FC2ブログ
Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

英数字が5割以上のコメント、TBは投稿制限しています。またスパムと判断されるものは問答無用で削除します。
最終回を見て、どうにも納得がいかなかったので、シムーンの時にお世話になった某友人に再び意見を聞いてみました。すると彼曰くあの最終回で過不足は無いと言います。詳しく話を聞いてみると、確かに、なるほどなと頷けるものでした。

まず、作品全体のテーマをどう解釈するか。これが一番大きな問題です。RED GARDENという作品は、演出が非常に細かく、かつ微妙なものなので、ここを読み違えたり曖昧にしていたりすると意図が捕まえきれなくなります。で、彼の解釈としては、

「生きるとは何か? 生と死の違いは何か?」

じゃないか。ということです。なるほど、生きるとは何か? という発想はあったものの、生と死の違いは何か? というところまで頭が回らなかったというのが、僕の致命的な敗因になったようです。

例えば、最終回、リーズケイト達が再会するシーン。彼女達は一見再会を喜びます。けれど、それ以上何をするでもなく、呪いの書をお頭に渡して、たわいない会話をしつつ眠ってしまいます。これを表面だけで解釈すると、

あれだけ引っ張っておいてリーズの使い方ってあれでいいの?

ってなる。実際僕もそう思いました。けれど、そうじゃないと彼は言います。リーズの役割というのは、物語に対する切り札というものではない。ちなみに、そんなキャラはこの作品には存在していない。そんなキャラが居たら物語が成立しない。逆に言えば、そういうキャラが居ないということが、この作品の偉大なところでもある。と。

じゃあリーズとは何者か? というと、彼女はあくまでもケイト達4人との対比対象としての存在でしかない。ケイト達は、自分達が既に死んで、新しい命と身体を与えられた時に、選択を強いられた。そのまま死んでしまうか、それでも生き続けるか。そういう選択。ケイト達は紆余曲折の末、「それでも生きる」という選択をした。けれど、リーズは選択することが出来なかった。その違いを表現する為に彼女は存在した。だから、物語にストレートな形で影響を与えることは無かったかもしれないけれど、それ以上に重要なテーマに対して十分な存在意義を発揮したと言えるでしょう。

それを象徴的に表しているのは、やはり最終回、リーズが学校に行ってからケイト達に会うまでの数シーン。及びケイト達に会った時のシーン。リーズが口にした言葉は、彼女が死んでしまうまでの記憶に依っている。つまり、リーズは17歳までの記憶で止まってしまっている。それは、ドロルと戦い、生きると決めたケイト達が失うものそのもの。17歳までの記憶を失うケイト達と、17歳以降の記憶を失ってしまったリーズ。そういう対比がそこにされています。

であれば、その差は絶対的なものであり、それこそが「生と死」を完全に別けている。そう考えれば、リーズにはそれ以上のものを求める必要は無く、十分であるとすることが出来るでしょう。リーズとケイトが抱き合うシーン。その1シーンに込められたもの。ケイトの思いを想像するなら、まさに胸が熱くなる思いになるんじゃないでしょうか。さらにラストで、リーズは滅びる訳ですが、それはつまり、17歳までの記憶の消滅の比喩になっています。これは秀逸かつ上品な演出だと言えるでしょう。

もう一つ例を出すと、自分達の境遇を知って、4人は各々悩みます。一番荒れたのはレイチェルだった訳ですが、彼女はある時急に達観し始めます。さて、その契機はなっだったのでしょうか? 勿論トリガーはルークなんですが、ルークは、レイチェルに何度も助け船を出そうとしています。けれどレイチェルは拒み続けます。それは何故か。最終的にルークと別れなければならなかった理由は何か。それが何故彼女の生きるという決意に繋がるのか。実は、そこも僕には今ひとつ判らない部分でした。それも「生と死」というテーマを見据えれば見えてきます。

逆算してみましょう。ケイト達が「生きる」という選択をしたのは何故か。それは「死」を意識したからという表現がされています。その典型がアニムスのボス。彼女達は完全に人形のようになってしまっています。永遠の時間を生きる、生きられる、生かされてきた。それ故に死からあまりにも遠くなってしまった。その状態は実は生きていない。そう捉えることができます。ケイト達4人の死ぬ前の状態を考えてみると、彼女達も当然のことながら死を意識することは無かった。それが、強制的にそれを意識しなければならない状態に追い込まれたことで、最終的に生きるという選択に至ったという過程を読み取ることが出来ます。ルーク達の存在は死ぬ前のレイチェルと同じ状態に居ます。死を意識してしまったレイチェルとそれがないルークの絶対的な差。埋められない差異。それも「生と死」であると考えることが可能です。記憶を失っても、体を失っても生きることができる。そう示すと同時に記憶も体もあっても、生きているとは限らない。それを綺麗に表現しています。

ついでに言うと、最後の夜の4人の過ごし方。それぞれ一体誰と過ごしたでしょうか。一番大切な人と過ごした表現がされています。家族と過ごしたローズ。ユアンと過ごし親父とも一応顔を合わせたクレア、友人達だけと過ごすレイチェル、ポーラと二人だけで過ごすケイト。この過ごし方もとても象徴的です。それぞれと家族との絆が良く表現されています。一見一番問題が無いように見えたケイトこそ、一番家族と離れていたという事実。そして、家族との接点が薄いケイトとレイチェルの二人が、最も「生と死」という問題に対して逃げずに向かい合う結果になっています。この辺りの物語の構成は、本当に類を見ないレベルのものがあります。

そういう風に解釈すると、RED GARDENのメインの内容は、実は21話、あるいは20話で終了しているということになります。なので、最終回は、補足あるいはまとめ。情報量が下がったように感じられた原因はそこにあります。テーマ的には収束してしまっていて、物語的な〆に入った状態。それまでの内容を理解していないで、物語にだけ惑わされていると、尻切れトンボになったように感じてしまう訳です。

いや、僕の理解力ってのも、まだまだ全然足りてない。シムーンに引き続きまたそう思い知らされる結果になってしまいました。素晴らしい作品を送り出してくれたスタッフ一同に、心から感謝したいと思います。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://kazus.blog66.fc2.com/tb.php/1989-38b02838
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック