Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
FC2テーマ: | カテゴリー:スポンサー広告
Page Top↑
なんだ、結局この作品のメインキャラには普通の人間は居ないってことなのか? まぁ麗華お嬢様に変な属性が付いた時点で怪しいとは思っていたんだが… いや、そのくらいの方がいっそ良いのかもしれないな。

で、修学旅行なんだけど、それぞれの思惑が交錯しててなかなか楽しかった。実はそんな中で二ノ宮だけはほとんど主体性ってのが無くて、それは今回始まったことな訳でもないんですけど、完全にキャラとして沈んでしまっています。基本的にハーレム系のアニメなんでその辺突っ込んでも仕方ないんでしょうけど、それにしても、もう少し巧い書き方をしてくれると話がグッと締まるのにのになぁと感じます。

どうも、みんながみんな過去に因縁を持っているようで、誰かが思い出してしまえばそれで終了って感じもするんですが、それは無いってのもお約束かもしれない。とりあえず、麗華お嬢様の空回り暴走が見られればそれでよしとしときますが。
スポンサーサイト
引っ張りますねぇ。つか、あれだけの手紙を出したのって火事の後って事な訳? それとも前? 前なら記憶は残ってそうだよね。なら、おじさんに拘るのはミスリードを狙ってるってことかい? あんま変な小手先の技使わない方が良いと思うけどね。

それと双子の話は当面余計にしか思えないんだけど、なんとかならんもんだろか。いや、菜々香の悩みも実は大したことじゃないってオチなら、それもアリかもしれないんだけど、だとしたら引っ張らないでとっととネタ出しする。引っ張るくらいの大ネタを仕込んでいるなら、双子ネタとバランスが取れないので、そっちはさらっと流す。

どうもバランスがチグハグになっているような気がするんですよね。みんなが悩みを抱えている的な状態にしたかったからなのかもしれないけど、無理に設定を作る必要もないと思うんですけどね。
「意味のないことは許せない」の罠

読み物としても楽しめるのですけど、そんな中でもこれはって思う部分があります。

その伝でいくと人が何を面白がるのかって本当はなかなか分からないってことですよね。経験値を上げて、なおかつ「私」自身の面白さや好奇心を掘り起こしていかなければいけない。


面白いって感覚が重要なんだってのは、とっかかりとしては正しいし重要だと思います。けど、この掘り起こしって作業がそれと同じくらい必要だろうなと感じます。これは自分の好奇心でも他人の好奇心でも同様かなと思います。

結局なんで面白いと思うのか判らないけど面白いってものも幾つかあります。その内の幾つかは後から考えて、何となく理由付けが出来たけど、未だに良く判らないもの、全く判らないものもあります。最終的には好みですから、そんなものに理屈なんて必要ないって言えばその通りなのかもしれないんですけど、現状の自分を理解するという意味では、結構好みって重要な要素なんじゃないかなって思ったりしています。

仮にその解析が完了しなかったとしても、また間違っていたとしても、その過程で得られるものも結構多いものです。魅力とはどんな要素があるのかということを、真面目に考える機会って、黙っているとあまり無いもので、きっかけとしても悪くないんじゃないかなという風に思えます。
「品質」という概念の価値が相対的に下がっている

品質と価値観の関係性の話。言ってることは、ごもっともと頷く点が多いです。ただ、品質の価値観が高いのが単純にリーチ率にだけで獲得されていると考えるのはどうだろうという気がします。

ここで言う品質というのは、なんというか、工業製品的な意味での品質なんでしょうけど、それが下がることによって、表現の幅が狭くなってしまうという可能性は秘めています。つまり、プライベートビデオのような記録系のコンテンツを経験共有者同士で再体験するという用途などなら、品質は必要とされないでしょうが、そうでない場合、品質の高さが絶対的に必要になる場合はあるでしょう。

だからといって、無闇に高品質であることが価値が高いとは出来ない。無駄に高品質というのは勿論あります。そういう意味では、品質と価値は本来それほど強い結びつきは無いのかもしれません。実際古い録音のSPを今でも最高だと感じている人も居るでしょう。けど、そういう人が居るから、品質は無視してもいいということにはならない。演奏自体は多少落ちても最新の録音じゃないと得られないものもあるというのも事実だからです。

つまり、何が言いたいかというと、現在は確かに品質と価値観が過度に関連しているというのはあるかもしれない。これは、メイン商品が物質的な品物であったことの名残なんじゃないかという気がします。商品としてコンテンツの重要性が上がるに従って、品質の価値が落ちてくるというのは、これは致し方ないことでしょう。けれど、品質はやっぱりないがしろにすることは出来ないってことです。何事もバランスってものが必要なんじゃないでしょうか。

なので、市場の中で、品質の価値というものが機能するかどうかは、資本主義が続く限りは消費者次第ってことなんでしょうが、個人的な希望としてはある程度は残ってもらいたいよなぁと思っています。
クリスマス限定“究極ティッシュ”2個3000円 王子ネピア発売

そりゃあ、少なくとも鼻に使うのがメインでは無いだろうな…
何故かモバイル環境からのBlog管理が今日から出来なくなりました。

管理画面がしばらく前に新しくなって、それが対応していない状態なんですが、これまでは旧画面も使えていたのなんとかなっていたのが、急に使えなくなりました。

この状態が続くようだと、外部からの更新が出来なくなるので致命的です。引越しも考えないとかもしれませんね。
う?ん、ジンくん、それじゃ流石に安すぎるだろ。浮き沈みが激しいというか、簡単すぎなんじゃね? 特に家族ネタは初回から散々引っ張ってきたネタなんだからさぁ、もう少しなんとかしようよ。

