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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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ペンギン娘の価格=スポンサーのないアニメの現状

「TVで無料で見られる=タダ同然のもの」じゃないというのは、原則的にはその通り。ここで問題になるのは、じゃあその作品の価値が売られている価格に見合うかというと、それは単に時間単価だけの話ではなくて、疑問が残る部分が大きいという話。そもそも作品の価値とは何かという部分が曖昧です。純粋に金というのでは納得出来ない人は出てくるでしょうし、中身が良くても稼げなければ食っていけないというのも事実です。

ですから、広告料でどうするとか、そういう部分はあくまでも金の話であって、作品の価値とは必ずしも一致していない。多くの金をかければ面白くなるというものでは決してない訳です。仮に、現状のDVDなりの価格を基準として、テレビ放送等を一切しない状態で、現状の作品を販売した時に、それでも作品を鑑賞するためには仕方がないとしてみんなコストを支払うかというと、そんなことはないだろうというのが実際。

結局無料放送に甘えていたのは、視聴者もだったかもしれないけれど、制作者も同様だったというところがあるんだと思います。それがあるから、中身をあまり問わないで作品を量産した。しかもそれをとても内容に見合うとは思えないような価格でパッケージ販売もした。それがまかり通る現実というのが存在していた訳です。けれど、それはねじ曲がった状態であるというのが実際な訳で、それを修正しましょうという考えが出てきている。それに対して、とりあえず何とかなっている現状のビジネスモデルを弄りたくないという側が反発しているというのがこの問題の根っこなんじゃないかという気がします。

ペンギン娘が面白いのかどうなのかは知りませんが、購入する側としては、その制作コストがどの位なのかということを考えることは基本的にはしません。あくまでも購入することで得られるものが、販売価格に見合っているかという基準で買うかどうかを決めるでしょう。制作コストから計算すると、妥当な金額だったとしても、結果として面白いものが出来ていなければ、その値段の価値は無い訳です。

じゃあ、面白ければ売れるのか? というと必ずしもそうではない。それが資本主義社会における商品の特質で、商品の質と売り上げは無関係だと言っても良いんじゃないかと思えるほど、一致していません。であるからこそ、資本主義は文化の敵となり得る訳なんですが、そこのギャップを埋める役割を担ってきたのもまた無料放送であったという事実があります。アニメならアニメがある程度の本数であるが故に、面白がって見ているという人達が居るのもあるでしょう。売れる作品だけに絞り込まれてしまったり、判る人にしか判らないような作品だけに絞り込まれてしまったりすれば、それはそれで業界として衰退の方向に流れるでしょう。ここでも作品の価値に対する認識の差が問題の根幹になっていると考えられます。

結局、双方が現状の価値観を維持する限り適切解は存在しないと思います。資本主義と文化は水と油な部分が大きいですからこれは仕方ありません。であるならばバランスを取るしか無いんだろうということになるんですが、アニメなどの映像作品の場合、見ている側からの苦情が大きくなる最大の理由は、デジタル放送での利便性がアナログに比べて著しく落ちるという部分にあるんだろうと思ったりしています。これがある程度納得の行くところで収まりさえすれば、それぞれが妥協し合うという関係が構築可能なんじゃないかという感じがします。

そう考えるので、権利者代表と称する集団の強硬な態度は、百害あって一利なしなんじゃないかと思っています。
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「ダビング5でもタイムシフトでも製作者への還元は必要」

また、「直接的な売り上げ減が生じていない場合、フィードバックは不要」という意見に対しては、放送だけでは製作資金を回収できず、DVDなどのパッケージの売り上げが重要になるアニメのビジネスモデルを例に挙げ、「大量に私的録画されると、その後のパッケージ販売に耐え難い悪影響が生じ、逸失利益が発生する」と説明。


一見真っ当に見える主張だけれど、録画に制限がかかるという自体は、前提条件が変わってしまうということに気付いていない。あるいは意図的に無視している。どちらにしても酷くお粗末なんだけど、現在の映像コンテンツの需要だとか売り上げとかというのは、現在の状態という前提から生じている訳で、特にテレビというものが、コンテンツを受け取る際に圧倒的な影響力を持つ以上、その運用が大きく変わらざるを得ないとなった時に、現在の状態が維持されたままになるというのは、屁理屈でしかない。

