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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
この時期にクリスマスネタかいっ! って突っ込みたくなりますが、そんなのどれもこれもやってるじゃんって言われればそうかもしれないって感じですね。毎度のことですが、折角新キャラだかゲストキャラだか出してきたにも関わらず、今回も黒サンタは実質何にもしないまま終わってしまいました。それはちょっと残念。かなり意気込んでダークな感じで登場したんだから、もう少しダークな事をやってくれると思ったのですが、最後に出てきた本物に完全に食われてしまいました。

それと、全知全能を自称する凶華様ですが、今回もまたご自身では何もなさっていないようにお見受けしました。それもまぁ組織も含めて凶華様の力であると言えなくもないんですが、彼等ですら本当の意味で凶華様に従っているのかというと、それも怪しい訳で(笑)

しかし、ノリとテンポは相変わらずのモノをキープしています。それがこの作品の命ですから、それだけは譲れないという感じでしょうか。今のところとにかく話が拡散の方向に進んでしまっていて、それだけに掴みにくいのですが、これって収束する気無いのかもしれないなぁ…
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俺のような奴は死んだ方がマシだと考えてる人には死んで欲しくない。

社会の理想型として、あるいは当面の目標として、方向は間違っていないと思います。けど、それを国家という枠組みに収めてしまおうと最後にするから、歪んでしまっているように思えます。実際話の途中では、社会とか共同体とかの表現を使っているのに、それが最後には国に飛躍してしまっています。実は、この形式は個人が社会に還元するという考え方だけじゃなくて、個人主義を純化していっても同じ内容に帰結することになります。それは

社会が無ければ人は無く、人が無ければ社会も無い


ということを認識できれば、自ずとそこに対する関係性をどうするべきなのかというのを考えざるを得ないからです。けれど、社会、特に国家というものを先に定位させると、その国家に如何に従順に帰属するかという要素が発生します。その行動基準、選択基準は国家が、つまり権力者が定めたものになり、その基準で貢献が認められるか否かが判断されることになります。つまり少なくとも一部の人間に対しては「趣味の一貫で何か出来ればよい」とはならなくなってくる訳です。

「先人たちが民衆に課すハードルを高く設定しすぎ」たのは何故かというと、ハードルの高さを他人の基準に任せたからに他ならない訳です。ハードルの高さは自由でどんなに低くても構わないというなら、ゲスだろうがクズだろうか認めなければならないということになる。けれど、国家にはそれは出来ない。だから国家という基準を想定した瞬間にこの理屈は成立しなくなります。

個人主義は社会へ貢献しないというのは、勘違いでしかありません。むしろ個人であるということの認識を強めれば強めるほど個人は社会に対し積極的かつ主体的に関わるしかなくなります。国家も村も家も家族も無い個人はその社会の要員として生きるしか無いとすぐに気付くでしょう。そこでその個人に求められるのは、自らの言動に応じた責任を必ず負うという原則のみという構造が出来上がれば、ここで書かれているような状況の実現可能性が出るかもしれません。

国家は人間を従属させることは出来ても、人間が国家を構成することは出来ない。できたとしても、非情に困難で未だ成功例は無い。それが国家という形式が出来てから現在までの歴史で証明されたことでしょう。
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親子関係を壊す「しつけ優先主義」

読んでいて、間違っているとは思わないのに何故かしっくり来ないのは何故かとずっと考えていたんですが、最後にその理由が判りました。

親の意味を勘違いしてはいけない。親は子どもを育てているが、子どもは自分の所有物ではないのだ。子どもは未熟ながら一人の人間である。誰かが言っていたが、子どもは天からの授かりものではなく預かりものなのだ。


ここには二つの微妙な問題が絡んでいる。一つは親は「子供の所有物ではない」だから特別に扱ってはいけないというの同意したいのだけど、現実にはだからといって自分の子供とそれ以外は同じではない。その二つを同じ扱いにすることは全く持って無責任だと僕には思える。例えば、公共の場で騒ぎまくる糞猿を見たとしても、それが他人の子供なら睨み付ける程度で収めるだろう。現在では子供は親権者の所有物であるというのが社会的認識になっているからだ。これが自分の子供だったら、当然そんな程度では収まらないことは間違いない。社会認識では子供は親の所有物であるのに、そうではないを前提にして語られたのでは違和感が生じるのは当然のことでしょう。


もう一つは、子供を「未熟ながら一人の人間」として扱えと言っているという点。これをするから子供は自分は特別であると勘違いを起こすのだと僕には思える。未熟であるなら一端に扱うべきではない。人間が人間として認められるのは無条件ではないということを子供の頃から骨の髄に叩き込むのは、これから生きていく為の絶対必要条件だ。そこの部分が甘いから、井の中では王様であったのに、外に出た瞬間、あるいは何らかの挫折を経験した瞬間に簡単に諦める加藤のような人格が出来上がる。

