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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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「権利者こそが消費者重視、JEITAは見習うべき」――補償金問題で権利者団体が会見

「メーカーは“偉大なる将軍様は絶対”と言っているのと同じ」

あーあ、またやっちゃったよ椎名某。大体カスラックと並んで出てきてる段階で、権利者と称する連中が消費者を見ていないというのが明確に表されているじゃないか。その時点で、搾取企業の下っ端扱いされているってモロバレ。自称権利者の語る内容に説得力を感じられない。

MDや録音用CD-R/RW、録画用DVD-R/RWの時代でもタイム/プレイスシフトの使い方はあった。それがHDDになったから補償金は必要無いというのは合理性が無く、根拠を示すべき


HDDと一口に片付けようとするから訳が分からなくなる。ポータブルプレイヤーに対して一定の金額をかけるというのは理解できなくもない。けれど、例えば据え置きのHDDレコーダーに対して同じ発想を持ち込もうとしても、それはMDやCD-Rと同列には扱えない。更にはHDDというのは汎用品であり、必ずしも著作物を処理するとは限らない。だからDVD-Rもデータ用と録画用に別れている。それを一緒くたにはできない。メモリレコーダーを構成しているコンデンサやらICやらに課金しようとしているのと同じレベルだ。こんな主張の方にこそ、合理性は全く無い。根拠を示せという前に、少しは考えてみろと言いたくなります。

「ここまで常軌を逸している相手と突っ張り続けることと、そうでない選択肢を比べた時、前者にはあまり生産的な要素が感じられなかった。もはや当事者としての能力を持つのは権利者のみ。周りの迷惑を顧みず立場を貫いても誰もほめてくれない。これが権利者の見識であると申し上げたい」


s/権利者/権利者と称する集団と搾取企業以外/g
としてやると、綺麗に事実を表すことができます。つか、お前がこれを言うのかって思える位の厚顔さだ。はっきり言って知能障害か認知症にでもなったんじゃないかと思える程の酷さです。つか、当事者であるとまだ本気で思っているとしたら、終わっている。

で、最後の絞めはカスラックの登場です。流石カスラック、期待を裏切らない暴走っぷりです。

「補償金がなくなれば、創造のサイクルが生み出す利益に、メーカーがフリーライドする状況になる。知財立国を掲げる日本で、上場し、優れた機材を輸出するメーカーが、単に『自分だけがいい』ということでいいのか。そうなれば最終的に創造のサイクルが壊れ、社会が文化的に貧しいものになってしまう」

「JEITAは小委員会の場で、文化庁案に対してイエスかノーかをはっきりしてほしい。それによって創造のサイクルが壊れた場合、文化的な損失に対するメーカーの責任は重大。責任追及していかざるを得ないと思う」


メーカーがフリーライドするのはよろしくないかもしれないが、だからといってカスラックがかわりにそれをやってもいいという理屈にはならない。また、補償金が無くなることで文化の創造サイクルが壊れると信仰しているようだけれど、その根拠がさっぱり理解できない。カスラックが想定する搾取のサイクルは破壊されるかもしれないけれど、それによって社会が文化的に貧しいものになってしまう訳では無い。

メーカーに責任を取れというが、逆にお前らは、これまで創造のサイクルと称するものを担ってきた者として、この社会の貧しすぎる文化について責任を取る気があるんだろうか。この自称権利者と称する連中の言い分を認めた時に、現状よりもさらに文化的に貧しくなった場合、こいつらはどうやって責任を取るつもりなんだろうか。こういう言い方をする以上、まずはそこを明確にするべきなんじゃないですかね。

まぁカスラックですからね。所詮カスな訳で、まともなことを期待するのは、乳飲み子に哲学を語れどころか、ミトコンドリアに哲学を語れと言ってるのと同じようなレベルでしょう。求める方が馬鹿な訳です。それは既に確定済み了解事項な訳ですが、問題はその程度の彼らが一端の権限を持っているということでしょう。素直に分相応な事務屋に徹してさえ居れば、そこそこ評価もされるのに、理解することが不可能くせに文化なんぞを語り出すからカスと言われることになってしまう。馬鹿に大して馬鹿と言えない社会ってのは、こういうミスマッチが頻発します。全ての人間と社会にとって不幸しか生み出さないんですけどね。
そうね、こういう展開をもう少し見たかったというのが正直あります。なんせ、毎回毎回なえかの乳ネタばっかり見せられて、いい加減飽きてしまったというのが実際で、コガラシ達が一体何のために藤原家に来ているのかさっぱり判らんよって感じでしたからね。

あぁフブキさん久しぶりの活躍。なんと初回以来なんじゃないかという程です。すっかりドジッ娘メイド扱いされてしまって、いや今回もそこはかとなくドジッ娘臭はしていましたが、それでも一応頑張ってくれていました。コガラシに至っては、もうデフォルトで化け物扱い。いや化け物なんですけどね実際。自分の事を差し置いて、怪しい仮面の女も無いもんだという気がしますが、まぁその分は不問と言うことにしておきましょう。

しかし、結局ここからというところで終了してしまいました。まぁそういう流れになるのは残り1回である以上、最初から判っていたことなんですけどね。こちらも2期に対する含みをたっぷりと残して終了のようです。なんつーかもう、それが当たり前って感じになってきてしまっています。けど、絶対に良くないと思うんですけどねぇそういう構成。
温泉で一息、話も一応これで一区切りということなんでしょうか。婆ちゃん再登場で、クーとコウの二人の様子を観察するという話。全体的にはいつもの話の縮小版的な内容になっていて、一話の後この話に飛んでも、物語は大体通じるという見ようによっては良くできた回、逆の見方をすると、これまでの情報量の低さを証明する回。