最悪の場合、そのビジネスモデルとやらが完全に崩壊する可能性だってある。つまり、映像に興味を持つ人間の数が相当数減少してしまうという状態は十分想定できる。それは、既に音楽業界がCCCDを使って実験してきたことで、そんなことをしたところでパッケージ販売に期待するような良い影響を与えることが出来なかったから、軒並み撤退ってことになんたんだろう。

恐らくこいつらは判って言ってる。多額の補償金を取ろうという気はないんだろうね。ユーザーが我慢できる範囲の金額をこっそり取って、それを新たな既得権益として獲得したいと考えているんだろう。どうせ、自分達搾取する集団が旨い汁を吸える程度の金額が集まれば良いと思っているんだろうから、それによって、実際のクリエイターが損をしたとしても、そんなことは知った事じゃないというのが本音だろう。

まぁ古今東西、こういう集団がまともなことを言った試しは無い訳で、こんな連中の意見をまともに聞こうとするから話が一向に進まなくなる。その存在そのものが文化の停滞を引き起こす要因になってます。彼らには彼らの功績というものが一応はありますが、過度な権限を与えてしまったが故に、害悪の方が大きくなってきています。そろそろ退場頂いて分相応なところに収まって欲しいものです。
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■教えるのが仕事

「教えるのが教師の仕事」それはその通りだが、ほうきの基本的な使い方まで教えるのが教師の仕事だろうか? そう考えると激しく疑問だ。学校という社会に出て行く為に最低限必要な知識というのは、身につけているという前提にしなければ、教師なんてやってられない。その最低限必要な知識を教えるのは、親権者なりの役目であって、それは発達障害であろうがなんであろうが例外は認められない。

そもそも社会というのはそういう仕組みな訳だ。一定の特殊性はスポイルするということが成立条件になる。お互いがお互いにとって許せる範囲やお互いのメリットになると認められる範囲において個性というのは容認される。それが社会という仕組みだ。法律が人によって異ならないというのはそういうこと。

そして、学校というのも一つの社会であり、実際の社会の予行練習の場であると考えるならば、最低限の内容が求められるのは当然だろう。客観的に見てほうきで遊んでいる時に、しかられてパニックを起こすような状態であるならば、学校に来る最低限の能力が満たされていないとするべきだ。それを無理矢理入学させておいて、責任を教師に丸投げしているのでは、正直ババを引かされたと感じるでしょう。

細かいことを一つ一つ全部発達障害児に教えるのは難しいかもしれない。けれど、注意されたりしかられたりした時、自分の理解していることが間違っているということがあるんだという概念をきっちり理解させ、パニックなどを起こさせない。少なくともそれが出来ていないのであれば、学校に連れてくるのは間違っていると判断する方が妥当だと僕には思えます。
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空気なんか読めなくて良い

自分の好きなことをすれば良い。ただ、自分の好きなことをするためには、少々周囲と折り合いをつけなければならない。自分のためだと思って、それくらいは我慢しよう。そう、すべては自分を生かすためだ。そう考えるのが一番納得ができるのではないか。


完全に同意できます。エゴイズムが進むと他人との折り合いを考えざるを得なくなります。それはあくまでも自分の為にです。それが、更に進めば他人に積極的に関わったりすることになる。それが人間同士がお互いに生きていくという姿であって、他人を思いやるということを前提とした関係を是とするのは不健全だと僕には思える。それは結果先取りであって、経過を無視し過ぎている。

どんなものでもそうだけれど、理由が分からないモノを押しつけられるというのは苦痛でしかない。様々な勉強にしても、倫理にしても、常識にしてもそうで、何故それが必要なのか、それをするとどうなるのかを理解しない限り身についているとは言えない。形式的に猿真似をしているだけで、簡単に暴走したり間違ったりしてしまう。世の中にはそういうものが溢れています。

