所謂モンスターと呼ばれる馬鹿がどういう基準で行動しているのかが良く判る正直なエントリー。一言で表現すると、「自分及び自分の家族は特別扱いされなければならない」という観念がよく見える。そして、特別扱いされないことに対して、理屈抜きで憤慨出来るという不思議な能力を持ち合わせているのもこの輩の特徴。
で、小児科の医者も居ない状態で、診察して緊急を要するような状態で、医者が専門外であるが故のミスを起こしたら、果たしてこいつはどういう反応を示すのでしょうか。恐らく怒り狂うでしょうね。で、一応診察してみて、状態が悪かったら対応出来ませんと断っても、これまた怒るでしょう。何故か、自分達は特別扱いされなければならないと信じているからです。だから、それが提供されない状況だと文句タラタラになって、なんの罪も無い病院関係者を怒鳴りつけたりする。いっそのこと、歯医者か耳鼻科にでも連れて行けば良かったのにね。
もう、典型的な家族馬鹿って感じです。この手の無能者が親権者になっているような家族の場合、かなりの確率で、この「自分達は特別であるはずだ」という勘違いをしています。だから、周囲がどう思っていてもまるで気にしないし、他人の都合なんかお構いなしで自分の要求を突きつけて来る。だからBlogで堂々とこういうエントリーも書けてしまう訳です。人間が厚顔になれる一番の理由は無知無能であるということですね。
そりゃぁこういう親の元で育てば、ちょっと出世街道から外れただけで、繁華街で虐殺事件とか起こすような子供が育つかもな。子は親の鏡って言う言葉もあるしな。くわばらくわばら。
こんなあり得ない役人の怠慢の為に、また税金を3300億円も浪費するんですか? 本当に役人天国ですね。まずこれだけの損失を出した以上、過去30年間程度遡って、社保庁に所属した全員を財産没収の上牢獄に監禁して、その収容先で無償で作業に当たらせるべきでしょう。最低限の寝食位は一応与えてあげますよ。本当の意味で最低限ですけどね。そこで死のうがどうなろうがしったことじゃないですし。
ともかく、一生そこでただ働きして貰うのが一番でしょう。なぜ、報酬を支払って、快適な環境で彼らに自分の尻ぬぐいをさせなければならないのか全く理解不能です。人権剥奪と無制限の強制労働が最低限です。これまでの数百倍の密度で仕事をして貰わなければ困ります。出来ない連中は、処分でしょうね。
とにもかくにもまず奴等がのうのうと生活しているという事実に対して納得が行きません。これまでの怠慢が招いた損失を補填するべく、せめてその薄汚い命くらいは提供して欲しいものです。腐れ役人の命が幾らあったところで、全く足りませんが、最低限その程度はやってくれないと、先には進めませんよ。ましてや増税なんて論外です。
承認が必要だとして、それを黙っていても勝手に承認してくれるとでも思っているなら、大きな間違いだし、そうなるべきでもないでしょう。必要なのは、自分が承認されていないという事実に気付くこと、そして承認されるために何をするべきかと考え、それを実行することです。承認されていないからといって、それを他人のせいにして癇癪を起こすなどということは到底認められません。
大体「自らが他の誰とも代替不可能な存在として認められる」なんてそう簡単には起こらない。オンリーワンであるなんて、何億人に一人程度しか居ないだろう。結局大抵はそう思い込むという自慰行為で満足しているに過ぎない。SMAPの歌を嫌悪感を覚えずに聞ける連中などというのは、高い確率でそうだろう。
生まれながらに無条件にオンリーワンであるなどということは、あり得ない。そうなるためには相応の努力と、相応のアピールと、相応の実績が必要。その渇望が本来であれば原動力になるはずなんだけれど、それを早々に諦めてしまっているような奴は、当然人間の屑として処理される対象になるだろう。そんな奴に高賃金など与えられるはずもない。だから使い捨ての消耗品として扱われる。当然のことだ。人間だからという理由だけで、オンリーワンであるなどというのは幻想以下の妄想だ。
その代替を家族や恋愛に求めるのは構わないけれど、それも大抵はまやかしに過ぎない。特に恋愛に関しては顕著で、結婚までしても離婚する確率が高くなっている要因は、目先のまやかしに目が眩んだ挙げ句という原因もあるだろう。所詮自らで確立していない承認など、無意味なものだし、容易に取れる承認は容易に取り消されるものでしかない。それにしても、自ら獲得する必要があるだけ恋愛の方がまだマシで、無条件的な承認を撒き散らすというのも家族制度の大きな害悪の一つだろう。
