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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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話が進めば進むほどザーギンこそが救世主のように思えてきます。少なくとも宗教などが世界を救うということはあり得ないし、それを信じるのも愚かなことでしかないことだけは間違いないでしょう。

で、今回の話は丸ごとラストシーンを演出するためのものでしょう。ジョゼフですら出汁に使われています。しかし、雑魚とそれ以外を分ける要因というのが良く判りません。ジョセフだのザーギンだのヘルマンだのはともかく、マレクまでが個別認識可能な形態に化けているんですが、だとしたら、その他大勢との違いは何? そこまで戦闘力が違うのであれば、雑魚以外ももう少し増殖しても良いはずです。

そうしないという辺りに、ザーギンの意図が透けそうです。そもそもジョセフの成長を待っているというのが何故なのか。結局ザーギンという救世主の物語ってことになるんじゃないかというのが濃厚になってきたような気がします。

救世主はいずれ神として祭り上げられるかもしれませんが、救世主自体は神を信じることなど無かった。まぁそんな感じの落し処が良い感じじゃないかなぁという気がします。
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屋山太郎 最高裁の判事たる資格を問う

年金記録漏れ問題は、日本の官僚制度始まって以来の無責任、悪質な事犯ではないか。


少なくとも「発覚した中では」という前置きが居るでしょうね。役人共はこれと同様、あるいはこれ以上の無責任で悪質な行為を日常的に行っていると考えるのは今や当然のことでしょう。そうでなければ、こんな悪辣な社保庁の連中が今に至るまで許されているなんてことはあり得ません。彼等にしてみれば、社保庁の連中なんて「運悪く発覚してしまった不幸な人達」程度にしか見えていないってことでしょう。まともな役人を探すなど、砂漠に落とした針を探すのと同じ程度に難しいことです。

こうした空前絶後の“犯罪”について責任を問えないのは現行公務員法の処罰規定がおかしいと断ずるほかない。


というか、現状の公務員制度そのもの、あるいは国家制度そのものがおかしいので、処罰規定がおかしいのはなるべくしてなっているということでしょう。天下りなんてものがそもそも許容されているという時点で異常としか思えない。元役人を雇用する場合、一切の公共事業に関われないなど企業にとって大きなペナルティになるという位徹底して天下り防止策を取るべきだろう。

ましてや元役人が最高裁判事をしているなんて、国家制度として完全に機能不全に陥っているとしか言いようがない。現状の法律に何の権威も認める必要が無いというのが、この一件だけでも良く理解出来ます。
どうして、レッズはスペースを使った動きができないままなんですか?

基本的に悪い癖をそのままにしてしまったのが一番の原因だと思う。ブッフバルト政権の最後からこの傾向はあった。そしてオジェックが来た時にそれを直そうと最初はした気配はあった。けど、それを選手とフロント、そしてサポーターが潰した。そこで拗れてしまった。

ギドの時代は、堅守&カウンター主体のサッカーでも良かった。エメルソンという選手にはそれが合っていたし、元々レッズはカウンター主体で構築されてきたチームだったから、オフトの考え方を引き継ぐという意味に於いてもこの選択は間違いじゃなかった。それが功を奏してリーグチャンピオンにまでなった訳だが、ギドが居なくなったと同時に、それは変える必要があった。

ところが、選手達は変なプライドがあって監督の言うことを聞かなくなっているし、フロントもサポーターも結果を求めすぎて内容を軽視していた。更にACLの予選参加と代表選手の大量選出が手伝って、疲労という言い訳が成立し、オジェックも手をこまねいてしまった。年が変わってもその傾向は変わらず、2試合負けた段階でなんとオジェック更迭という状態になる。例の「チーム建て直しには6週間かかる」は全く正しい現状認識だったと僕は思えた。それ程までにあの段階で病状は悪化していた訳だ。で、登場したエンゲルスですが、彼も結果を出すというのは大命題で、とりあえず精神論で行くしか無くなってしまっていた。闘莉王を中盤を超えてFWにまで回すというのは、彼の攻撃力もさることながら、精神的な意味の方が大きい。

その結果今に至る。中盤が全く構成できない。構成する意図も感じられない。FWの身体能力頼みの部分が大きく、だからタイプ的にマッチしないエジミウソンも高原も結果が出せない。達也や永井の方が結果が出ているというのは、それだけ長いことレッズに居たからに過ぎない。お互いに特性が良く理解出来るので、良さを引き出すことが新加入の選手よりも多くなるということだろう。前後の連携がほとんど無いのだからこういう結果は当然のことだ。動けないんじゃなくて、動き方が間違っている。

