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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
なんか、順当にラブコメしてるなぁと言う感じ。変に拗ねてないので、印象としては悪くないです。何となくうまくいきそうな組み合わせも出てきていますが、当然そのままゴールってわけじゃないんでしょう。最終的なカップリングがどうなるのかというのが純粋に楽しみだったりします。

ただ、この調子で行って飽きがこないという保証もなく、特に落ち着いてしまって停滞し始めると、危険信号かもしれません。作風的に毎回修羅場みたいなメロドラマ展開ってのも合わないし、テンションを維持していくのが結構難しいかもなぁと言う気がします。とは言え、もう4話な訳で、数的には進んでいます。その辺りキャラの数をそれなりに用意できる元ネタゲームの強みだし、今のところ適切な数というか、それなりに話に絡んできているので、バランスが保たれていると感じます。ま、1年生の二人はちとウザいですが(笑) この勢いなら、1クール位なら走りきってしまうかもしれないですね。

13話として、後9話。男が3人出てきているから、3組カップリング出来るとして、単純割りで1組3話。まぁ、拗れるところもあるかもって考えれば2話って組もあるわけで、そう考えると、時間は有りそうで無いって感じなのかもしれないです。

後、能登はやっぱ脇役で終わっちゃうのかなぁ。個人的には一番好みなんで残念なんですけどね…
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「HD DVD-Rが売れなくなっても困らない」 「HD Rec」が仕掛ける「新しい競争」

600Gバイトで10万円切るのが本格的な普及の時期では


うっ! 鋭い。まさしくそう思っていたりしました(笑)
更に言うならHD RECの互換性と将来性。ここしばらくで出てくる機種でしか再生出来ないメディアなんてものは、もう意味を消失していると同義な訳で、将来的に最低でも再生環境がサポートされ続けるという確信が無いと踏み切れない。PCでの再生がサポートされるかというのが一つポイントになるかもしれない。当然その場合に求められるハードウェアスペックや必要となるソフトウェアも重要。

AVCの画質に付いても問題で、どの位のビットレートを確保すれば十分に見られるものになるのかを自分の目で確認しないと実際に使えるのか判らない。効率的にHD RECを使うためには、初めからTSEで録画するということになる訳で、録画しか見ない人間からすると、その画質に関しては一定以上の妥協は出来ない。トリックなどの操作性も重要。

ということで、少なくとも実機が出てこないと判断のしようがないということになります。このHD RECの出来いかんで、HDDの必要量も変化する訳で、300で足りるのかという判断もこれまた出来ない。感覚として少ないだろうというのは確かにあるにはありますが。

SONYも松下もAVC対応機を出してきている訳で、レコーダー勝負もデジタルのラウンドが本格的に始まったなという気がします。アナログでは他を圧倒というか、東芝以外を選ぶ理由が判らんという状態だった訳ですが、デジタルはコピーコントロールのおかげで、アドバンテージが大分薄れてしまいました。さて一体どうやって特徴を出していくのか、DVDへの記録というのは、あくまでもアドホックだと思うので、やはりHDとBlueの決着がみえてこないと(当分決着は付かないでもアリ)判断は難しいのかもしれませんね。
IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ

ひでぇ…、中身が中学生レベルと言う気がする。最高学府もここまで落ちましたか。つか、これならマジで中卒や高卒を雇った方がいいんじゃないだろうか。若いからきっちり教育も出来るだろうし、変な癖やプライドを持っていないからまだ素直だろうし。こんな成長期のピークを過ぎてしまった中途半端なお坊ちゃん、お嬢ちゃんよりはるかに使えるんじゃないかという気がする。

結局具体的な物質や指針が無ければ、何をしているのか判らない。何をしたらいいのか判らない。まさに優等生って感じの馬鹿さ加減を露呈してます。教育の賜物でしょうね。この世代なら子供の頃からコンピュータやネットワークにふれて過ごしてきているはずなのに、何をしているのか想像すら出来ないとは、お粗末極まります。物質に縛られないということが、より自由に繋がるという転換は彼らには不可能なんでしょう。

しかも厳しいのは嫌だというが、他がそんなに楽なのかというとそれは甘いだろう。現実をまるで理解していない。きっと甘やかされていたんだろうというのが良く判る。既に反論されているけれど、帰れない程填るというのは、自分達にもどこかに原因があるということが大抵というのが経験則。自分達でそれを回避することが出来ないと最初から決めつけているというのが、これまたお粗末。

挙げ句の果てには、コミュニケーション能力とは何かが判らないと来た。つか、既にこういう質問をしている時点でコミュニケーション能力は無いってことが丸わかりなんだけど、結局相手の意図、その本質を見抜くというのがまずあって、それに対して解決案を考えられること、その実現方法が考えられること、更にはそれを相手に伝えられることが出来ないと話にならない。コミュニケーション能力とは、端的にはそのプロセスの出口と入り口を指している訳なんだが(正確にはそれ以外でも求められるが)、それすら理解できないのか。どこの職種でも言われるというのは何故かというと、コミュニケーション能力が劣悪な奴が大勢であるからって事に尽きるだろう。

「コミュニケーション能力に長けている人」
「チャレンジングで好奇心旺盛な人」
を求めるなら、こいつらは駄目だってことだろうね。まぁ東大や筑波に居るようなエリート様じゃこの程度の思考回路しか身についていないのだろう。
【産経抄】11月1日

「『テロとの戦い』は、日本にとってしょせん人ごとか」


アメリカが定義しているような意味で、テロという言葉を使うなら、そりゃぁ人ごととして扱うしかないでしょう。そうでもしないと、アメリカと戦争ってことになりかねません。だってテロと戦う以上、そういう結論にしかならないでしょうから。そんなことしても勝算はないでしょうから、心ある人間の対応としてはせめて人ごととして扱うというのが、ギリギリ譲歩できるラインということなんでしょう。