個人がコミュニティの中に埋もれていた時代は、そこに帰属するというだけで一定の承認が与えられていた。だからそのコミュニティに存在できなくなるという行為が恐ろしかった訳だ。村八分などというのが意味を持つのは、そういう前提があるからであり、村に所属することに意味を持たなければ、そんな村など捨てて行けばいいだけの話になってしまう。虐めが低年齢層に多いのも同じ理由で、コミュニティに所属することで得られる承認のみを頼りにしているから、そこから拒絶されるのを恐怖する。自立した人間に虐めというのは、大きな効果は発揮しない。その特定のコミュニティの承認を基本的には必要としていないからだ。
人間が人間として生きるためには、個人としての自立が不可欠になる。それが出来ない連中は、その段階で脱落者として扱うべきだろう。彼らを救う為に、この流れを逆行させてはいけない。彼らは淘汰されるべき対象であって、救済するべき対象ではないのだから。
今行われている成果主義と称する制度は失敗だった。それは確かですが、それをもって成果主義が失敗だったとは言えない。簡単に言えば、
成果主義は評価が難しいと誤解されていますが、実は簡単なのです。表面上の数字だけで機械的に点数をつけていけばいいのですから。上司は何の判断も下さなくていいわけです。
と定義されているのが、ここでの成果主義ですが、こんなものは成果主義と呼ぶに相応しくない似非成果主義でしかない。成果主義の最も難しいところは、実は管理職にあります。彼らが正しい認識と価値観を持って成果を行わなければ成果主義などというものは成立しません。それを表面上の数字だけで機械的に判断し、なんの判断も下さないとなれば、そんな上司の存在は無意味です。その程度のことは数万円のパソコンでだってできることでしょう。
結局、成果主義が導入された時点の管理職というのは、年功序列で上がってきた連中だった訳で、無能を絵に描いたような集団だった。そういう連中に成果主義をやらせると、こういう歪なことになったというのが一番の原因でしょう。必要だったのは、この程度の管理しか出来ない管理職の成果を認めないという姿勢だったのですが、成果主義と良いながらも年功序列的な部分も併用している会社が多かった為に、それは出来なかった。だから、結果として訳の分からないモドキが完成したということでしょう。
成果というのは必ずしも短期的な数字で結果が見えるものではない。数字に出てこないことをするのは愚か者という風潮を蔓延させたのは、成果主義ではなく、成果主義をコントロール出来なかった無能な管理職の責任だろう。少なくとも年功序列の生き残りが消え去るまでは成果主義は上手くいかないかもしれない。けれど、だからといって止めてしまったのでは、元も子もない。
手法を変えながら徐々に正しい方向に修正していく必要があるでしょう。管理職に求められる資質というものも考えなければならないでしょう。誰でも管理職にならなければ出世と言えない。管理職にならなければ給料が上がらないというのは間違っている。営業として数字を挙げる事が得意な人間でも管理職として有能とは限らない。だったら、管理職にしなければいい。そのまま営業として仕事をして貰って、挙げた数字に見合った給料を払えばいい。結果として管理職よりも高い給料を貰うことになっても、なんら問題は無い。
そういう発想で、本当に必要な能力を持った管理職が一定以上の数になった時、やっと成果主義はきちんと回り始めるんじゃないでしょうか。ここで、成果主義に十字架を背負わせてしまったのでは、管理職の無能さがまた見逃されてしまいます。どんな制度もそれを動かす人間が無能なのでは、どうにもならない。特に、全体をダイナミックに動かしていこうという制度になると、それが如実に出ます。成果主義に失敗した会社は、管理職の選定基準を根本的に見直すと言うところから始めるべきでしょうね。
しかも、いくら何でも実験装置まで持ち出して、民間人のしかも芸能人を乗せてくるなんてのはちょっと考えづらい。まさか無断でバルキリーを持ち出したって訳でもないだろうし、いくら何でも甘すぎるんじゃないかという気がしないでもない。
しかしまぁ、それは単なる前振りで、本番はラストシーンにあると言われるとそうなのかもしれないなとは思いますが。バルキリーを落としたのが何者なのかが気になるところです。それだけの力を持つって事は、相応の何かだと期待したいですね。
シェリルにしても、結構な屈辱だったでしょう。彼女の逆襲が始まるんじゃないかという気がします。どういう風にやってくるのか、そちらの方にも期待できそうです。
言いたいことは判らないでもないんですが、それでもちょっとネタとして小さくし過ぎたという感じがします。ただ、居場所というのがキーワードになっているので、それも仕方のないところかも知れません。この辺りのバランスの取り方が難しいところです。
とりあえずこれまでのところは良い感じに推移していると思います。徐々にポジションを確率していくというやり方で順調に進んでいるなという感じがします。
