Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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滝沢の発想は完全に正しい。そして、咲ちゃんもそれについて理解はしていないけれど肌で感じている。だから違和感を感じてしまって、本来やらなければならない事が出来なくなってしまったりしている。彼女の気持ちはよく判る。どうして良いか判らなくて混乱している状態。ただ、これまでの自分や社会の常識が破綻しているということに気付くことは、それに対応するための第一歩になります。

逆に完全に終わっている代表が大杉と言う事になるでしょう。つまり、彼が最も常識人であり、現在の人間に近い存在という事になります。問題意識の無さ加減がまさに現在の大衆って感じで馬鹿さ加減を巧く表現しています。社会体制に対して絶大な信頼を置いており、常識的なルールを遵守することが最も適切であるという判断をする。決して悪人では無いけれど、現在の社会において最も害悪となる大衆として描かれています。

過去の滝沢がニートを無理矢理そうしなければ死ぬという状況に追い込んだという選択も正しい。そして、送り込んでおいて放置というのはつまり、馬鹿が直らなければ死ねと言う事を意味する。そこでは立場や肩書きというものはまるで通用しない。社会システムという束縛から解放されることで、アホなニート共もやっと自らの責任と存在意義の立て方というものを学ぶ者が表れた訳だ。そうでもしない限り、現在の社会システムという枠内に彼等が居る限りモラトリアムは続くし、それがモラトリアムであるということを当人達は気付かないだろう。

また、何人かのセレソンが表れたけれど、見る限り救世主として動いているようには見えない。何を持って世界を救えるのかという命題がはっきりしていないので何とも言えないのだけれど、現在秩序と社会システムを何ら形で崩壊させない限り社会が変わるという事はあり得ない。それが近代民主制と資本主義からなる現在社会の致命的な病巣だ。

社会の方を変えないのであれば、人間が社会から離脱してしまうという手段もある。近代を否定しない限りその次の社会体制は構築できないというのはどちらの手段でも同じだ。個人が社会に直結する形式、権力構造というフィルターを通さずに、自らが自らの社会に責任を持つ体制というのが、真の民主制であり、真の自由主義のはずだ。既に近代の似非社会体制は命数を使い果たしたという滝沢の認識は全く正しいものだと僕には思えます。
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 咲もかわいそうでしたが、大杉君もかわいそうでした。報われない話ってきついですね。
2009/05/10(日) 09:11:59 | つれづれ