第40回:集落を捨てていく日本
地方集落を残す必要性を全く感じていないので、僕が見る限りでは単なるノスタルジーを発端にした妄想に過ぎないとしか見えない。土地に縛られて生きるという思考パターン自体が既に過去のものであり、それに縛られている者が過疎の土地に残っているに過ぎない。
と問われるが、全く問題無いだろうとしか言いようがない。人間は全ての歴史を残してきた訳では無いし、残していける訳でもない。その歴史に価値があるのであれば、それをアピールすれば良いのであって、それが認められないのであれば、それは忘れ去られたとしても仕方がない。ノウハウにしても同様だ。マッチやライターといった道具無しに火をおこせる現代人がいかほど居るだろうか。そのノウハウが本当に必要と言えるんだろうか。
人間の歴史は積み重ねであると同時に切り捨てでもある。何かを積み重ねる為には何かを切り捨てる必要が出てくる。もし、消えていく集落に切り捨てに値しない何かがあるなら、そこを主張するべきであって、それが出来ないなら消えたとしても仕方ないし、問題もない。そもそも全国津々浦々まで人間が住んでいなければならないという道理は無いし、むしろ人間が住んでいない場所が過半数程度の方が望ましいだろうと思える。
それでもそういう土地に住みたいと思うのは自由だが、そこにインフラが無いだの学校や病院が無いだの騒ぐのはお門違いというものだろう。なんでも誰かに与えられるものだという思考がそこには透けて見えます。自分の好きな場所に住むのであれば、それに伴って何かを諦めるというのは当然必要になるでしょう。なんでもかんでもアリアリで要求したところで無理というものです。
これから人口がどうなっていくのかは判りませんが、減ったなら減ったで問題無いでしょう。この狭い国土に数千万人も居れば十分だと思います。すでに国力を人区換算で算出する時代は終了しようとしています。必要なのは数では無くなるということでしょう。
地方集落を残す必要性を全く感じていないので、僕が見る限りでは単なるノスタルジーを発端にした妄想に過ぎないとしか見えない。土地に縛られて生きるという思考パターン自体が既に過去のものであり、それに縛られている者が過疎の土地に残っているに過ぎない。
それぞれの集落は固有の歴史を刻み、生きるためのさまざまなノウハウを蓄積してきた。それらを失うに任せてよいのだろうか。
と問われるが、全く問題無いだろうとしか言いようがない。人間は全ての歴史を残してきた訳では無いし、残していける訳でもない。その歴史に価値があるのであれば、それをアピールすれば良いのであって、それが認められないのであれば、それは忘れ去られたとしても仕方がない。ノウハウにしても同様だ。マッチやライターといった道具無しに火をおこせる現代人がいかほど居るだろうか。そのノウハウが本当に必要と言えるんだろうか。
人間の歴史は積み重ねであると同時に切り捨てでもある。何かを積み重ねる為には何かを切り捨てる必要が出てくる。もし、消えていく集落に切り捨てに値しない何かがあるなら、そこを主張するべきであって、それが出来ないなら消えたとしても仕方ないし、問題もない。そもそも全国津々浦々まで人間が住んでいなければならないという道理は無いし、むしろ人間が住んでいない場所が過半数程度の方が望ましいだろうと思える。
それでもそういう土地に住みたいと思うのは自由だが、そこにインフラが無いだの学校や病院が無いだの騒ぐのはお門違いというものだろう。なんでも誰かに与えられるものだという思考がそこには透けて見えます。自分の好きな場所に住むのであれば、それに伴って何かを諦めるというのは当然必要になるでしょう。なんでもかんでもアリアリで要求したところで無理というものです。
これから人口がどうなっていくのかは判りませんが、減ったなら減ったで問題無いでしょう。この狭い国土に数千万人も居れば十分だと思います。すでに国力を人区換算で算出する時代は終了しようとしています。必要なのは数では無くなるということでしょう。
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この記事へのコメント
言っていることはわかります。消える歴史もあります。残そうと努力する歴史もあります。なすがままではあまりにも寂しい。歴史を変える努力が欲しい。この本は、その為の一石だと思います。消えるなら消えろじゃなくて、良い知恵は残そう。です。(会社のメールです。)
具体的な話ではないので、あくまで一般論として言うなら、「良い」なにかがあるなら、まずはそこを明確にアピールするべきでしょう。感傷的な表現でそれを求めたとしてもそれは単なるノスタルジーに過ぎないという話です。なすがままでは寂しいといいますが、そうしなければ前に進めないという場合だって十分考えられます。
個人的には土地に縛られて生きるという考え方自体が非合理だと思っているので、元エントリーの例のような集落に残すだけの魅力があるとは感じられません。そうでないというなら、まずはそこを明確にするべきでしょう。
個人的には土地に縛られて生きるという考え方自体が非合理だと思っているので、元エントリーの例のような集落に残すだけの魅力があるとは感じられません。そうでないというなら、まずはそこを明確にするべきでしょう。
縛られていると感じる人には田舎暮らしは難しいかな。ノスタルジーのみじゃないよ。都会での生活が困難になっても、田舎で自給自足できる知恵を蓄積中。中小規模の都会なら努力次第。大都会は無理かも。中規模の田舎がこれから魅力かな。やりかた次第。皆マイナス志向だね。
いや、いいんじゃないの。そういう考え方が成立するのは理解できますよ。だったら貴方のような価値観の人達が地方に行けばいいじゃない。なんで行かないの? なんで数が集まらないの? そこが重要な点な訳でしょ。自給自足だって言うなら自分一人でだって生きていけるのかもしれない。それはそれで結構なこと。是非一人で暮らしてくださいよ。そこにやれ何がない、かにがないと騒ぎ出さなければどこに住んで頂いても一向に構いませんよ。
日本はとりあえず資本主義国家であり、民主主義社会である訳だから、少数派の価値観を持っていて、それを貫くというなら公共サービスとは縁を切らなければなりません。誰だって自分の価値観と利便性を天秤にかけてバランスを取りながら暮らしている訳。そのバランスが崩れた場所が過疎化しているってこと。それでもそこに住み続けるというのは土地に縛られている以外の何者でもない。
田舎に住みたいという人を否定している訳では無くて、田舎に住むなら相応のリスクを払うことを覚悟するべきだと言っているだけです。それは逆も真。都心に住むなら相応のリスクを覚悟しろも成立します。貴方の言う中規模の田舎ではなくて、過疎化で消滅寸前の集落に住み続ける理由は何か? そこを考えないとマイナス思考もプラス思考も無いでしょう。
日本はとりあえず資本主義国家であり、民主主義社会である訳だから、少数派の価値観を持っていて、それを貫くというなら公共サービスとは縁を切らなければなりません。誰だって自分の価値観と利便性を天秤にかけてバランスを取りながら暮らしている訳。そのバランスが崩れた場所が過疎化しているってこと。それでもそこに住み続けるというのは土地に縛られている以外の何者でもない。
田舎に住みたいという人を否定している訳では無くて、田舎に住むなら相応のリスクを払うことを覚悟するべきだと言っているだけです。それは逆も真。都心に住むなら相応のリスクを覚悟しろも成立します。貴方の言う中規模の田舎ではなくて、過疎化で消滅寸前の集落に住み続ける理由は何か? そこを考えないとマイナス思考もプラス思考も無いでしょう。
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