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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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多情で無法な日本人

これは、啓蒙なんでしょうか? 理屈はまったくもってその通り。でもこれを本気でやろうとしたら、恐らくクーデターくらいしか道は残されていない。それが近代民主制。本気で変えようとしたら、まず教育の見直し。それが出来てから数世代、そう40年位かければそういう社会になる可能性も僅かながらにあるかもね。ってぐらいでしょうか。

正直言って、近代民主制は机上の空論的要素が強い。良いスパイラルに持っていくための前提条件が厳しすぎるのがその原因。条件がちょっとでも欠けると、すぐに負のスパイラルの方に陥ってしまって、気がつくと衆愚政治のできあがり。お湯を入れて3分待つとできあがりみたいなものでしょうか。

政治や政策は主権者である国民に問題がある。近代民主制の原則ですが、明らかにそれを政治家は逃げ口上に利用しているし、国民の側には主権者、責任者として自覚的になれるほどの権限は実際には与えられていない。日本の場合1億分の1程度に希釈されている。千万単位の人間を動かすことは容易ではなく、一番簡単な方法は政治家達がよく使う金にものを言わせるという方法。選挙で名前を連呼するのが無くならないのは、それが一定の成果を挙げるから、つまり、相応の人数の国民はその程度で票の入れ先に影響を及ぼすということ。

私一人からまず変わること。なんて言うと耳障りは最高だけど、ほぼ確実に無理。僕も高校生ぐらいの頃までは、それを信じていたけど、もう見切りました。政治家も役人もなるべくしてなった。国民が、主権者が腐敗した。システムがそれを促した。その下で働いている公僕だって当然腐ります。国民自らがの作り出した汚物のようなもの。

結論から言うと、大衆とはこのエントリーで挙げられている駄目有権者のような状態で居られるから大衆なのです。しかも、恐らく社会に一定割合の大衆というのは絶対に必要なのだろうと考えています。だから、近代民主制は必ず腐敗する。もしくは崩壊する。これは、仕組み上そう簡単に変えられないことだろうと考えます。
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FC2テーマ:政治 | カテゴリー:社会
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