Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 アニメレビューが多め。「シムーン」「RED GARDEN」「精霊の守り人」「ef」。止められそうもないです。

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公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ

自由の話。簡単に書くと、権威主義は自らの自由を犠牲にして成り立っているという自覚を持つ必要があるだろうという話か。「公共の利益」とか言い出す人間のかなりの割合が、公共の利益とは何かという部分について思考停止しているという感触は僕にもあります。本来であれば、自ら考えた上で公共の利益を守ることを重視するという考え方も成立するはずなんですが、そういう主張をする人間に公共の利益とはなんぞやと問うたところで答えられない人間の方が多いので、経験的にそういう表現をする奴は怪しいと感じてしまう。

官憲にしても同様で、彼らのような命令形態で動くことを是とする者の場合、そもそもそこに判断を入れることは良くないことであるという前提が暗黙の内に入っていることも多々あるので、その手の職業に従事しているという段階で半分は自由を放棄していると考えられる。

ただし、法律とか政治とかの類というのは、基本的には思考能力が無い連中を如何にコントロールするかということを主眼に作られています。判断能力が無いのだから、レールを引く必要があるし、その通りに進んでくれることが彼らにとって効率的で都合が良い。よって、そのような教育が積極的に為されていたりする訳なんだけれど、それは自らの足下を切り崩すことと同義の自傷行為であるということに気付かない場合も多い。

それもこれも、平等という思考に問題があると僕には思えます。生物学的な意味で人間であればすべからく平等であるべきだという考え方を無理矢理実行しようとするから、こんなねじ曲がった現実が出来上がる。自由には責任が伴うと言う割に、最も責任を放棄している人間が好き勝手なことをしていたりする。

本来権力の力を使って暴力的な行為を合法化している官憲が、公共の利益を守る自由を行使するために使えば、権威を利用している分だけその責任は重く問われなければならない。だから、冤罪は連続殺人よりも罪深い。にも関わらず、現在の法律はそのバランス感覚を失っている。だから安易な取り締まりを行う自由を平気で行使したりする訳だ。彼らに対して相応の責任が問われているならば、現在の法律を変えるべきだというもっと積極的な発言が彼ら内部から出て来ると思うのだけど、それがない。その理由は明らかに行使する自由の大きさに対して責任の大きさが伴っていないからだろう。

そして、多数派の影に隠れて思考停止している連中もそれと同罪だと僕には思えます。法律や道徳、あるいは宗教は便利な道具ですが、人間の根幹部分に関わるものであるだけに、最低限の思考能力さえも奪ってしまいます。進行すれば人間は容易に畜群に落ちていきます。現在の多数決というのは、その決の質を全く問題にしていないという部分に重大な欠陥があります。これによって正義や法律が決定されている以上、その内容が信頼に値するものであると信じるのは、鰯の頭を神とあがめるのと変わらない行為と言えるでしょう。
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