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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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競争のない社会こそ、格差社会ではないですか?

僕に言わせると、「マーケット至上主義」も「消費者至上主義」も同じ事です。要はどちらも消費者は正しい判断を行うことが出来るということを前提としなければ成り立たないという条件を持っているからで、それをどう呼ぶかは些末な問題にすぎません。

ここで指摘されている、現体制というか旧体制の公という考え方が機能していないという件、それこそが格差なんじゃないかという件、これについては反論の余地はありません。それの元凶は、役所に巣くう害虫共であり、そのおこぼれに預かったり、駆除能力が欠如してしまった政治屋にあります。

これは、他の例でもよく見られるのですが、ある例が失敗であったからと言って、それ自体を否定してしまう。という傾向があります。公的機関が腐っていて全く機能していないどころか害になっているという現実があったとしても、それをもってそれ自体を否定することはできません。資本主義にも全く同じ事が言えますが、僕がマーケットあるいは消費者主義への依存度を高めることに危険を感じるのは、別に現状に問題があるからではなく、その原理原則に問題があるからです。

もし、消費者のほぼ全ての人の判断を信頼に足るものだと判断する事が出来るなら、消費者至上主義は主張されるように、素晴らしい社会を構成することでしょう。しかし、僕はその前提条件を成立させる可能性は限りなくゼロに近いだろう。運良く実現するとしても、後数百年位の時間は必要だろうと思っています。はっきり言って、消費者は彼が信じているほど賢い訳でも、優秀な訳でもありません。それは幻想でしょう。

特に公共のもの、例えばこの記事に例として挙がっている教育などは、消費者の価値基準で良いと判断されるものが必ずしも良いものとは限りません。確かにくだらない定数の問題などは無くなるかもしれません。けれど、もっと大切な、無くしてはならないものも同時に失う事になります。

もっと大切なものとは何か。それは簡単に言えば市場が、消費者が求めているものとは別の価値観です。資本主義的原則は、最も消費者に指示されるもの以外を駆逐するという傾向があります。これを何というかというと、全体主義と言います。つまり、資本主義の完成形態は全体主義になるということを忘れてはいけないのです。

害虫や政治屋を駆除するのは重要な事です。そんな奴等に良いようにおもちゃにされるくらいならマーケットにまかせた方がまだマシだというのもその通りかもしれません。けれど、じゃあそうしましょうとしてしまえば、それは場当たり的も良いところの対応となるでしょう。場当たり的パッチ対応を最も得意とする虫達のことを笑えません。

害虫駆除の一環として、一時的に消費者至上主義的な社会を構成するというのは、手段としては有効かもしれません。しかし、それは手段であって目的とはなり得ないのです。
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FC2テーマ:社会 | カテゴリー:社会
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