キャラの色付けが極端で、既にそれ以外のアイデンティティを失いかけている二人をちゃんとした使命に引き戻す役割が追加されています。まぁとは言ったものの、彼女達も相応にやっているんだなという結論なんで、それ程大幅に変化賀あったという訳ではない。なので、今後の展開にしても大きく変わるかもしれないと同時に、何も変わらないかもしれないというのもあります。

けどまぁ、そろそろ動きが欲しいというのが実際の処。二人の異常性が楽しいと思える期間もそう長くは続かないと思いますよ。
流石にこの手法だと表現の幅に限界が出てきているような気がしますが、それでも続けるようです。主観を切り替えては居ますが、一応2人に絞っているので、なんとか混乱をせずに済む状態で今のところ収まっています。それに加えて、客観性を維持することにも成功していますから、スイッチがこの表現の生命線であることは確かでしょう。

キャラクターそのものを直接表現する手法に制限がかかっていますから、内面的な部分の表現がどうしても難しい。けれど、作品のコンセプトとして、白州の心情表現というのは最小限に抑えるという方向ではあるんだと思います。逆に白州の行動とそれがもたらす結果から見ている側、つまり客観側が何を感じるかという部分こそが重要なんでしょう。

扱っている題材がセンシティブなのも相まって、非常に遠回しな表現をしているというのが感じられます。見ている側が物語の外埜存在であると言うことを強く意識させられるそういう作り。それは、題材には適していると思うのですが、それだけでテレビシリーズを継続させることが出来るのか、そこが勝負の分かれ目になりそうです。
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ゆとり世代を「人財」にしていくために

ゆとり世代を「人財」となる社員に育成していくことは、私たちの役目です。


そうなんですか、大変ですねぇ。少なくとも僕はこの私「たち」のたちには入っていないことは確実でしょう。理由の如何に関わらず、使えない奴は使えません。そして使えない奴は使いません。まぁ私たちとやらが必死に教育してくれたり、社会の中で強制されたりして少しは使えるようになったような連中を5年か10年したら使うことになるかもしれません。それまでは、お人好しな方々に教育して貰うなり、インターネットカフェにでも泊まって日雇い仕事でもしていたらいいんじゃないでしょうか。そんなことは我々の知った事じゃありません。

そもそも彼らが使えなくなった最大の理由は、他人が合わせてくれることが普通であるという環境に長期間漬け込まれたからだと読めるのですが、ここへ来てまた彼らに合わせてやらなければならないという必要性を全く感じません。使えない奴には使えないと判らせる。使えない奴は切り捨てる。これを徹底させることが大原則でしょう。何故なら僕も社会もお前らのママでもパパでも無いからです。いい歳こいて、空気を読むことを重視するとか言っておいて、肝心な部分をまるで読めないのであれば、何の意味もありません。

典型的な例を出されているんだろうとは思いますが、そんな連中ばかりではないでしょう。少なくとも、全体の1割、あるいは2割くらいは最低限のこと程度は出来ている人間が存在しているはずです。はっきり言ってそれだけ居れば十分です。使えない奴なんて、最低賃金で馬車馬扱いしてやればいいだけでしょう。ワーキングプア万歳です。

まぁ大企業様にお勤めだったりすると、嫌でも相手をさせられるということもあるんでしょう。是非頑張って教育なりをしてください。せめて社会人として最低限はクリアできる程度にまで引き上がることを祈っています。彼らが使えるようになってくれないと、自分が管理職になった時に困りますものね(笑) 自分達の将来の為にも是非頑張って頂きたいと思います。

僕らとしては大企業に使えない奴が増えれば増えるほど、仕事が増えるという構造の中で生きてますので、どちらであってもあまり困ることはありません。手間はかかるかもしれませんが、その分料金も上がりますから、儲けは増えることでしょう。人材の確保は厳選して使える人間だけを抜き出してくればいいでしょう。僕は全ての人間が平等であるなんて幻想を信じては居ませんから。
大人の正論は子供の暴論に勝てない

二つの側面があると思う。一つは長期的にはともかく、短中期的に見れば、SaaSのみになるなんてことはあり得ないということ。長期的に見れば可能性はあるかもしれないが、この業界でそこまでの長期的ビジョンなんてものにどれほどの意味があるのか激しく疑問だ。結果として、SaaSは確固たるポジションは築くかもしれないが、全てを奪うことは出来ないどころか主流にもなれない。というのが個人的な予想。せいぜい現状のWebアプリ+αってとこだろうと想定している。ただし、オフラインソフトウェアについてもビジネスモデルは再構成を強いられるかもしれません。

二つ目は、仮にオンラインサービスが主流になったとしても、オフラインソフトウェアがきちんと作れないところは使い勝手の良いオンラインサービスも作れないということ。現状各所で提供されているオンラインサービスのインターフェースはお世辞にも使い勝手が良いとはとても言えない。徐々に良くなっていくのかも知れないけれど最終的には追いつけないだろう。ただし、遜色ないところまで達するということはあり得る。それまでにオフラインならではの何かを見つけ出せなければ、そのアドバンテージは失われる可能性はあります。

世の中の流れがSaaSに向かっているのは当たり前のことで、これまで限りなくゼロだったものが立ち上がってくるのだから流れが生まれるのは道理だ。けれど、巨大なダムの水門が僅かに開いたことで流れが出来たからといって、それがダムの水量を脅かす程になるかどうかは判らない。これまでのマイクロソフトのやり方と能力を考えれば、いよいよ流れが確定し、自分が周回遅れになってから本気で走り始めたとしても、数年で追いつけるだけのパワーがあると思う。それが出来るところがマイクロソフトの最大の強みであった訳だ。

これまで主流になると言われてきた数々の技術や商品が今一体どういう状況にあるのか。それを考えれば、今度だけは特別だと言い切ることは無謀でしか無いんじゃないかと思えます。
マカとソウルの関係というのはどこかで精算しなければならないというのは実情で、しかもブラックスターと椿がパワーアップしてしまった関係で、マカ、ソウルコンビにテコ入れが必要だということで、バランスを取る話。この辺りの構成は、パワーアップ前提の出来レースではあるものの、綺麗だとは思います。

