するのか、これまでは考えていない、気付いていない、知らないからだろうと思っていたのですが、実は自らそれを望んでいるのではないかと考えています。
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