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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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【新書】『ダサいオヤジは「暴力的存在」である』

そんな言い分ならなんでも成立する。若い女はコミュニケーションを拒否していると映っている人だっているだろうし、そうでない人だっているだろう。相対的にみれば、どんなものでも成立するのに、ある一面だけを切り取ってあたかもそれが正義であるかのように語るというのは、女性にはよく見られる。

問題は、そうまでして若い世代に媚びなければならない理由が判らない。それが必要な人にとっては、まぁ悪くない参考書なのかもしれないけど、少なくとも僕には、人を見かけだけで判断する程度の馬鹿とコミュニケーションを取ろうという気はさらさら無い。そう言う意味では、拒否しているというのも、あながちハズレではないかもしれない。

結局、それがどうした。というだけでしょうね。こういう発想の本が書かれる背景には、若い世代ともコミュニケーションが取れる中年が良い中年だというような価値観の押しつけが存在しているような気がする。もしくは、筆者では無く、読者の側にそういう強迫観念があるのか、社会の側にそういう脅迫があるのか。

何れにしても普通という枠に収まらないことは良くないことだという発想がどこかにあるから成立する。内容はともかくこういうタイトルを付けるという時点で、この女が自分の足で立っていない不自由な人なんだということは理解できます。

その辺りを理解した上で読む分には良いんだろうけど、そうでないなら、それこそ馬鹿丸出しってことになるでしょうね。
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総務省、携帯「圏外」解消へ国庫負担を増強

勘弁してくれよ。この財政状態でこんな下らないことに金を出すって言うのか? 「山あいや離島など過疎地」で携帯が使えないってことがどの程度の意味を持つのか。地方と都市部では、生活形態を初め様々なものが異なっているはず。それは何の不思議も無いし、何も悪いことでもない。

何故、税金を使ってまでこんな事をする必要があるのか。全く理解不能です。
必死の育児「もうだめ」 法廷で自閉症児ら2人絞殺の母

家族制度が生んだ悲劇。子供は母親のものであるとい錯覚がこういう結果を招く。何が幸せなのかを母親が勝手に想定、普通じゃなければいけないんだという強迫観念に基づき、幼い子供の命を奪うという典型的な無能親のパターン。これは愛情とか熱意とかそういう問題じゃない。親の精神が自立してないのに、難しい障害を持った子供を任せるというのが、どだい無理な話。

社会は無理解というが、理解を求める方が難しい。特にこの手は周辺に迷惑を振りまく傾向があるので、それが障害であると言おうが何しようが、理解されることは基本的には無い。というか、そういう奴を公の場に出すなという結論しか出てこない。他人事である以上、効率を考えるざるを得ない訳で、障害児に手間暇金をかけるくらいなら、違う方面に回した方が良いという結論は容易に出る。

こんな子供が2人も居たとしたら、普通の家庭では到底賄いきれない。そんなのは当然のこと。だからとっとと施設なりで預かるべきだった。当人が拒否したようだけど、そこに拒否権があるということが間違い。子供の権利だなんだかんだ言っておきながら、結局親権というくだらないものに振り回されている。親権者としての能力が欠如していると判断される場合は、強制的な措置を取らない限り、こういう事件は次々と起こるでしょう。

「親だけに育児の責任を負わせる現状では」ってのはその通りだけど、結局家族制度はそれが前提に出来ているので、こればっかりはどうにもならない。責任を親以外にも負わせる以上、親の権利をその分弱くしなければならないというのは道理。バランスの問題はあるけれど、両親に任せる範囲を極力少なくした方が効果的だと僕は思う。出来れば、親子と言う関係は完全に無くしてしまうのが理想的でしょう。
ちょっとオチが弱かったような気がしますが、この場合、オチ自体は基本的にバレな訳で、そのものよりもそれに向かって如何にエスカレートしていくかという過程を楽しむべきでしょうね。嘘もみんなで付けば真実になるってのをギャグ化して話で、三河というキャラらしい昇りっぷりと落ちっぷりが良かったです。

結局最期までテンションを変えず、方針も変えずというのを貫きそうです。ギャグ作品でこれだけやったということがまず素晴らしい。バリエーションもそれなりにあったし、キャラもそれなりに使えてたし、良く出来ていました。

後は、ラストにここ一番のエピソードを持ってきてって感じでしょうか。オチには期待したいですが、まずは、どんな展開を見せるのかが楽しみです。
今回もまた上手いこと原作を料理しているなぁ。原作通りにって、それを新房作品で言うところが凄い。なんつーか、原作通りってのもかなり技術がいる事だと思うんですけどね(笑) その他諸々に逃げ道に関しては多分原作通りなんじゃないかな。

で、大掃除ネタは記憶に無いんですけど、冬眠のパターンはなかなか面白かった。これを素でやる人が居たらかなり怖いですよね。で、結局逃げ出して…良いところで終わりましたけど次回どうなるのか。何のこともなく普通に出てくるというパターンに1票。
キースとジョミーの違いは、人間をどう捉えるかの違い。人間は愚かな生き物であると認識するキースと、今は愚かでも希望はあると捉えるジョミー。どちらの方を選択するべきかという時に、一般論として見るなら、キース的見方の方がローリスクであるのは当然のこと。よって、基本路線として人類の選択は間違ってはいない。

ただし、それを選択するということは、人間の限界を人間が規定するということを意味します。人間に枷をはめる訳ですから、既にその段階で人間が人間であるという意義を失ったと言えなくもない。そこがSD体制の最大の問題点。詰まるところ、どちらをとっても不完全ということになるでしょう。白と黒の間には、無数の中間色がある訳で、どちらかという選択以外もあり得る。キースはそれを感じながら、理性で否定し続けます。

何故ミュウは生まれるのかとキースはマザーに問います。その疑問はごもっともで、これだけの管理体制であれば、本当に不要な因子であれば消されて然るべきでしょう。けど、それは為されていない。それは何故か。つまり、ミュウは人間のイレギュラーとして、予め承認されているんじゃないかという気がします。

人間は基本的には愚かな生き物。でも何らかのイレギュラーは存在する。そのイレギュラーにこそ人間の希望がある。その考え方で作られたのがマザーであり、SD体制なんじゃないかと思います。そして、イレギュラー因子のミュウが人類の力を超えた時、初めて可能性に賭けるだけの前提が整う。筋書きとしてはそう言うこと何じゃないかという気がします。

さて、物語としては次回ついにマザーの意志というものが明かされるのでしょう。これを受けてキースとジョミーは何を選択するのか。ラストまで締まった良い構成になっていますが、この手の話はラストが転けるとみな転けたになる可能性も十分あります。是非期待に応えていただきたいです。