キッドの力が相当であるという設定にしてしまったので、彼等の出番が今のところ極端に少ないというのがチト残念ではありますが、これでマカ達がバージョンアップすれば、今度はキッド達の回が回ってくるかもしれません。

そうやって順番に回していくことで話を進めていくというのは、お約束で、それに対しての違和感を如何に持たせないかが勝負の分かれ目かなという気がします。今のところは設定展開的に無理なく言ってるので、悪くない感じ。無理矢理感が見えてくると、破綻が見えてきてしまいます。

後どれ位この展開で行くのかにもよりますが、無理のないところで物語の方を展開していかないとすぐに追い込まれてしまうでしょう。そうならないことを期待しています。
落し処としては無難なところだと思います。かなり厳しい展開かなと思ったんですが、最善策で纏めたと思います。崩月流で全てが決着してしまうというのは、ちょっとなぁという気がしましたが、まぁギリギリって感じでしょうか。話の展開の重要なところは、そういうばとる的な意味での勝負では無いので些末な部分かもしれません。

紫の決心というのが、なかなか聞かせてくれます。あれだけ小さい子があの台詞を言えるというのは素晴らしい。人生経験というのは年数では計れないというのを良く表してくれています。自分の意志を明確に打ち出す。それを守るために戦う。それだけのことがはっきりと言える人間が、この社会に一体どの位居るんでしょうか。

とりあえず真九郎と一緒に家を出る。それから先のことは後で考える。まぁそれが真っ当な判断なんじゃないかという気がします。けれど、紫にそういう選択をさせなかったというところが、紅という作品の真骨頂でしょう。紫の決意がそうであったからこそ、話が綺麗に収まることが出来たと言えます。

当然のことですが、紫にその台詞を語らせる為には紫のキャラクターというものが、それに相応しいと表現できていないと、話が噛み合わない。けれど、彼女のその決意に違和感を感じないで済む程に紫というキャラクターが出来上がっているというのが、重要なポイントです。このラストエピソードにいたるまで入念にキャラを描き上げてきた成果だと言えるでしょう。

全体として良く構成されていた作品だったと思います。十分良作というに相応しいでしょう。
「権利者への誤解を解きたかった」――「ダビング10」合意、椎名和夫さんに聞く

権利者側はなぜ譲歩したのだろうか。「膠着(こうちゃく)状態は誰の利益にもならない。権利者がダビング10を人質に取っているというとらえ方を変えたかった」と実演家著作隣接権センターの椎名和夫さんは話す。


当然のことだけれど、膠着させた張本人に言われても全く説得力がない。更に権利者と称する連中が折れればいともあっさり問題が解決したという事実からも、この言い訳は成立していないというのが良く判る。そもそも時代錯誤な権利拡大を主張し、その大半を搾取企業に吸い取られる為のものであるというのだから、洒落にもならない。

はっきり言って遅きに失したのは確実でしょう。今更譲歩をしてきたところで、既に権利者と称する団体は、消費者及び文化の敵であるということは、明確に認識され、変えることは簡単には出来ないでしょう。特に最前面に常に置かれた椎名某に関しては、物事を考える事が出来ない愚かなマリオネットであるというのは確定事項として刻まれたでしょう。

権利者が搾取企業に搾取され続け、不遇な境遇だったというのは認めたいと思うし、今回それを変化させるチャンスであるというのも確かだったと思いますが、視野が狭窄し過ぎて、方向性を間違えたというのが致命傷です。これだけ長い期間、その失敗に気付かず、無謀で無意味な主張をし続けたという事実を消すことは出来ないでしょう。

残念ながら何もかもが遅すぎたというのが実際です。
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ケータイコンテンツの中年事情

年齢的には見事に中年に入っているんですが、この内容を見るとあからさまに自分はマーケッティング的な意味での中年とまるで趣向が合っていないということに、納得と驚きの両方を含んだ微妙な気持ちになります。しかし「ゴルフ、パチスロ、競馬、子育て、レシピ」とは…。どれ一つとして、全く、欠片ほども関心がありません。さて、そういう部分は置いといて、個人的には携帯コンテンツをどう思うかというと、結論から言えば

「今のままではどうにもならない。全く使い物にならないし、興味も引かれない。」

これが解答。まずは表示能力。携帯電話が携帯電話としての使い勝手を維持している以上、まず積極的に見ようという気にはならない。出先で緊急避難的に見るのが関の山。移動中とか、店の中とか、そのレベル。出先にはまず間違いなくPCが存在していて、高速回線が繋がっているのが当たり前なので、何もわざわざ携帯コンテンツなどという不便極まりないものを見る必要がない。それでも、見る機会というのが存在するのは事実なのですが、それすら携帯コンテンツを見たくないので、スマートフォンを持ち歩いているというのが実情。実際イーモンスターを所有してから、携帯コンテンツなんてほとんど見なくなった。乗り換え案内程度かな。

次に問題なのは料金。携帯コンテンツは、PCユーザーから見ればクダラナイようなものでも堂々と情報量を取る。だから携帯コンテンツで情報を取るということは、ぼったくりバーと知っていてわざわざ出向くようなものでしかない。今の料金体系を大幅に見直さない限り、積極的に使おうという気にはなれないでしょう。

最後に中身。携帯コンテンツの情報で目を引くような内容のものは極希にしか見かけない。稀少度という意味では、PCのネットコンテンツも大して変わらないかも知れないけれど、何せ表示情報量と、検索利便性が圧倒的に違うので、手間の差がありすぎる。しかも、試すにはそれなりの料金がかかったりもするので、良いコンテンツに出会う前に嫌になってしまう。