で、シャトルのピンチは良いんだけどさ、結局中に残ってるのって、ドラゴン2匹と、人間1人な訳じゃんか、トアは拘束されていたかもしれないけど、ウィドゥが本気だせば、なんてことなーんじゃねーの? つか、トアの拘束を解いて、カズキを乗せてしまえばそれで万事解決って気がするんだが違うかね? 敵に落とされるにしても、大気圏で燃え尽きるにしても、そのまま見物ってことはねーだろ。

もし、変身に何か条件があるって言うなら、事前にネタ出ししといてくれないと、ピンチに見えないんだけど…。ちょっと設定というか、シナリオが甘すぎるって部分が多すぎるよ。お粗末な感じが拭えませんねぇ。
今回もまた瑛理子ちゃんのパワー炸裂回でした。本当にキャラが濃いので、他の普通の女の子達が沈んでしまいます。今のところまだ彼女の表面にしか描写が及んでいませんが、いつ内面に話が至るのか楽しみで仕方ありません。正直まだ一輝では役者不足の感じがするんですが、今のところはそっち方向に話が進んで見えるよなぁ。でも、何か株を上げる要素が無いと釣り合わない気がします。

ラストの摩央姐ちゃんのシーンはちょっと気にはなるけど、光一のところはガチだろうからなぁ。となるとやっぱ問題は瑛理子ちゃんのところなんだけど、明日夏ちゃんもあの反応は無いだろって気がしました。けど、やっぱり一輝とはマッチしている。瑛理子ちゃんはそういう子と付き合っちゃいけませんって突っ込みたくなってしまいました。

能登のポジションが浮いていて、一応出てますってだけの役なのか、他にもなにか役が振られているのかちょっと気になります。でも、ここから追い上げは辛いかもなぁ。
凶悪犯罪の高年齢化が止まらない、となぜ書かない

なかなか痛快。少年犯罪とアニメやゲームが原因という記事は目にするのに、高齢者犯罪と映画やドラマ、小説が原因という記事は見ない。という内容。それはまさしくその通り。このエントリーではマスコミがある意味で意図的な情報操作をしているという方向に振っています。その主張もそうだろうと思います。じゃあその意図とは何かというと、みんなが喜ぶ(と想定している)方向に誘導するということでしょう。

つまり、少なくともマスコミの認識レベルで見れば、アニメやゲームはなんだかんだ言ってまだ世間的にはマイノリティであるから敵視されるということです。で、逆に映画やドラマ、小説が悪役にならないのは、それがマジョリティであるということでしょう。実際そういう報道をしたら、ネットでアニメやゲームを悪者にするなと騒がれるのとは、規模が違う騒ぎになるんじゃないでしょうか。少年が高齢者より冷遇されるのは、権限の差に基づいているのかもしれない。いや、現状では単純な数も高齢者の方が多いのかも? 何れにしても少年は一時でしか無いのに対して、高齢者は死ぬまでずーっと高齢者だし、青年から中年にかけても何れは高齢者になる訳だから、潜在的な数を考えれば圧倒的多数と言えるでしょう。

つまり、真に民主的、資本主義的、かつ大衆的な用件によってマスコミの情報操作意図は決定されていると言えるんじゃないでしょうか。
根強い腐敗構造「一線超えただけ」

こいつらが心底腐っているというのを、自ら白状しています。

常識の範囲内で人間関係を築くのはどこの商社も同じ


の常識の範囲内とやらが一回1万以内の飲食接待や、タクシーチケットの配布と主張するわけだ。全然常識じゃねーよ。接待行為は一切禁止。チケットも渡すべきじゃない。その程度の判断も出来ていないのか。既存の防衛商社は今後50年くらい一切の公共事業から排除するとかしない限りどうにもならないらしい。

防衛省にあいさつに行く際、付いてきてもらうだけで話がスムーズに進む


という以上、天下りは、無条件に全面的に禁止にしなければならない。元役人を受け入れた会社は、その人間が在籍している間は公共事業に参加出来ないなどの規制を設けるべきだ。

防衛官僚や政治家の「裁量」の余地は、長年にわたって温存され続けてきた


なら、裁量権は剥奪しなければならない。そんなものがあるから、こういう結果になるのであって、奴等の権限は必要最低限のものでなければならない。悪用される可能性があるものは全て無条件に無くすべきだ。

「防衛省そのものが腐っている」という話もあるようだが、それを言い出したら省庁全てのそのものが腐っているので、解体するしかないという結論にしかならないだろう。防衛省や特定の次官だけが腐っているなんて都合の良い話なはずがない。まともな役人などというものは存在しないということを前提として、仕組みを再構築するべきだ。

「防衛省の組織的、構造的問題だ」じゃなくて「国の」組織的、構造的問題であるといい加減認めないと、テロ対策も国際貢献もあったもんじゃ無いっつの。
「ダウンロード違法化」に反対意見集まるが……

もう、権利者の連中は見ていて痛々しいと感じる程に酷い有様。そろそろ「ごめんなさい、間違ってました。本当はとっくに判っていたんですが、立場上言えませんでした」って認めてしまった方がいいんじゃないだろうか。

特に椎名の「議論が尽くされていないというなら小委員会での1年半は何だったのか」は痛すぎる。それを言い出したらパブコメなど何の意味もない。それでは足りない、抜けていると判断されているから、そういう意見が来ている。自分の無能を棚に上げて、時間はかけたんだからもう良いだろは到底許されない。こんな奴はとっととメンバーから外すべきだ。

