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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。

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それに、「植民地」が当たり前に存在した20世紀初頭と(一応)国連などが存在する現在では国際情勢が大きく異なります。


状況が違うことは確かかもしれませんが、だとしたら、現在の状況からどうなるかは誰も想定できないという結論が導き出されるだけです。また当時も国際連盟はありました。無論現在の国連とは様々違うかもしれません。でも、それを言い出したら、現在の国連なら完璧なんですか? って疑問が出るだけです。結局、当時と全く同じ形にはならないかもしれません。けれど、同じ程度に狂った状態になる可能性は常にあります。

唯一の超大国である米国に対する従属路線をとり続ける限り日本が再び過去の歴史を繰り返す事はありませんから、国旗掲揚/国家斉唱しても別段問題があるようには思われません。


それを猫山さんが保証してくれるんですか? そんなことは出来ないし、仮に保証すると言ったところで、実質的には無意味でしょう。それにそれは単に反アメリカにならないというだけの保証でしかないように感じますが。違うんですか? 過去の歴史は、反アメリカだったかもしれませんが、そうなりさえしなければ良いと考えている訳では勿論ありません。まさかアメリカがおかしくなることはあり得ないとか考えている訳じゃないですよね?

有意義であるならば勉強と同じで強制する必要があるように思われます。


じゃあ、猫山さんは裁判所が有意義と認めたこと全てを強制されても何とも思わないんですか? 僕はごめんですし、教育現場では、この手の問題に関して何者も強制するべきではないと思っています。

更に言えば、その裁判所の判断が正しいと決まったわけでもありません。何故なら、「何にとって」有意義なのか? が明示されていないからです。例えば、政府や教委が目指す教育にとっては有意義なのかもしれません。けれど、それ以外の教育目的においては、意義がないどころか害である可能性すらあります。僕としては前提条件が間違っていると主張しているので、この裁判所の有意義であるという判断に何の意味も見いだせません。更に、裁判所はその構成上政府や法律の判断そのものに対して、見直すということを違憲問題でない限り行いません。よって、そちらの方向から考えても意味がありません。
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コメント
この記事へのコメント
横から失礼します。
読んでいて思ったことをば。

まず、国連についてですが、国連があるから軍国化は起こらないというのはないでしょう。国連はあくまで連合ですので、邪魔になれば脱退すればよいだけです。無論脱退すれば国際社会からの批判を受けて様々な機能が立ち行かなくなります。が、幼い頃から国連は国家権力を握る者たちが私欲に走って作り上げたと言われ続けていれば、そうして育った人間にはそれが事実になります。そして国家はその捻じ曲がった事実を真実として国民に与えます。そんな状況なら思考統一くらいして当然ですし、ネットだってプロバイダを介さないと接続できないのですからいくらでも手の打ちようはあります。

米への従属を取り続ける限り、という点もアフガン侵攻やイラク戦争を見れば危険極まりないでしょう。それらの紛争の目的や、最近騒がれているテロ発生件数の増加が何を発端としているかを考えれば。
戦争支援、集団的自衛権行使へ向けての法改正……本当に可能性は無いといえるのでしょうか。米国が軍国化した場合はどうなるでしょう。

有意義だから強制と言うくだりに関して。
まず、勉強は強制されている物ではありません。義務教育の義務は、親権者に対して課せられるものであって、子供が有するのは義務教育を受ける権利です。ですから子供は勉強を拒否することができます。社会構造上強制に近い形となっていますが、別に勉強をしていないからと言って生きることが認められないわけではありませんし、仕事だって種類を問わなければいくらでも見つかります。勉強は目的に近づく手段であって、目的に付随する義務ではありません。勉強が強制される義務であるなら、それを拒否する者は権利を剥奪されます。
で、国歌斉唱に関してですが”強制”されることが正しいと思える理由が知りたいと思います。これらが教師の思想から行われるものであればなんら問題はありません。式典にはそうした方が良いという考えが多数を占める場合、それこそ”思想の自由”です。しかし、強制となると話は違います。強制とは”有無を言わさず”掲げろ歌えということです。すべきであるのと、しなければならないのとでは大違いです。

というかそもそも、習慣として自発的になされるはずのものを強制するな、というごくごく単純な事を言ったに過ぎないのでは?
死者に葬式を挙げることは当然の習慣だ。しかし葬式にも仏式神式キリスト教ヒンドゥー教様々な方法があり、同じ括りの中にも宗派がある。日本国籍を持っているからと言って何教何派でやれと決めつけられるものではない。今回の件はこう喩えられるのではないでしょうか。軍国主義がどうこういう問題ではない気がします。

ちなみに”日本人”と言う価値観が生まれたのは明治維新以降です。それ以前は生まれた藩こそが国であり、世界とは本州のことでした。”日本人”の歴史はまだ二百年程度です。
2006/09/26(火) 22:08 | URL | 無記名 #mQop/nM.[ 編集]
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