はっきり言って、中身の薄いものに金を出そうという気はほとんど無いので、相当の価値付けが出来ないと携帯コンテンツを使おうという気は起きないでしょう。もし、携帯コンテンツとして、それだけの価値付けが出来たとしたら、それは即PC版に以降ということになるでしょう。それは携帯電話という機会が、情報端末としては限界値が著しく低いからで、携帯電話を使っている以上、コンテンツの限界値も低いだろうということがこれまででほぼ確定してしまっているからということになると思います。フィクションの未来もののように、画面が飛び出してくるとか、広がるとか、電脳に直結とか、そういう絶対的な変化が無い限り、携帯コンテンツというものに期待することは無いでしょう。
【正論】中原英臣 「1000円たばこ」は1石6鳥

流石正論だ! っていう位の詭弁っぷりです。本当に酷い。まぁこの案に安易に賛成している程度の馬鹿共は大抵この程度の思考で賛成しているんだろうなって感じが見え見えです。まずそもそも、それ程に健康は必要か? という大前提に対してなんら議論されていない。そこへ持ってきてアメリカとの差が云々と来た。海外の国と比べてどうこうというのは、馬鹿が大好きな手法の一つなんですが、他をさておいて、あるポイントだけを外国に合わせることに何の意味があるのかさっぱり判らない。日本とアメリカでは様々な条件が異なっている訳で、その二つの国を単純に比較したり、状況などを安易に合わせたりすることは、必ずしも幸福を招く訳でも無いどころか、下手すると不幸を呼び込む。

で、その6鳥とは何かというとこういうことらしい。

1.まずたばこの栽培農家とJT(日本たばこ産業)の利益が増える
2,青少年の喫煙率が減少するという効果が期待される
3,税収が増える
4,がんや心筋梗塞といった生活習慣病が減ることになり、その結果、医療費を削減することができる
5,火事が減る
6,多くの国民が健康になる

まさにちゃんちゃらおかしいとはこのことって感じだ。1と3はセット。金額が上がるから儲けが増えるという算段な訳だけれど、自分でも書いているようにこれは一定以下に喫煙者が減らないということが前提になっている。値段が3倍強ということは、消費数が1/3以下になればこれは成立しない。喫煙率が3割にならなくても、消費数が3割になればアウトだ。もし仮に、それ以下になった場合の補填は賛成派がしてくれるんだろうか。少なくともこれについては、やってみないと正確なところが判らないというギャンブルでしかない。この段階でメリットだと主張するのは詭弁だ。

2は前提条件が無視されている。つまり、青少年の喫煙率が減少することが「良い」ことだという前提である。これについては法律で禁止されていることもあり、当たり前だという言葉の元で思考停止している奴等がほとんどだけれど、実際にはこれを良いとする根拠はそれ程強くない。最も強いのは健康面への影響ということになるだろうか。だとしたら、6と被っている。同じ内容を表現を変えてメリットが倍あるかのように見せる。これも詭弁家の典型的なやり口だ。

じゃあ、その肝心な6な訳だが、人が煙草と言う娯楽を今以上に強く否定してまで健康になった方が良いという理由が僕には全く見つからない。煙草程度の不健康な娯楽を禁止するなら、もっと先に禁止した方が良いものは山のように存在している。そこを無視して、健康という信仰を無条件に信じ、その教えを愚鈍に実行していくというのは、人間のやることではない。人間が生きるというのはどういうことなのか。それを考えもせずに健康は絶対だと言うのは、そこらの新興宗教以下のゲスな思考だ。

健康が重要だという理屈の内多いのが4だろう。つまり、国の財政に優しいという発想な訳だ。癌や心筋梗塞が実際に減って、医療費を削減できたとしても、結果死なない年寄りが増えることになる。そうなれば、医療費以外の部分の負担が増えることになる。結果慢性的な病気が多くなれば医療費だって負担がかかる。そもそも、国の財政というのは非労働者数が増えれば増えるほど負担が多くなるなどというのは当然のことで、一時的な医療費など実際は大した問題じゃない。短期的なスパンだけを見て医療費が削減できるなどと言って、トータルで実際にどの程度の削減が出来るというのか、きちんとした試算を見せて貰わない限り成立しない。その辺りに全くふれられていないところを見ると、自分の主張にとって都合の良い数字しか見ていないのだろう。これも詭弁の典型。

最後に火事が減るという部分。これは確かにメリットとして成立するかもしれない。しかし、火事が起こるから煙草は良くないという理屈がまかり通るなら、この世の中の全ての娯楽を廃止しなければならなくなるだろう。その程度の意味しかない。ナイフがあるから通り魔殺人が起きるというのと同じ程度に低次元な発想だ。現役の政治屋がこの程度のことを平然と言ってのけるとは言え、マスコミも同じレベルで語っていたら救いが無い。

つまり、全てを検証したところで、この程度の脆弱な詭弁の上で成り立っている主張でしかない。もし、この程度の理由で喫煙が禁止されるとしたら、喫煙がどうこう以上に、そのような実績が残るという事実の方が恐ろしい。にもかかわらず賛成意見が多い。その場のノリや勢いだけで不条理な禁止事項を半強要されるというのは、喫煙の迷惑さなどとは比較にならないほど大きな迷惑です。こんな低レベルな主張に安易に賛成する、自分が嫌いだと思うことはみんなが嫌いにならなくてはならない、自分が嫌いだということは排除するべきだ。そう反応している馬鹿共に参政権が与えられているという事実に恐怖を覚えます。
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モテモテアルト君の3択話。流れとしてシェリルを選択するのは当然だと思うし、何よりも付属する餌も大きかったんだと思うのだけど、それにしてもアルトが何故シェリル同行を選択したのかという部分はもう少しクローズアップされても良かったんじゃないかなと言う気がする。状況から察してくださいというのもアリだとは思いますけど、更にそこからランカの心情に展開するとなると、ちょっと辛いかなという部分がある。