ここで出されている例は、確かに怒鳴りつける必要があるかどうか微妙なものが多い。けれど「子どもが、人間としてやってはいけないことをしたとか、人を裏切ったとか、人の心や体を傷つけたなどというとき」というのは基準としてあまりにも曖昧な気がする。何れにしても、子供に対し親権者は一定以上の上下関係を確定させておかないと、いざというときのブレーキとして機能しない。やってしまってからしかっても意味は無い。

「細々したミスや失敗」をあげつらうのは、子供に対してだけでなく人間として下劣だと思うけれど、子供が過度に未熟であれば、他人から見れば単なる小猿にしか映らないという事実を親権者は認識した上で対応をする必要がある。家庭内ならともかく、外に出た場合気にするべきは子供の感情ではなくて周囲の感情の方だ。そして、家庭内においても、外に出した時にどうなるかという想定の元で教育を行わないと、実際の段階で機能が有効に作動しない。家の近所には、家の中だと隣の家まで聞こえる位の大声で子供と騒ぎまくっている親が居るが、そんな状態で子供をコントロールできるんだろうか? と本気で思う。

本当に子供は親の所有物ではないと社会認識ができれば、そこまで親権者に管理責任は生まれないだろう。けどその場合、目を離した隙に、自分の子供が他人に蹴り飛ばされていても、いきなり文句は言わない程度の覚悟が必要でしょう。通常の感覚なら、子供を無条件に蹴飛ばす大人に当たる確率よりも、子供が蹴り飛ばされるに値する行為をする確率の方がはるかに大きいのですから。ついでに親である自分の能力が今の基準よりも遙かに高い基準で判断され、無能と認識された場合は、当然親権を失うということも認めるべきだろう。家族制度の半解体という状況になり、まことに結構なことだと思うけれど、まず当分の間、この国ではそうなることは無いでしょう。何故なら、子供は家族、家の所有物であるという認識が深く根付いているからです。
失踪した(俺が)。

同情する余地がまるで無いように思えるのだけど、ブクマコメントなんかだと擁護している人が多いのが興味深い。若い内ってのは誰でも「自分は出来る奴に違いない」という思い込みが多かれ少なかれあるものだとは思いますが、妄想と現実の区別が付かなくなるとこうなるという典型。嘘か本当かは知らないけれど、いるんじゃないかと思わせるものはあります。原因の如何に関わらず切り捨て対象にしかならない。

っていうか、この程度で自殺したいと思うなら死ねばいいんじゃねーの? 多分生きている価値無いよ。何もしていない内から人生失敗したとか言ってる時点で、笑うしかないって感じだしな。こういう連中を弱者だとか言って保護しなければならない理由が全く見つからない。

どうせそのままでものたれ死にだろうし、それでなんら問題は感じない。つかむしろ犯罪に走る前になんとかなってもらうことを希望するね。
なぜ人権と民主主義は正しいのか。ホームレス問題に寄せて。

それは強弱の定義を変えたに過ぎなくて、解答になっていないような気がする。つまり純然たる暴力の力を持つものが強者だという理屈にすげ替えただけだ。仮に1万人の人民とやらが存在したとしても、そんなものは、核ミサイルの照準一つで黙らせることが出来る。つまり、それがここで言われている強さな訳で、近代民主制を肯定することにも、人権を肯定することにもならない。結局、竹槍が何万人居たとしても、戦闘機1機には絶対に勝てないし、零戦じゃジェット戦闘機には勝てない訳で、だから経済を握っている連中が強者の仲間入りを出来ているんだという事実を忘れているんじゃないだろうか。西部劇よろしく一人一丁の拳銃を持ち的な綺麗事を前提しているみたいだけど、それはナンセンス。であるから、ここで言われているように人権も近代民主制的な意味での平等も幻想に過ぎない。

選挙権が革命権の穏和な実現形式であるというのは面白い見方だと思いますが、穏和にさせすぎた為か実質的に機能しない仕組みになっていしまっています。そうなると、相互均衡を取る為という人権の機能も同様に機能しなくなり、一方的に与えられる形式にどんどんと近づいていきます。現在はまさにそれが進行している状態。これは、人間の上位に国家やそれに変わるなにがしかを定位させる限り必然的に起こる現象で、避けようがない。

墓掘り人夫というなら、恐らく現在の形式による人権擁護をしても同様に自分の墓を掘ることになるというのは変わらないのではないだろうかという気がします。結局人間は自らが自立しない限り、そういう状態から脱出することは出来ないでしょう。
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【正論】岡崎久彦 1年間の閉塞状態から脱せよ

