朝日新聞の書評で「ガンスリンガー・ガール」が問題作だと紹介される
以前も同じようなことを書いた記憶がありますが、こういう見方をする人は少なからず居るんでしょうね。けれど、この解釈は近視眼過ぎるというか底が浅いと言わざるを得ません。
まず大前提として、義体というものが必ずしも肯定されている訳では無いということ。改造されたり、洗脳されたりということがとんでもないと言うが、義体は明らかに大衆に対する比喩だと思える。改造とか洗脳というのはあくまでもデフォルメであり、本質は真実を知らずに環境を与えられた人間が表現されている。
義体達はその中で幸せを見つけ出している。それについても大衆と同じ。そんな中でも幸せは感じられるということ。客観的に見た時にどんなに不幸な境遇であったとしても、それと当人の幸せは一致するものでは無いという真実を見事に描いている。
その上で、少なくとも現時点の段階では、どちらがどうという結論は何も出されていない。つまり、矛盾に目をつぶって出来ることに縋りなさいという解釈は、一部分からだけの見方であって、全く全体を表してはいない。そういう見方をしてしまうと、作品全体が著しくチープに感じられるだろう。けど、実際にはそうは解釈できない。
この藤本という女は、哲学的な思考法というのを知らないんだろう。何らかの結論がそこに必ずあるとは限らない。お勉強には必ず正解というものが用意されているのかもしれないけれど、実際の社会問題や哲学的命題には解答が無い場合や、現状では解答不能なものも多数含まれる。そういうセンシティブな部分を描いているからこそ、この作品には意味があるのだし、デフォルメなどの表現を含めて、問題を非常に判りやすい形で表してくれているという意味でテキストとしても優秀。それを、作品自体がまだ完結しているわけでもない状態で、このような誤解に基づく決め付けを行いそれをマスメディアに書評として掲載するのは適切だとは思えません。
恐らく理性よりも感性の方が先に働いてしまって、その勢いが収まらなかったというの辺りなんだろうなとは思います。典型的な女性的反応ですが、完全に悪い方に振れてしまっていますね。
以前も同じようなことを書いた記憶がありますが、こういう見方をする人は少なからず居るんでしょうね。けれど、この解釈は近視眼過ぎるというか底が浅いと言わざるを得ません。
まず大前提として、義体というものが必ずしも肯定されている訳では無いということ。改造されたり、洗脳されたりということがとんでもないと言うが、義体は明らかに大衆に対する比喩だと思える。改造とか洗脳というのはあくまでもデフォルメであり、本質は真実を知らずに環境を与えられた人間が表現されている。
義体達はその中で幸せを見つけ出している。それについても大衆と同じ。そんな中でも幸せは感じられるということ。客観的に見た時にどんなに不幸な境遇であったとしても、それと当人の幸せは一致するものでは無いという真実を見事に描いている。
その上で、少なくとも現時点の段階では、どちらがどうという結論は何も出されていない。つまり、矛盾に目をつぶって出来ることに縋りなさいという解釈は、一部分からだけの見方であって、全く全体を表してはいない。そういう見方をしてしまうと、作品全体が著しくチープに感じられるだろう。けど、実際にはそうは解釈できない。
この藤本という女は、哲学的な思考法というのを知らないんだろう。何らかの結論がそこに必ずあるとは限らない。お勉強には必ず正解というものが用意されているのかもしれないけれど、実際の社会問題や哲学的命題には解答が無い場合や、現状では解答不能なものも多数含まれる。そういうセンシティブな部分を描いているからこそ、この作品には意味があるのだし、デフォルメなどの表現を含めて、問題を非常に判りやすい形で表してくれているという意味でテキストとしても優秀。それを、作品自体がまだ完結しているわけでもない状態で、このような誤解に基づく決め付けを行いそれをマスメディアに書評として掲載するのは適切だとは思えません。
恐らく理性よりも感性の方が先に働いてしまって、その勢いが収まらなかったというの辺りなんだろうなとは思います。典型的な女性的反応ですが、完全に悪い方に振れてしまっていますね。
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