現状ではチコの周辺にはこれといえるような味方がが居ないというのがポイントで、今回のラストのように彷徨う以外になくなってしまいます。これをどうやって打開するのかが、当面の見所になってくると思います。
それにしても、二十面相は因縁が多いです。有名人なんで仕方ない部分もあるんですが、銀髪の姉さんのようになると、常軌を逸しているレベルなので、どういう関係なのかちょっと楽しみです。
話の方は特にこれと言って特筆すべき内容ではないんですが、とりあえずプチ凶華が登場したのはなかなか興味深い。これからあちこちで活躍すること間違いなしな便利な設定のキャラです。これまでドタバタといいつつも、それほどぶっ飛んだ感じがしてこなかったんですが、プチ凶華の存在はそれを打破するアイテムになるかもしれません。今後にちょっと期待したいですね。
それでも最後の最後に法律を無批判に信じて生きているような奴は人間として生きていないというなかなか痛快な主張をしてくれました。ルールを守るということを絶対視する連中の醜さも良く表れていたと思います。勿論、視点が図書隊にある物語ですから、これだけをもって何かが決まる訳ではありませんが、少なくとも、逆手に取ればそういう見方は存在するんだという部分はアピール出来たんじゃないかという気がします。
1クールということで、どうしても温めになってしまった感は否めませんが、所々でなかなか見せてくれる展開がありました。キャラとしてはそれなり以上に描けていたと思うし、佳作というところでしょうか。ノイタミナはハズレは無いが大当たりも無いというのが、今回もまた守られたという感じになりました。2クールあれば違う展開に持って行けたんじゃないかなぁという気がするのがちょっと残念ではあります。
で、親父登場。誰がどう見ても親父には見えない。ザスティンは普通なので、デビルーク星人全般があの体型という訳でも無さそうなんだが、一体どういう事なんでしょうか。しかしまぁ親父登場で、こんな毎日が続かなくなるんだとしたら、少しは展開の兆しが見えてきました。そのこと自体は喜ばしいことです。
流石にマンネリ化に飽きが来始めてきた頃なので、少し流れが変わるなら歓迎できるかもしれません。
ともかくもメインどころを一通り全部出すというのはなかなか凄い。関連がありそうでほとんど無いというのが、この作品のゲストキャラですから、それを一堂に集めるというのは相当にシンドイ。それをおでん屋を使って巧く状況を作り出しました。顔見せ回なので、内容的なものは特に無し。原作でも繋ぎの話になっていたもので、それを繋ぎ込んで一本にした形。
良くできていたと思います。見ていて気持ちの良い回に仕上がっていました。
そこにはセクハラの概念はない。手を握られたとしても仕事だ。上司は女性だ。そこではいわゆる“女”であることは武器にはならない。だから能力評価とは別の、出し抜き、は困難だ。上司が女性だから、セクハラめいた脅迫もまた基本的には、ない。同業種の男性は、帯を結んだり、傘をさしたりと、主に、縁の下の力持ちであることが多い。花柳界で働く男性は、ふんぞり返っていては仕事にならないのだ。
魅力、という商品能力を正当に評価され、あるいは、芸を磨いたベテランはその芸を評価され、女であることを誇りつつ、のびのび働ける。
相変わらず浅い思考でコラムを書く人だ。毎回ネタを提供してくれてありがたいが(笑)
もしそうだとするなら、今高齢者の男達は「輝く高齢」者が多くなるはずなんだが、僕にはそうは思えない。だからセクハラが無い、性別が武器にならない仕事についているからというのは、少なくとも決定的な要因ではないでしょう。性が武器にならないと前置きしておいて、女であることを誇れるというのは意味が通らない。自分の信仰に基づいたえらく都合の良い解釈だなという感じがします。まさか縁の下の力持ちの男達に傅かれているから誇れるんだと主張したいわけではあるまい?
むしろ、輝くことを要求される状態を長く続けているからと言う方がよほど大きな要因なんじゃないだろうか。だから芸能人なんかも、歳の割に綺麗な人というのは多い。であるなら、一般にそれを落とすとしたら、むしろ異性の目を意識して生きてきた女性の方が輝く可能性は高くなるんじゃないだろうか。自分の性というものを強く意識するからこそ輝くんじゃないだろうか。女であることを意識しているからこそ、女であることに誇りを持てるんじゃないだろうか。
結婚して落ち着いてしまって女であることを捨ててしまうから輝かなくなるんじゃないだろうか。単に馬車馬のように仕事に没頭したとしても、現在の爺様程度にしか輝けない。まさか今の爺さん達に輝く魅力を感じているという訳ではないんでしょ?
