Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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マクロとミクロを都合良く使い分けています。それをするならどんな結論でも導き出せます。それを汚いという。この作品に限ったことじゃ無く、戦争物なんかの多くで使われる手法ですが、何度見ても反吐が出ます。ある正義とある正義が同じ重さを持つ時にどちらを優先するべきか。絶対的な指針はありませんが、個人的には、より少数の正義が有線されるべきだろうと考えます。多数者の正義というのは大抵多くの無責任者によって構成されるからです。この作品においても、人間の正義は少数の遺物保持者の独断によって維持され、それ以外の連中は無責任にそれ以外を化け物と呼んでさげすんでいるだけです。そういう大衆の言動こそ下卑という言葉がしっくり来るでしょう。

どのような言い訳をしたところで、無責任な馬鹿が報われる社会は歪んでいます。歪みは社会のどこかに無理を生じさせます。ある程度までは歪みも許せたとしても過ぎれば全体が崩壊します。誰も悲しまない世界が幻であるというのはそれであるが故です。それと同じようにこの手の問題にそんな誰もが納得できるような綺麗な回答が見つかるということは無いでしょう。

魔眼保持者のような非常に特異かつ分かり易い化け物だけがターゲットになるわけじゃない。大衆社会は常に少数の犠牲の羊の上に成り立っている。人間の多様性というのはその程度には分散しています。故に唯一の解決法は自らの責任は自ら果たすということです。それが出来ない無能者は消えて貰うしかありません。

この手の手法を使う作品は少なくともこれまでは、相手の正義を否定し自らの正義を肯定する。という結論に至りますが、客観的に見ればその二つの正義はどちらでも同程度としか思えないものです。しかもその正当性を主張するに、今回のようにミクロとマクロを使い分けるなんてえげつなくかつ無意味な方法でしか正当性が主張できないという説得力の欠片も無いものだったりします。そうならずに納得のいく結論が出せれば立派なものを通り越して感動ものですが、どうでしょうねぇ。
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コメント
この記事へのコメント
まずは今まで乱暴な言葉遣いと不躾な批判を今までしてすいません。いつも通り消してください。
実はシムーンが自分の中で一番好きなアニメで最近やっとはまれたのが伝勇伝で原作まで全巻読んで感想の巡回をしていて無責任な馬鹿=魔眼保持者と読みちがいました。何故シムーンを評価できる人がと思い粘着してしまいました。すいませんでした。
伝勇伝の基本軸は分かりづらい側面がありますが、自分は特異な力を持っているが心の弱いライナが自分自身を承認し世界を変革していく物語だと思っています。
魔眼保持者の問題はその過程に収束されていきますが、ぶっちゃけ2部構成の1部しかアニメ化してないのでアニメでは解決は無理かと。
後は主軸の伝説の勇者とライナの話になっていきますので。
もう2度と書き込みません。失礼します。
2010/11/20(土) 02:44 | URL | #-[ 編集]
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大門ダヨ 前回シオンの命令でライナを殺しに来たルークさん
2010/11/22(月) 13:37:38 | バカとヲタクと妄想獣