というよりも、今回の話の根幹部分というきがして、そこを適当にしてしまうというのは、話全体を曖昧にしてしまう結果になるような気がします。まぁこの作品は全般そういう部分が多くて、意図的にそういう展開にしているという可能性も多々ありますが。

ランカに秘密があるという伏線は出てきましたが、対するシェリルの存在というのが、話全体の中で、どう位置付けられるのかがまだ見えてきていません。今回の慰問そのものが仕組まれたという伏線がありますけど、それがなんのために仕組まれているのかはまだグレー。場合によってはシェリルも訳ありという設定がされているのかもしれない。けどそれならそれで、とっととネタ出しした方が良いんじゃないかという気がします。妙に謎を引っ張るとあまり良いことはないような気がしますので。
エリート馬鹿の下衆加減は良く出ていました。文化の最大の敵はこういう輩だというのは、現実も変わりません。なので、この手の話も必要ではあると思います。が、ラストエピソードとしては、やっぱりもっときちんとした思想と思想の戦いというシーンを見たかったというのが正直なところです。

笠原が戦闘の恐怖を知るという話にしても、ラストのエピソードとしてはちょっと物足りない。何れも中盤のエピソードに持ってくる内容なんですが、1クールの構成では短すぎたというか、やっぱり話が大きすぎて扱いきれなかったという感じがします。

キャラの描写に多くの時間を割く形になったので、その分話の展開が犠牲になってしまったというのもあるかもしれません。バランスとしては難しいところだと思いますが、この作品についても、是非続編が欲しいというのが正直なところです。

このシリーズとしての出来は、最終回にかかっているかもしれません。玄田が撃たれ、堂上も怪我をしてそうな感じがありますから、ネタとしては豊富に揃っていると思います。これをどう纏めて、シリーズとしてどういう結論に持って行くか、期待したいところです。
予定通りのところで終了という感じ、綺麗に終わっています。中途半端に終わってしまうんじゃないかとちょっと心配したんですが、まぁそれはそれで四月一日の変化点として、大きな区切りということで、第二シーズンとしてはまぁまぁな終わり方だったでしょう。確かにブチ切れという感触もやや残りましたが。

ここでまで来たら3期も是非続けて欲しいところではあります。ツバサとのコラボ部分の表現が難しいですが、HOLiCとしては、四月一日に対する視点というのがポイントですから、頑張ってうまく処理して欲しいです。

内容としてはCLAMPの定番的な終わり方。温めという印象はあるもののある種の真理は含んでいるので、結構な説得力はあります。理屈では無くて感覚として理解させるという方向の表現がCLAMPのらしいところですね。この辺の展開は毎度の事ながら上手いです。

で、おまけで雷神様の話が付くようです。確かに外伝としては良い感じの話ですね。この辺りの構成はなかなか憎いなぁという感じがします。
どうしても薫がフォワードになる事が多いんで、3人の表現バランスが狂ってしまいがち。特に葵の場合テレポーターということで、やりようによっては相当なことが出来てしまう能力だけにレベル7という設定でありながらも能力はかなり絞られてしまっています。距離に関しても見えるような範囲で飛ぶことが多いし、疲労度も激しいという設定がされています。それだけに彼女が引っ込んでしまっていたんですが、その分を出す役割になっていました。

性格的にも控え目な設定がされているので、どうしても能動的に前に出てくることも難しいので、あえてこう言う話を作る必要があったのかもしれません。その面では成功していたと思います。ハヤテ同様、長丁場を狙っているのかもしれない。それなら、こういう話は地道に効いてくるのかもしれません。
まぁ後一話しかないとなるとこういう話が無難というか、これしかないという感じですね。これまで色々あった伏線的なものは纏めて次回送りってことのようです。構成から考えてみても最初から話を作ろうという気はなかったという感じがあります。それでも特に困るという内容ではなかったというのが、この作品を良く語っているんじゃないかという気がします。

ポイントは、キャラに魅力を感じられるかという部分だったと思いますが、個人的にはそれなりに可愛らしいキャラを作れていたんじゃないかという気がしています。どうせこういう結末になるなら、ちずるちゃん系の話に特化してしまっても良かったかなと言う感じも受けますが、まぁ続編の事を考えるなら無難なところに纏めてきたとも取れる内容だったかもしれません。

結果として周辺のキャラが中途半端になってしまって、邪魔になっているという部分がありました。原作がある以上どうしても出さないとというキャラもあったんだと思います。その辺りが原作付きの厳しさだったのかもしれません。まぁこの手の作品としては平均点って感じでしょうか。
体育祭ネタ。学校系の話となれば、定番と言えば定番。絶妙にエロが入っている辺りはらしいと言えばらしい。けど、なんというか取り留めがないといえば無い。だからお気楽といえると同時に、見るべきところが定まらないというのも成立します。キャラの数が多くて、それなりに個性的な割には立ってこないというのも結構困りものな感じがします。

ララとリトの関係に関してもあまり進んでいるような感じがしないし、周囲のキャラとの関係性にしても同様。基本構成がうる星やつらなので、ギャグなんだからと言ってしまえば終わりなんですが、じゃあギャグとして面白いかというと、それも微妙な感じがします。

うーん、どうなんだろ微妙な感じというのが正直なところですね。
あああああ?ん。。。KazuSさん!甘栗が腐っちゃいましたよぅ。イト引いてます。納豆みたいです☆ぬばぁ

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
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ちびっ子海賊登場。ツンデレ仕様じゃないのがチト残念だが、まぁアリか。例によって凶華が暴走しますが、それも今回は常識的な範疇に収まっているような気がします。詰まるところ全般パワー不足かな。結局海賊達の一人上手で終わってしまったという感じなので、仕方がないかも、狂乱家族の面子は完全に傍観者モード入ってましたからね。