何れにしても、この内容ではネタ以上にはならない。むしろ、こんな考えだから女は…って言われるだけでしょうね。女性の地位を向上させたいなら、もう公的な場所で発言しない方がいかもしれませんよ。
こういう事件が起こってしまうと、未成年者のネット書き込みは徹底的に規制するべきだという気がします。原則禁止でいいんじゃないですかね。少なくとも未成年者の場合、書き込みに年齢が判るような何かが残る仕組みを作った方が良いでしょう。年齢別で書き込みが可能な掲示板などを作っても良い。
ともかく避けなければならないは、無責任な人間に勝手な行動をさせるということ。未成年の権限は著しく制限されるのが望ましい。本来であればこの制限は親権者がその責任において行うのが、現在の方法の主旨なのかもしれない。けれど、実際にはほとんどの親権者はその能力あるいはやる気が欠如しているようなので、任せておけない。
携帯電話を持ち、ネットアクセスが出来、犯罪予告を書き込める。こんな状態の未成年なんてゴマンと居るでしょう。子供達が外で、あるいは私室でどんなことをしているか、把握できる状態でも無いのに、これだけの権限を未成年に与えるなんてのは、キ印に核ミサイルのスイッチを渡しているのと同じ程度に危険です。
実際こういう事件が起こっても、児童相談所に通告で済んでしまっています。こんな不条理な話はありません。これがおかしな事になる理由は簡単です。「無責任な人間が分不相応な権限を与えられている」これが全ての原因です。全ての権利には責任が伴う。この基本的な事柄をちゃんと守ってさえ居れば、こんな馬鹿な結果は防ぐことができます。
社会において、最も重要、強固に実行されるべき規制を野放図な状態にしておいて、表面上だけの形式的な規制をその場の勢いでかけていく。こんな間抜けな愚行をいつまでも続けていないで、やることをきちんとやって欲しいものです。
えっと、少なくとも万世橋警察署は、市民の敵であるというのは確定事項なので、職質から始まったという時点で、ほぼ警察が悪いと判断できる。と思っていたらやっぱり「刃渡り約7センチ」だよ。アホか。こういう悪質な職質が頻繁にされているというのは、例の事件以前からの話。はっきり言って継続的なだけに、通り魔と同じレベルで止めて欲しいと思う。
だって、今の秋葉原って通り魔にあうのが怖い以上に、クダラナイ職質による冤罪で連行される方が何倍も怖いですからね。
警察にこういう行為を許している法律、もうかなり以前から問題にされてきているにも関わらず、今現在も続けているという警察の体質。そのどちらも話にならない程酷いレベルだと思う。まず、警察に声をかけられて、たとえ警察手帳を提示されたとしても、不審者、犯罪者だと思って扱うのが基本。協力しない。職質にも応じない。それが一番でしょう。弁護士の連絡先を幾つか知っておくのもいい手かもしれない。ちょっと脅せば何でも言うことを聞くと思っているから、こういう行動に出ているんでしょう。警察官などテロリストと同じ扱いにするのが適切な対応です。絶対に妥協しないって姿勢が大事。
忘れてはいけないのは、警察官も所詮は役人ってことだわな。所詮病原体の一種ってことだよ。
「再可決要件を失った上に「ねじれ」は解消されないという事態」が良いことだとは思わないけれど、それを嫌がって安易に妥協し、また自民党や糞役人共の好き勝手にされるくらいなら、一時的な停滞はこの際仕方ない。まずなによりも重要なのは、現状の役人主体の政治システムと、利権漁りに必死な政治屋の排除であって、それを為しえればこの際手段は問わないと言いたい気分です。
個人的には、民主党を支持するというところまでは行っていないものの、みなし否決戦法は自民党にとってボディーブローにはなっている事は確かでしょう。自民党は結局法律を逆手にとって強硬採決しているじゃないかという印象も付いてきています。少なくともアベの当時のように、次々と強硬採決があまり意識されないうちにされていくということに比べれば相当マシな状態だと言えるでしょう。
これをなんとかするのにアメリカ方式が本当に良いかどうかは判りません。けれど、少なくとも大統領制というのが根本にあるのは確か。日本のような首相制ではアメリカ方式は実現不可能でしょう。大統領制は、少なくとも今の日本の政治体制よりは改善可能性が高いと思っているので、制度変更は大歓迎です。
国家の政治の状態はその国特有の事情で行われるなどというのは当然のことで、そこまでして国際社会について行かなくてはならないと考えるのは、間違ったグローバリズムだと僕には思える。当面の何年かを問題にして、現状を容認すれば、今後数十年あるいは百年以上にひびく間違いを犯すことになるかもしれない。糞役人と馬鹿政治屋を徹底的に排除するには、なかなか良いタイミングが来ているのかもしれない。ここで徹底的に叩きつぶすのが得策だろう。
ある意味で、無意識的な悪女っぷりとも言えます。けれど、そういう光に填ってしまうと言うのも男の性なのかもしれません。予想の斜め上を行くというのは、通常であればあまり良いことばかりではないように感じますが、それを面白いと感じてしまうのが、滝島というキャラなんだというのは理解できます。
とはいえ、やっぱりスペシャルエーと言うタイトルである以上、残りの面子ももう少し活躍して欲しい。今回は光ネタの復習オンパレードでそこそこ楽しめましたが、その辺りのバランスはもう少し調整する必要があるんじゃないかという気がします。