まぁ、すでに心なんぞ売り渡し、心も体もアメリカの奴隷になりたがっている人達も大勢居るようで、そういう連中からすれば、何で俺が奴隷になろうとするのを邪魔するんだって文句も言いたくなるのでしょう。彼らから見れば、アメリカ万歳、アメリカの敵は俺の敵、アメリカの敵は世界の敵、アメリカは偉い、アメリカは神ってことなんでしょう。

こういう物事に疑いを持つということを知らず、しかも拒絶している連中は、幸せなんでしょうね。既に人間として最低というか、人間として認められるか疑わしいまでに自らを貶めるという対価を要求されるので、全然羨ましくはないですけど。まぁ多分彼らは家畜としてご主人様に飼育して貰えるということを期待しているんでしょうね。
【主張】国旗・国歌 問題教員の報告は必要だ

入学式や卒業式などにおいては、その"意義"を踏まえ
国歌斉唱時に起立して歌うのは国際"常識"である
国旗・国歌の"適切"な指導
学校では、児童生徒に国旗・国歌の"適切"な指導を行う
それが"公"教育というものだ。
これが学校現場での"正しい"考え方だ。


この短い文章を読んだだけで眉唾な文がこーんなにもあります。
この時点で、主張とやらに耳を貸す意味がないということが良く判り、
こういう主張が
無意味な形式主義の推奨。
人間を国家の付属物、歯車程度にしか見なさない人格軽視。
曖昧で独善的な定義や前提を堂々と一般化する。
一方的かつ一面的な価値観の押しつけを正義と称するテロリズム。

如何に国家主義という発想が下劣で下卑ていて愚かしいものか、
たったこれだけの文章が良く表してくれています。
書こうと思ってもなかなか書けませんよ、いやホント。
同人誌即売会規制強化へ 東京都

以前から何故未成年への性的行為はいけないことなのか疑問に思っていて、昨日某友人と子供を性的対象として見ることが何故ここまでタブー視されなければならないのかということについて議論しました。勿論様々な要因があるので、一概にこれが原因だと断定することは出来ないのですが、少なくともこれは大きな理由だろうというものが見つかりました。それは何か、

「子供を商品として扱うイデオロギー」

これに落ち着きました。つまり、自分の所有物であり、かつ商品である子供を他人に傷物にされてはたまらないという発想に起因しているだろうという考え方。現在においては無意識下に行われている可能性が高いですが、学歴志向や、その前段階の良い子という型にはめることを喜ぶのも、結局市場での一般的な価値を高めるという発想から始まっていると考えると妙に辻褄が合います。発想自体は真に資本主義的思考方法から為っており、人間も貨幣換算の価値に置き換え可能であるという尊大な観念から生じる、まさに資本主義が生み出した最も禍々しい鬼子です。

だとするなら、児童ポルノはとんでもないと声高に主張することは、実際には子供の人権を完全に踏みにじり、人間を徹底的に商品として見なそうという主張をしていることと同義です。そう指摘すると、反論もせずに怒り出すでしょうけど。もし、人間などというものは、商品として扱われるべきだという主張であると言い切れるなら、それはそれで一つの考え方として拝聴に値するかも知れませんが、その場合は当然人権だの自由だのを題目に据えることは控えるべきです。この手の主張は、そうではなく、ダブルスタンダードを堂々とごり押ししてくる場合が非常に多いです。

ちなみに、こういうことを言う連中は、子供を商品とする以前に、自分自身も積極的に商品としようとしているということでも、意見の一致を見ました。権威主義的傾向が強いのは勿論ですし、そうでなくても既存の枠組みや仕組みから思考を解放出来ない奴隷的傾向が強いです。まぁ大体、正義とか、倫理とか、道徳とか、法律とか、規則とか、常識とか持ち出す奴の言うことは、それらの単語を理解していないから、信用するべきじゃないってのは、相当高い確率で真理です。つまり、自らの価値観を完全にシステムに依存している訳です。そういう生き物をまさしく奴隷と言う訳ですね。

この規制、一体誰が言い出したことなのか知りませんし、どうも世間的には児童ポルノはとんでもないという風潮が強いようですが、さて、彼らの内一体どの程度の奴等が、その本当の意味を正しく理解しているのか、果てしなく疑問です。そして、そういう無配慮な感情論だけで法律や規制が決定され、それを正義の旗印で強制していくという図式は、まさしく地獄絵図と言えます。当然そこに自由など欠片もありません。所詮この程度が近代民主制が作る正義であり、限界であるということでしょう。こんなものを熱心に信奉している連中が大量に存在しているという事実を思うと、気が遠くなりそうです。
しかし、見れば見るほどリアルな描写と感じるんですが、それって結局古き良き時代のサークルってのをデフォルメしてるってことなんだろうな。今時のヲタってあんなに純朴じゃないって気がします。とは言え、やっぱりヲタはヲタという部分も確かにあってその辺りの微妙なギャップというのが魅力なのかもしれない。

そういう意味では、今のところ良くできたファンタジーということも出来るかもしれない。言ってみれば、マリみてと同じような意味で楽しんでいられるという風に言えるのかもしれない。ただ、世界観の構築という意味では、やっぱりマリみてに一日の長があって、げんしけんってのは、どうしてもクローズしているフィールドやキャラが限定され過ぎているってのが弱点になっています。

大学全体を巻き込んでという展開にするのは難しいので、ここから話をどこまで広げられるかというのが、もう一歩前進できるかの鍵のように思えます。世界観を構築するところまで進められれば、これは結構良い作品として完成するかもしれないなとか思ったりしています。