まっことCLAMPらしい話の展開。「人に嫌われたくないと思うのはいけない事でしょうか?」こう聞かれていけない事と言える人はそうは居ない。けれど、問題はその度合いというか執着度合いな訳です。「嫌われたくない」のプライオリティをあまりにも上げすぎて、重要なことをおろそかにしたとすれば、それは途端にいけない事になります。好かれたいでも同様。
つまり、端的に「嫌われたくないと思う」と断じてしまえば、それ自体は悪ではないけれど、バランスを無視すれば、善し悪しというよりも人間として駄目ってことになります。人との関係性によって人間はその存在意義を定位できる。それは真理なのでそのこと自体は良いのですが、結局人に寄りかかるようになってしまったのでは本末転倒も良いところです。
あくまでも自分は自分の足で立って、その上で人との関係性を構築できない奴は、人間としては屑です。当然ですがその逆パターンもほめられたモノじゃないのは当然です。それは社会性の欠如ということになりますから、人格障害です。そういう意味で藤本も堂元も似たようなレベル同類相哀れむというところか。
こばとが彼らを異常だと思わないのは、単に彼女が鈍いから。外面としては、堂元タイプの方が受けが良いのは当然ですが、彼は人格障害ですが、屑よりマシなのは当然の事です。そのことを一番知っているのが堂元自身で、だから藤本を羨ましがる。こばとの言葉程度で癒されてしまう辺りが安っぽいという気もします。
実はこの辺りがCLAMP作品の最大の問題点なんですが、こればっかりは、作者自体が理解していないのでどうにもならないんでしょうね。
つまり、端的に「嫌われたくないと思う」と断じてしまえば、それ自体は悪ではないけれど、バランスを無視すれば、善し悪しというよりも人間として駄目ってことになります。人との関係性によって人間はその存在意義を定位できる。それは真理なのでそのこと自体は良いのですが、結局人に寄りかかるようになってしまったのでは本末転倒も良いところです。
あくまでも自分は自分の足で立って、その上で人との関係性を構築できない奴は、人間としては屑です。当然ですがその逆パターンもほめられたモノじゃないのは当然です。それは社会性の欠如ということになりますから、人格障害です。そういう意味で藤本も堂元も似たようなレベル同類相哀れむというところか。
こばとが彼らを異常だと思わないのは、単に彼女が鈍いから。外面としては、堂元タイプの方が受けが良いのは当然ですが、彼は人格障害ですが、屑よりマシなのは当然の事です。そのことを一番知っているのが堂元自身で、だから藤本を羨ましがる。こばとの言葉程度で癒されてしまう辺りが安っぽいという気もします。
実はこの辺りがCLAMP作品の最大の問題点なんですが、こればっかりは、作者自体が理解していないのでどうにもならないんでしょうね。
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