彼女の素朴さ、純粋さ、そして戦争の恐ろしさそういうものを濃縮して短いシーンに詰め込んでいたと思います。客観性を重視した表現がその辺りを上品に表現することに成功していると思います。
特殊な表現方法を最大限に生かした構成を取っています。限界があるだろうと思っていますが、上手く使っていると思います。けれど、やっぱり核心に迫ってきた時の表現がどうなるかが気になるところです。
とはいえ、今のところ期待以上の出来になっていると思います。今後の展開にも期待したいです。
多くの日本人にとって、こんな出来事は出来の悪いジョークにしかならない嘲笑の対象だと思うけれど、実際には、人ごとだと思って笑っていられる状態ではありません。この事件が日本で嘲笑の対象になるのは、価値観の軸が宗教であるからなんだけれど、宗教を軸にしていないものは、今の日本でもどんどん増える傾向にあります。
ともかく何かを規制しましょうという風潮全般がこの事件と本質的に同じであるという認識が必要。その価値観に同調しない人間、この例で言うなら宗教など糞喰らえだと思っている人間、からすれば全く問題がないどころかむしろ積極的に主張したいような内容であったとしても、それを国家機関が犯罪として拘束されるわけです。こんなえげつない話はありません。宗教など害の方が圧倒的に大きいという良い証左です。
日本でも萌えキャラがパンチラした絵柄のシャツなんかを着てると逮捕とかあるかもしれません。いや、アチコチで小型のVICTORINOX所有程度で逮捕されかけたなんて話も聞きますから、オーストラリアのことを笑える状態じゃ既にないかもですね。
規制歓迎派は、そいつらだけで集まって、北海道とか四国とか九州とかの島に隔離して、健全な生活を自分達だけで送って欲しいものだと常々思っているのですが、自分達の正義は普遍的なもので、それを守らない奴は淘汰するべきだという考え方が何故かあるようで、下は禁煙運動から、上はイラクの侵略戦争まで様々なレベルで、正義の高額な押し売りが行われています。こじつけも相当あって、まさに竿竹屋がヤクザ屋位しか対抗できる相手は居ないって状態です。
モラルとか、正義とか、マナーとか、そういう言葉を振り回す連中は、かなり高い確率でテロリストと同じ原理で動いています。たまたま自分の嗜好が多数派であったというだけで我が物顔をしているに過ぎません。なんらかのきっかけで多数派が転換すると、一気に魔法が解けるという程度の奴等です。
自分の思いを信仰すること自体は自由です。それを推進するのも良いでしょう。けれど、押しつけたり、権威付けたり、挙げ句の果てにそれ以外を禁止させたりというのは、近代以前の人間の発想と同じです。思考が全く進歩していない愚か者のやることです。このオーストラリアの関係者は勿論、日本の一部の政治屋とか、ユニセフを自称する団体とか、喫煙や児童ポルノ所持規制に積極的に賛成する輩とか、偉そうに何かを語る資格が無い連中だということを肝に銘じておかないと、今度は自分達が笑われる立場になってしまうでしょう。
結局、友人という言葉の定義の問題であるような気がします。この人の言う友人とは、まぁ知人+α程度という認識ということでしょう。そういう友人関係を求めるなら、という前提が付けばこの内容は正しいでしょうね。血縁、経済、肉体関係が無ければ、前提の無い関係に落ちてしまうという考え方に悲しさを感じます。精神的な部分を全く無視しています。
例えば僕の場合この程度の関係だと友人の末席レベルですね。本当に信頼できる友人であれば、こんな薄っぺらい関係ではなくて、もっと深いレベルのものを求めます。はっきり言って利害関係を除けば、家族などとは比較にならないほど重要な関係です。仕事を一緒にすることもなんら問題は無い友人も居ます。というか、仕事関係から友人関係が成立しているので、仕事を一緒にすることはデフォルトです。
勿論全ての友人に対して、同居したりが可能だと言うつもりはありません。それは恋人として適切な相手と、結婚相手として適切な相手が必ずしも一致しないのと同じでしょう。こういう感覚で友人を語る人が、友人は多い方が良いとか考えて、SNSで撃墜マークを増やしていったりするんでしょうね。本当の意味での友人なんて2桁も居たら、相当シンドイ対応が必要になってしまうと思いますよ。なんで、本当に友人と呼べるような人は、大抵片手程度の人数で、それ程頻繁にベタベタすることも、する必要もありません。それがお互いの負担になると判っているからで、そうしなくてもきちんと関係が維持できし、それぞれの生活に対する負荷を変に上げることを防ぐ為でもあります。そういう意味で、年中無休が良いというのは判らないでもないですが、ちょっとニュアンスが違うんじゃないかなぁという気がします。
当たり前だ。飲酒を業務などと認めるなんてあり得ない。そんなものを認めたら、嫌でも断ることさえ憚られる事になりかねません。無理矢理薬を打って中毒にする暴力団のやり口となんら変わりません。地裁の裁判官の頭の中身がどうなっているのか、一回解剖に回した方がいいでしょう。
ましてや、当人がへべれけになるまで泥酔しているとなれば、死のうが何しようが知った事じゃありません。というか、死んでくれて良かったとしか思えません。なんでもかんでも請求できるというのは自由とは言いません。こんな低レベルな問題は審議の必要すら感じません。
飲酒は犯罪です。麻薬と同じです。
ダメ。ゼッタイ。
アルコール摂取は人権の放棄です。
酒やめますか?それとも人間やめますか?