「一部の職業のために不公平感を許容せよ、と言いながら、数十億円が特定の団体に入るのは不公平だ」というのも、実に鋭い指摘で、ここで重要なのは、一部の職業のためにの部分ではなくて、「特定の団体」の部分。そもそもJASRACごとき寄生虫が偉そうに意見を述べているというのが間違いの気がする。自分達はクリエイターや文化を守っていると言いつつ、散々ないがしろにしてきたというのが実はこの特定の団体であることは、あちこちで指摘されている。結局利益が無くなると恐々としているのはクリエイターでは無くて、この特定の団体な訳だ。


で、可笑しいのは「適用範囲、録音・録画以外にも広げよ」という部分。こうなるぞという指摘は津田氏なんかは予言していた。だから安易な規制はよろしくないという訳なんだが、奴等はとりあえず規制しろという路線でその恐ろしさを全く理解していない。挙げ句に、基準が曖昧な「情」だの、やれるモノならやってみてから言えの「適法マーク」だの、「ネット利用の萎縮効果を招かないよう手当する」だの例外措置を散々つけ始めた。開始前からこの状態というのは、すなわちそのものに無理があるということを意味している。開始すれば、この例外は更に増えていくだろう。結局法律の方が間に合わないという結果になるのは目に見えている。奴等は、犯罪者を逃すよりも、非犯罪者が取り締まりを受けることの方が重要だということをまるで理解していないようだ。

はっきり言って、これ以上この面子で話を進めても最適解は出せないような気がする。特定の団体に紐付いているような連中だけじゃなくて、普通のクリエイターが本当はどう思っているのかをきちんと聞くべきだ。奴等の自己正当化が本当に成立しているものなのか、それで判断できるんじゃないでしょうか。
また荻上弄りネタかと思いきや朽木ネタが半分入ってました。確かに女性には受け入れられないタイプだろうな彼は。男性陣が軒並み居なくなってしまって、残ったのが笹原と高坂だけだから、朽木的にはかなり居辛いものがあるでしょう。ま、そんな中で彼なりに頑張って、結果誤解となったら、キレてしまっても仕方ないかもしれない(笑)

前半の荻上ネタは、腐女子というか、ヲタ全般、趣味全般の正当化の為の言い訳って奴で、特に表現が入る場合は、それ自体を他人の価値観を想定して客観してしまうと、とても恥ずかしいってのは事実(笑) やるんだったら、開き直りは必要って奴ですね。まぁ別にイベントに出なくても今なら匿名でネットなんかで公開するという手も無くはないかもですけど。あ、委託って手もあるかな。

何れにしても、サークル参加しようと思うなら、そこは割り切るしかってことなんだろうな。それにしても、春日部さんのノセ技は強烈だったな。こわいわ?。
どうひいき目に見ても三文推理劇でしかないでしょう。つか、そもそも推理でも何でもなくて、見えてしまった結果を語っているだけなんですけどね。だから、客観的に見ると何の説得力もない。しかも、その内容がバーチャルリアリティってあんた、あんなごつい眼鏡をかけさせられて気付かないっておかしいだろ。しかも命の危険を感じて必死に逃げ回っているってのに、そりゃああり得ないんじゃね?

事件の解決は、明らかに先生が自爆したからで、まぁそのパターンも無くは無いんだけど、それだけってんじゃ流石に物語を成立させるのは難しい。マユキの特殊能力を主軸にするなら、推理モノの様相を取るのは完全にマイナス。ラストの戦闘も余計なだけになってしまう。2つの要素をミックスしたつもりなのかもしれないけど、どっちつかずで、悪い面だけが強調されてしまっています。

もう、方向をどちらかに決めてモドキにしない方が良くなると思いますね。
どのような社会像を想像しているのか

人間の生まれながらの能力が違うのは当たり前です。それが運動であろうが勉強であろうが容姿であろうが、関係無くそれを無理矢理平等にすることは発想は結果平等であり、悪平等というものです。僕は、人間は全て平等であるべきだと主張している訳ではありませんし、結果平等を求めている訳でもありません。少なくとも本人の能力が自分以外の要因によって不当に妨げられることは避けるべきだと主張している訳です。努力したかどうかを問題になどしていません。生まれついたものも、その後の行動も全部含めて自分であることは認めなければなりません。なので、前半の指摘は全く見当違いです。家族制度を解体しても、完全な機会平等は得られないかもしれません。ただ言えることは、家族制度を存続させるよりは遥かに平等が確保できるということです。それ以上の理由が必要だとは思えません。

実現性の問題ですが、どのような道筋にも、目標と過程というものがあります。目標点を定めずに現実性を重視してとりあえずやるということに賛成出来ません。ですから、まずは何を最終地点とするのかという部分を明確にする必要があると考えています。そういう意味で、当面の現実性を過剰に重視するべきではないというのがここでの見解です。

家族以外が教育を行うと多様性が無くなるといい。そして、同じ家族に育てられていても所属する友達等の集団が異なれば多様性は確保されるという。ならば、家族以外が育てていても、友達等の集団が異なるなら、何ら問題無いということになるんじゃないですか? 子供には判断力が無いから親が道筋を決めている。けれど、それを親以外が行うと多様性が失われてしまういう。親以外であったとしても、当人の能力や趣向に適した道筋を示せれば、誰が行っても問題はないんじゃないですか?