これを変えるには、徹底的な意識改革が必要になると思う。これについてそれなりに理解していると見えるのは、阿部、相馬、細貝辺りだろうか。まずはシステムを変えることが一番のカンフル剤になると思う。4バックしかない。当然実質的には2バックをここでは意味します。ボランチを1枚にするというのも手なんだが、ポンテの隣に立てる人間が見あたらない。山田では下がりすぎてしまうだろう。梅崎ならひょっとするとという気がするけれど、確信が持てない。外国人枠を使うならここだと思う。ポンテ級の攻撃的MFを補強するのが一番の薬だ。そうすればエジミウソンも高原生きてくるだろう。当然達也や永井も動きやすくなる。

サイドバックは平川は駄目。下がりすぎる。相馬と同じ位に前目の意識がある選手を右サイドに使うべき。現状なら永井だろうと思っている。2バックは闘莉王と阿部と坪井をローテーションで使えばいい。ポジショニングが下手くそで足が速い訳でもない堀之内は論外。内舘の方が使えるような気がする。ボランチには啓太と細貝。後はそれで良いだろうけどやはり前目の中盤の駒が足りない。返す返すも小野が居なくなったのが痛い。当面はポンテ、梅崎、山田+ボランチで何とかするしかないだろう。FWをエジミウソンと高原にして、下がり目に達也というのも填れば悪くないかもしれない。中盤の若手の選手を上げてくるという手もあるだろう。少なくともエスクデロなんかよりは使い道がある。

発想を守りから攻撃に切り替え無い限り駄目だろう。それと結果ではなくて内容を重視するようにしなければ駄目。だから5バック状態なんて論外。そういう選手は即交代して、当分ベンチからも外す位の強硬な姿勢が必要だと思う。ディフェンスラインからの無理なフィードも厳禁にするべきだ。結果としてリーグは中位以下になるかもしれないけれど、それを2年くらいは我慢しなければならない。それを乗り越えれば強いチームが出来上がるだろう。

そんな面倒なことは止めてとりあえず一昨年のレベルにと考えるなら、高速なFWを獲得するべきだろう。エメルソンタイプって奴だ。エジミウソンと高原を切り飛ばしてそういう外国人を2人持ってくればいい。ワシントン級のポストプレイヤーという手もありかもしれない。で、例によって8人で守って3人でカウンターというやり方で行けば、とりあえず数年は最少失点と優勝を争えることが出来る程度の成績は残せるでしょう。当然面白くもなんともないでしょうけどね。
ネット・携帯におされる雑誌 総合・映画誌…相次ぐ休刊

この時代の雑誌というポジションは非常に難しい。即時性に関して言うとどう考えてもネットには適わない。時間、量、コストという点で圧倒的な差が付けられてしまっている為に、日刊形式ででも無い限り単純に情報を網羅するだけでは成立できないのは明らかだ。

じゃあ、突っ込んだ内容にすればいい。それは一つの解ではあるけれど、同時にマスとしての機能が弱くなる。つまり突っ込んでしまった段階で一部の読者を切り離すということになってしまう。読者を逃がさないように突っ込みを弱くすれば内容的に情報とそれ程差が付かなくなってしまうし、突っ込んでしまうとどんどんニッチになっていく。

ニッチな情報というのも、これまたネットが得意とする分野だったりします。それはコストが圧倒的に低いから。それに対して、雑誌というのはそれなり以上のコストが必要な媒体であるから、発行部数が下がればその分価格に跳ね返ることになって、価格が上がれば更に内容が求められて、内容を深くすれば更にニッチになってという悪循環に陥ることになる。

あるところで均衡が取れるバランス点というのがあるのかもしれない。そこを見つけるまで模索するしか無いんじゃないかという気がします。何れにしてもお気楽極楽な情報誌的なものは、限りなく無料に近いもの以外は徐々に淘汰されていくことになるでしょう。こればっかりはどうにもならないでしょうね。

ちなみに「雑誌は書籍・活字文化への動機付けとして重要」というなら、書籍を電子化してしまった方が文化の普及という意味では余程手っ取り早い気がする。印刷物という形式に拘る必要性は全く無いので、こういう前置きははっきり言って見苦しい。そういう機会は随分前にあったのに、印刷に拘って電子メディアを拒絶してきた挙げ句がケータイ文化に壊滅的打撃を受けるなんて有様だ。文化の担い手として出版業界が足枷として機能していたということを素直に認めて、敗北宣言を出した方がいいでしょう。
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大分県で採用不正を理由に20人の先生がやめさせられる

