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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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平等化について

えっと、真面目に反論を頂いたので、それについてコメントしたいと思います。

ですが国内での教育格差をなくしたところで、結局金持ちは子供を海外で育てて成人後に日本に帰国させ、国内で育った日本人らの指導者的立場に立つという事になるでしょう。


そもそも、生まれた時点で引き離してしまえばこういうことにはなりません。海外で出産した場合などは、日本国籍取得に制限を設けるなどが考えられますね。だた、これはこの件に限らずですが、実現するにあたっては問題が幾つもあるというのは承知しています。世界という枠で見た時に、日本だけが特殊な制度を採用しても効果が疑問であるというのも承知しています。なので、個別の実現性云々を突っ込まれても無意味ということをご承知ください。あくまでも思考の方向性を問題にしています。僕としては当面の場当たり的対策を考えようとしている訳ではないのです。

それに家庭は子供にとっては重要な教育の場であり、失ってはいけないものであると私は思います。親は礼儀や道徳など躾に関する事まで学校に任せている訳では有りませんし、学校側も躾まで面倒を見る力はありません。


礼儀や道徳などの躾が重要であることと、それを家族が行わなければならないということは全く無関係です。必要な教育は、誰かがそれを行えば良いのであって、現在の学校で行われていないのであれば、学校を変えるか、それ以外の場所を用意すればいいだけのことです。ですので、それを理由に家族が必要であるという結論は導き出せません。むしろその部分を家庭に依存していることで、様々な問題が起きているというのが現状なのではないでしょうか。

また家族を解体することで家庭をなくした場合、子供の生活の為に別施設を設けることが必要になります。それらの維持費はどうやって捻出するのでしょうか。教育費が無くなるのだからその分国民全員に負担させようと言うのでしょうか?


そういうことでしょうね。子供は社会が扶養するという考え方です。少なくとも個別に扶養するよりは集約できるだけ効率が上がりトータルとしては安く済むでしょう。現状と比較しても、負担する金の出所が変わるというだけで、基本的には総額が極端に増えることは考えられません。もし極端に変わるとするなら、現状では子供達に十分な費用がかけられていないということを意味します。それを容認するのは、社会を構成するものとして無責任なんじゃないでしょうか。勿論その場合、勉強する気もないのに大学に通わせるとか、もう20歳も過ぎたのに引き籠もってるとか、そういう無駄遣いは無くすのが当然の措置です。

結局そうやって作られた養育施設によって育てられた子供らが、多種多様な価値観を持ち、様様な分野で働けるようになるでしょうか。


教育内容にも依りますが、それが適切であるならば、子供達の価値観は周辺の外的環境に一様に依存しているわけではありません。経験と言い換えても同じです。客観的に見て同じ経験、同じ刺激であったとしても、それをどう受け取るかはそれぞれの子供ごとに異なるからです。それは同じ家庭で同じように育った年の近い兄弟。例えば双子などでも同じ価値観に必ずなるとは限らないことからも判ります。もっと今回の件に近い例を出すなら、ある施設で育った子供達には多様性がなくなるのか? と考えれば、誤解による懸念だと理解していただけるでしょう。

配偶者や子供も無く、毎日を一人きりで過ごす働くだけの生活に、どれだけの人が幸せを感じられるでしょうか。そして一人で老い、孤独のうちに死んでいくのが幸せだと言うのでしょうか。人人の心のケアや老人の面倒も税金によって賄うべきだという事であれば、納税者の負担はより一層厳しくなります。


誰が何を幸せと感じるかは、誰かが、ましてや僕や貴方が規定できるものではありません。それに、単に幸せの選択肢が少し減少したというだけの話でしかありません。それですら、逆に家族制度を解体することによって広がる選択肢もあるかもしれない訳です。今は家族があるということが普通だと意識されているので、それが無くなることは不幸だと考えているだけなのではないですか? もし、最初から家族などと言う概念が消失していれば、特に不幸と感じることはないんじゃないですか? 恐らくそうなった時、人間は別のものに幸せを求めるだけだと思います。

それと、結婚まで否定するかは微妙だと考えています。仮に否定したとしても、結婚という形式が無くなるだけであり、お互いが納得の上で生活を共にすることは自由でしょう。また、老後に関しても、現在でも費用は誰かが負担している訳です。で、その出所は結局国民の財布な訳です。なので、家族制度を解体したから、極端に費用が変化するわけではないでしょう。また、老後に関しては自己責任の度合いを上げるという手法も考えられます。実際子供が存在できないとなれば、そういう判断をする人が増えることでしょう。前提条件が変わっているのですから、人間の思考パターンも変化すると考えるべきです。無理に現状の思考パターンを当てはめようとするから、無理を感じているのではないでしょうか。