まぁ折角の新キャラなんで、これからも出てくるのかもしれない。それを期待して今回は前振りという位置付けとして見ておきましょう。
自信をアウトソーシング出来た団塊世代と、それが出来ない氷河期世代

もし、内容が全くその通りだったとしても、だから氷河期世代は気の毒だ。とは思わない。なんでもそうだけれど、環境というのは前提であって、その前提の中で何が出来るかが問われるというのは当然のことだ。そんなことを言うなら、紙切れ一枚で戦場に送られた世代だっている訳で、団塊世代とだけ比較してどうこうしたところでそれほどの意味があるとは思えない。

ただ、団塊世代が使えないと僕から見て思う原因の大きな一つは、これにあるかもしれないとは感じました。結局偉そうな割に、中身が空っぽという輩が結構多い。自身を自分の外側に置くということは、すなわち依存しているということを意味するでしょう。社会だの会社だのに依存することでしか、自らの存在を定位出来ないとなれば、その前提条件でしか自分が成立しないことになります。

それは楽な生き方ではあるかもしれないけれど、情けない人生なんじゃないかと僕には思える。少なくとも今後の社会において、そういう人間は淘汰され無ければならない対象だとも思える。人間はとかく楽な方向に流れてしまいがちな生き物であるから、そういう安易な自身の持ち方のルートが閉ざされたというのは、考えようによっては歓迎するべき事態なんじゃないかという気がします。

勿論、それによってボーダーが上がり、追従出来ない人間の数が増える可能性は高まります。けれど、全ての人間の人生の結果を保証する必要性は全くありません。その社会が求めるボーダーを超えられない人間は、切り捨てられるというのが最も適切な処置方法でしょう。あくまでも過渡期であって、しばらくすればそれが当然という社会が形成されるでしょう。そうなった時に人間の精神性は一歩前に進むことになるんじゃないかという気がします。
【正論】和田秀樹 精神鑑定の「基準」づくりを急げ

心因というのは、今回のケースのような暴力や、精神的にショックなことのために、精神状態がおかしくなることである。一方、統合失調症や薬物中毒、そのほか脳の病気などで精神病状態になっていた場合は、責任能力なしと判断する。

以前から思っていることですが、責任能力が無い人間というのが普通に存在しているのがそもそもおかしい。もし、責任能力を問えないということが定義できるのであれば、その検査を定期的に行うことを義務づけて、責任能力が無い人間は事前に何らかの手段を講じる必要があるだろう。重大事件を起こしてから、責任があるだのないだの議論しているのが、これほどまでに多くあるというのは異常だとしか言いようがない。

勿論、そのためにはスタンダードやコンセンサスがあることが重要だけれど、事前調査と事前対策ということになれば、自ずとスタンダードやコンセンサスは出来上がるだろうと思っています。事件が起きた時に個別に対応しているという状態であるから線引きが曖昧なままでもまかり通っているのであって、その適用範囲が広がれば当然その部分は明確になることでしょう。

ちなみに、この事前対応というのは危険要素の排除とは意味合いが異なります。危険だから排除しているのではなくて、責任能力がない人間に権利を与えるべきではないという発想から来ています。よって、犯罪可能性を問う必要はありません。危険であるか無いかではなくて、純粋に責任能力の有無だけで判断すればいいことです。

事前調査の線引きと裁判での線引きが共通であれば、責任能力を問えずに無罪放免という事例は圧倒的に減るでしょう。問題は線引きの中身ではなくて、無責任な人間に無闇に権利が与えられているという事実な訳です。それを無くさない限り、どんな線引きをしたところで無意味でしょう。
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はい、今回も訳が判りませんね。物事に対する執着心の話なんですが、それがあるからなんで、無いからなんなのか。音楽に対する執着があったからなんで、無かったからなんなのか。散々そこで展開されている割に、なんの結論も出ていないように感じます。

しかも、この手の話をこの設定でやる意味は更に判りません。ま、これまで意味が判った話は1話たりともありませんが。つか、ここまで来るときっと意味なんて無いんだろうなという気になりますね。
今度こそ本当に展開しそうです。いやぁ長かったなぁ。一応マレクに関しては今後も何か絡んできそうです。そこだけが唯一これまでの話で残った部分か。融合体を使って世界を乗っ取ると言ってる割には、やってることが怠い気がします。あれだけ圧倒的な力と、感染力まで持ち合わせているなら、もっと早急に、かつ簡単に、しかも確実にやる方法なんて幾らでもあったような気がします。

そもそもXATごときいつでも殲滅できたんじゃないかという気がしてなりません。それ以上にゲルトの話とか一体何だったんだという部分がさっぱり理解できません。マレクに対する影響に関しては小さくないというのは判りますが、それは結果論であって、そこまで悠長に事を構える意味が不明です。

というか、そもそもなんでXATが存在するような街をまずターゲットにするのか、特撮の悪役が世界征服をねらって幼稚園のバスをジャックするのと同じ位意味不明です。風呂敷を大きく広げている割に、箱庭の範囲が小さすぎて違和感が出てきてしまっている。ウルトラマンや仮面ライダーまでは許されても、それをシリアス系の作品でやられたのでは、流石に厳しいでしょう。

その辺りに片手落ちしているなという感触がどうしても残ってしまいます。
かったるい展開は続いていますが、話は徐々に展開しつつあるという感じは受けました。優姫にだけできる特別なこと。枢を殺すことはともかく、僕になることで零を助けてくれるという段階で何かがおかしいと感じさせるものがあります。結局優姫はスペシャルな何かであるというのがここまで散々出てきているんですが、それを意図的かつ不自然に隠している様がかなり鼻につきます。

優姫が零と枢の間で揺れているという様を表現しようとしているのかもしれないのですが、どうもその表現方法に関しても奇妙な印象を受けます。優姫が二重人格とまでは行かないまでも1.5人人格くらいはあるように見えます。ぶれ幅が大きすぎるのがその原因かな。それがリアルなのかどうか判断がつきませんが、少なくとも僕の目には奇妙に見えます。