「ユーザーがパソコンを使うのは1日2時間程度。一方、携帯電話は24時間手元にある。また、2007年の世界でのパソコン出荷台数は2億7000万台であるのに対し、携帯電話は11億台。台数も接触時間も携帯電話の方が長い」
利用時間、台数、接続時間の全てに於いてPCが携帯を大幅に上回っており、その状況が動く気配すらない自分は完全に終わってるってことですか?
むしろ携帯系のデータもPCで作成したり落としたりして携帯に有線転送とかすることが多いんですが…
ちなみに、iPhoneではありませんが、イーモンスターを買ってもPCでのWeb閲覧時間は、買ったばかりの頃はともかく、最終的には全く減りませんでしたね。まぁ世の中と僕の好みは相当乖離しているという自覚がありますし、多くの人達は理性より感覚で選択を行っているので、結果として予言通りになる可能性も十分あるとは思います。
DDはかなり重い話だったし、メインが劉備に移っていたので、そういう意味でのらしさが隠れていたんですが、やっぱ一騎当千のカラーは伯符が作っているんだなという感じがします。
呂布の話を中心に展開する臭いですが、果たしてどういう方向に行くのか。左慈というキャラも最初のシリーズから謎キャラとして君臨してきましたが、この展開で行くと彼にもスポットが当たりそうです。
ちょっと期待のシリーズになりそうかもしれません。
零の為にと陶酔しているのかもしれませんが、自分を助けるために吸血鬼になり、しかもその内暴走し、下手をすると自分が始末をつけることになるかもしれない。という流れが出来上がる以上、それで生き延びたとしても零としては素直に喜べるはずもないです。
どうも優姫の言動が自分の基準と合わなさすぎて醒めるというパターンが多い。そういう作品は時折ありますが、今回は特に酷いなという気がします。
ある種の価値観、それが一般的にどんなに良いこと、有効なこととされることであったとしても、それを押しつけるという行為は、時に迷惑でしかないという話。自分の信じる正義であっても押しつけは犯罪行為に等しい。そんな話。
普通であることが人にとってどの程度の意味があるかは人それぞれ。その多様性を認められない社会は酷く偏狭で、創作などの文化にとっては迷惑な社会です。
そこに肉体的な機能を絡めてしまっているところがらしいですが、特に肉体的な機能である必要性はありません。まぁ判りやすい表現ではありました。
街を一つ壊滅するほどの力を持っているって事なんですけど、本編ではそこまでの設定は使われていません。まことにセコイ戦闘のオンパレードでした。何か知らの理由付けが後付されるのかもしれませんが、この段階でもどうしてもチグハグな感じがします。
まぁ前後の繋がりが薄いなんて普通にやって来たような作品なんで、驚く程のことでもないんですが、どうやら最後までそんな感じで進むんだなぁってことで変に納得してしまいました。
結局最終的にαが切り札という結果なんだけど、その割には扱いかぞんざいだったし、戦闘の結論についても不干渉過ぎる気がします。
小娘達も結局最後までなんの為に存在していたのかさっぱり理解不能。前半あれだけ時間を使って二人のことを描いていたのに、それらはほとんど意味無しです。変化という部分を出したかったのかもしれませんが、その変化にどんな意味があるのかが見えてこないと、変化そのものを感じられない。構成の不味さが見えます。
トータルとして、チャッチイというのが感想。設定的には面白くなる要素もあったんだと思うんだけど、設定倒れになってしまっていて、話の方がそれについて行ってない。一応収束はさせるという方向だけは明確だったので、結果としてこぢんまりした内容になってしまったというところでしょうか。
「加入者における老人の割合によって決められた拠出金額が、加入者の総数によって計算されるようになったこと」がフェアかアンフェアかというと、僕はフェアだと思います。むしろ、自らの組合に高齢者が居ないからといって、拠出から逃れられるということこそ歪な制度だと言えるでしょう。つまり、問題はそこではなくて「その平均年収は280万円」という根本的な金額の部分。あるいはその年収における保険料の負担割合ということになります。これは保険組合に対する拠出方式とは別問題です。
この数字だけを見て、年収が低いとか高いとかを語ることはできません。要は仕事の内容に比較して報酬が低いかどうかが問題な訳です。テンプのねーちゃんとかの場合、そもそも責任が軽い仕事がメインという認識があります。それが正しいのであれば、280万という年収は高いとは言わないまでも、妥当だと思える。
事務系などの場合、仕事の内容は実はあまり問題じゃなくて、責任の重さの方が問題。それが軽いから仕事の価値が低い。主婦業の給料を計算とかたまにやってますけど、あれが全く意味を為さないのは、この責任に対する価値の部分がごっそり抜けているから。給料を払えるようなレベルじゃないって程度の主婦の方が圧倒的多数でしょう。プロのコックやら清掃業やらの仕事と比較するなんて論外な訳です。