教委が無責任だろうという意見には同意だが、じゃあ不正合格した教師をどうするべきなのかという点について書かれていない気がする。医者だというなら、教師を医者に置き換えてみたらどうだろう。医師免許というものは一応医師としての能力を保証するための制度のはずなんだが、本来であれば不合格、つまりその能力が無い判断された人間が医師免許を持っているということが発覚した時、そのことを本人が認識していたかどうかに関わらず、とりあえず免許剥奪というのが正しいとは思わないのか? そういう医師に自分の腹を切らせることが出来るか? と言われれば御免被ります。

その上で、当人を解雇する以上、当然教育委員会という組織は解体が望ましいだろうね。それが出来ないならせめて教委に所属していた連中は全員解雇くらいはするものだと期待しておきましょう。罪は不正合格したものにあるのでも、不正を依頼したものにあるのでもなく、それを受け実行し、それを放置したものにあるのは当然のことですからね。

当人達が気の毒だというのは判る。親の因果が子に報いってやつだ。けどそれが現在の腐った家族制度って奴だから仕方がない。親と子というのは、家族という共同体に置いて共同責任を負う部分がある程度以上あるというのは社会的にオーソライズされていると僕は考えている。

よってそこから自由になりなさいというのは同意できます。というか、最初から家族制度なんてものがなければ、縛られることなんて無いというのがより本質的な解なんですけどね。とりあえず、現状から脱出する緊急策として、積極的に身内と離れるというのは確かにお勧めの手段かもしれません。
3種類のクズがホームレスになりやすい。

権利を義務と紐付ける人は多いけれど、そこが釦の掛け違いの原点。そのまま突っ走ると、こういう結果ナショナリズムに落ち着いてしまいます。それにしても「そして国家磐石の人柱となる崇高な義務を負うのだ」とは、もう勘弁してくださいって感じです。

国家など人間の入れ物としての便宜上のものでしかない。あくまでも主体は人であり、国家のための人柱などはあり得ない。そうしなければ国家が滅びるというなら滅ぼしてしまった方がナンボかマシ。

というか、国家の人柱になれという人達には、まず自分が死ねよって言いたくなりますね。生きているということは国家に対して自分の生がどの位貢献しているのかまずきっちり明示して欲しいものです。少なくとも30歳未満の小僧が語れる内容じゃない事は確かだろうね。

ホームレスを含めた弱者と呼ばれる連中が、その立場に甘えているのじゃないかという意見には賛成できる。それを許すべきではないという点も賛同できる。けれど、そこから殺してしまえまで行くとそれは飛躍。救済を打ち切られてもそのままならいずれ淘汰されるでしょう。それは仕方ないかもしれないけど、それを選択するのも、それ以外を選択するのもそれぞれの自由であり、国家を含む何者にも強要されるべきではない。

国家なり何かなりが、人間に何かをしなければならない。という考えがあるんだろう。けどその発想は嫌悪の対象になっている福祉国家と原則的に何も変わっていない。結局巨大な国家組織が必要になるという点でも良策とは到底言えない。現代社会に問題点があるという点に同意が出来たとしても、その対応策に対して絶対的な解が確定しているなんていうのは、酷い幻想だ。ホームレスのオヤジが愚痴の根拠としている妄想と変わらない。

権利に紐付くのは義務ではなくて責任。変わらないように見えて実はこれはかなり違う。人間の上に何かしらの存在を位置付けなければならないと考えている内は所詮同じ穴の狢でしかない。つか、そのレベルはマルクスで終了している。つまり100年以上も昔の発想でしかないだろう。
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このモルテの獣人嫌い話は一応メインになるものだと思われるので、引っ張ります。トッピーと旅をしておいてという突っ込みがとうとう入りましたが、結局のところ現実を受け入れられないでいるというのが正解なんでしょう。そういう意味では既に結果が見えてしまったということが出来て、彼女の心情の変化を追いかけるところが醍醐味ではあるんですが、そこまで細やかな心情表現が出来ていない気がするので、話が見えにくくなってしまっています。

しかし、だとするならですが、なんで獣人と人間が争っているのかが良く判らない。この辺は差別について疎い日本ならではの感覚で、多民族国家に住んでいたりするともう少し話が理解しやすいのかもしれません。ミクロでみてしまうとどうにもならないというのは判るんですが、マクロの視点についても出てきてないので、世界観として掴めないでいます。

話の展開自体は判らないでもないんですが、出すべきところが出きっていないという感触があります。もう少しのところという気がするので、それは相当損していると思いますね。