零にしても、思い切りが悪いというか、腹のくくり方が中途半端という部分が気になります。だから同じような揺れを何度も繰り返す。1度や2度は可愛らしいですけど、これだけ繰り返されるとちょっとウザい。全般表現が冗長という感じを受けます。だから話のテンポが悪いし、怠さが抜けない。話は進まないという結果になっているんじゃないでしょうか。

個人的には、これを丁寧な描写であるとは思えないんですよね。
何気に光と一番あってるのは明なんじゃないかと思わせるような展開。というか、滝島は連れ去られてしまってラストまで戻ってこないという状態でしたから、そうならざるを得ない話ではありました。

光というのはSAに置いては和ませキャラの役割を担っています。何も考えていないのが魅力という存在。明というのは、男版光のポジションを担っていますから、この二人が似たもの同士なのはある意味必然でもあります。

ここで問題になるのは、滝島と光の相性をどのように強化するのか。滝島にとって光が必要な存在であるというのは判りやすい図式ですが、それを言い出したら、八尋とかだった同じ扱いかもしれない。滝島だけが特別であるという理由付けが弱いというのが、ここまで見てきた最大の問題点であるように感じます。

次回は滝島回だと思うんですが、ここからどうやって挽回していくのか、楽しみにさせてもらいましょう。
ペンギン娘の価格=スポンサーのないアニメの現状

「TVで無料で見られる=タダ同然のもの」じゃないというのは、原則的にはその通り。ここで問題になるのは、じゃあその作品の価値が売られている価格に見合うかというと、それは単に時間単価だけの話ではなくて、疑問が残る部分が大きいという話。そもそも作品の価値とは何かという部分が曖昧です。純粋に金というのでは納得出来ない人は出てくるでしょうし、中身が良くても稼げなければ食っていけないというのも事実です。

ですから、広告料でどうするとか、そういう部分はあくまでも金の話であって、作品の価値とは必ずしも一致していない。多くの金をかければ面白くなるというものでは決してない訳です。仮に、現状のDVDなりの価格を基準として、テレビ放送等を一切しない状態で、現状の作品を販売した時に、それでも作品を鑑賞するためには仕方がないとしてみんなコストを支払うかというと、そんなことはないだろうというのが実際。

結局無料放送に甘えていたのは、視聴者もだったかもしれないけれど、制作者も同様だったというところがあるんだと思います。それがあるから、中身をあまり問わないで作品を量産した。しかもそれをとても内容に見合うとは思えないような価格でパッケージ販売もした。それがまかり通る現実というのが存在していた訳です。けれど、それはねじ曲がった状態であるというのが実際な訳で、それを修正しましょうという考えが出てきている。それに対して、とりあえず何とかなっている現状のビジネスモデルを弄りたくないという側が反発しているというのがこの問題の根っこなんじゃないかという気がします。

ペンギン娘が面白いのかどうなのかは知りませんが、購入する側としては、その制作コストがどの位なのかということを考えることは基本的にはしません。あくまでも購入することで得られるものが、販売価格に見合っているかという基準で買うかどうかを決めるでしょう。制作コストから計算すると、妥当な金額だったとしても、結果として面白いものが出来ていなければ、その値段の価値は無い訳です。

じゃあ、面白ければ売れるのか? というと必ずしもそうではない。それが資本主義社会における商品の特質で、商品の質と売り上げは無関係だと言っても良いんじゃないかと思えるほど、一致していません。であるからこそ、資本主義は文化の敵となり得る訳なんですが、そこのギャップを埋める役割を担ってきたのもまた無料放送であったという事実があります。アニメならアニメがある程度の本数であるが故に、面白がって見ているという人達が居るのもあるでしょう。売れる作品だけに絞り込まれてしまったり、判る人にしか判らないような作品だけに絞り込まれてしまったりすれば、それはそれで業界として衰退の方向に流れるでしょう。ここでも作品の価値に対する認識の差が問題の根幹になっていると考えられます。

結局、双方が現状の価値観を維持する限り適切解は存在しないと思います。資本主義と文化は水と油な部分が大きいですからこれは仕方ありません。であるならばバランスを取るしか無いんだろうということになるんですが、アニメなどの映像作品の場合、見ている側からの苦情が大きくなる最大の理由は、デジタル放送での利便性がアナログに比べて著しく落ちるという部分にあるんだろうと思ったりしています。これがある程度納得の行くところで収まりさえすれば、それぞれが妥協し合うという関係が構築可能なんじゃないかという感じがします。

そう考えるので、権利者代表と称する集団の強硬な態度は、百害あって一利なしなんじゃないかと思っています。
「ダビング5でもタイムシフトでも製作者への還元は必要」

また、「直接的な売り上げ減が生じていない場合、フィードバックは不要」という意見に対しては、放送だけでは製作資金を回収できず、DVDなどのパッケージの売り上げが重要になるアニメのビジネスモデルを例に挙げ、「大量に私的録画されると、その後のパッケージ販売に耐え難い悪影響が生じ、逸失利益が発生する」と説明。


一見真っ当に見える主張だけれど、録画に制限がかかるという自体は、前提条件が変わってしまうということに気付いていない。あるいは意図的に無視している。どちらにしても酷くお粗末なんだけど、現在の映像コンテンツの需要だとか売り上げとかというのは、現在の状態という前提から生じている訳で、特にテレビというものが、コンテンツを受け取る際に圧倒的な影響力を持つ以上、その運用が大きく変わらざるを得ないとなった時に、現在の状態が維持されたままになるというのは、屁理屈でしかない。