これを見ると、本当にアベがとっとと消えてくれて良かったと心底思えます。そして、アベが如何に危険な人間だったのか、そしてこんなことを未だに「良いこと」だと疑わない老人が大勢居るんだという事実に背筋が寒くなるのを感じました。はっきり言って、これを読んでしまうと、特別好きでもない小沢一郎氏が英雄に見えてきてしまうくらいです。アベは何としても早期に引きずり下ろす必要があった。どんな手段をつかってでもそれが最優先だというのは事実だったので、それが如何なる動機から行われたものであったとしても、当時の民主党の行為は望ましいものでした。

政治家というのは、国家権力を体現する連中な訳だから、どうしても国家という仕組み自体を否定することは難しい。それは限界点として仕方ないことだと思うけれど、国家などというクダラナイものは出来うる限り縮小し、その権力権限は最低限に押さえ込むのが望ましい。今現在の段階では極端に縮小することは様々な問題が発生するので実現することは難しいだろうが、それでもその基本方針を忘れてはいけない。

少なくとも国家主義的思想は間違っていると断言できる。あまり主義主張について決め付けることはしたくはないのだけど、これだけは確実に言える。間違っているで悪ければ終わっている。あるいは古すぎるでも良い。国家を起点に発想するから、人間を国家の奴隷としてしか考えなくなる。きっと未だに「お国のために」何かをすることは、崇高なことだとでも思っているんでしょう。考えてみれば哀れな人です。少なくとも現在から未来を志向する時に考慮されるべき考え方ではないことは確実です。

それを理解していないという段階でアベは駄目だし、この爺さんも既に終了している。人間が仕組みに振り回されるという社会を構築しようという発想から脱却しない限り、我々が迷い込んだ迷宮から抜け出すことは出来ないでしょう。それにしても今時思考が50年から100年も後で止まっている奴が偉そうな肩書きを付けていられるんだという事実に驚きます。後2、30年もすればこんな連中も大半が死滅するとは思いますが、それまでは暗黒の時代が続きそうです。
今回かなり浮かれ気味に展開はしているけど、内容は相応に深刻。そんな中で馴染んでいるような馴染んでいないような微妙なポジションの月海の心情変化を追っかけるというのがメインになっています。彼女の変化自体は良く描けていると思うんですが、どうしてもセキレイについての情報に伏せられている部分が多いので、その分伝わり切れていない部分が出てしまっているように感じます。折角良い感じの話なのに、その辺がちょっと勿体ない。

皆人が何故一緒に逃げることを選択しないのかについても、今ひとつ良く判らない。見る限りにおいて、彼が戦うことを選択しなければならない理由が見つからない。逃げることが非常に難しいという状況においては、現状維持を最優先という考え方は成立すると思いますが、逃げるという選択が実行可能であると言うことであるならば、それを選択するというのは当然魅力的に思えるはずです。

その辺については次回以降に何らかの情報が出てくると期待させてもらいましょう。実際の処まで誤魔化しているという表現でしたから、彼の中で何らかの迷いがあるということなんでしょう。

キャラが随分増えましたが、それなりに巧く使っていると思います。これからバトルが多くなるにつれて、更に彼女達は生きてくるでしょう。思っていた以上に真面目に構成されているのかもしれません。しかし、既に10話を経過してしまった訳ですが、まさかこの脱出エピソードで終わりってことは無い気がするんですが、2クールなのかな?
とりあえず言いたいのは、ハウスボールでその回転じゃ絶対にパーフェクトなんか出ないぞ(笑) ってことで、ついに光が自分の気持ちを理解するの巻です。気が付くまではやけに同様していましたが、気が付いてしまえばやけにあっさりとしているというのが、らしいと言えばらしいけど、ドロドロ感が足りないという感じもしないでもない。まぁ作品のカラー的にそういう傾向じゃないと言えばそうかもしれないけど。

なんと言ってもオチの「そんなことじゃ驚かない」が爆受けしました。滝島君艱難辛苦だなぁ。もう光が鈍いというのは織り込み済みなんだから、もっとストレートな表現をしたって良いんじゃないかというきがするんだけど、その辺りの滝島の心情がもう少し表現できてると、より面白味を増したんじゃないかなって気がします。

で、とうとう平和が売りのSAにも試練の時がやってくるという展開なんだけど、予告を見る限りそれほど深刻な感じにはなっていないような気がする。なるようになるさ的な受け止め方が出来る子達なんで、その辺は巧くやってくれるのかもしれない。やっぱそういうカラーの作品ってことだよね。