FC2ブログ
Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
超今更な感じですが、やっと見ました。評判が高かったんで、どんなもんだろと思っていたんですが、なるほど確かに面白かったです。「時をかける」という設定自体は、とてもSFチックなんですが、SF的整合性の部分を完全に無視して、勢いとキャラ描写をメインにした話にしたのが成功していると思います。僕の場合原作も、実写映画も見ていないので、話自体は全く知らないという状態で見ていて、さて、どうやって決着付けるんだろと思っていたんですが、結末もまぁ悪くないというか、無難な落し処だったように思えます。

この作品の最大の魅力は、なんと言っても真琴の魅力に尽きるでしょう。はっきり言って、他の部分の描写を大幅に削って、ほぼ全編真琴の一人称で話は進みます。それが成功して真琴というキャラクターに関する実在感はしっかりし、千昭との対比が良く出ていたんじゃないかという気がします。功介ももう少し何かに咬んでくるのかなと思っていたんですが、あえてそうしない割り切りが、また二人をクローズアップする結果になったように思えます。

ラブコメというか、青春ものというかって感じなんですが、実際にはそれらともちょっと違うんじゃないかなという微妙なポジションであると感じました。真琴というのは、純粋さが巧くデフォルメされていて、それでいて、男子達と毎日野球をやってしまうような、そんなエネルギーを持っているという設定が効いています。走るシーンや泣くシーン、そしてなにより飛んだり転がったりするシーンが多いというのも、そんな彼女と良くマッチしていました。

声優を使わなかったために、妙に声が素人っぽかったのも良い方向に働いていて、けれどちゃんとした役者を使っているから、締めるところは締めるというか、メリハリが効いているというか、何となく変化が、これは聞いている方が馴れたというのもあるかもしれませんが、そういう感じが声にも出ていたような気がします。

結局、何かあったようで何もなかったような、そんな微妙な話を軽快なテンポで気持ちよく描いたという作品じゃないでしょうか。劇場版という時間的制約が、かえって無駄の表現を押さえてピントをシャープにしてくれたと思います。実は解決していない問題のようなものも幾つか残ったままになっていて、その辺りの微妙な積み残し感が、ストーリーと良くマッチしています。これを全部狙って作ったのか、それとも偶然の産物なのか、それはよく判りませんが、ともかくも結果として素直な感じのする作品に仕上がったなぁという印象です。
スポンサーサイト



社長のことを守るという割に、肝心なところで守った事は無い魔法眼鏡っ娘。それどころか、結局強い敵を相手にする時には社長頼みという気がしてならないのだが、気のせいだろうか?

で、まだ延々と初期設定話を進めている訳なんですが、その割に世界観を理解できたかというと、そうでもない。とてつもなく情報量が薄い。例えば魔法眼鏡っ娘と社長の関係はもう判ったって位繰り返し、繰り返し強調されるんだけど、なんの変化もないし、恐らく最後まで変化は無いんだろう。そう思うと、しつこいと感じるし、そんなことよりもっと描くことあるんじゃないの? という気がする。

例の目を使うと、命が縮むとかそういうヤバげなものなのかなと思ったら、精神が蝕まれるって話らしい。となると、これは根性論に行くような気がするな。魔法眼鏡っ娘はどうしても魅力が薄いので、竹ロール美佳子か、幽霊ちゃんが、ロリっ娘に頑張ってもらうしかなさそう。素直に萌えアニメにした方が潔いと思うんですがね。

まだ話数に余裕があると思って、のんびりしているのかもしれないですけど、大体5話までに面白くならなかった作品で後から挽回出来たものって皆無なんだよな。真っ当なものを求めるのは酷ってことなのかもしれない。
「擬似同期」型メディアの登場・人文系が語るネット

3編に渡って色々と書かれているのだが、結局重要なのは、

「コミュニケーションの内容が顧みられなくなり、その行為の事実性だけが突出して欲望されるようになった背景」とは何か?

という事に収束するでしょう。で、そこに書かれているのは、結局人間は進歩しているようでして居ない。ということのようです。つまり、彼らはマスコミを信じられなくなった。けれど、マスコミの代替え品を求めている。結局、マスコミはお手軽だった、だから代替え品もお手軽でなければならない。 と、そういうことなんじゃないかという気がします。

マスコミは上から一方的に情報が落ちてくるだけだった、その状態から脱出はしたけれど、自分があるいは自分達が情報の主体になるということを選択した訳では決してないということでしょう。それは、何を書きたいのか意味不明なサイトがごまんとあるという事実からしても、推察できることです。