それと事務系派遣の仕事も同じ。テンプの派遣で貰える仕事などの場合、プロパーと同等の報酬が貰えるはずがありません。だからこそ派遣の仕事をしているという人も居るでしょう。というか、本来派遣とというのは、そこにメリットを感じられる人がやるべき仕事です。その辺を理解しないで派遣の仕事をしているとするなら、そいつは単なる馬鹿ですから救済の必要性を感じません。
「低所得ハケン労働者が苦しんでいる」というだけでは問題として成立しません。低所得ハケン労働者が苦しんでいるというのが、不当であるということが証明できなければいけない訳です。で、今現在に到るまで、その部分について納得の行く説明を見たり聞いたりしたことがありません。なので、それがどうしたという印象しか持てないでいます。
まぁジジイとババアの為に何万も費用を払えるかよってのは別枠であります。低所得者の負担割合を減らすべきだという主張も通用しなくもないかもしれない。しかし、社会の情勢を考えれば、負担が増えること自体は致し方ないという気がするし、低所得者の負担割合を云々言うなら、非低所得者の負担割合がどの程度なのかなどのデータが無いと判断出来ないところでしょう。個人的には年4万アップというのは、許容範囲なんじゃないかという気がしますけどね。
「親はモンスターじゃない」それはその通り。モンスターなど存在していない。モンスターは作り上げられているだけです。猿に膨大な権限を与えれば、それはモンスターに変貌する訳です。単に無知蒙昧なだけであったとしても、それに権限を与えれば、恐ろしく危険な訳です。つまり、この問題を解決するには、
親権を得るには資格制を導入し、血縁と親権を切り離す。教育に対しては相応の対価を与え、結果に対しては責任を求める。
これで解決します。旧来の家族制度を前提とした親権制度がモンスターを生み出しています。馬鹿には馬鹿と、無能者には無能者と言え、その能力に応じた分の権利のみを与える。こんな基本的なことを守るだけで、馬鹿や無能者が不釣り合いに得た権利を振りかざして、不条理な要求をしてくるということは無くなるでしょう。
ついでに言うと、親権者のレベルが上がるということは、教師の側も今のままでは当然通用しなくなります。馬鹿教師や無能教師は即座に排斥されることになるでしょう。彼らは親権者以上のプロフェッショナルであるべきなのです。親権者が馬鹿や無能であるから、それに毛が生えた程度の教師も許されましたが、そうでなくれば求められる仕事の質が変わるのは当然です。
良い循環で回す為には、現在の淀んだ循環の根元である家族制度を破壊するのが最も効果的です。
切なすぎる話。家族制度が、その最低限のことすら機能しなくなってきたということが良く判る事件です。首都圏内に土地を所有し、持ち家で、息子の為に別棟を建てるほどの余裕がある生活をしていたにも関わらず、本当に自分が困った時には、邪魔者扱いされ、孫には近づくなと諭されている。それを知った時の絶望感は相当のものでしょう。
僕ならば、何らかの理由を付けて妻と餓鬼共を追い出して、あるいは自分が出て行ってもいいですが、金目当ての若いネーチャンとでも暮らすことを選択します。自分が生きている間に財産を全部使ってしまうのが理想的でしょうね。けれど、彼はそうしなかった。それが家族制度の束縛って奴です。
ほとんど害悪しかない家族制度ですが、僅かに残ったメリットの部分すら機能していない。だとしたら、この制度を維持する理由は全く認められません。家族制度は現代社会の問題点に対して、相当大きな要因を占めています。一刻も早く解体するべきです。
4歳にして家族制度の犠牲になった幼い命に対して、ほんとうにやるせない気持ちになります。
「メーカーは“偉大なる将軍様は絶対”と言っているのと同じ」
あーあ、またやっちゃったよ椎名某。大体カスラックと並んで出てきてる段階で、権利者と称する連中が消費者を見ていないというのが明確に表されているじゃないか。その時点で、搾取企業の下っ端扱いされているってモロバレ。自称権利者の語る内容に説得力を感じられない。
MDや録音用CD-R/RW、録画用DVD-R/RWの時代でもタイム/プレイスシフトの使い方はあった。それがHDDになったから補償金は必要無いというのは合理性が無く、根拠を示すべき
HDDと一口に片付けようとするから訳が分からなくなる。ポータブルプレイヤーに対して一定の金額をかけるというのは理解できなくもない。けれど、例えば据え置きのHDDレコーダーに対して同じ発想を持ち込もうとしても、それはMDやCD-Rと同列には扱えない。更にはHDDというのは汎用品であり、必ずしも著作物を処理するとは限らない。だからDVD-Rもデータ用と録画用に別れている。それを一緒くたにはできない。メモリレコーダーを構成しているコンデンサやらICやらに課金しようとしているのと同じレベルだ。こんな主張の方にこそ、合理性は全く無い。根拠を示せという前に、少しは考えてみろと言いたくなります。
