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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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大杉という人物は、作中最も現在の一般的な常識観念に近い感覚を持っていて、かつ彼の言動は誠実そのものだ。けれど、それが社会の前進にブレーキをかける役割をになっている。その構図自体が痛烈なアイロニーになっています。

大杉に悪意は無い。悪意が無いからこそ厄介な訳です。悪意が無いから悪ではないかというとそうではなくて、時に悪意が無いということこそが最も悪となる。大杉というキャラはそれを身を以て体現している訳です。

滝沢に対して犯罪者という表現をするのも典型的で、大衆というのは自分が浸かっている環境に非常にコンサバティブで、それを変えようとするものに過剰に反応します。そして、それを排除するに犯罪者であるという理屈を使う。犯罪者というのと悪であるというのとでは絶対的な差があって、犯罪者とするには法的な意味で犯罪を犯したものという意味が付加されます。

つまり、悪を悪と断定するにあたって法つまり国家の権威を以てしている訳です。それは逆に言うと自らは法と国家の奴隷であると宣言している事になります。そして、彼等にとってはそれが善良の証だと考えている節があり、もう救いようが無いという状態になっています。

法や国家が正当性を持つのは、その正当性が確実に担保されているという前提条件が成立している時のみであるというのを忘れてしまっている。だからこんな末期的社会情勢に至っても犯罪者であるという表現を平気でするし、犯罪行為は即悪であると判断する。もうこの反応は奴隷を通り越して犬です。

しかし、平澤に代表されるように、そのイデオロギーから完全に自由になることはとても難しい。咲に関しても同様。彼等のような存在が浮動層として徐々に多くなってきているということは事実なんでしょう。滝沢が当面目指すのは、そんな浮動層に自由を提供してやること。彼等がまだ人である内に大杉のような奴隷にならない内にイデオロギーから自由にしてやること。それが当面のステップになる事でしょう。みっちょんが滝沢にはなつくというのは、彼女が感覚で動く傾向があるから。むしろ平澤のような理性で動くタイプの方が観念に縛られやすい。

様々な要素を巧く取り込んでいると思います。けど、このペースで話終わるんだろうか? それについては限りなく不安なんですが。
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内容的には想定の範囲内というかほぼ完全に想定通り。これを兄妹愛とか家族愛とか一族愛だとか言うのであればこれ程迷惑な事はありません。はっきり言って他でやってくれって感じです。そして、事態を知った時に慶太がどういう結論をだすのか見物です。

何故なら、彼は蔵木を完全に否定した。蔵木は社会を改変するという目標を掲げていた訳ですが、そのために他人を犠牲にすることは認められないという理由で否定された訳です。そこでこの展開です。クロやその一族、そしてドッペルライナーシステムを破壊する為であれば他人を犠牲にすることは許されるのか。さて、どう結論づけるんでしょうか。

流れ的にはどう見ても蔵木は許せないが黎真は許せるという流れです。もし、その通りになるのだとしたら、酷いダブルスタンダードで、身内が犠牲になるのは許せないというだけの陳腐な話にしかなりません。客観的に見れば、蔵木の主張の方が何倍も正当性があります。ドッペルライナーシステムにしてもそれが例え呪いから来ているのだとしても、絶対的なシステムであるなら利用の仕方は幾らでもある。何でも破壊すればいいってもんじゃないでしょう。

散々引っ張ってきて結果墓穴を掘っているとしか見えません。その結論に至った時にそれが異常だと思わないとしたら、家族制度という歪んだ常識に毒されすぎている証でしょう。