人間というのはそれ程単純な生き物では無いですよ。そんな簡単に同じような人間が大量生産できると思っているなら大きな間違いです。洗脳教育でもしない限り、(現在以上に)同じ価値観を持った人間を作るなんてことはそう簡単ではありません。もし、現状の学校などを想定しているのであれば、それは大きな間違いです。現在の学校制度は家族制度と相互依存していますから、家族制度が無くなれば、学校制度も大きく変化せざるをえなくなります。

幸せの定義は誰にも決められません。だから仮に僕が具体的に提示したとしても無意味です。けれど、家族制度がなくなった途端に幸せが無くなると考えるのはナンセンスです。家族が無ければ無いでその状況に応じた幸せというものを見つけ出すのが人間というものです。家族が無ければ幸せは得られないというのは、単に現在のイデオロギーに依存している人間の価値観に基づけばそういう人も居るというだけのことで、なんらの絶対性がある訳でもありません。

金銭面についても、今は個別の家族がその費用を負担している。単に個別に分散しているというだけで、負担は負っているのです。である以上、それを家族以外の誰かがやったところでトータルの費用、これは労働力も含んでかもしれませんが、は変化しません。そして、その出所が大きく見た時国民の財布であることも変わらないのです。ですから、負担が増えると考えているのであれば、間違いです。ある立場の人の負担は増えるかもしれませんが、他の立場の人の負担は減る訳ですから、差し引きすれば相殺できるということです。

概念の為に努力することは難しい。というけれど、その場合の概念が対象となる人達にどのようにとらえられているかが問題な訳です。「現状の」貴方にとって、家族という存在が社会という存在よりも遥かに価値が高いという感覚があるから、家族以外を想定することは難しいとなっているんでしょう。

何度も言いますが前提条件が変わっている以上、「現状の」貴方の発想を幾ら当てはめてみても意味がありません。根拠や具体性が無いという前に、きちんと状況をリアルに想定してください。ただし、その際には「現状の」価値観をリセットする必要があります。

それが典型的に表れているのが自分が育てない子供を女性が生むのか?という疑問です。家族という概念が存在していることを前提にしているから、そもそもこういう疑問が出てくる訳です。子供は家族の所有物であるという発想から自由になれていない証拠です。社会の子供は(自分も含めた)社会のものという発想が定着していると発想できれば、そのような疑問はそもそも出てこないのです。そして、その発想が定着出来ないのではないか? という疑問を説明するのに、また家族が社会より重要だからと持ってこられたのでは、話が堂々巡りしてしまいます。

賛同云々以前に内容を理解されていないと感じます。もう一度言いますが、前提条件が変われば人間の考え方は変わるのです。そこを正しく解釈してもらわない限り内容は理解できないと思うし、議論も噛み合って来ないのではないでしょうか。
論外!
DRMなしのクラシック音楽―ドイツ・グラモフォンがオンラインMP3ストアを店開き

素晴らしいです。実際行ってみましたが、感涙もののラインナップです。さすがDGです。値段的には12ユーロ程度なので、凄く安いという訳ではありませんが、廃盤も多く含まれているということだし、単曲でも購入できるということで、かなり便利です。

DRM無しということで、そちらは文句なしですが、気になるのは音質。320kのレートを使っているということで、完璧とは言わないまでも、相当気を遣ってくれています。アルバム単位で買うとブックレットPDFが付いてくるという辺りでも、神経の細やかさが垣間見えます。

実は、DVDも含めたカタログ検索としての使い方も出来るので、とりあえず検索してみるだけでも楽しいです。好きなアーティストを見てみたり、好きな曲を検索してみたり。快適に検索できて、意外な発見があって、散財してしまうかもしれませんのでご注意を。実はしばらくCD関係はチェックを止めてしまっていたので、新発見が多いです。実はシベリウスの没後50年記念アルバムでヤルヴィ指揮、交響曲、管弦楽曲を集めた7枚組なんてのを見つけて、お!っと思ったんですが、流石に7枚組だけあって、66.99ユーロとちょっとお高い。実はHMVだと7000円で買えてしまうというオチがあるんですが、DGとしてはそっちで買ってくれても全然OKなんでしょうね。でも、例えばフィンランディアだけ欲しいとかならMP3だと1.99ユーロで済みます。

しかしDGが始めたとなるとLondonやPhilips、CBSなんかもやるかもなぁ。
独学は一人では出来ない

ほぼ完全に同意できます。学校のあり方として、十分試す価値があるんじゃないでしょうか。砂場の機能という部分にもう少し手を加えて、何かを促す要素を入れてもいいかもしれないという気もしますが、それをしなくても自然と必要なものが備わるのであれば必要無いでしょう。

必修科目は読み書きソロバン程度で十分だと僕も思います。英語が必要かどうかは微妙に感じますがビジネスとしては有用でしょう。個人的には中学程度からは哲学は突っ込んで欲しいかなとは思います。何れにしても、今の内容は過剰だと思えます。

勿論そうなれば学科に対するペーパー試験の平均点は下がるかもしれません。なにせそれが下がると大騒ぎする人達が大勢居そうですから、なかなか受け入れられるものじゃないんでしょうが、実際は、学科以上に重要で、かつ現状では危機的な状況になっている学科以外の何かを彼らは獲得できるんじゃないかという気がします。

何が教育にとって必要か、何が人間にとって重要なのか。そこをきちんと考えられる親が増えて、社会もそれに同意してくれないと、なかなか厳しいんでしょうね。
FC2テーマ:教育 | カテゴリー:所感
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
【やばいぞ日本】「国のため」気概失う若手官僚

公務員たるもの国の為に働けというのは、真に正しい。ただ、その方法論がこの内容じゃ、そりゃ付いてこない奴等が続出するのは、当然だろうね。きっと、こういう考えの人達がまだまだ役所には大量に残っているんじゃないだろうか。そして、この考え方に馴染めるモノだけが生き残る。となれば、信頼が地に落ちるのもなるべくしてって感じがする。

