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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
エロく無い関羽登場。微妙というかベタというかそんな展開。張飛というのは、どうしても天然系であるというイメージが定着しているのか、今回はロリで登場。

で、とりあえず今回のところは話の内容は全く判らない状態。どうもオープニングやエンディングを見限りだと、続々とキャラが登場出てくるようですが、それほど真面目な展開をするようにも思えないのは予告から見ても確かそう。

ドタバタコメディの路線でしょうかね。もう少し様子見でしょうか。
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引き続きのんびりとしたペースで話は進みます。確かに前回が前回でしたから、いきなりハイペースに変わったらちょっと困ってしまいますがね。

とりあえず、前作に比べると世界観を丁寧に描こうとしているような気がします。研修と言ってはみたものの、本当に研修しているのかよく判らなかった前作に比較して、今回はいきなり授業とかテストとかしています。その辺りはある程度までは効果があるでしょう。

授業という形式を取った以上、いきなり大量のキャラが登場してくることになりましたが、とりあえず今回出てきたキャラに関してはそれなりに個性的に感じました。このペースだとあまり多くのキャラを扱おうとすると厳しいかもしれません。

どの程度の処理ができるかしばらくが見物ですね。
【正論】社会学者・加藤秀俊 珍妙な証明書「タスポ」の怪

これだけ真っ当なことを書いていても、頓珍漢な非難を受けています。

それだけ「健康病」あるいは「正義病」かもしれませんが、は発病すると深刻な病状になるってことですね。これを病と称したのは、健康に対するアイロニーですが、実際にはこれは病気ではありません。信仰です。だから「健康教」とした方が良いかもしれません。

信仰は人間の心を腐らせます。古今東西全ての信仰においてそうで、一切の例外はありません。例えそれによって結果的に良い状態になったとしても、救われたとしてもです。それは単に良い飼い主に拾われた家畜の言い分でしかない。こんな素晴らしいご主人様に巡り会えて、私は本当に幸せでしたというのは奴隷の台詞でしかない。まぁ宗教というのは総じて神の奴隷でいることを喜ぶメンタリティを強要する訳ですから、当然と言えば当然です。

トラックバックの中に、全体主義という言葉が見えます。一体いつから? となっていますが、民主主義ってのは全体主義の苗床として最も最適です。民意などという誰の意志でもないものに権威を与え、それに強制的に従わせるというのが原則な訳ですから、かなり厳しい前提をクリアし、慎重に運用しない限り、全体主義に流れていくのは必然でしょう。少なくとも僕が物心ついた頃には全体主義的傾向というのは強く出始めていたと思いますけどね。昨日今日変わった訳でないことだけは確かです。
認められた時にだけ自由がありえる

なんというか全く噛み合っていない。その原因は自由という言葉の使い方が全く異なっていることに起因しているように見えます。それともう1つは前提条件の付け方。自由の本質を語ろうとしている時に、憲法ではとか、民主主義ではとか言い出されてもどうにもならない。

物理法則とか生物学的限界とか持ち出している辺りで自由という言葉の定義の違いが判ります。片やの定義では、自由というのは、その結果において担保されることを示している訳じゃない。空飛んでみろとか、子供に人を殺させてみろとか、そういうことじゃない。空を飛ぼうと思惟しそのために行動すること。子供でも大人を殺そうと考えたり行動したりすること。それが自由なんです。その結果はその自由を行使したことによる責任が帰ってくるのは当然。空を飛ぼうと安易に崖から飛び降りれば、そのまま落ちて死ぬかもしれない。子供が大人を殺そうとしたら、反撃されて殺されるかもしれない。それはそれでなんら問題は無い訳です。僕としてもこちらの解釈を採用しています。

自由とは、無原則にどんな結果でも得られるという意味ではありません。自由とは自らの意志で自らの行動の制限を決定することが出来るという意味です。であるから、例え自分が弱者であったとしても、強者にその自由の範囲を承認して貰うなどというのは自由とは呼べない訳です。そして強者が強者であるが故に、他者の意志を踏みにじることを選択肢続ければ、結局自らの足下を掘り崩す結果になるでしょう。本来であれば強者とはそのことを理解するもののみがなるべきなのですが、そうなっていないのはまさに民主主義と資本主義の賜物と言えるでしょう。


しかしながら、結論として収束する方向としてはある程度の同意は出来ます。そもそも権力というものに対する拒絶反応があるようで、それについて見れば言ってる事の方向性はそれ程狂っている訳でもないのではないかと思えます。つまり、公務の執行を妨害したか否かを問う時に、公務や公共の利益というものを一元的に成立していると考えている人間が執行を行っていたり、そのことについて何も疑問に思わなかったり、安易にそれを支持したりする行為。これもまた当人達の自由の行使なんですが、について、責任が追及されるべきだと主張している訳です。それはまさに権力への監視なんじゃないだろうか。結局、噛み合っていないのは「自由」の定義の違いから来る文章の読み違いから来ているだけなんじゃないだろうか。

ただし、「自由民主主義の主旨にのっとって」監視するのが正しいと無邪気に信じられるほど僕は無邪気ではありませんがね。
[それは奴隷の自由であって人間の求める自由とは異なるもの]の続きを読む
FC2テーマ:社会 | カテゴリー:所感
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既に3期目に入ったゼロの使い魔。これだけ長いと話の構成に苦労しそうですが、今回は1話としては小気味良い感じに仕上がっていました。ただし、2期に関しても出足は良かったんですが、中間以降がグダグダな展開になってしまったので、この段階で評価するのは危険かもしれません。

もはやツンデレではなく、デレツンになりかけているルイズですが、まぁ過去のいきさつを把握していればそれはそれで可愛らしいと感じられます。これまで結局ルイズの影に隠れてしまう結果になってしまっていたシエスタやその他諸々のキャラが、才人の変化によって生きてくるという展開になれば、結構面白くなるかもしれません。

相変わらず新キャラも続々投入されるようで、それらの使い方も結構難しい。これからもまだ続くという前提で見れば、いつかどこかで使われるんだろうと見ることが出来ますが、今期の中でという条件で見ると、あまりキャラを増やしすぎると、また処理に困ることになるんじゃないかという不安が頭をもたげ始めます。

まぁゼロ魔ですから、それ程深く考えなくてもルイズと才人のじゃれ合いを素直に楽しむというのも一つの手ではあります。そういう方向に行くなら変に真面目ぶった展開にしないでくれるとやり易くなるんですが。