「ここまで常軌を逸している相手と突っ張り続けることと、そうでない選択肢を比べた時、前者にはあまり生産的な要素が感じられなかった。もはや当事者としての能力を持つのは権利者のみ。周りの迷惑を顧みず立場を貫いても誰もほめてくれない。これが権利者の見識であると申し上げたい」
s/権利者/権利者と称する集団と搾取企業以外/g
としてやると、綺麗に事実を表すことができます。つか、お前がこれを言うのかって思える位の厚顔さだ。はっきり言って知能障害か認知症にでもなったんじゃないかと思える程の酷さです。つか、当事者であるとまだ本気で思っているとしたら、終わっている。
で、最後の絞めはカスラックの登場です。流石カスラック、期待を裏切らない暴走っぷりです。
「補償金がなくなれば、創造のサイクルが生み出す利益に、メーカーがフリーライドする状況になる。知財立国を掲げる日本で、上場し、優れた機材を輸出するメーカーが、単に『自分だけがいい』ということでいいのか。そうなれば最終的に創造のサイクルが壊れ、社会が文化的に貧しいものになってしまう」
「JEITAは小委員会の場で、文化庁案に対してイエスかノーかをはっきりしてほしい。それによって創造のサイクルが壊れた場合、文化的な損失に対するメーカーの責任は重大。責任追及していかざるを得ないと思う」
メーカーがフリーライドするのはよろしくないかもしれないが、だからといってカスラックがかわりにそれをやってもいいという理屈にはならない。また、補償金が無くなることで文化の創造サイクルが壊れると信仰しているようだけれど、その根拠がさっぱり理解できない。カスラックが想定する搾取のサイクルは破壊されるかもしれないけれど、それによって社会が文化的に貧しいものになってしまう訳では無い。
メーカーに責任を取れというが、逆にお前らは、これまで創造のサイクルと称するものを担ってきた者として、この社会の貧しすぎる文化について責任を取る気があるんだろうか。この自称権利者と称する連中の言い分を認めた時に、現状よりもさらに文化的に貧しくなった場合、こいつらはどうやって責任を取るつもりなんだろうか。こういう言い方をする以上、まずはそこを明確にするべきなんじゃないですかね。
まぁカスラックですからね。所詮カスな訳で、まともなことを期待するのは、乳飲み子に哲学を語れどころか、ミトコンドリアに哲学を語れと言ってるのと同じようなレベルでしょう。求める方が馬鹿な訳です。それは既に確定済み了解事項な訳ですが、問題はその程度の彼らが一端の権限を持っているということでしょう。素直に分相応な事務屋に徹してさえ居れば、そこそこ評価もされるのに、理解することが不可能くせに文化なんぞを語り出すからカスと言われることになってしまう。馬鹿に大して馬鹿と言えない社会ってのは、こういうミスマッチが頻発します。全ての人間と社会にとって不幸しか生み出さないんですけどね。
あぁフブキさん久しぶりの活躍。なんと初回以来なんじゃないかという程です。すっかりドジッ娘メイド扱いされてしまって、いや今回もそこはかとなくドジッ娘臭はしていましたが、それでも一応頑張ってくれていました。コガラシに至っては、もうデフォルトで化け物扱い。いや化け物なんですけどね実際。自分の事を差し置いて、怪しい仮面の女も無いもんだという気がしますが、まぁその分は不問と言うことにしておきましょう。
しかし、結局ここからというところで終了してしまいました。まぁそういう流れになるのは残り1回である以上、最初から判っていたことなんですけどね。こちらも2期に対する含みをたっぷりと残して終了のようです。なんつーかもう、それが当たり前って感じになってきてしまっています。けど、絶対に良くないと思うんですけどねぇそういう構成。
キャラの色付けが極端で、既にそれ以外のアイデンティティを失いかけている二人をちゃんとした使命に引き戻す役割が追加されています。まぁとは言ったものの、彼女達も相応にやっているんだなという結論なんで、それ程大幅に変化賀あったという訳ではない。なので、今後の展開にしても大きく変わるかもしれないと同時に、何も変わらないかもしれないというのもあります。
けどまぁ、そろそろ動きが欲しいというのが実際の処。二人の異常性が楽しいと思える期間もそう長くは続かないと思いますよ。
キャラクターそのものを直接表現する手法に制限がかかっていますから、内面的な部分の表現がどうしても難しい。けれど、作品のコンセプトとして、白州の心情表現というのは最小限に抑えるという方向ではあるんだと思います。逆に白州の行動とそれがもたらす結果から見ている側、つまり客観側が何を感じるかという部分こそが重要なんでしょう。
扱っている題材がセンシティブなのも相まって、非常に遠回しな表現をしているというのが感じられます。見ている側が物語の外埜存在であると言うことを強く意識させられるそういう作り。それは、題材には適していると思うのですが、それだけでテレビシリーズを継続させることが出来るのか、そこが勝負の分かれ目になりそうです。