そろそろこの手の考えの人達には、ご退場願うのこそが、この国の為に一番良いんじゃないだろうか。
ケータイ小説を笑うまえに。

なるほど、ごもっともな見解です。確かにジャンルに振り回されるのは、判断基準としてあまりよろしくない。それは肝に銘じないと失敗する可能性があるでしょう。

ただし、言葉というのは常に一定の意味を持つわけではない。つまり「ケータイ小説」という単語を使う時、それがここで書かれているような意味で使われる場合と、「ことごとく駄作」で構成されているという前提の群を指す場合とがあるということも意識しないといけない。使う側がどちらを意図して使っているのかをきちんと判断する必要があるでしょうね。

実際ジャンルとしては悪く言われているものの中にでも、良いものはあるという例は幾つもあるわけなのですが、どうしても有限なリソースをどこに割くかということを考えると、分の悪い賭けには出たくないと思ってしまうのが心情ってのはあります。
千尋に対する描写は凄まじいです。結局彼女のことを蓮治は理解出来ていなかったし、見ている側も(少なくとも僕は)理解できていなかった。記憶が綺麗さっぱり消え失せるのであれば、確かにあの状態になるのは正解かもしれない。客観的に見れば、退行になる訳ですね。そうである以上、いつもの千尋を維持するのがどの程度困難だったのかが理解できる。だからこそ、安易な哀れみや提案は、彼女をして怒らせた訳で、今更ながらその感情を理解することが出来ました。小説に関しても同様で、普通の感覚が異なっている千尋とそれ以外で、どの程度難易度の差があるのか、想像を絶するものがあります。そんな中で一応完成間近まで漕ぎ着けた千尋からすれば、才能という言葉で片付けられるのは、たまらないものがあったんでしょう。逆に言えば、それをああいう形で表現する辺りに彼女の性格がにじみ出ているとも言えます。お話に関しても興味深くて、お話の女の子は結婚するわけですが、その無機質さと無意味さがとってもシニカルです。

千尋サイドが一気に進んだ割には、みやみやの側が停滞していて、景と紘の噛み合わないっぷりが笑える点と、ひょっとして景ちゃんてば心変わり? それって絶対血の雨が降るぜって感じ位しか見るべきところが無かったんですが、ラストのみやみやの電話はなかなか良い演出でした。まぁとは言え、こちら側は相変わらず三角関係の域を出ていない状態で、千尋サイドに比べるとどうしても見劣りしてしまいます。

さて、結論は毎回同じになってしまうんですが、景サイドの話をここまで描いている以上、千尋側とのリンクがどうしても要求されるでしょう。果たしてどうやって関連付けるのか。なかなか想定できない状態です。そこをどんなアイディアで解決するのか、千尋サイドの展開だけじゃなくて、そこが全体を通じて楽しみなポイントになっています。とにかく、1話での展開量自体はそれほど大きく無いんですが、情報量は多いです。展開も秀逸で、演出的な面白さも含めて、たっぷり見せてくれるという感触が毎回あります。いやぁオフィシャルサイトのトップページだけ見て切り捨てなくて本当に良かったわ。
ついにレイジ過去話です。これまでの話とギャップがあるのでどう繋げるのかと思ったんだけど、唐突に始めました。それはそれで悪くない。単にトラウマとか、家族とか、そういう視点で見てしまうと単純になってしまうけど、幸せの定義って何かという方向にも考えられる辺りにエピソードの秀逸さがあります。しかも、りんちゃんのりんちゃんたる片鱗も見せてくれてます。その辺りは子は親を見て育つというか、血は争えないというかそういう表現になっているけど、何れにしても人間の心情や人間関係に敏感な娘であったというのは表現できてます。

結局彼女にとって一番良い時はほんの僅かで、酬われなかったなかった訳ですが、それを背景に考えるとりんちゃんの考え方や行動ってのが、一段奥に深まります。レイジにしても、自分の無力感というのを相当に味わっているのは判ります。そういう面から見ると、大人と子供とは何かという側面も見えてきます。アニメの方も旅行の部分を付け足して、それでいて原作のエッセンスは十分生かし、モノクロ表現を使ったりして、巧く演出していると思います。

この話は明らかにターニングポイントになるはずですが、避けて通れないのと同時にどこまで描けるのかという心配がまたまた頭をもたげます。最後の「-愛してる-」が益々それを煽りますね。
テスト勉強の話なんだけど、結局みんなほとんど真面目にやってねーじゃんか。そこはそれ、あの面子が真面目に試験勉強しているなんて、まぁ考えられないから、想定通りといえば想定通り。

何の為に勉強するのかって引っ張る辺りはらしいけど、高校の時分にそこを真面目に考える人ってそれほどは多くないのかもしれない。やらされてる感アリアリって感じだもんな。ま、とにもかくにもやることはやった方が良いって考え方もあるけど、実際には、目的が見えてないと結局身につかないってのは、大抵の大人達が経験してきたことでもある。にも関わらず忘れてしまうというか、反省が無いってのが延々と繰り返されてきている訳だわな。

そう考えると、ソラのような生き方もありかもしれないと思えてくるから結構不思議だったりします。ま、あまりのんびりしすぎても手遅れッ手事になりかねませんが(笑)
とりあえず、目標は全国大会出場(もしくはそれぐらいの実績)ってことになったみたいですけど、そこまで描けるんだろうか? やるとしたら結構なペースで飛ばさないとなんじゃって気がする。

全体の中でどの位の実力なのかが良く判らないので、どの程度の現実味があるのかさっぱりですが、ともかく前向きなのはいいことかもしれない。それにしても、まともにスポーツものをやる気が今のところはさらさら無いんだなというのは良く判った(笑) ま、確かに真面目路線で行ってしまうよりは、この方が面白いからOKなんですが。

ともかく、頭数をあわせないとどうにもならないんで、そろそろ5人目が揃うって話も近いかもしれません。その上で、キャラの立ち位置が最終的に決まって、そこからって行きたいところなんだけど、これって1クールじゃないのか? 既に続編前提ってことかい?