最悪の場合、そのビジネスモデルとやらが完全に崩壊する可能性だってある。つまり、映像に興味を持つ人間の数が相当数減少してしまうという状態は十分想定できる。それは、既に音楽業界がCCCDを使って実験してきたことで、そんなことをしたところでパッケージ販売に期待するような良い影響を与えることが出来なかったから、軒並み撤退ってことになんたんだろう。

恐らくこいつらは判って言ってる。多額の補償金を取ろうという気はないんだろうね。ユーザーが我慢できる範囲の金額をこっそり取って、それを新たな既得権益として獲得したいと考えているんだろう。どうせ、自分達搾取する集団が旨い汁を吸える程度の金額が集まれば良いと思っているんだろうから、それによって、実際のクリエイターが損をしたとしても、そんなことは知った事じゃないというのが本音だろう。

まぁ古今東西、こういう集団がまともなことを言った試しは無い訳で、こんな連中の意見をまともに聞こうとするから話が一向に進まなくなる。その存在そのものが文化の停滞を引き起こす要因になってます。彼らには彼らの功績というものが一応はありますが、過度な権限を与えてしまったが故に、害悪の方が大きくなってきています。そろそろ退場頂いて分相応なところに収まって欲しいものです。
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■教えるのが仕事

「教えるのが教師の仕事」それはその通りだが、ほうきの基本的な使い方まで教えるのが教師の仕事だろうか? そう考えると激しく疑問だ。学校という社会に出て行く為に最低限必要な知識というのは、身につけているという前提にしなければ、教師なんてやってられない。その最低限必要な知識を教えるのは、親権者なりの役目であって、それは発達障害であろうがなんであろうが例外は認められない。

そもそも社会というのはそういう仕組みな訳だ。一定の特殊性はスポイルするということが成立条件になる。お互いがお互いにとって許せる範囲やお互いのメリットになると認められる範囲において個性というのは容認される。それが社会という仕組みだ。法律が人によって異ならないというのはそういうこと。

そして、学校というのも一つの社会であり、実際の社会の予行練習の場であると考えるならば、最低限の内容が求められるのは当然だろう。客観的に見てほうきで遊んでいる時に、しかられてパニックを起こすような状態であるならば、学校に来る最低限の能力が満たされていないとするべきだ。それを無理矢理入学させておいて、責任を教師に丸投げしているのでは、正直ババを引かされたと感じるでしょう。

細かいことを一つ一つ全部発達障害児に教えるのは難しいかもしれない。けれど、注意されたりしかられたりした時、自分の理解していることが間違っているということがあるんだという概念をきっちり理解させ、パニックなどを起こさせない。少なくともそれが出来ていないのであれば、学校に連れてくるのは間違っていると判断する方が妥当だと僕には思えます。
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空気なんか読めなくて良い

自分の好きなことをすれば良い。ただ、自分の好きなことをするためには、少々周囲と折り合いをつけなければならない。自分のためだと思って、それくらいは我慢しよう。そう、すべては自分を生かすためだ。そう考えるのが一番納得ができるのではないか。


完全に同意できます。エゴイズムが進むと他人との折り合いを考えざるを得なくなります。それはあくまでも自分の為にです。それが、更に進めば他人に積極的に関わったりすることになる。それが人間同士がお互いに生きていくという姿であって、他人を思いやるということを前提とした関係を是とするのは不健全だと僕には思える。それは結果先取りであって、経過を無視し過ぎている。

どんなものでもそうだけれど、理由が分からないモノを押しつけられるというのは苦痛でしかない。様々な勉強にしても、倫理にしても、常識にしてもそうで、何故それが必要なのか、それをするとどうなるのかを理解しない限り身についているとは言えない。形式的に猿真似をしているだけで、簡単に暴走したり間違ったりしてしまう。世の中にはそういうものが溢れています。

空気読めにしてもそう。実際には読むべき空気と、読む必要のない空気というものがあります。それを切り分けることをしないで、間違った時に空気読めとだけ指示するから、なんでもかんでも空気を読もうとするようになる。結果空気を読む技術は上手くなるかもしれないけど、一番付き合いたくない人間になってしまったり、過度に技術を求められた結果落ちこぼれて、無意味な疎外感を味わったりする。

形式を整え、結果的な平和や安定を確保するには無条件的な形式維持が最もローコストであることは間違いがない。その典型が法律という奴だろう。人を殺してはいけない理由すらまともに答えられない人間が大勢存在しているような状態ですから、これだけ様々な禁止事項が乱立している法律の意味など、専門家でも全て答えられるかどうか疑わしいです。けれど、法律を守ることこそが正義だとしてしまうことで、最もローコストに一定の平和や安定を担保出来ている訳です。そのメリットは認めると同時に、しばしばそれが暴走して、訳の分からない取り締まりや判決が出たりしているのを見かけます。

現在の複雑な社会構造では全ての物事に対して理由付けをしていくと、とんでもないことになるのは事実です。けれど、自分が困った時、迷った時、決断する時、意見を表明する時、そういうポイントとなるタイミングにおいて、関連する事柄に対して「何故」と問うことは、必要な行為だと思います。少なくともそれが出来ることが人間としての最低条件だろうと僕には感じられます。
ここまで来てもかったるい展開。カナルちゃんが人間かと問うのは良いとしても、それに答えが出せるほど彼女に対しての描写が為されていない。シーンとしては美しいかもしれないけれど、そのシーンに本当の説得力を持たすことが出来ていない。

稀人の存在も完全にフェイクでしかなかったし、ここまで来ても表現の結構な部分は抽象的で意味がよく判らない。残り話数でどの程度のことが出来るのか判りませんが、2クールもやってきた割には情報量が薄く、かつ何を描きたいのかもよく判らない。そもそも話が継続した物語になっているのかさえ定かでないような印象を受けます。

まぁそれなりに辻褄は合わせてはいますが、メインキャラクターの存在意義が定位していないのに加えて話も曖昧なので、掴み所がないというのが正直な感想です。