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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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どのような社会像を想像しているのか

人間の生まれながらの能力が違うのは当たり前です。それが運動であろうが勉強であろうが容姿であろうが、関係無くそれを無理矢理平等にすることは発想は結果平等であり、悪平等というものです。僕は、人間は全て平等であるべきだと主張している訳ではありませんし、結果平等を求めている訳でもありません。少なくとも本人の能力が自分以外の要因によって不当に妨げられることは避けるべきだと主張している訳です。努力したかどうかを問題になどしていません。生まれついたものも、その後の行動も全部含めて自分であることは認めなければなりません。なので、前半の指摘は全く見当違いです。家族制度を解体しても、完全な機会平等は得られないかもしれません。ただ言えることは、家族制度を存続させるよりは遥かに平等が確保できるということです。それ以上の理由が必要だとは思えません。

実現性の問題ですが、どのような道筋にも、目標と過程というものがあります。目標点を定めずに現実性を重視してとりあえずやるということに賛成出来ません。ですから、まずは何を最終地点とするのかという部分を明確にする必要があると考えています。そういう意味で、当面の現実性を過剰に重視するべきではないというのがここでの見解です。

家族以外が教育を行うと多様性が無くなるといい。そして、同じ家族に育てられていても所属する友達等の集団が異なれば多様性は確保されるという。ならば、家族以外が育てていても、友達等の集団が異なるなら、何ら問題無いということになるんじゃないですか? 子供には判断力が無いから親が道筋を決めている。けれど、それを親以外が行うと多様性が失われてしまういう。親以外であったとしても、当人の能力や趣向に適した道筋を示せれば、誰が行っても問題はないんじゃないですか?

人間というのはそれ程単純な生き物では無いですよ。そんな簡単に同じような人間が大量生産できると思っているなら大きな間違いです。洗脳教育でもしない限り、(現在以上に)同じ価値観を持った人間を作るなんてことはそう簡単ではありません。もし、現状の学校などを想定しているのであれば、それは大きな間違いです。現在の学校制度は家族制度と相互依存していますから、家族制度が無くなれば、学校制度も大きく変化せざるをえなくなります。

幸せの定義は誰にも決められません。だから仮に僕が具体的に提示したとしても無意味です。けれど、家族制度がなくなった途端に幸せが無くなると考えるのはナンセンスです。家族が無ければ無いでその状況に応じた幸せというものを見つけ出すのが人間というものです。家族が無ければ幸せは得られないというのは、単に現在のイデオロギーに依存している人間の価値観に基づけばそういう人も居るというだけのことで、なんらの絶対性がある訳でもありません。

金銭面についても、今は個別の家族がその費用を負担している。単に個別に分散しているというだけで、負担は負っているのです。である以上、それを家族以外の誰かがやったところでトータルの費用、これは労働力も含んでかもしれませんが、は変化しません。そして、その出所が大きく見た時国民の財布であることも変わらないのです。ですから、負担が増えると考えているのであれば、間違いです。ある立場の人の負担は増えるかもしれませんが、他の立場の人の負担は減る訳ですから、差し引きすれば相殺できるということです。

概念の為に努力することは難しい。というけれど、その場合の概念が対象となる人達にどのようにとらえられているかが問題な訳です。「現状の」貴方にとって、家族という存在が社会という存在よりも遥かに価値が高いという感覚があるから、家族以外を想定することは難しいとなっているんでしょう。

何度も言いますが前提条件が変わっている以上、「現状の」貴方の発想を幾ら当てはめてみても意味がありません。根拠や具体性が無いという前に、きちんと状況をリアルに想定してください。ただし、その際には「現状の」価値観をリセットする必要があります。

それが典型的に表れているのが自分が育てない子供を女性が生むのか?という疑問です。家族という概念が存在していることを前提にしているから、そもそもこういう疑問が出てくる訳です。子供は家族の所有物であるという発想から自由になれていない証拠です。社会の子供は(自分も含めた)社会のものという発想が定着していると発想できれば、そのような疑問はそもそも出てこないのです。そして、その発想が定着出来ないのではないか? という疑問を説明するのに、また家族が社会より重要だからと持ってこられたのでは、話が堂々巡りしてしまいます。

賛同云々以前に内容を理解されていないと感じます。もう一度言いますが、前提条件が変われば人間の考え方は変わるのです。そこを正しく解釈してもらわない限り内容は理解できないと思うし、議論も噛み合って来ないのではないでしょうか。
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論外!
DRMなしのクラシック音楽―ドイツ・グラモフォンがオンラインMP3ストアを店開き

素晴らしいです。実際行ってみましたが、感涙もののラインナップです。さすがDGです。値段的には12ユーロ程度なので、凄く安いという訳ではありませんが、廃盤も多く含まれているということだし、単曲でも購入できるということで、かなり便利です。

DRM無しということで、そちらは文句なしですが、気になるのは音質。320kのレートを使っているということで、完璧とは言わないまでも、相当気を遣ってくれています。アルバム単位で買うとブックレットPDFが付いてくるという辺りでも、神経の細やかさが垣間見えます。