で、今回の教訓は、訳の判らない奴に自分の身元を明かしてはいけません。ってことなんだろうな。
平等化について

えっと、真面目に反論を頂いたので、それについてコメントしたいと思います。

ですが国内での教育格差をなくしたところで、結局金持ちは子供を海外で育てて成人後に日本に帰国させ、国内で育った日本人らの指導者的立場に立つという事になるでしょう。


そもそも、生まれた時点で引き離してしまえばこういうことにはなりません。海外で出産した場合などは、日本国籍取得に制限を設けるなどが考えられますね。だた、これはこの件に限らずですが、実現するにあたっては問題が幾つもあるというのは承知しています。世界という枠で見た時に、日本だけが特殊な制度を採用しても効果が疑問であるというのも承知しています。なので、個別の実現性云々を突っ込まれても無意味ということをご承知ください。あくまでも思考の方向性を問題にしています。僕としては当面の場当たり的対策を考えようとしている訳ではないのです。

それに家庭は子供にとっては重要な教育の場であり、失ってはいけないものであると私は思います。親は礼儀や道徳など躾に関する事まで学校に任せている訳では有りませんし、学校側も躾まで面倒を見る力はありません。


礼儀や道徳などの躾が重要であることと、それを家族が行わなければならないということは全く無関係です。必要な教育は、誰かがそれを行えば良いのであって、現在の学校で行われていないのであれば、学校を変えるか、それ以外の場所を用意すればいいだけのことです。ですので、それを理由に家族が必要であるという結論は導き出せません。むしろその部分を家庭に依存していることで、様々な問題が起きているというのが現状なのではないでしょうか。

また家族を解体することで家庭をなくした場合、子供の生活の為に別施設を設けることが必要になります。それらの維持費はどうやって捻出するのでしょうか。教育費が無くなるのだからその分国民全員に負担させようと言うのでしょうか?


そういうことでしょうね。子供は社会が扶養するという考え方です。少なくとも個別に扶養するよりは集約できるだけ効率が上がりトータルとしては安く済むでしょう。現状と比較しても、負担する金の出所が変わるというだけで、基本的には総額が極端に増えることは考えられません。もし極端に変わるとするなら、現状では子供達に十分な費用がかけられていないということを意味します。それを容認するのは、社会を構成するものとして無責任なんじゃないでしょうか。勿論その場合、勉強する気もないのに大学に通わせるとか、もう20歳も過ぎたのに引き籠もってるとか、そういう無駄遣いは無くすのが当然の措置です。

結局そうやって作られた養育施設によって育てられた子供らが、多種多様な価値観を持ち、様様な分野で働けるようになるでしょうか。


教育内容にも依りますが、それが適切であるならば、子供達の価値観は周辺の外的環境に一様に依存しているわけではありません。経験と言い換えても同じです。客観的に見て同じ経験、同じ刺激であったとしても、それをどう受け取るかはそれぞれの子供ごとに異なるからです。それは同じ家庭で同じように育った年の近い兄弟。例えば双子などでも同じ価値観に必ずなるとは限らないことからも判ります。もっと今回の件に近い例を出すなら、ある施設で育った子供達には多様性がなくなるのか? と考えれば、誤解による懸念だと理解していただけるでしょう。

配偶者や子供も無く、毎日を一人きりで過ごす働くだけの生活に、どれだけの人が幸せを感じられるでしょうか。そして一人で老い、孤独のうちに死んでいくのが幸せだと言うのでしょうか。人人の心のケアや老人の面倒も税金によって賄うべきだという事であれば、納税者の負担はより一層厳しくなります。


誰が何を幸せと感じるかは、誰かが、ましてや僕や貴方が規定できるものではありません。それに、単に幸せの選択肢が少し減少したというだけの話でしかありません。それですら、逆に家族制度を解体することによって広がる選択肢もあるかもしれない訳です。今は家族があるということが普通だと意識されているので、それが無くなることは不幸だと考えているだけなのではないですか? もし、最初から家族などと言う概念が消失していれば、特に不幸と感じることはないんじゃないですか? 恐らくそうなった時、人間は別のものに幸せを求めるだけだと思います。

それと、結婚まで否定するかは微妙だと考えています。仮に否定したとしても、結婚という形式が無くなるだけであり、お互いが納得の上で生活を共にすることは自由でしょう。また、老後に関しても、現在でも費用は誰かが負担している訳です。で、その出所は結局国民の財布な訳です。なので、家族制度を解体したから、極端に費用が変化するわけではないでしょう。また、老後に関しては自己責任の度合いを上げるという手法も考えられます。実際子供が存在できないとなれば、そういう判断をする人が増えることでしょう。前提条件が変わっているのですから、人間の思考パターンも変化すると考えるべきです。無理に現状の思考パターンを当てはめようとするから、無理を感じているのではないでしょうか。

加えて家族が無くなれば家族連れ用のテーマパークや外食産業は寂れるでしょうし、玩具や子供服などの市場も無くなります。またライフスタイルに合わせた自動車や家の買換え需要も無くなりますし、結婚や葬式を開く事が無くなるので葬祭冠婚系の産業は廃れるでしょう。


