Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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現代における人間失格の存在意義を問うために色々と工夫しています。社会の荒廃という意味では現在も当時も大きな違いは無いかも知れません。勿論物質的な意味では全く比較になりませんが、物質的なものは社会の豊かさとは全く関係ないということを感じさせます。人間のレベルは当時と今とはほとんど変わってないってことも良く判ります。

人間が生きていく理由などというものは、真面目に考えてしまえばそうそう見つかるものでも無い。人間の人生というのは、苦痛の方がそれ以外よりも遥に大きい。そこをあえて生きるということを選択する。しかも死の恐怖を恐れてではなくて、積極的な意味で生きようと思う為には強靱な精神力か、無神経が必要でしょう。実際生きている人間のほとんどが無神経に分類されるだろうことは明白です。

それを理解する人間だけが思い悩み、それが社会的に異端であるが故に、最終的に狂人と識別される。かくして無神経な常人だけが生きていける社会が出来上がり、社会の命数をすり減らしながら時間は進み、何れ限界値を超えて再構成されるということを繰り返す。人類が文明を持ち始めてから現在に至まで繰り返されたことをまだ繰り返し続けています。故に社会が終焉に近づくタイミングでは同じような状況になります。

これだけ昔の文学が未だに意味を持っているという事は、人間と社会が原則的に進歩していないということの証と、その本質を見抜き表現した芸術作品の存在価値はそうである以上下がることは無いということを指しているでしょう。何を意図して今人間失格なのかは判りませんが、面白い選択なんじゃないかなという気がします。
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