加えて家族が無くなれば家族連れ用のテーマパークや外食産業は寂れるでしょうし、玩具や子供服などの市場も無くなります。またライフスタイルに合わせた自動車や家の買換え需要も無くなりますし、結婚や葬式を開く事が無くなるので葬祭冠婚系の産業は廃れるでしょう。


少なくとも子供服や玩具は不要になる訳ではありませんから、縮小はあっても無くなることはないでしょう。それ以外については、そうかもしれませんが、変わりに別の産業が賑わうだけなので、特に問題にはならないでしょう。既存の社会構造を守ることが正義であるという観念がこの発想を生んでいるんだと思います。実際は、経済規模自体が変わらなければ、使い道が変わるだけですから、大きく考えれば、構造が変わったとしても問題にはなりません。

そして子供が居ないのなら遺産の相続はできません。結果、個人財産の否定に繋がりかねません。


個人の財産は個人(あるいは配偶者程度)にのみ紐尽くというのが僕の考え方です。よって個人財産自体は否定しませんが、相続は基本的には否定しています。それが、経済活動に対するモチベーションに対してどの程度の影響を与えるかなど考察部分は残りますが、僕は最終的にはそれほど現在と変わらないだろうと考えています。それは、家族制度が個人を家族に縛り付けている要因と考えているからです。そうではなく、個人が社会に直結しているという感覚をもし持てるなら、家族の為に頑張ろうという考えから、社会の為に頑張ろうという発想に変化するのみで、結果としては変わらなくなります。

更に言うと、相続時点で残りの資産は国のものになるという仕組みになれば、現役の内の税率は下げられるかもしれない。そうなれば、個々人の人生はより豊かになるかもしれないし、財政の問題も解決するかもしれません。少なくとも資産が死蔵されるということは無くなる訳です。

また、家族制度の問題はご指摘の通り、教育問題に特化してはいないと考えています。個人の精神が家族という枠に捕らわれていると言う例を挙げましたが他にもあります。面倒なのでここでは挙げませんが、Blogの過去記事を見ていただければ幾つか書かれているはずです。

ですが、教育問題だけを見ても、挙げていただいたデメリットに関しては、コメントの通り誤解や杞憂であると思えます。よって実現性については甘んじて受けたとしても「効果が期待できない割には弊害が大きい」という意見には賛同できません。僕としては家族制度の維持を支持するというのは、古くて役に立たなくなりつつある固定観念にしがみついているだけにしか思えません。


不平等の原因を論じるなら、幸福だと感じる心こそ不平等の原因と言えるでしょう。何故なら人と違って自分が恵まれている、つまり特別な存在だと感じられる瞬間こそが幸福を感じる瞬間だからです。


それは結果的不平等であって、機会の不平等とは別のものです。僕は結果的不平等を否定する気は無いどころか、積極的に肯定しています。なので、幸福を否定している訳ではありません。「配られたカードで勝負するしかない」と引いていますが、ただし貴方のカードには最初から絵札はありませんけどね。と言われたら文句を言うでしょう。あくまでも同じ条件が担保されているという前提があって、初めて結果生まれた不平等には文句を言うなが成立するわけです。家族制度の解体は、まさにここで言う同じ前提を担保するに相等するものです。二つの不平等は全く違うものですから、それを混同するのは、完全な見当違いです。

ちなみに、「ある程度統一された価値観を容認するという条件の元では…」というのは、ある範囲の状態が特別に価値が高いと一般的に認められるような場合。例えば、高学歴とか有名企業に所属するとか、高収入とか、結婚して家族を持つとか、そういうものが高い価値を持つということが普通であると概ね認められるような場合、平たく言えば現在の状態ですが、それを維持するのであれば、機会を平等にするしか本質的な手がない、手段としては家族制度を解体するしか無いということを書いています。

裏を返せば、もう一つの方法として、高学歴や有名企業に所属すること、高収入を得ること、家族を持つことが、高い価値であることが普通で無い。そしてそれ以外の何者も普通にはなり得ない。そういう真の意味で多様性が認められるような社会を構築するという方向を目指すなら、家族制度があっても良いかもしれませんね。ということも意味します。その場合は、教育機会の問題などそもそも問題として成立しなくなります。が、僕としては、今回は前者を選択して話を進めた訳です。
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