シュレーディンガーの猫の核心
どうもあちこちで話題になっているらしいです。
個人的にはこの記事は核心を付いているとは思えません。というか「シュレディンガーの猫」自体はもう一般の量子力学的にはあまり意味をなさないんじゃないですか? なんで、この記事を批判するのに科学的におかしいと言ってしまったのでは、間違ってはいないかもしれないけど同じ次元に立つことになる気がします。まぁお互いが望んでいるようなので、それはそれで良いのかもしれないんですけど(笑)
シュレディンガーの猫は、量子が存在しているとか、いないかとかじゃなくて、波とか粒とかでもなくて、確率とか重ね合わせとかでもなくて「量子力学的思考の意義」という科学哲学の命題を洒落で表現しているんだと解釈する方が、核心なんじゃないですかね?
量子力学自体よりもそっちの方が、ほとんどの人には(主体的には)重要でしょうし。
どうもあちこちで話題になっているらしいです。
個人的にはこの記事は核心を付いているとは思えません。というか「シュレディンガーの猫」自体はもう一般の量子力学的にはあまり意味をなさないんじゃないですか? なんで、この記事を批判するのに科学的におかしいと言ってしまったのでは、間違ってはいないかもしれないけど同じ次元に立つことになる気がします。まぁお互いが望んでいるようなので、それはそれで良いのかもしれないんですけど(笑)
シュレディンガーの猫は、量子が存在しているとか、いないかとかじゃなくて、波とか粒とかでもなくて、確率とか重ね合わせとかでもなくて「量子力学的思考の意義」という科学哲学の命題を洒落で表現しているんだと解釈する方が、核心なんじゃないですかね?
量子力学自体よりもそっちの方が、ほとんどの人には(主体的には)重要でしょうし。
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