空気読めにしてもそう。実際には読むべき空気と、読む必要のない空気というものがあります。それを切り分けることをしないで、間違った時に空気読めとだけ指示するから、なんでもかんでも空気を読もうとするようになる。結果空気を読む技術は上手くなるかもしれないけど、一番付き合いたくない人間になってしまったり、過度に技術を求められた結果落ちこぼれて、無意味な疎外感を味わったりする。

形式を整え、結果的な平和や安定を確保するには無条件的な形式維持が最もローコストであることは間違いがない。その典型が法律という奴だろう。人を殺してはいけない理由すらまともに答えられない人間が大勢存在しているような状態ですから、これだけ様々な禁止事項が乱立している法律の意味など、専門家でも全て答えられるかどうか疑わしいです。けれど、法律を守ることこそが正義だとしてしまうことで、最もローコストに一定の平和や安定を担保出来ている訳です。そのメリットは認めると同時に、しばしばそれが暴走して、訳の分からない取り締まりや判決が出たりしているのを見かけます。

現在の複雑な社会構造では全ての物事に対して理由付けをしていくと、とんでもないことになるのは事実です。けれど、自分が困った時、迷った時、決断する時、意見を表明する時、そういうポイントとなるタイミングにおいて、関連する事柄に対して「何故」と問うことは、必要な行為だと思います。少なくともそれが出来ることが人間としての最低条件だろうと僕には感じられます。
ここまで来てもかったるい展開。カナルちゃんが人間かと問うのは良いとしても、それに答えが出せるほど彼女に対しての描写が為されていない。シーンとしては美しいかもしれないけれど、そのシーンに本当の説得力を持たすことが出来ていない。

稀人の存在も完全にフェイクでしかなかったし、ここまで来ても表現の結構な部分は抽象的で意味がよく判らない。残り話数でどの程度のことが出来るのか判りませんが、2クールもやってきた割には情報量が薄く、かつ何を描きたいのかもよく判らない。そもそも話が継続した物語になっているのかさえ定かでないような印象を受けます。

まぁそれなりに辻褄は合わせてはいますが、メインキャラクターの存在意義が定位していないのに加えて話も曖昧なので、掴み所がないというのが正直な感想です。
一応辻褄が合わないという事は無いけれど、あちこちお粗末な部分が多い。人体実験とか、核処理施設爆破とか、普通じゃあり得ないことをやっておきながら、一介の探偵と取引をしようと考えるのがまず変。そこにもってきて、トンズラしようとしたのに、拳銃一発で目論見が完全に潰えるというのも流石にという気がする。更におまけにBW-αが暴走となったら目も当てられない。

じゃあシュウの方はというと、こちらも相当にお粗末。相手はそれなりの戦力をもっているというのを承知しているのに、何の策も無しに正面から真っ向勝負しに行くなんてあり得ない。アキラなり、祥子声の看護婦なりを伏兵にするとか、そもそも忍び込むとか、奇襲するとか、何らかの手段を取るのが当然なんじゃないだろうか。結局先生の裏切りがのおかげで九死に一生を得たという感じでしたが、あの時サラが取り込まれたら、それで終わりの展開でした。

なんて感じで、シナリオの客観性がもう一つ足りていないという感じがします。だからほころびがあちこちに見つけられてしまう。悪い意味での意外性は多いのに、良い意味での意外性がほとんど無いからハードボイルド的な要素もそれ程高く感じられない。

最初から最後までイマイチの出来で終わりそうな予感がしてきましたね。
2話としては、非常にお約束とも思えるようなあからさまな展開。予定調和出まくりで、伏線を含ませつつキャラの関係性を強調させると、お約束だけに悪くない感じに仕上がっていました。

仲謀が捕まってしまった訳なんですが、これは能力を出し渋っているのか、戦闘力という意味では弱いのかちょっと判断に迷うところ。ただ、伯符にアドバイスをしていたので、ひょっとしたら軍師の位置づけなのかもしれない。他校には軍師が存在しているのに南陽にだけは軍師が居なかったので、それは十分にあり得るなという気がします。

それにしても、おねえさんに「17歳です」と言わせるとはさすが。思わずをいをいと突っ込みを入れてしまいましたよ(笑)