少なくとも子供服や玩具は不要になる訳ではありませんから、縮小はあっても無くなることはないでしょう。それ以外については、そうかもしれませんが、変わりに別の産業が賑わうだけなので、特に問題にはならないでしょう。既存の社会構造を守ることが正義であるという観念がこの発想を生んでいるんだと思います。実際は、経済規模自体が変わらなければ、使い道が変わるだけですから、大きく考えれば、構造が変わったとしても問題にはなりません。

そして子供が居ないのなら遺産の相続はできません。結果、個人財産の否定に繋がりかねません。


個人の財産は個人(あるいは配偶者程度)にのみ紐尽くというのが僕の考え方です。よって個人財産自体は否定しませんが、相続は基本的には否定しています。それが、経済活動に対するモチベーションに対してどの程度の影響を与えるかなど考察部分は残りますが、僕は最終的にはそれほど現在と変わらないだろうと考えています。それは、家族制度が個人を家族に縛り付けている要因と考えているからです。そうではなく、個人が社会に直結しているという感覚をもし持てるなら、家族の為に頑張ろうという考えから、社会の為に頑張ろうという発想に変化するのみで、結果としては変わらなくなります。

更に言うと、相続時点で残りの資産は国のものになるという仕組みになれば、現役の内の税率は下げられるかもしれない。そうなれば、個々人の人生はより豊かになるかもしれないし、財政の問題も解決するかもしれません。少なくとも資産が死蔵されるということは無くなる訳です。

また、家族制度の問題はご指摘の通り、教育問題に特化してはいないと考えています。個人の精神が家族という枠に捕らわれていると言う例を挙げましたが他にもあります。面倒なのでここでは挙げませんが、Blogの過去記事を見ていただければ幾つか書かれているはずです。

ですが、教育問題だけを見ても、挙げていただいたデメリットに関しては、コメントの通り誤解や杞憂であると思えます。よって実現性については甘んじて受けたとしても「効果が期待できない割には弊害が大きい」という意見には賛同できません。僕としては家族制度の維持を支持するというのは、古くて役に立たなくなりつつある固定観念にしがみついているだけにしか思えません。


不平等の原因を論じるなら、幸福だと感じる心こそ不平等の原因と言えるでしょう。何故なら人と違って自分が恵まれている、つまり特別な存在だと感じられる瞬間こそが幸福を感じる瞬間だからです。


それは結果的不平等であって、機会の不平等とは別のものです。僕は結果的不平等を否定する気は無いどころか、積極的に肯定しています。なので、幸福を否定している訳ではありません。「配られたカードで勝負するしかない」と引いていますが、ただし貴方のカードには最初から絵札はありませんけどね。と言われたら文句を言うでしょう。あくまでも同じ条件が担保されているという前提があって、初めて結果生まれた不平等には文句を言うなが成立するわけです。家族制度の解体は、まさにここで言う同じ前提を担保するに相等するものです。二つの不平等は全く違うものですから、それを混同するのは、完全な見当違いです。

ちなみに、「ある程度統一された価値観を容認するという条件の元では…」というのは、ある範囲の状態が特別に価値が高いと一般的に認められるような場合。例えば、高学歴とか有名企業に所属するとか、高収入とか、結婚して家族を持つとか、そういうものが高い価値を持つということが普通であると概ね認められるような場合、平たく言えば現在の状態ですが、それを維持するのであれば、機会を平等にするしか本質的な手がない、手段としては家族制度を解体するしか無いということを書いています。

裏を返せば、もう一つの方法として、高学歴や有名企業に所属すること、高収入を得ること、家族を持つことが、高い価値であることが普通で無い。そしてそれ以外の何者も普通にはなり得ない。そういう真の意味で多様性が認められるような社会を構築するという方向を目指すなら、家族制度があっても良いかもしれませんね。ということも意味します。その場合は、教育機会の問題などそもそも問題として成立しなくなります。が、僕としては、今回は前者を選択して話を進めた訳です。
CLANNADは女が見てはいけなかった

頭が良いとか悪いとか言うよりもむしろ変人ってことなんですね。だから、あれでも天才少女は成立するわけです。で、なんでそうなるかというと、それがキャラ性だと彼らはおもっているから。ついでに言うと、それが萌えの記号化の行き着く姿ってことなんじゃないでしょうか。結局もう、普通の枠じゃキャラ性にならないほど落ちたってことなんですよ。そういう意味で究極系。

で、大抵の萌えアニメってのはそれをベースにして描かれているんですが、にも関わらず、物語の方は普通に進むので、異常さが全く緩和されないわけです。ちょっと語弊があるかもだけど、嘘を嘘で塗り固めてるような感じ。だから、基本的に萌えアニメ≒駄作ってのは、この間までは個人的には確定事項でした。

でも、efを見てちょっと考えを改めないとかなと思い始めました。構成と演出、そしてシナリオを工夫すれば、元ネタが萌え系でも結構見られるものになるんだなぁと思ってしまっています。ただ、萌えヲタからすると、efは既に萌えアニメじゃないのかもしれませんけど(笑) それに、千尋ネタとみやこネタのギャップが気になってます。あれってどこまでがアニメオリジナルなのか、興味深いです。
ケータイ小説が女子中高生に大人気 その理由とは? 実際に書いてみたら…

「場所や人物を限定しすぎると、その場所に行ったことのない読者は、自分の日常として想像できずに退屈してしまうので、そのへんは読者の想像力を信じて任せた方がいいですね。それよりも、飾らない言葉でいいので、主人公の気持ちが手に取るようにわかるくらい細かく描写して、『この気持ち、私もわかる!』と、“共感”できる作品にすること。心に響くパワーが大切なんです」


う?ん、コンビニエンス! orz
そこまで親切丁寧に先導してやらないと、共感すらできないのか…
つか、まずそれやられたら下品な作品って判断するだろうな。
で、読者の想像力ってそれは想像力というよりも妄想力だよな。