マスコミから得た情報で知った気になるのと全く同じロジックで、ネットでコミュニケーションした気になって満足してると言う状態。そこには、知性や理性は全く働いていません。ビジネス的な旨味がそこにはあると指摘されていますが、それは当然のことで、頭を働かせていないのだから、騙すのは簡単で、それらしく装ってやりさえすれば、その中身には無関係に飛びつくでしょう。それは低コスト、低リスクで、高いリターンを得ることができる、ビジネス的な錬金術です。その媒体とはまさに大衆そのものであり、大衆が資本主義において理想的であるということが良く判ります。

けれど、先に挙げた通り、これは別に最近始まったものということでは無いです。マスコミ全盛時代から、いや、それ以前から大衆というのは大衆であり、それ以上では決してないということです。なので、それ自体を深刻な問題と考えても仕方ないでしょう。じゃあ、深刻な問題なのは何かというと、そんな大衆が権限を持っているという事実と、それを担保しているシステムが社会に対する影響力を増しているということでしょう。前者は近代民主制、後者は資本主義が抱える本質的な問題です。

この価値観が大手を振っている内は、状況はまず改善することはないでしょう。
道路財源「余るなんて机上の空論」 冬柴国交相

兆歩ゆずって「地方へ行けば本当に道路が必要」が事実だったとしても、そこに金を使ってこなかったから、こういう議論になって居るんじゃないのか? 自分達が散々無駄遣いしておいて、今更、地方ではまだ必要だなんて、あたかも国民の事を考えていますというポーズを取ってみても、全く説得力がない。

いけしゃあしゃあとこういうことを言ってのける連中が堂々と大臣を名乗っていられるという時点で、現状のシステムが如何に腐っているのかが良く判る。盗人猛々しいとはまさにこのことなんじゃないだろうか。
「「自民党によるテロ」との戦い?」

石破なんて、「テロ、テロ言う奴がテロリスト」を地でいってる人ですから、このエントリーの指摘はまさに正鵠と言えるでしょう。少なくとも現時点でテロに巻き込まれているような奴等は、自らその種をまき、水と肥料を与えて大切に育ててきたという経緯がある訳ですから、テロリストに攻撃されるのは、まさに因果応報という奴で、同情には値しません。それを世界の敵とするのは、一部の「俺の正義が世界の正義」とはばかりもなく言い切るような横暴な連中の妄言を認めることでしかありません。

言ってみれば、広域暴力団が進出してきて割を食った地元弱小暴力団が、ついにキレて事務所の一つに殴り込んだというだけの話で、それを広域暴力団がその資金力を背景にして得た政治力を使って、被害者として喧伝している。現状なんて、それだけのことでしか無いでしょう。

喧嘩しているのを見て、仲裁に入るのは義かもしれませんが、その際、一方に肩入れして無条件に相手を悪だと断じる行為は、もう広域暴力団に忠誠を誓った、地元暴力団その2でしか無い、愚劣な行為でしかないと僕には思えます。

で、今回のこの馬鹿ジジイの文章の主旨は、地元暴力団その2の若頭辺りが、自分達のシマに済む堅気の住人に対して「奴等を倒す為に、てめぇら全員(広域暴力団の)鉄砲玉にならんかいこらぁ!」と言っている以外の何物でもありません。賛同するのは個人の自由ですが、それは自ら堅気を捨てて、暴力団員になるということであり、それはつまり、言葉を元に戻すと、自らをテロリストと化すということです。

ただ、結局自民党が与党であり、こんなジジイが堂々と大臣を名乗り、税金を使ってこんな文章をまき散らしているということが、実際まかり通っているという事実と、それが恐らくは黙認されるんだろうという現実を見ると、日本人は、積極的では無いにしろ、消極的なテロリスト支援者が多数を占めているということは言えてしまうんでしょうね。
法の正当性に対する素朴な疑問

法律を守らなければならない理由は特に無いし、正当性も国があると主張しているだけで、実際にあるかどうかは受け取る側の意志に依存するでしょう。

ただし、国という組織は巨大であり、それを明に、あるいは暗に支持するという人間の数が多い為に、強大な権力を誇っています。俺様のシマで暮らすなら、俺様ルールを守れというのを強制するのが国家という仕組みです。確かに、一応法律等の成立や改正、廃止などは、民意に基づいて行われるという形式になっていますが、それは現時点においては形式のみで維持されているだけのことですから、かなり怪しいです。しかも、見直す仕組みが貧弱な為に、一度間違うと想像以上に長い時間に渡って巫山戯た法律がまかり通るということが、しばしばあります。実際これまでも幾つもそのような事は起きてきました。

もう一つ重要な点は、そうは言ってもこの複雑な社会において、全ての規則や原則、仕組み等を理解して、正しい判断を個々人が行うというのは、非常に難しい。というか、常人には不可能であるということです。そんな状態でも自由な社会活動を行う為に、目安として、法律が機能するという部分はあるでしょう。つまり、法律もまぁ完璧では無いものの、概ね悪くない程度にはなってるんじゃねーの? という想定の元、手続きを簡略化する道具として利用することは出来るでしょう。ですが、あくまでも目安であり道具である訳ですから、法律が正義だとか、法律は守らなければならないということにはなりません。

要は、法律は守らなければならないというのは、幻想あるいは国家の要望というレベルでしかないということです。あと、あるとすればその方が社会維持のコストが安く済むという資本主義的用件に短期的にマッチすると思われるという点でしょうか。ただし、「守らないとどうなるか判ってますよね?」と言葉遣いだけは丁寧なインテリヤクザと同様、国家はその権力を盾にして、我々を脅迫をしているというのがまごう事なき現実です。実際のヤクザとの違いは、自己の保身を目的としていないということなんですが、それすら相当怪しいという法律も散見されます。アベが推進した教育に関する法律とか、今回のテロ関係の法律、役人が自分達の権益を守ることを目的としているとしか思えない法律など、探せば幾らでも出てくるでしょう。実際上は我が身可愛さから、従わざるを得ないという状態です。

結論としては、別に法律など守る必要はありません。ただし守らなければ、国により罰を強制されるし、度を過ぎれば国を敵に回すことになります。けれど、だからやってはいけないということにはなりません。それは国の都合としてやって欲しくないというだけです。お断りしておきますが、これは、犯罪を推奨しているのでは決してありません。もし、自分が主権者であると認識し、民主国家の市民であろうと思うのであれば、少なくとも精神を国家に売り渡すことなく、自らの思想や倫理、哲学によって、何が良くて何が悪いのか判断するべきです。精神を法に依存してしまうと、判断能力は簡単に退化し、法あるいは国家の奴隷に成り下がります。法の奴隷達によって運営される民主国家は、自浄機能を失いますから、悪循環に陥ることは確実で、昨今の問題の幾つかは、これが起因しているだろうと思われるものもあります。そういう状況を少しでも改善する為に、その疑問を忘れてはいけないだろうと思います。
引き続きホエホエ学園アニメが展開しています。って、これがメインなんだろうな。あの、1話は一体何だったんだって位に、お気楽な感じで進んでいます。勿論、騎士達の学校ということで、戦場に行くことが前提ですから、本来はお気楽って訳ではないんでしょうが、どうもそういう意味での緊張感というものは伝わってこないです。

どうも、どこにフォーカスを持ってくるつもりなのかがはっきりしないです。最初は戦闘面を重視するのか思ったんですが、そうではないようだし、ラブコメというのとも微妙に違う状態。友情ものというのとも違うし、ファンタジー色を全面にという訳でもない。女性キャラが一杯出てきているけど、萌えアニメという訳でもない。どうも欲張った挙げ句にどっちつかずになってしまっているような気がしないでもないです。

そろそろ路線を明確に見せた方が良いんじゃないかなという気がします。基本路線を明確にして、その部分を落とし込むという流れの方が話が綺麗になるんじゃないかな。キャラ的にはもう十分だと思うんで、ここからの描き込みは話の中で展開させた方が綺麗なんじゃないかという気がします。

もし、このまま学園もので引っ張るなら、もう少し周りの状態というのをきちっと出して、彼ら彼女らが一体何をしようとしているのかという辺りをきちんと出した上で、やっていかないと上滑りしちゃうんじゃないでしょうか。
将棋についてはそれほど詳しくないのだけど、そこまで勝負を左右するような1手を見逃していることなんて、そうそうあるんだろうか? とちょっと思ってしまうものの、緊張感は伝わってきます。将棋の指し方のスタイルがあって、それぞれ良さと悪さがそこにあるというのも面白い。基本的な路線としてはスポ根ものと同じような流れなんじゃないかと思うのですが、動きでは無くて、知能戦なだけに精神力という部分が表に出しやすい。

それだけでも結構楽しめるのですが、多分それだけだとすぐに行き着いてしまう。見ている側は将棋のプロでもなんでも無いのだから当然のことでしょう。逆に、スポーツものと違って、スーパープレイが表現しにくいですから、どうしてもマンネリになりがちです。

そこで、ミステリー的な要素が効いてくる可能性があるんですが、その関わらせ方を上手くやらないと、チグハグになってしまうかもしれない。実際これまでは、真相を隠そうという意図もあったからだと思うものの、繋がりの部分が見つけられずどうしても分離感を強く感じさせてしまいました。

ただ、現時点で想定できる内容から考えても、将棋と殺人事件を結びつける要素というのはそれほど多くは無いように思えます。勝負の世界は厳しいと言うことを強調しているし、斉藤歩の立場というのを考えると、綺麗事じゃないという方向に話を持って行きたいのかと思うのですが、上手くやらないと、やはり無理矢理感が出てきてしまうんじゃないかと思います。

二つの世界をいかに交わらせるか、そこが勝負所でしょうね。