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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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『恋空』を読む(2):ケータイに駆動される物語、ケータイに剥奪される内面

続くになってますけど、結論としては多分

・つまりこれにリアルを感じる人は(そうでない人から見た時)キャラクターと同程度の感覚になっている

・所詮ケータイ小説なんて萌えの亜種なんだから記号化されているのは当然のこと

のどちらか、あるいは両方ってことなんじゃないだろうか。だからやっぱりリアルなのかどうかで判断するのはあまり適切では無いんでしょう。この記事を読んで思うのは、結局衝撃的なエピソードを積み重ねて緊張感を維持しつつ話を引っ張るという、別に新しくもない方法を取っているだけなんじゃないか。ただ、それでもこれまでの作品は、一応キャラクターの描き込みとか、そういう昔ながらの技法も体裁にはやっていたけれど、そこをばっさり切り落とした。だから違和感がある。ってことなんじゃないだろうか。

僕からすれば、体裁にあろうが、ばっさり切り落としていようが、主軸が移っていれば同類なんじゃないかという気がします。例えば、昨今大人気のCLANNADなんて同じような構造になっているように僕には思えます。僕の目から見ると、リアリティの欠片もない変人達が織りなす不条理劇にしか見えないんですが、感動したって思っている人は沢山居るようです。なら恋空に感動する奴が沢山居ても不思議じゃないって気がする。つまりは、認知される作品というのは、大衆の質を表しているというのは間違いないことです。

物語を理解するには時間軸に対する理解が絶対的に必要になるんですが、萌えアニメやケータイ小説ってのは、その部分に無頓着になってる。だから突拍子もない設定やエピソードが突然降ってきても、形式上感動ものの形態を維持していれば許される。エピソードドリブンになっているので、キャラクターが形骸化するというのも似ている気がする。人間ドラマになってないんですね。記号の塊でしかない。

ケータイ小説というのが、本当に携帯電話を使って、ライブ的に書かれたものであるなら、当然そこまでしっかりしたプロットが作られているとは考えにくいし、しっかりとした文章表現をできる環境でもない。継続的に読んでもらうには定期的にインパクトが必要にもなる。だからそういう結果になりやすいんでしょう。

どちらが正義かは軸に何を取るかなんですが、資本主義的観点で見れば、売れて再生産性が高いものが正義。だから、萌えOK、ケータイ小説万歳な訳でしょう。僕の価値観から見ればあっても良いし、楽しむのは自由だけど価値はほぼゼロ。ってことになるでしょう。勿論そうじゃない軸を設定する事も可能でしょう。
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