政治のレベルと個々人の生活のレベルを同一視する考え方は机上の空論でしか無いと僕は思います。ダミヤのやり口はどうにも怪しいので何とも言えませんが、その口上を否定する事が出来ないのは、彼の物言いが真理を語っているからです。勿論その実現方法に汚い部分があるのも事実ですが、ある種の改変を効率的に行うにはそれが効率的であるという場合は十分想定できます。特に最高権力者があの酷い有様では無理をしてでも変えなければ考えるのを攻めることはできないかもしれません。
視野のギャップを考えないやり方は正直感心できない部分があって、ある方向からの正しい選択と政治的な意味での正しい選択は同じ次元で語られるべきものではありません。特に変革の過渡期ではそれが顕著に現れます。これまでの話がずーっとエリン個人の視点で語られてきて、それが急激に拡大する方向に振れてきているので、こういう違和感を感じてしまいます。
流れ的には単に保守に走るというだけでは無いようですが、王獣を守る為に太閤が王になるということを肯定するということになるとすれば、それは個人が政治に参加するということの限界を路程させることになります。まぁそれは真実なのでその描写があることはリアルなんですが、そういう話でも無いような気がするので、この行き詰まった状態からどういう展開をさせるのか楽しみだったりします。
視野のギャップを考えないやり方は正直感心できない部分があって、ある方向からの正しい選択と政治的な意味での正しい選択は同じ次元で語られるべきものではありません。特に変革の過渡期ではそれが顕著に現れます。これまでの話がずーっとエリン個人の視点で語られてきて、それが急激に拡大する方向に振れてきているので、こういう違和感を感じてしまいます。
流れ的には単に保守に走るというだけでは無いようですが、王獣を守る為に太閤が王になるということを肯定するということになるとすれば、それは個人が政治に参加するということの限界を路程させることになります。まぁそれは真実なのでその描写があることはリアルなんですが、そういう話でも無いような気がするので、この行き詰まった状態からどういう展開をさせるのか楽しみだったりします。
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