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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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"So It Goes." ―不適用例

何故人を殺さなければならなかったのか? 恐らく原因は二つ、一つは社会的責任の所在が曖昧であるということ。もう一つは奴らの堪え性が無かったから。究極的にはこの二つだと思っています。

本当に精神がどうかなっている訳でもない以上、人が人を殺そうとまで考えるには相応の理由があるでしょう。それが一般的に見て正当なものかどうかは別として、何かはあると考えられます。それが、対個人のようなものであれば、対応の仕方は比較的単純なので、やりようもありかもしれません。けれど、それが社会的な問題であったり、コミュニティの問題であったりした場合、責任の所在が不明瞭な場合が非常に多いです。今回の例でみても、市に対する不満も、学校という社会に対する不満も、責任の落とし処が非常に不明瞭です。

その根底には、多くの人間が恐らく愛してやまないだろう民主主義という観念があるだろうと考えています。民主主義は人類総無責任状態を容易に作りだしてくれます。そこで、マイノリティに位置づけられると、ジョーカーを徹底的に押しつけられることになります。それに対して不満を持ったとしても、対応の仕方は非常に難しいし、改善をするのに徹底的に迂遠な方法程度しか無いということが多々あります。

そうなるってしまうと、怒りをどこに向ければ良いのか判らなくなり、鬱血していきます。それでも、普通なら無差別に殺すなどという短絡は起こさないのですが、そこはやはり堪え性が無かったということなんでしょう。誰でも無いなら、誰でも同じだという結論に達したんでしょう。そう言う人間が普通に存在しているのは何故と問うても、これまた責任の所在は不明です。

結局、何かを決定したり、何かの行動を起こす場合、基本的にはその言動に対して責任者を明確にするべきなのですが、実質近代民主主義やその観念で構成されたコミュニティは誰も責任を取らないというのが、前提になっているので、無差別にかつ過激な攻撃が行われることになるのでしょう。自分達が無責任に結果を享受しているツケが時折回ってくるという感じなんじゃないでしょうか。ま、役人の無責任体質はそれとはちょっと違うかもしれませんが、政治家の責任を考えれば、根本は繋がっています。

意味不明に攻撃されるのが嫌だとか、理不尽だとか思うなら、責任の所在を明確にするべきでしょう。それをしない以上は誰もに責任があって誰もが無責任であるという結論に、反論出来ないんじゃないでしょうか。
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