実は、DVDも含めたカタログ検索としての使い方も出来るので、とりあえず検索してみるだけでも楽しいです。好きなアーティストを見てみたり、好きな曲を検索してみたり。快適に検索できて、意外な発見があって、散財してしまうかもしれませんのでご注意を。実はしばらくCD関係はチェックを止めてしまっていたので、新発見が多いです。実はシベリウスの没後50年記念アルバムでヤルヴィ指揮、交響曲、管弦楽曲を集めた7枚組なんてのを見つけて、お!っと思ったんですが、流石に7枚組だけあって、66.99ユーロとちょっとお高い。実はHMVだと7000円で買えてしまうというオチがあるんですが、DGとしてはそっちで買ってくれても全然OKなんでしょうね。でも、例えばフィンランディアだけ欲しいとかならMP3だと1.99ユーロで済みます。

しかしDGが始めたとなるとLondonやPhilips、CBSなんかもやるかもなぁ。
独学は一人では出来ない

ほぼ完全に同意できます。学校のあり方として、十分試す価値があるんじゃないでしょうか。砂場の機能という部分にもう少し手を加えて、何かを促す要素を入れてもいいかもしれないという気もしますが、それをしなくても自然と必要なものが備わるのであれば必要無いでしょう。

必修科目は読み書きソロバン程度で十分だと僕も思います。英語が必要かどうかは微妙に感じますがビジネスとしては有用でしょう。個人的には中学程度からは哲学は突っ込んで欲しいかなとは思います。何れにしても、今の内容は過剰だと思えます。

勿論そうなれば学科に対するペーパー試験の平均点は下がるかもしれません。なにせそれが下がると大騒ぎする人達が大勢居そうですから、なかなか受け入れられるものじゃないんでしょうが、実際は、学科以上に重要で、かつ現状では危機的な状況になっている学科以外の何かを彼らは獲得できるんじゃないかという気がします。

何が教育にとって必要か、何が人間にとって重要なのか。そこをきちんと考えられる親が増えて、社会もそれに同意してくれないと、なかなか厳しいんでしょうね。
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【やばいぞ日本】「国のため」気概失う若手官僚

公務員たるもの国の為に働けというのは、真に正しい。ただ、その方法論がこの内容じゃ、そりゃ付いてこない奴等が続出するのは、当然だろうね。きっと、こういう考えの人達がまだまだ役所には大量に残っているんじゃないだろうか。そして、この考え方に馴染めるモノだけが生き残る。となれば、信頼が地に落ちるのもなるべくしてって感じがする。

そろそろこの手の考えの人達には、ご退場願うのこそが、この国の為に一番良いんじゃないだろうか。
ケータイ小説を笑うまえに。

なるほど、ごもっともな見解です。確かにジャンルに振り回されるのは、判断基準としてあまりよろしくない。それは肝に銘じないと失敗する可能性があるでしょう。

ただし、言葉というのは常に一定の意味を持つわけではない。つまり「ケータイ小説」という単語を使う時、それがここで書かれているような意味で使われる場合と、「ことごとく駄作」で構成されているという前提の群を指す場合とがあるということも意識しないといけない。使う側がどちらを意図して使っているのかをきちんと判断する必要があるでしょうね。

実際ジャンルとしては悪く言われているものの中にでも、良いものはあるという例は幾つもあるわけなのですが、どうしても有限なリソースをどこに割くかということを考えると、分の悪い賭けには出たくないと思ってしまうのが心情ってのはあります。
千尋に対する描写は凄まじいです。結局彼女のことを蓮治は理解出来ていなかったし、見ている側も(少なくとも僕は)理解できていなかった。記憶が綺麗さっぱり消え失せるのであれば、確かにあの状態になるのは正解かもしれない。客観的に見れば、退行になる訳ですね。そうである以上、いつもの千尋を維持するのがどの程度困難だったのかが理解できる。だからこそ、安易な哀れみや提案は、彼女をして怒らせた訳で、今更ながらその感情を理解することが出来ました。小説に関しても同様で、普通の感覚が異なっている千尋とそれ以外で、どの程度難易度の差があるのか、想像を絶するものがあります。そんな中で一応完成間近まで漕ぎ着けた千尋からすれば、才能という言葉で片付けられるのは、たまらないものがあったんでしょう。逆に言えば、それをああいう形で表現する辺りに彼女の性格がにじみ出ているとも言えます。お話に関しても興味深くて、お話の女の子は結婚するわけですが、その無機質さと無意味さがとってもシニカルです。

千尋サイドが一気に進んだ割には、みやみやの側が停滞していて、景と紘の噛み合わないっぷりが笑える点と、ひょっとして景ちゃんてば心変わり? それって絶対血の雨が降るぜって感じ位しか見るべきところが無かったんですが、ラストのみやみやの電話はなかなか良い演出でした。まぁとは言え、こちら側は相変わらず三角関係の域を出ていない状態で、千尋サイドに比べるとどうしても見劣りしてしまいます。

さて、結論は毎回同じになってしまうんですが、景サイドの話をここまで描いている以上、千尋側とのリンクがどうしても要求されるでしょう。果たしてどうやって関連付けるのか。なかなか想定できない状態です。そこをどんなアイディアで解決するのか、千尋サイドの展開だけじゃなくて、そこが全体を通じて楽しみなポイントになっています。とにかく、1話での展開量自体はそれほど大きく無いんですが、情報量は多いです。展開も秀逸で、演出的な面白さも含めて、たっぷり見せてくれるという感触が毎回あります。いやぁオフィシャルサイトのトップページだけ見て切り捨てなくて本当に良かったわ。