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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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今回はダイブテンションが戻りましたね。このままホームドラマになっちゃたらどうしようかと思ってました。ドタバタ喜劇としても体裁は取り戻したものの最後に綺麗に纏めようとしているせいか、もう一押しが足りないという感じが残ります。この話を15分にする位にすると良い感じになる様な気がするんですが。

凶華が暴走気味というのは毎度のことなのは仕方ないとしても、全体的な流れにしても毎度同じようではちょっと飽きてしまいます。特に濃いめの味付けなのであっという間に食傷してしまうでしょう。

千花が加わってアクセントは付いていたものの、もう少しバリエーションが欲しくなります。その辺りにもうひと工夫あると楽しめると思うんですが。
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エスカレーターの挟み込み対策を施設管理者などに要請、経産省

また馬鹿対策に金を使うらしい。こういう対策は馬鹿を蔓延させる効果しかない。全くの無駄遣いだ。馬鹿が骨折しようが足を切断しようが知った事じゃないというのが正直なところ。その程度の理解も出来ないような奴は生きている必要性を感じません。

むしろ、自分か馬鹿なことを理解し、馬鹿が馬鹿なことをすると痛い思いをするということが学べただけありがたいことだと感謝して欲しい位です。
浦和・ポンテ初合流!25日にも復帰

神様仏様ポンテ様。ぶっちゃけ一人の人間が戻ってくることで「すべて変わる」ようなチームは困ったモノなのですが、実際にあり得る話ではあります。実際ポンテという人は、浦和に来て恐ろしい早さでチームにフィットしました。何人ものタイプの異なるフォワードに対して、それぞれに有効な仕事をさせてきました。これだけの実績を持って居る人間の発言だけにあり得るかもと思わせます。

闘莉王がボランチに入ってチームが変わったのは事実です。ボランチというポジションの重要性、長谷部の攻撃力がどの位有効だったのかを改めて確認することが出来た数ヶ月でした。しかし、闘莉王が抜けたディフェンスの穴が埋められないでいます。これで万一阿部が怪我でもしたら、ディフェンスは崩壊するかもしれません。そう考えると、このスクランブル状態をいつまでも続けるのは危険です。

長谷部は元々攻撃のオプションとして使われてきた選手でした。それがボランチというポジションに居るから強みとなった訳です。じゃあ、それを今考えるとすれば? 梅崎をボランチにするというのはどうでしょう。山田という選択肢も無くはないかもしれませんが、平川が居ない現状ではサイドをやれる選手は残しておきたい。となれば梅崎がいいんじゃないでしょうか。

啓太、細貝、梅崎とカードがあって、相手や状況に応じて使い分けていくというのが良いのではないかと。これまでずーっと長谷部の代わりを探し続けてきたという流れがあったんですが、ポンテの復帰でその苦難から解放されるかもしれません。
性差別と性別主義

「いやがらせじゃないよ」ってのは、「わたしにとっては」っていう それだけのことです。


同じ理屈で「いやがらせ」だと感じるのも「わたしにとっては」っていうだけのことだろう(笑) って言われたらなんて答えるんでしょうか。多数決でも取りますかね? なんでもかんでも押し並べて結果平等が成立するという邪悪な妄想に取り付かれています。男と女は全く違う生き物であるし、私と貴方も全く違う生き物です。それを便宜上大雑把に人間という種別に振り分け、もう少し小さな枠で男とか女とかに振り分けているに過ぎません。そういう意味で括りそのものは実在しないというのは確かです。

しかし、おかしいのは性差や年齢という括りは認めていないのに、人間という括りだけは認めているという点です。完全なダブルスタンダードですね。その点を修正して、性差も年齢差も人間もそれ以外も認めないとするなら、個だけが残ることになり、個だけが残ればみんな違うって考え方が成立します。違うのであれば異なった扱いを受けるのはなんら不思議じゃ無い訳で、便宜上、効率上、括りも認めざるを得ないということになります。

であるから、人間であるというのも、男であるも、女であるも、少年も、青年も、中年も、老人も、それらの括りは一定の範囲内に於いて有効な訳です。勿論それが先にありきではありません。あくまでも便宜上です。しかし、私と貴方は別のものであるという前提を忘れてはいけません。そちらの方が大前提なのです。それを忘れるから人間は全て一律同じでなければならないなどという妄想が成立するのでしょう。

俺はあんたでは無いし、あんたは俺じゃない。だからはじめて自分という存在が定位出来る訳です。境界線を無くしてしまったら自己崩壊してしまいますよ。
[ダブルスタンダードが生み出す妄想でしかない]の続きを読む
赤ちゃんポスト1年、16人が預けられる…是非巡り続く議論

「育児放棄を助長する」ことが事実であったとして、それの何が悪いのか? こういう戯言を言う馬鹿野郎は親権者としての能力や意志が欠如した奴を親に持ってしまった子供達の人生に対して、どのような責任を持つつもりなんだろうか。子供は親が育てるべき、親が育てるのが一番良いという個人的な信仰を他人に押しつけているに過ぎないだろう。

家族制度などというのは、単なる便宜上の以上のものではないと考える方が正しい。社会の全ての子供達を社会が育てるというのは、少なくともこれまででは不可能であったために、個々人に責任を転嫁する以外手段が無かった為に出来上がった制度にすぎない。前提がことなってくるのであれば、それに応じて手段が変わっていくのは当然のことだ。古い風習が適切な解になるという保証などは全く無い。

社会が複雑化し、個人というものの存在がより強調されなければならない社会に於いては、子供を育てるというのは、どんどん難しくなっていきます。仮にこれまでは平均値的能力を持つ人間であれば、親権者として十分な能力を持っていたと判断できたとしても、それが永遠に続くとは限らない。既に現在において、親権者として破綻を起こしている親というのは少なからず存在している。今後は一層増加するでしょう。

格差という問題もあります。個人間に格差が生まれるのは当然のことで、格差が生まれない社会など不健全極まります。であるなら、子供を個人に紐付ければ、それはすなわち機会の平等を無条件に奪います。それも不健全な社会の温床です。

家族制度というのは、これまでの社会の基盤としては、それなりに良くできた仕組みだったかもしれません。しかし、すでに限界が来ていることは明白です。今となっては家族制度が足枷になって社会の変化を邪魔しています。家族制度を破壊する第一歩として、限定的にとは言え親権放棄を容易に行える仕組みを設けることは非常に有意義でしょう。少なくとも都道府県に1つづつ位は設置するべきだと思います。そこから積極的な親権剥奪に展開させていくのが望ましいでしょう。
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