妄想ってのは『根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念』
って奴だな。つまり整合性が無い。だって元から情報が無いんだから。
私もわかる!以外のものには一切付いていけないってことなんだろうな。
いや、なんかもう目眩炸裂というか、お先真っ暗というか。

ぶっちゃけ、こんな奴等と共感したくないです。つか、勘弁してください。
「有害・違法情報」対策に内閣一丸で 総務省検討会が初会合

違法とか、有害とか、自殺とか、そういう言葉を使って、フィルターしますよと言われれば、悪い事じゃないだろうと安易に賛成する奴が多そうです。さて、じゃあこの有害のボーダーを決めるのは誰なんでしょうか? つまり、役人や政治屋が勝手な判断で情報の管理を堂々と行う。しかも国民の金でと言うことになりかねない。勿論現状ではまだそこまで踏み込んではいないけれど、何かは良くて、何かは駄目だという価値付けに為政者が関与するきっかけを与えるのは、それが僅かな可能性であったとしてもリスクが大きすぎます。誤解を恐れずに言うなら、馬鹿親に扶養されている馬鹿餓鬼の何人かの犠牲がそれによって回避出来たとしても、到底賄いきれるようなものじゃない。

ちなみに、「セキュリティソフトには年間数千円払うのは当たり前になっているが、なぜフィルタリングにはコスト意識が出てくるのか」って、別に好きこのんで当たり前になっている訳じゃないですよ。安くあげられればそれに超したことが無いと思っていますよ。だから、他のことにだって数千円くらい払えるだろって持って行くのは、かなり乱暴って気がします。
[雑感]団塊世代雑感?手前勝手な自己責任論

時代の責任にしたところで、どうにもならない。その時代その時代にあったスキルだのやり方だのを求められるのは当然のことで、もっと楽な時代もあったからと言い訳している段階で、やる気が無いと判断されても仕方ないと思えます。

ちなみに、家の会社は万年人員募集中で、ハローワークとかにも求人を出し続けていますが、20代の連中が希望してくることはほとんど無いですね。中年以降はたまにあるみたいですが。勿論、有名企業ではありませんけど、本当に困っているならそんなことは構っていられないはずで、そういう所から、本当に仕事が無いの? と疑いたくなってくるわけです。

まぁ団塊が褒められたモノじゃないなんてのは、今更言わなくても当たり前のことですが、それでも数さえ居れば勝者で、その質は問われないってのが、民主主義であり、資本主義って奴で、それを認めている限りそこに何を言っても始まらないでしょう。
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:所感
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
【溶けゆく日本人】快適の代償(9)機器の魔力

確かにナビを使い出してから道を覚えなくなったなという感覚はあります。けど、どうもここで言われているのは、そういうレベルでは無いように思えます。結局機械を使う為には機械の特性というモノを理解しないといけない。はずなんだけど、それをせずに依存するから、慌てて曲がったりなんてことになる。

ぶっちゃけて言うと、そのおばさんが使っているナビが旧式、あるいは安物過ぎってことでしょう。ここ数年内に出た中堅機以上の機種なら、まずそういうことは無い精度になっています。メーカーによっても癖があって、先走り傾向のナビと後走り傾向のナビとあります。まだまだ完全とは言えないシステムですから、その辺りは人間の裁量でフォローしないとでしょうね。ま、そもそも1本曲がり損ねたところでリルートがかかるのがナビですから、慌てることもないです。つまり、このおばさん個人の問題であって、それでナビが悪いするには無理があるような気がします。

当然機械に安易に依存するというのは危険を伴うものです。が、なんでも人間がやらなければならないという事には当然ならない。運転なんてものは、その最たるもので、完全自動運転ができればそれが一番。毎日がタクシーかハイヤーの気分で扱えて、違反も無し、よそ見の事故も無し、周囲の交通情報を正確に把握して渋滞を避け、最短時間で目的地になんてのができればそれが一番な訳です。

現状はその過渡期なだけに、中途半端に機械化されてしまっているから、機械の事を良く判っていない連中がトンデモな事をしでかす。アクセルとブレーキを踏み間違えたなんて事故が未だに起こる訳ですから、ナビや携帯が問題を起こすというのは言ってみれば当然なのかもしれません。

ヒッキーや鬱を基準にして考えれば、便利は毒ということになるのかもしれませんが、本来であれば、便利になって空いた時間を有効に活用できる可能性が出てくるというメリットが得られるはずです。代償もあるのかもしれませんが、それも含めてもメリットの方が大きいというものも少なからずあるでしょう。ナビにしても当初は使い勝手が悪かったですが、現在ではほぼ問題レベルに引き上がりました。

なんでもさじ加減が重要な訳ですが、個人的には便利さに対して肯定的ですね。
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:所感
トラックバック:0 | コメント:0 | Page Top↑
子供たたき注意され逆ギレ 電車内で暴行の区職員逮捕

また酔っぱらいの暴走か。覚えていないという言い訳が出来るという時点で、飲酒が犯罪行為であるという良い証明になっています。酒を飲む奴は一切偉そうなことを言うなって言いたくなります。堂々と公衆の面前で理性を飛ばす効果のあるものを飲んでいる訳ですから、話になりません。運転や犯罪行為などは当然論外ですが、眠りこけるなんてのも巫山戯た話です。酒は麻薬と同じ扱いにするのが相応しい。酒飲みはジャンキーとして扱うべきでしょう。


飲酒は犯罪です。麻薬と同じです。
ダメ。ゼッタイ。
酒やめますか?それとも人間やめますか?